アンティ視点~新しい生活~
第一章 第三話(13)から第四話(1)の頃。
アンティから見たゼノヴィオス。
聖女様から与えられた建物は、住んでいいのかと戸惑うほど立派なものだった。全員しばらく硬直し、何度も間違っていないのか確認してしまった。
建物の中は既に充分に住めるように調えられており、不足しているものがあれば、と言われても、寧ろ今までなかったものばかりだ。
きちんと全身くるまれる寝具も、薪をくべれば使える暖炉も、綺麗な水を溜めて置ける水瓶も、今着ている物より余程温かそうなお仕着せも。
物がありすぎて、意味が分からない。
ふと気が付き、魔法が使えなくて水を溜められないんだがどうすればいいか、と恐る恐る案内をしてくれたデイジーに聞くと、使用人を連れてきて水を溜めてくれた。
そして魔法が使えないなら火もつけられないですよね?と、別の使用人に暖炉に火を入れさせてくれた。暖炉なんて贅沢品は使わせてもらえないと思っていた。毎回使用人を呼ぶ訳にもいかないから火は絶やさないように、と言われたが、そんな贅沢していいのか。
水については、魔術具を作って明日持ってきてくれるという。
至れり尽くせりすぎて、意味が分からない。
混乱しながらも、生活できるように整える。といっても元々持ち物なんて大して持っていない。すぐに終わってしまった。
手持ち無沙汰になってしまい、デイジーに何をすればいいのか尋ねる。すると、お嬢様からは食事をきちんと食べて、充分に寝て身体を休め、生活に慣れるように、と言われております、と返ってきた。
やる事がなさ過ぎて、意味が分からない。
オレたちは、何しに来たんだ?
食事だって、しばらくは決まった時間に本館に行けば食べさせてくれるという。水は約束通り魔術具をくれたし、薪だって外の小屋に用意されている。今だけですとは言われるが、それにしたってあり得ない環境だと思う。
何度かデイジーに、何かすることがないか聞くと、やっと答えが返ってきた。
「お嬢様からはまだ何も言われていませんが、お勉強をされてはいかがでしょうか」
……意味が分からない。
と思ったが、どうやら本当に必要なことだったようだ。言葉遣いや言い回し、呼び方などをデイジーに習う。それから使用人の関係についても。
デイジーやリリーは上級使用人、この間デイジーが連れてきた水や火をつけてくれたような人たちや、オレたちが本館に食事に行った時に会うのは下級使用人、そしてオレたちは下働きという扱いになるらしい。自分たち以外の使用人はすべて上司だから、様付けで呼ぶように、ときつく言い含められた。オレたちがきちんとできないと、お嬢様の評判に関わります、とのことだ。
話す機会が増えて思ったが、デイジーはお嬢様至上主義だった。
それから一週間して、お嬢様とゼノヴィオス様がいらっしゃった。まだ慣れない敬語で頑張って話していたら、いつの間にかゼノヴィオス様に観察されることになってしまった。
と言ってもすることもないので、火を絶やさないように薪を足し、干していたお仕着せを取り込み、畳んで自室へもっていく。自室の寝具を軽く整え、そのうち食堂になるであろう部屋に行って座る。
時々ゼノヴィオス様に、薪ってもっと持てるの?と要らない分まで持たされたり、力加減間違って破いちゃったりしない?これ普通の服だよね?とお仕着せを両手でぐいぐい伸ばされたり、寝てる時も魔質って巡らせてるの?ちょっと寝てみてよ、と無茶を言われたりしたが。
お嬢様に初めていただいたお仕着せが伸びてしまった……。心にひっそり、ゼノヴィオス様許すまじと刻んでおく。
「意外と普通に生活送れるんだねえ……不便はないの?」
ゼノヴィオス様の言う不便は、身体強化をしていて不便ないのか、という意味だ。この人はそれ以外で、オレたちに興味はない。
「……慣れれば、ありません」
「えっ、ていうことは慣れないとあるの?ねえねえ、どんなこと?」
……いい加減うざい。
こういう人間はオレは苦手だ。誰か適役はいないかと探してみたが、皆して隠れていやがる。なんだ、こういう面倒ごとを引き受けるのも代表の役割だってのか。
今更ながらクレースの有難みを感じる。
「……子どもの頃は、間違えて扉を壊したり」
うんうん、と楽しそうに続きを促される。
「……耳をよくし過ぎると、うるさくて本当に聞きたいことが聞こえなかったり」
「それから?」
「……目をよくし過ぎて遠くのものに気を取られて、小石に躓いたり、しました」
「へえ、こんな可愛げのないアンティも、そんなことやらかしてたんだね!」
全く悪気がなさそうに言っているが、オレにはわかる。
絶対ばかにしてる。
