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2.少年リアン 〜リア〜

 王都から離れた小さな町。そこの医師夫婦に美貌の少年が預けられたのは、秋の終わり。


 彼は名をリアンといった。




 *・*・*




 リアンには宝物がある。それは光で、嵐で、彼の全部で唯一だった。だが宝物は人々を愛し、同時に愛されていた。そして宝物はリアンを恐れ、嫌った。

 不公平だ、と彼は思った。――愛も恐怖も嫌悪も、それだけじゃなくて、何だって、何もかも、全てで僕を見なくてはいけない。僕だけを。だって、そうじゃなきゃ不公平だ。

 僕からの一方通行なんて許せない。


「君の髪、本当に派手な色だね。目に触る」


 呆然とした灰色水晶の瞳がリアンを見た。少女の物とリアンの、二つの視界が合わさる瞬間。自然と口角が上がる。インクを被って黒くなった髪。光の世界に、ぽっかり夜の穴が空いたみたいだ。

 彼女は朝の光も、夜の闇も愛していた。


 愛してる。


 リアンはまず少女の友人達に近づき、引き離し、彼女が嫌悪されるよう、悪意ある噂を町中に流した。……町の人間から色々なものを盗み、物を壊し、彼女の仕業に見せかけた。


 そして自分(リアン)は人々に愛されるように振る舞う。



「ねえ、聞いた? ケティお嬢様は……実は………」


 ひそひそと広がる町の人々の悪意の声。


 彼を数年間育てた魔術師は、死の前に言った。


『あなたは、狂っている。並外れた魔力ゆえか……その思考は、人々からすれば狂っているのですよ』


 思い出して、冷笑した。狂気を孕んでいるからこそ、何よりも蠱惑的で、美しい、笑み。


 ――僕が狂ってる? じゃあ、僕からすれば、その『人々』のほうが狂ってるってワケだ。



 彼はうまくやった。少女の両親さえ、娘よりも彼に信頼を置き始めた。彼女はたった一人で泣き、リアンを憎んだ。彼は、彼女と二人きりの時だけは、いつだって何も取り繕えなかったから。


「あいつは悪いやつなのよ! お願い、信じて」


 彼女の泣き声は、いつだって魔術を通してリアンに聞こえたし、小さな叫びも全部聞こえた。


「酷い、ひどい……ひど過ぎる! あくま、悪魔!」


 孤立した少女。少年は悲愴な泣き声を聞いて、微笑んだ。とても子供らしい喜色。嘆きすら自分だけのものなんて――ああ、孤立して、一人ぼっちで、それで僕を見てくれたなら。


 聞こえる声も、見えるものも全部一緒で、互いだけ。それは、なんて……快感。


「僕が一緒にいてあげる」


 彼の宝物は(宝箱)からあまり出なくなった。

 彼女だけが彼を『リア』と呼び、涙に濡れた吹き荒ぶ嵐の色に憎悪を浮かべた。


『どうしたの、お嬢様? 君の味方は僕だけだよ』


 光の髪の少女は、よくジャムを煮た。母親に習って、銅の鍋で甘い、あまぁいジャムを。彼女のお気に入りはりんごのジャムだった。一番心を込めて作る。

 リアンは彼女の作るりんごジャムが……それだけが、苦手だった。


『おいしい?』


 初めて手作りのジャムをくれた時、彼女はウットリするような、少し怯えた冷たい声でそう聞いた。でも、その味は。


 ――なんて、味。


 眉を寄せた。


 ――美味しいかって? これは……


 吐き気がするほど、甘い優しさに溢れた味。


 ――これは毒だよ。


 食べた瞬間消えたくなった。自分に向けられたものではないのは分かりきった温かさだったが、それでも。悪魔の狂った心臓に、無理矢理天使の心を植え付けようとするような、優しすぎる味だった。

 生まれて初めて、恐怖を覚えた。


 彼女の全てが欲しいと思っていた。愛が、心が。でもこんな温度はいらない。こんな純粋なモノなんて。


 怖い。なんて、ああ、綺麗で、恐ろしい。


 悪魔は浄化されたら終わり。

 影も残さず消えてしまう。


 リアンは必死に笑みを作った。


『美味しいよ、ケティお嬢様』


 だから、彼女(ケティ)は世界でただ一人、リアンの弱味を握っている。

 ケティ自身はそれをりんごのジャムだと思っているようだか、本当にリアンが恐れているのは、彼女の心だった。その強い優しさ、無邪気さ、純粋さ――……なぜ、自分が恐怖を覚えるのかはわからなかった。


