4.子連れの死神 〜少年〜
茂みに隠れ、息を殺して、子供が一人震えていた。
悪夢を見ているようだった。……それとも、今までの生活が悪夢だったのだから、これは良い夢なのだろうか。
「ふうん……女王が? 言われた通りちゃんと出て行こうとしている隣国の外務官を殺そうなんて、ひどい人だよね、まったく。ひとりで来て良かったよ」
襲ってきた盗賊たちを、たった一人で片端から返り討ちにし、その首領に全てを吐かせた死神が、全てを喋って命乞いをする首領の首をあっさりと跳ねる。
てん、と転がった首をさらに蹴飛ばして、死神が彼のほうに向かって来る気配がした。
「でておいで、選ばせてあげる」
自分に向けられると怯えることも忘れ、ただウットリするような声だった。死神よりも悪魔みたいな声。
でも小さな少年が茂みから顔を出せば、死神にも悪魔にも見えない天の使いみたいな青年が、薄茶の双眸で見下ろしていた。形の良い唇は上品に弧を描いて。
「僕の奴隷としての生か、死。どちらを望む?」
やっぱり悪魔や死神のようだけれど……それでも構わないほど綺麗な死神だった。神や救いとは正反対の存在なのに、まだ両親がいたころ、信じていたような気がする女神を、もう一度信じてみたくなるような微笑みだった。
どうして、と聞いたかもしれない。美しい死神はその意味を取り違えたりしなかった。
「君の瞳が気に入ったんだよ。だから選択肢をあげる、嵐の色の小さな子」
死神のドレイなんて死んでるのと大して違わないな、と彼は心の中で思った。両親を盗賊達に殺され、自身はそこで奴隷同然の扱いを受けていた少年だった。
たった数年で両親の顔どころか、自分の名すら忘れてしまうほどの生活だったのだ。だから
「一緒に行かせて……」
決断なんてすぐだ。仇を取ってくれた天使みたいな死神がそれで笑ってくれるなら、幸福になれるように思えたから。
――その日、『知識の王国』と呼ばれる大陸最古の国の外務官一人が、隣国との境で盗賊団ひとつを巻き添えにして死んだ。
盗賊たちを人の顔の判別すら叶わなくなるまで燃し、凍らせ、潰して、力尽きて彼は死んだ。……彼自身もボロボロで、その背格好以外で本人か判断できる要素は無かったという。
数十人の盗賊とたった一人で戦った平民出身の外務官の名はエリアス・アボット。まだ二十歳そこそこの若さだった。
彼が魔術を使えたことは、ほとんど人に知られていなかったが、その力は相当なものだったのではないかと状況を聞いた宮廷魔術師達は彼を惜しんだ。
何度も日が昇り、暮れ、細い月が丸くなっていく。
「おいで」
茶色の髪の青年が少年に手を差し出す。
出会ったときの髪は暗い色だったのに、盗賊達の血と一緒にその色は川に流れていってしまった。…………だが、いくら青年の髪色が平凡だからといって、彼を指して「平凡」と言うものはいないだろう。
眠たげな少年の小さな手を大きな手で包み、青年は夜の森の中を危なげなく歩く。少年の手首には失われたはずの古代の隷属魔術の証、鎖模様のアザ。
「旦那さま、旦那さま」
まだ幼い声。青年は小さな奴隷が自分に話しかけるのを禁じたりしなかった。青年の首から下がる細い鎖の真ん中で、キレイで不思議な指輪が揺れている。
名無しの主従は手をつなぎ、たわいのない話をしながら進んでいく。
「旦那さま、森から出たらどこに行く?」
「うーん、まずは女王様に復讐かな。僕死んだばっかりだから、国には当分帰らないほうが良さそうだし」
「国って?」
「『知識の王国』だよ。この国の隣の、僕の生まれ育った国。この大陸で最も古い国のひとつ」
「綺麗なところ?」
少年の口数は多い。横を歩く主人が、どんな人間よりも怖いとわかるのに、その主人は彼を打つことも、口汚くののしることも絶対にないと、その瞳を見るたびに確信するから。……そう……どこまでも高貴なのに、どこか酷薄で楽しげな薄茶。
優しさにあふれた瞳などより、ずっとずっと信用できる瞳だった。
薄茶の頭と金色の頭を月が見下ろす。
野生の動物も多いはずなのに、ひどく静かな森から何かが出てくることは決して無い。濃密な魔力をまとう人間達を警戒し、野生の生き物は息を潜めている。
少年は灰色の瞳で自分の手が繋がる先を見上げたが、彼の主人は彼を見はしなかった。
――……主従が『知識の王国』に足を踏み入れるまでには六年の歳月が必要となる。
六年の間には、後世の学者たちが注目する様々な出来事が起こった。
最初の年、大陸の東端近く『麗しき女王の国』と呼ばれる国に反乱が起こる。反乱はやがて革命と呼ばれ、女王は倒された。
首謀者は圧政に耐えかねた民を救わんとする、その国の貴族の一人とされるが、その貴族に常に付き従っていた子連れの若い魔術師こそが、本当の首謀者だという説もある。
女王軍との戦いは三年続き、女王が革命軍により処刑されたのち、首謀者の貴族……革命指導者カリル伯爵が玉座についた。
魔術師と子供は戴冠式の翌朝姿を消し、その行方はようとして知れない。
『麗しき女王の国』の革命終結から半年後、大陸のほぼ中心、神々の代理人たる不老の少女が治める『土の神子の国』で、古代の魔術人形が復活した。
人形を設計し、作り上げたのは一人の魔術師。彼はたったのふた月でそれをやり遂げたという。神子は彼に賢者の称号を与えた。――『人形の賢者』。
