クレース視点~聖女の救済・中編~
前編の続き。クレースから見たアリアナ。
呼び出しに応えたのは、案の定兵士の束だ。と思いきや、真ん中あたりにやたらちっこいのがいる。服装からしても、あれが聖女で間違いないだろう。
全員が広場に入ったところで、背後に降り立つ。全身に"何か"を巡らせ、身体能力は強化している。
「よく来た。話をしたい」
聖女は一切動揺することなく、優雅にこちらを振り向いた。
その聖女を隠すように、すっと兵士が前に出る。鍛えられた身体が鎧の上からでもわかる。
「目的を聞きたい」
厳しい眼差しでこちらを睨みつけるように兵士の男が言った。確かにそれはもっともだろう。だが、オレの目的は聖女と話すことだ。兵士に話すようなことなどない。
「聖女と話をしたい」
「名は?何者かもわからぬ者の前においそれと出せる方ではない」
オレがどういう存在か、考えもせずに喋ってやがるのか。芽吹き式を迎えられていないオレに、名前なんざあるはずがない。
こんな奴に、馬鹿正直に通称を教えてやる義理もねえ。
「名は、ない」
第一、おいそれと出せる方じゃない、とか意味がわからねえよ。
じゃあ、何の為に来たんだ。
お前らも、その後ろに隠れている聖女も。
「聖女と話をしたいだけだ。……貴様らは、その為に来たのではないのか?」
巡らせていた"何か"の動きを速めて、いつでも確実にヤれる態勢をとる。
その時、鈴が鳴るような声が響いた。
下町なんてガヤガヤと常にざわついていて、人の声がこんなにも綺麗に通ることなんてないと思っていた。
「下がりなさい。わたくしもそのつもりで参ったのです」
兵士が止めるが、聖女はそれを制して一人の男を連れて前に出てきた。
……胡散臭そうな男だ。アンティと同じ匂いを感じる。
「話し合う場はここでよろしくて?少し陽射しがきついのですけれど」
頭から被っている白い布の隙間から、穏やかな笑顔が見える。とてもこの場の雰囲気に合っているとは言えない、まるで朝の挨拶でもしているかのような笑顔だ。
用意していた場を示すと、戸惑う様子も疑う様子も見せずに席に着いた。
何も考えていないのか、考えたうえでなのか、こちらが戸惑う。でも話してみたかったのは本当なのだし、どちらにせよ煩わしくないだけいいか。話してみればわかるかもしれない。そんなことを考えながら、あえてゆっくりと歩いて部屋の入り口近くに立つ。
一人の女が慌てて後を追い、聖女の後ろについた。聖女はどこまでも貴族然とした様子で、頭から被っていた布を肩にかける。
顔が露わになり、その完成された美しさに思わず息をのむ。真っ白な透き通るような肌に、大きな青い目。小さな薄紅色の唇。こげ茶色の髪は決して珍しくないのに、目の前にいる少女以上にその髪が似合う人間はいないんじゃないかと思わせる。全体を見れば線が細く、儚げな雰囲気さえ感じさせるのに、思わず魅入ってしまう意志の強そうな瞳がそれを否定する。
相手の出方を待とうと思っていたのに、年端も行かない少女に見つめられただけで、自然と足が椅子に向かってしまった。
オレが椅子に座るのを待って、聖女が口を開く。
「自己紹介から始めませんこと?貴方も、周りから呼ばれる名はあるのでしょう。
……では、まずわたくしから。わたくしはアリアナと申します。ラエルティオス公爵家の第二子ですが、恐れ多くも聖女と呼ばれることもございます」
確信はしていたが、本当にこの少女が聖女で間違いなかったようだ。そして、予想外の単語が一つ。地名を名に持つ家の娘、つまり。
……領主の娘?なるほど、ただの貴族じゃないってことか。
そして納得する。領主の娘ぐらいでないと、これだけ動くことはできないかもしれない。
聖女が本気で、オレたちにもある程度の理解を示してくれるのあれば、名を名乗ることに抵抗はない。
「クレース、と呼ばれている。この辺の者を統括している」
名を名乗ると、満足気にほほ笑まれた。
今までそんなことを感じたことなどないのに、なぜかそれだけで褒められたような気になる。
「今回の目的をお伺いしたいわ」
「……なぜ魔法を使える見込みのない孤児を引き取る?」
危うく聖女の雰囲気に呑まれるところだった。荒事の交渉は慣れていても、こんなに落ち着いて和やかな交渉なんて経験はない。
自分を取り戻そうと、意識して聖女を睨む。
「まず一つ、訂正を。引き取った孤児には、わたくしが後見人となって芽吹きの儀を受けていただくつもりです」
聖女に動揺した様子はなく、寧ろ睨まれたことに不思議そうな顔をしながら口を開く。
そしてその話の内容は、予想だにしていないものだった。
「芽吹きの儀を受けていただければ、魔法も使えるようになるはずですわ」
オレが、オレらが、ずっと欲していたもの。
それを、与えようって言うのか。
奥の部屋で聞いていたのだろう、パトロが動き、アンティがそれを止めたようだ。
特に待機していろとは言っていなかったが、心配してくれていたのかもしれない。まあ同じ建物内にさえいれば、聴力を強化すれば大抵の会話は筒抜けだけれど。
でも魔法を使えるようにして、どうするつもりなのか。魔法を使えるようになれば、他の普通の孤児と同じだ。手っ取り早く修道院にでも突っ込むのかもしれない。
そうすれば、外聞上は本来助からなかったはずの孤児を助けたことになるし、聖女にとっては負担が少ない。修道院に入れるときに、多少の寄付金を要求されるぐらいだろう。オレ自身は、修道院に良い思いは抱いていないが。
「じゃあ……魔法を使えるようになったらどうするんだ。修道院に突っ込むのか」
「こちらで教育を施すつもりでいますけれど……、修道院には何か問題が?」
「……俺も詳しくは知らないから、何も言えない」
どうやら修道院への嫌悪感が出てしまったらしい。
というか今、耳を疑うような単語が聞こえた。教育ってなんだ?