「じゃあ今いる子どもたちは苦労している真っ最中かな?」
軽く頷いて肯定を示す。
「あーどうしよう、検証したいんだけど!でもなあお嬢様に明日からですよって言われてるしなあ」
お嬢様も苦労してるんだな、となんとなく察する。
「あ、アンティたちに試すのはだめかもしれないけど、オレならいいかな。ちょっとだけ外で試してみようかな?」
そういうと、なぜかオレを連れて家の外の少し開けた場所に向かう。さっきまで洗濯物を干していたところだ。
「魔質を巡らせるのって、コツとかあるの?」
「……ここにある"何か"を、動かします」
「あーそれね、お嬢様も似たようなこと言ってたことあるんだけど、本当に意味がわからないんだよね!ちょっと試してみたけど、何もないんだよねえ……」
ゼノヴィオス様にしては珍しい表情で、困ったように眉を下げる。会ってからずっとにこにこしてたのに。
「……少し、温かい感じが、します」
「うーん……」
しばらく悩むような様子を見せた後、目を閉じて集中し始めた。
体内にある魔質を……やっぱりないんだけど……あ、でも濃度が……ああ、なるほど、と一人でぶつぶつ言っている。耳が良いオレには筒抜けだ。
唐突に目を開けたと思ったら、ゼノヴィオス様の左手が血まみれになった。
「……!?」
「やっぱりダメだったかあ」
まるで分かっていたとでもいうように、笑顔のまま右手を左手に翳して少しずつ血を止めていく。何事もなかったかのように服から出した布で手を拭うと、満足そうに笑った。
「助かったよ、また明日からよろしく」
貴族って本当に、意味が分からない。
翌日の昼過ぎ、ゼノヴィオス様はやってくると、女を一人と身体強化が使えない子どもたちを残し、全員を練習場へと連れていった。昨日、笑顔で流血するゼノヴィオス様を見ていたオレは、心持ちゼノヴィオス様から距離を取っている。
「アンティ!ちょっといろいろ試してみたいんだけど」
……逃げられなかった。
「……どうすればいい、ですか?」
「あの的を壊そうとするなら、どうする?」
「……走って行って、殴るか蹴るか、します」
「殴るのと蹴るので得意不得意はある?」
はい、と頷く。
どっちにしよう?となぜか迷っているが、どっちでもオレとしては変わらない。
「子どもでもあれ、蹴れるの?」
「……跳べば、できます」
「殴るのでも、みんな怪我なく的を壊せる?」
「……多分、できます」
「じゃあ、殴ってもらおうかな。大体でもいいから、年齢順に並んで」
と、子どもから順に的を殴らせていく。
不思議な的で、割れても破片を近くまで持っていくと、また同じ形に戻った。ただなぜか、元から開いていたいくつかの穴だけは、直らないようだったが。
「あれ?強さって、身体強化をしてきた長さじゃないんだね?」
ゼノヴィオス様は、なんだろう、魔質の量かな……いやそれよりも濃度か……もしくは筋肉量かな、とまたぶつぶつと独り言を言う。
オレの番になり、あっさりと的を破壊する。何の手応えもなかった。
「ふむ、人によってかなり強さが違うみたいだ……」
ゼノヴィオス様が、面白い、とにやりと笑った。ぞくっと悪寒が走ったのは、気のせいじゃないと思う。
それからは、年齢で区切られて練習場に連れていかれたり、性別で分けて連れていかれたり、同じぐらいの強さの奴らだけまとめて連れていかれたりして、なんだかいろいろと試して比べられた。オレには結果はよくわからなかったけれど。
あと子どもたちは、力の調整がどんな感じかすごく細かく聞かれていた。困っていた。
そして大人も子どもも、一か月に一回ぐらい同じ動きをさせられて、たぶん強くなっているかどうかを測られた。
全員連れていかれることもあった。そういう時は、特に変な実験をさせられた。
目の前に生きてるネズミを差し出され、身体強化できる?と来た。わからないので試そうとしたが、少し"何か"をネズミに寄せただけで物凄い勢いで籠の中を逃げてまわった。ゼノヴィオス様に言われて、抑えつけて試してみたら、すごく怯えられた上に気絶された。連れ出された全員が同じ結果になったけれど、なんだか可哀想なことをした気分になる。
また別の時には、小型の魔獣を連れてきた。同じように試してみろと言われたので、いやいや試してみる。すると、逃げる素振りも怯える様子もない。不思議に思いながらも、そっと触れ、自分の身体の一部だと意識して"何か"を巡らせようとする。反発する"何か"があり、身体強化はできなかった。
ところが連れ出された全員が一人ずつ試していたら、一人だけ"何か"が反発なく通る奴がいた。オレらの中では弱い奴で、内職でちまちま稼いでた奴だ。ゼノヴィオス様がものすごい勢いで質問攻めにしていて、すごく大変そうだった。