いつの間にか姿を消したその賢者は、やはり小さな少年を連れていたそうだ。
千年ぶりの『魔物の森』浄化、『霞水晶の王国』建国、『羽と剣の国』大虐殺と政権交代………。
たった六年。――その間の大きな事件や出来事、そのほとんどすべてに『魔術師と子供』が関わる。
その名も容姿もバラバラで正確なものは無く、ただ子連れの魔術師伝承だけが各地域に遺された。
どこの国でも現地の言葉を話していたということもあり、全てが同じ人物なのかは定かでない――――……。
*・*・*
ふいに開けた場所に出たことに気づき、山道で少年は立ち止まった。見えたものを指差し、金の髪を揺らして後ろを振り向く。
「旦那さま、あそこですか?」
旦那さまと呼ばれた男は、少年の指指す先の町に薄茶の視線を向け、少し笑みを浮かべた。
甘くも冷たくも見える高貴で不思議な笑みだった。
「そう、あそこが『知識の王国』国境の町。目的地はあの町からさらに一週間かかるけどね」
優しい手つきで少年の頭を撫でる男の親指には、『知識の王国』古代王家の指輪。旅の途中から、彼はそれを自分の指にはめていた。
彼は旅で少しずつ変わっていったようだった。
現在、いや数年前から少年の手首にアザは無い。
少年は純粋な灰色の瞳で、尊敬する主人を見上げた。六年でだいぶ背が伸びたとはいえ、主人の背にはまだまだ届かない。
「目的地には何があるのですか?」
頭を撫でる手が止まった。薄茶の瞳が、灰色の瞳を映して、ぱたりと閉じた。
「そうだね………僕の、宝物があるんだよ」
王都にほど近いその小さな町はしかし、大勢の人で賑わう王都と違い、どこかのんびりとした雰囲気の町だった。
「お客さん、つきましたよ」
「ありがとう」
馬車から降り、黒いヴェール越しに御者に微笑んだのは、上品な喪服の貴婦人。同じく喪服姿の息子らしき少年を連れている。
「だっ……ケホン……あの、お母さま。ここが新しい屋敷ですか?」
「ええ、そうよ。気に入った?」
長らく空き家だったらしい赤レンガの一軒家。広い庭も家も、元は美しかったのだろうが、今は全て荒れ果てている。
御者は馬車から荷物を下ろしながら、目の前の家に引っ越して来た二人を見つめた。
夫を亡くしたという婦人は、ひどく背が高い上に大きな帽子と、濃いヴェールに顔を隠されている。だが、それでも低めの声は甘く玲瓏として美しい。
横に立つ少年も濃い金髪に端整で利発そうな顔立ちをしており、立っているだけで絵のようだった。
――おや?
ふと、陽の光の下で見た少年の瞳に既視感を感じ、御者は内心で首をかしげた。嵐みたいな灰色の瞳。
少年の瞳は純粋で理知的だが、彼の知っている瞳は違ったような気がする。もっと悲しげで強い灰色。そうだ、あれは町のお医者のところで働いている……。
「ケティさん……」
小さな呟きだったのに、すでに歩き出していた親子が振り向いた。貴婦人がクスリと笑ったような気配がして、灰色の目の息子が驚いたように母を凝視する。
その様子にハッと我に返り、わたわたと荷物を抱えて御者が二人に追いつけば、黒いヴェールの向こうで、背筋がゾクリとするほど艶やかな婦人の双眸が彼を捉えた。
「どうかなさったの?」
ヴェール越しでも紅いと分かる唇が弧を描く。それだけで目眩がするような微笑みだった。
一瞬惚けた御者が真っ赤な顔で首を横に振る。
「い、いえっ。何も!」
ひどく慌てた様子で荷物を家へと運び入れ、やはり素早く帰って行った御者に優雅に手を振り、婦人はクスクス笑った。
家の中に入れば、前の住人が置いていったのか、あちこちに様々な香水瓶が飾られていた。だいぶほこりが積もってはいるが、綺麗にすればまだ使える。
中身を入れれば売れるな。などと考えながら近くにあった椅子に座り、顔を隠すための帽子とヴェールを外した婦人は、どこからか見つけてきたほうきで早速掃除をしだした少年を眺めた。手伝う気はさらさら無い。
「うん、やっぱり似てる」
真紅の紅を引いた唇から出た声は先程までの玲瓏たる女声と違う、けれどもやはり美しい男の声だった。聞いた少年は驚く様子もなく、ほうきを握ったまま「何がですか」と問う。
「君の瞳。君を拾ったとき、それが気に入ったんだって言ったよね」
「…………そうでしたね。でも、どなたに似ているのですか?」
「気になるの」
話しながらも手を止めない少年に、彼はゆるりと首を傾げてみせた。変装のつもりではあるが、伸びた髪も相まって、ドレスに身を包んでいても不気味なほどなんの違和感もない。
「そのうち分かるんじゃないかな」
「そのうちって……」
はっと何かに気付いたように少年が瞬いた。掃除の手が止まる。なんとなく、すでに無い手首の痣がうずく気がした。――旦那様が国に戻ってきた目的は。
「『その方』とお会いしたら、俺は用無しですか?」
男は少年の震える手をチラリと一瞥した。なんの興味も無さそうに、転がる小石を見るような目で。
心底つまらなそうに自分の親指にはまった指輪をなでる。
「さあ? …………でも僕の『宝物』には兄弟がいないから、君のことを気にいるかもよ」
少年は驚いたように主人を凝視した。でも、相変わらずその感情は読めなかったから、ただ「はい」とつぶやいて、掃除を再開しようとほうきを握りなおしたのだった。
町に喪服の親子が営む香水屋が開店したのは、引っ越しから一週間後のこと。