芽吹き式を受けさせて他の人間との違いをなくし、人体実験をしやすくなるとか、暗殺部隊を養成するとかじゃないのか?いや、暗殺の教育か?
「それで……あんたは、魔法を使えないはずの孤児を引き取り、魔法を使えるようにして、何を教え込む気だ」
「自活できる教養です」
聖女は、心底不思議そうに即答した。
「……なんだと?」
疑っているこちらがバカなんじゃないかと思ってしまうほど、純粋な視線を向けられる。
でも。
「親を亡くした子どもを、街で生きていけるようにいたします。囲い込むつもりも、縛り付けるつもりもございません」
「ありえない」
そんな貴族が、いてたまるか。
そんな人間が、いるはずがねえ。
「……ありえない、とは?」
聖女は疑問を深めたように、小さく首を傾げた。その年齢通りの仕草に、思わず息をのむ。
だって、そんな。
本当の聖女じゃあるまいし。
そんなオレの内心を読み取ったかのように、聖女が続けた。
「……わたくしは、聖女です。聖女が人を救うことに、理由が必要でしょうか」
無意識に外してしまっていたらしい視線が、また無意識に聖女へと向く。
この少女は、何者なんだ?
何も返せずにいるオレに、あ、納得してくれたね、とでも言うように笑顔を見せると、平然と話を続けた。
「わたくしからも質問してよろしいでしょうか」
「……ああ」
辛うじて返事を返す。
「クレースと孤児はどのような関係なのでしょう?」
なんだか聖女に振り回されている気がしてきた。
年端も行かないはずの少女に振り回されていると考えると不快だが、聖女が相手ならしょうがない。考えることを放棄して、会話をすることにした。
「近くに住んでるだけだ。……正確には、家を追い出された奴らが、俺らの住処の軒下に住んでやがるんだ」
「……それだけではないんでしょう?」
隠していることがあるなら、言ってしまいなさいとでも言われているような感じだ。
そして、なぜか逆らう気にならない。
「俺らは……、みんな魔法が使えねえ」
そして、なぜか身の上話をしてしまった。本当に、なんでだ。
自分の行動なのに釈然とせず、思わず言わなくていい事まで言ってしまった。
「飯をタダで配ってる時だって、ここの奴らは……孤児を除いて、誰一人だって並ばなかった。また胡散臭い何かが始まったと思った」
聖女は特に気にした様子はなかったが、つい訂正するように補完してしまった。
「だが……、二年も続いただろう?徐々に配り方を変えながら、でも、途切れることなく」
そしてまた、本音が零れる。
「もしかしたら何かが変わり始めてるのかもしれない、って思い始めた矢先に、孤児の奴らがココを出てくって言いだしたんだ。理由を聞いて、やっぱり貴族なんざ碌なもんじゃねえって思ったさ。
今まで散々見て見ぬふりされてきたんだ。俺たちを人と思ってねえような奴らが、今更孤児を引き取るなんざ……信じられるはずがねえ。……それに、もし、孤児から俺らの話が出たらどうなるか……」
静かに促す聖女に従い、一人語っていく。
「でも飯をもらいに行ってた孤児に話を聞いたら、それを先導しているのはそいつらと年もそう変わらねえ、子どもの聖女様だって言うじゃねえか。……だから悪いとは思ったが、試させてもらった」
ひと段落したと判断したのか、にこり、と笑みを深めて聖女は答えた。
「ご期待には沿えまして?」
先ほど感じた年相応の幼さなどどこかに落としてきてしまったように、その姿は上に立つ者だった。
言うつもりのなかった言葉たちが、口から零れていく。
「はっ……なんで、今なんだろーな……。三十年前にあんたみたいなのがいてくれれば、違ったかもな」
どうやらオレも、救いを待っていたらしい。
続きます。あと一話です。明日更新します。