それからしばらくは、そいつだけを連れて行っていろいろと試したようだ。そいつには申し訳ないが、ゼノヴィオス様に連れ出される人数が少ないと、任されている下働きの仕事が捗るのでとても助かっている。
だがそれも長くは続かなかった。今度はその一人を除く全員を連れ出し、順番に様々な魔獣に身体強化をかけるように言われた。当然一日で終わるはずもなく、何週間もかけて全員が用意された全ての魔獣に試した。残された一人はすべての下働きの仕事が集中し、大変だったらしい。
残念ながらオレに合う魔獣はいなかったため、お役御免にされて、今度は合う魔獣がいた奴らが連れて行かれるようになった。何をしているのか聞いたら、魔獣をどの程度使役できるか試させられているらしい。
……どうやら身体強化をかけていると思ったが、魔獣に身体強化をかけると触れている間だけ使役できるらしい。新発見だと興奮しているゼノヴィオス様が大変だと愚痴っていた。
またしばらくして実験が終了すると、今度はオレ一人だけ連れ出されるようになった。どうやらゼノヴィオス様は、身体強化を諦められないらしい。
アンティが一番身体強化が上手だからね、と何を見て判断しているのかわからないが言われ、強制的に教えることになった。教えられることなんて何もないのに。
毎回ゼノヴィオス様は、血を流しては自分で治し、血を流しては自分で治しながら練習をする。
何日も何週も飽きることなく。
正直、ドン引きだ。
でも、たまにゼノヴィオス様の口から聞くお嬢様のお話しは面白い。基本的にはあのひとほんとおかしいよね、みたいな侮辱したような言い方だが、その中身を聞くと強い知的好奇心によるものだとわかる。
お嬢様は本当に規格外らしい。
ゼノヴィオス様が、目標になればと上院の主席になれるぐらいの難度の水魔法を見せると、お嬢様はそれをひと月で習得する。
ゼノヴィオス様が、できるわけがないと思いつつも治癒魔法のコツを伝えると、お嬢様は身体構造の参考書もなく治癒魔法を成功させる。参考書を手に入れたのでは?と聞いてみたが、身体構造の参考書はとてもではないが女性や子どもが見て良い物ではないから、絶対に誰も渡さないはずだと断言された。
「そういえば、この間初めてお嬢様の治癒魔法を近くで見たんだけど」
身体強化の練習をしながら、ゼノヴィオス様がまたお嬢様のお話しをしてくださるようだ。
「ほんと意味わからないよね、お嬢様のデュミナスって光ってるの!」
オレにはゼノヴィオス様が言っている意味もよくわからないが、ありえないことらしい。確かにゼノヴィオス様は何度も治癒魔法を自分にかけているが、光っているところは見たことがない。
「普通はプリマ・マテリアなんて目に見えないんだよ。どんなに密度を濃くしたって」
と、ゼノヴィオス様は自分の手のひらの上に何かを集めているような気配を見せる。確かに見えないが、プリマ・マテリアを集めているのだろうか?身体強化をかけているからこそ"何か"が集まっているのに気付けるが、普通の人は気付けないだろう。
はあ、とゼノヴィオス様がため息を一つ吐く。
「何かコツとかないの?」
身体強化のコツだろう。話がころころ変わり、とことん自分の欲求に素直な人だと思う。
あーこんなこと初めて聞いた、となんだか勝手に屈辱を感じているようだが、オレの知ったことではない。というか、オレのせいではない。
嫌なら止めればいいのに、と思いつつ、何かあるだろうか、と考えを巡らせる。
「……ゼノヴィオス様は、どうして、オレが一番上手だと、思ったんですか?」
「あー、うーん……見える、んだよね」
「……?」
「その人の魔質の流れというか……人の中じゃなくても、大気中の魔質が動いているのとか」
魔法の生成を感知するのに使えるんだ、と誇らしげに言うが、もし見えなかったものが見えるようになったのだとしたら、それは身体強化の一種ではないのだろうか?
「……元から、見えてました?」
「いや、見えないかなーって試してたら……」
ピタリ、とゼノヴィオス様の動きが止まる。
「なるほど、なるほど……やっぱアンティで正解だよ」
にやり、と自信を持ったかのように笑うと、今度はオレの存在などないかのように黙って集中し始めた。
目の周りに何か集まり、ゼノヴィオス様が遠くを見つめる。満足気に頷くと、今度は耳へと何かが集まっていく。どうやら、身体強化を部分的に習得できたようだ。
これでゼノヴィオス様から解放されるかもしれない。
そっと息を吐いたが、聴覚を高めていたゼノヴィオス様にちらりとこちらを見られてしまった。