クレース視点~聖女の救済・後編~
中編の続き。
クレースのこれからをちらっと。
「100シリーを三人分、300シリーをお持ちしていますので、こちらに置いていきますね」
机に革袋がじゃらりと音を鳴らして置かれた。
いくら聖女に心酔してしまったとしても、要らないと言えるような懐事情じゃねえ。ありがたく貰おうと手を伸ばしたところで、ずっと黙って後ろに立っていた胡散臭い男が、口を開いた。
「……身体強化、か……?初めて見る技術だな……」
独り言のつもりだったのかどうかはわからない。
伸ばした手を引っ込め、独り言にしては大きいんじゃないかと思いつつ、オレたちの秘密を見抜いた男へと視線をやる。
「魔法は使えないんでしたよね?」
「……ああ」
目が合うと、確認するように当たり前のことを質問してくる。
「では体内を魔質が高速で循環しているのは、無意識で?」
やはり、本当に見抜かれたのか。
体内にある"何か"がマシツだとは知らなかったけれど、どうやって見破ったのかと驚きを隠せない。
「!?なぜそれを……!?」
「ああ、意識されてのことでしたか。安心いたしました」
"何か"を更に速く巡らせ、強く睨みつけたにも関わらず、腹の中を見せない笑顔は変わらない。
速く巡らせれば巡らせるほど、対峙した人間や動物は硬直し、多少なりとも怯えを見せるのが常だった。こいつは、なんなんだ。
そしてそれは、こいつだけじゃなかった。隣に立つ女は明らかに怯えているのに、聖女は平然と男と会話をしていく。それどころか、まじまじとオレの身体を確認し始めた。
これ以上暴かれてたまるか。
「だが、魔法が使えるわけではない。あんたたちに何か関係があるか?」
「魔法……とは違うんでしょうが、魔質を循環させることで、何か影響があるのでは?……具体的には身体能力の強化、とか。先ほどの威圧や、最初に急に現れたのもその恩恵でしょうか」
ずばり的確に言い当てられては、反論の余地もない。聖女は惜しいかもしれないが、ヤっちまうべきか。
「あ、そんな警戒されなくてもよろしいですよ。単なる興味ですので」
オレの逡巡など気にも留めない様子でにこにこと話す。
なるほど、こいつは貴族とそれ以外を明確に分けている奴だ。こいつの目に、オレらは人間として映っていない可能性すらある。聖女の前だから隠しているだろうが。
聖女が男を制しようとするが、逆に男に唆される。
警戒を強め、覚悟を決めようとしたとき、聖女が柔らかくほほ笑んた。
「ただクレースにとって、とても大事な技能でもあるのでしょう。それを無暗矢鱈と奪うのは本意ではありませんわ」
「……どうする気だ。これは俺たちの命綱だ」
「……わたくしに、雇われませんこと?」
理解が追い付かないまま聖女を見ていると、殊更に楽しそうに笑って言葉を続けた。顔だけ見れば、良い事思いついちゃった、とでも書いてありそうだ。
「住む場所は提供いたしますし、当面は食料も援助を約束しましょう。必要であればお仕着せも用意できるかと」
「……は?」
聖女はこちらの疑問など意に介さず、まるでそうなることが決定事項のように条件をつらつらと述べていく。
そういえば、そうだった。
また聖女に振り回されていることに気が付き、いつの間にか場の支配権が常に聖女にあることに諦めの心地さえしながら、聖女の話に乗る。
「……仕事内容は?それが一番重要だろう」
破格の条件を提示され、しかも少なくとも聖女の目が黒いうちは恐らくそう悪い事にはならないと思わされた。オレにこれ以上の交渉事は無理だろう。
全部で五十人ぐらいいる仲間たちとも相談しなけりゃならねえ。中には表の世界では生きていけない奴らもいる。孤児も連れてこなきゃならないし、聖女の周りの奴らが聖女に呆気にとられているうちに、さっさと家の奥へと退散する。
扉を開いてすぐのところにいたのは、話し合いの前は不安そうな顔をしていた孤児たちだった。扉を閉め、軽く頭を叩くとその後ろにいる奴らに目を向ける。
「パトロ、アンティ、全員集合だ。聖女様はガキどもだけじゃなくて、オレらも拾ってくれるつもりらしい」
パトロは片頬をあげて皮肉気に笑い、アンティはいつもの腹黒い笑みを浮かべている。
つい、と更に奥を指し示し、孤児をその場に残して仲間を集める。
全員集まるのに一分もかからなかった。オレが今日面倒ごとに首を突っ込んでいたのは、周知の事実だ。他の街に移動する可能性もあったし、下手に仕事して聖女の近くにいる兵士に見つかれば事だ。
ざっと見渡すと、口を開いたのはアンティだ。簡単に話し合いの流れを全員に説明する。
「……それでクレース、どうするつもり?」
「基本的には、したいようにすればいい。聖女についていきたい奴がいるなら、遠慮するな」
アンティに水を向けられ、答える。
「でもまあ……小せえやつらは、聖女についていった方が命は保障されるだろうな」
「オレはやめとくー。貴族の近くじゃあ、好きに遊べねえし」
まあ、パトロはそうだろう。
他の奴らも自分で考えて、それぞれ答えを出していく。自分の素質はある程度理解している奴らばかりだ。自然と、身体強化が苦手な奴らが聖女についていくことを決めていく。
「……弱い奴らだけだと、心配」
アンティと一部の強い奴らが、万が一のために、と聖女についていく事を決める。まあ……思いを寄せている女が聖女についていくから、という動機の奴もいるようだが、全く問題はない。
加護無しのオレらは、夫婦だとか家族だとかいう形態は取れない。チビどもを除けば、身体強化は自分の身を守る術として全員が習得しているが、普段のお金の稼ぎ方はそれぞれに任せてある。だから仲間内でもあえて固定はせず、緩い小集団がいくつもあるような形に落ち着いた。
最終的に残ったのは、半分にも満たない人数だ。でもやはり扱いにくい奴らばかりが残った。
「クレースはどうすんの?随分聖女様に心酔しちゃってたみてえだけど」
にやにやと笑いながらパトロに言われる。
「バカいうな。残るに決まってんだろ」
手綱を放したらやばい奴らばかりじゃねえか。暴走して聖女に迷惑をかけるのは、本意ではない。
ふと過った自分の考えに驚き、口からは違う言い訳が出る。
「今更お前らを見捨てられるか」
もちろんこれだって本音だと、胸を張って言える。
パトロが嬉しそうに笑い、さっすがクレース〜と言いながら肩を組んでくる。
「聖女についていくやつらの代表者は、アンティでいいか?」
ついていく奴らの中で一番強いのはアンティだ。全員頷いて同意を示す。ついていかない奴らには解散の許可を出し、さっさと聖女の待つ部屋へと戻る。
聖女にアンティを紹介し、いろいろと話してもらう。どうやらアンティも、聖女のことは割と気に入ったようだ。
アンティは、意外と繊細で神経質なきらいがある。不用意に踏み込んでこないのが心地いいのだろう。
順調に話が進んでいるかと思ったが、唐突に横やりが入った。
「……っ、旦那様が、っいらっしゃいます……」
「……お父様が?」
まあ大変、とちっとも焦っていない様子で聖女が返す。まさか仕組んでないよな?とまた疑問が浮かぶが、聖女に関しては考えるだけ無駄だと疑問を振り切る。
「……聖女様の父親ということは、領主か?」
アンティの質問ではっとする。急いで裏から椅子を一つ持ってこさせ、聖女の隣に置く。
ひょこ、と何の警戒もしていないかのように現れた領主に、なるほど聖女の父親だと納得した。
「君がクレースかな」
「ああ。迷惑をかけて悪かったと思っている」
「いやこちらこそ悪かったね。私が生まれる前とは言え……随分と苦労を掛けたようだ」
兵士から何か聞いたのだろう。正直、今更謝られたって困る。それに今の領主が当時から領主だったとしても、何が変わるとも思えない。
いや、と軽く首を振る。
聖女と領主がほのほのと会話を始める。領主が来て何を言われるのかと、何をされるのかと少しばかり緊張していたのに、なんだか拍子抜けだ。
それとなく会話を聞いていると、先ほど聖女と男がしていた悪ノリのような芝居に許可が下りた。しかも、追加で情報操作までしてくれるという後押し付きだ。
「お父様ならそう言ってくださると思っていましたわ!ありがとうございます」
「少しでも早く連れて帰りたいんだろう?一芝居打つなら今行っておいで」
呆れたような視線を向けるオレに気付くことなく、アンティに声を掛けて意気揚々と外に向かう。聖女と入れ違いに兵士が二人入ってきて、アンティは急いで連れていく奴らと孤児を呼びに奥へ行く。
ぞろぞろとアンティを先頭に外へ出ていく様は、なんだか滑稽だ。こんなに大勢で固まって外に出たことなどない。
「クレース、ちょっといいかな」
「……ああ」
どうやら邪魔者を追い出して、本題が始まるらしい。
「アリアナは無理は言わなかったかな?誰に似たのか、たまに暴走してしまうんだよ」
にこやかにそういう領主を見て、誰に似たのかを確信しながら返事をする。
「……救いの手を差し伸べてくれたと思っている」
「そうか。負の感情を持っていないのならいいんだ。これでも父親だ、娘のことは心配だろう?」
何か含みのある視線を向けられるが、正確に読み取ることなどできるはずがない。
「すまないが、貴族の言い回しはよくわからない。もっと単刀直入に言ってくれ」
聖女とよく似た色を持つ目を、にこりと細める。
「そうか、では単刀直入に話そう。君たちにアリアナを害する意思がないのなら、ある程度の自由は許してもいい。だが、ここは私の領地だ。本来なら君たちに住む権利はない」
「……それで?」
住む権利、とは優しく言ってくれたものだ。本来なら生きる権利、だろう。
それでも、ざわり、と隠れて聞いているのであろうパトロの気配が増したのがわかった。
「アリアナは君たちを飼うつもりはないようだけれど、私としては不安の目を摘んでおくと同時に、強力な戦闘力となりえる君たちをいざというときに使うため、手駒に加えたいと思っている」
「断ったら?」
「……どうもしないさ。ただ少し、今よりも生きにくくなるかもね?」
別に生きにくいぐらいはなんということもない。いざとなれば街を離れれば済むことだ。
「ふむ。足りないようだ。そうだな……アリアナが引き取る彼らは?」
強い奴らをつけているから何の問題もないだろう。
「なるほど、これもだめなようだ」
先ほどから何も答えてなどいないのに、こちらをちらりと見ては判断を下していく。顔にも態度にも何も出していないはずなのに、どこから読み取っているのか。
聖女と言い、領主と言い、貴族ってのはこんなだったか?
……少なくとも、オレが知っている貴族はこんなんじゃなかった。
その後もいくつか提案しては、提案した先から自分で却下していく。
途中、夕方なのに外が異様に光ったり、興奮したようにオレたちの仲間が入ってきたり、焦った様子の兵士が凄く話しかけたそうに領主を見ていたりしたが、領主は気にしていないようだ。
「じゃあ……そうだね、しょうがないから本音を言おう」
諦めたようにため息を吐くと、聖女によく似た面差しで笑った。
「私はアリアナが心配なんだ。アリアナは……他の子どもと違う。すごく……優秀すぎるぐらいに優秀なんだ」
上の子も優秀なんだけど、となぜか息子自慢が入り、また聖女の話に戻る。
「自分の娘を形容する言葉ではないけれど、ともすれば異常とさえ言えるかもしれない」
一瞬少し悲し気な表情を浮かべたが、すぐに軽く瞼を閉じるとその痕跡を消し去った。
「今後も、アリアナは台風の目となり続けるだろう。たぶん本人にその意識はないけれど、周りを巻き込んでいろいろやらかすと思っている」
確かに実際に会えば聖女の非常識ぶりは否定できないし、領主のその危惧も理解できる。
「だから、アリアナを守ってほしい。本来なら私の仕事であり、領兵たちに任せるべき仕事だろう。でもアリアナの行動は予想外過ぎて、私の手に負えなくなる可能性がある」
「そうなる前に、領主が止めるべきだ」
そして、オレたちにそう願うべきではないだろう。
「できるならそうするさ。でも、食事を配るのだって孤児を引き取るのだって、アリアナは結局はやり遂げた。だったら止めるよりも、手助けして、アリアナが苦労しないようにしてやりたい」
「甘いな」
「……その方が領の発展のためにもいいと、領主の勘も告げてるんだよ。だからアリアナの意図を理解して手助けしつつ、それを調整して、領のために利用しようと思っている」
「……前言撤回だ。恐ろしい親だな」
ただの親馬鹿じゃなかったのか、と少し見直しつつ、聖女を哀れにも思う。
「これでも、領主なのでね。……だからアリアナを、領とは関係ない人間にも守ってほしいと思っている」
「……」
「いつか、領がアリアナを守れなくなる時が来るかもしれない。その時になったら、助けてやってほしい」
「来なかったら?」
「何もないさ。別に本気で君たちを手駒にできるなんて考えていない。……アリアナがしないと判断したのに、私にその力はないさ」
どうやら領主でさえ、アリアナには叶わないようだ。
「今まで通り生きたいのなら、そうすればいい。例え君らが何をしているんだとしても、こちらとしては今までと何も変わらない。見て見ぬふりをしよう」
領主の判断としては、褒められたものではないに違いない。
「だから、アリアナに何かあった時には、手助けしてやってくれ」
なるほど、親とはこういうものなのか。大層自分勝手なことを言うものだ、と思いつつ、聖女を助けることに異があるわけではない。
「領主に頼まれたからじゃない。オレたちは、オレたちの意志で、聖女を支持しよう」
領主は力なく笑うと、頷いた。
とくに領主と繋がりは持たず、オレたちは今の生活を続ける。オレは時折、飯を配っているところに顔を出せばいい。きっとその『時折』では、『毎回』聖女の部下の女が『たまたま』いる。少し話をして、それで終了だ。
「じゃあ、頼んだよ」
兵士と少し話すと、じゃあ明日にでも、と軽く返し、その兵士を一人残して去っていった。少し残された兵士が可哀想だったが、それが仕事だろうと思って放っておいた。あとのことはアンティがどうにかする。
オレも久しぶりに疲れた気がして、早々に奥に行ってパトロと飲む。途中からアンティも加わって、出会ってから三十年経って初めて訪れた変化に、今までの色々を思い返しながら語り合う。
安酒だが、飲まないとやっていられねえ。まったく、とんでもない奴と会っちまった。