 光の色を纏い、嵐の色で世界を見つめる。


 世界で一番美しい、その色彩。悪魔(リアン)はそれを(はこ)の中に閉じ込めた。少年の心に『幸せ』があるのなら……いや。


 彼の心に『幸せ』が無かったとしても、彼女の全てが、そこにいることが、悪魔に『幸せ』を植え付けたのだ。


 だから、その数年間少年は幸せだった。

 彼は彼女の父の後を継ぎ、医者になるつもりだった。ずっと彼女を閉じ込めて、そばにいる。そんな夢を見ていた。彼の歪んで平凡な『幸せ』の夢。


 彼が十五になった年、その夢は潰えた。



「お前、俺の息子の護衛になれ」


 町の視察に訪れた領主に、いきなりそんな事を言われ、固まらない人間がいるだろうか。リアンはにこやかな顔のまま、絶句した。


 ――…………は?


 まだ若すぎる年齢にも関わらず、案内役だけでなく、話し相手まで完璧にこなしてみせた美貌の少年を、供もろくに連れず、突然フラリとやって来た変わり者の領主が、面白そうに見下ろしている。


 リアンは困惑の表情を浮かべてみせた。これは、領主の気まぐれだろうか?


「大変光栄なお話ですが………」

「嫌か」

「……はい」

「そうか、残念だな」


 領主の赤銅の瞳が残念そうに一度閉じた。でも。


「だが俺はお前に会いに来たんだ、リアン・ベシュントン、もしくはジュリア・カロンデッシュ。俺は魔術師が欲しい」


 耳元で囁かれた言葉に、眉を寄せた。魔術師団長のもとにいたときの名。なぜ、わざわざ。


「僕は魔術師ではございません」


「ああ。だが王都に行った時、知り合いの宮廷魔術師に偶然聞いたんだ。……そいつも一度しか会ったことが無いらしいが、亡き魔術師団長自慢の養女は、そこらの魔術師よりよっぽど魔術を使えた、とな」


 そこで何かを思い出したように、領主はじっくりとリアンの高貴な美貌を眺める。そして、ふと既視感を覚えて顔をしかめた。この顔は――どこかで見た。

 記憶の中の誰かに似ている顔。だが、誰に?


「綺麗な少女だったと聞いたが、面白いな。団長亡き後忽然と消えたと思ったら、実は男で、ベシュントン商会の会長に引き取られ、その後は俺の領地の医者に預けられてるとは」

「…………」


 少年は自分を見下ろす男の精悍な顔を見上げた。別にそこまで厳重に隠していた訳ではないが――よく調べたものだ。


「僕はもう、魔術など忘れてしまいました」

「そうか?」


 領主がニヤッと笑って視線を斜め後ろへ飛ばした。リアンのモノでは無いほう、黄色い髪の少女の瞳が、赤銅の視線に一瞬だけぶつかる。


 ――へぇ………バレてたんだ。


 領主と同じ方向をチラリと向けば、こちらを不思議そうに伺う数人の町人の、さらに後ろに布を被った少女が見えた。リアンが何より好きな、二つの視線が合わさる瞬間。すぐに視線を戻した。柔らかに微笑む。


「僕を引き取って下さった医師の娘です。彼女が、なにか」

「盗みをしたり小動物を殺したりと、行いの悪い娘だと評判らしいな。だが、お前は妹のように可愛がっているとか」

「そうですね」


 独創性のない相槌を打ちながら、リアンは嫌な、だが同時に面白そうな予感がした。――いったい、この男は何を言おうとしている?


「あの娘を息子の愛人としても良いんだぞ」

「愛人?」


 少年の笑みに高貴さが増した。

 出た声は低く、静かで。


「おやめになったほうが、よろしいかと」

「…………お前」


 領主の顔が強張った。何かを、誰かを思い出したのかもしれない。少年はそれを傲岸な貴族さながらに、薄茶の瞳で冷ややかに見上げた。だが数秒後、端正な唇から零れたのは、小さな溜め息。


「承りましょう。貴方のご子息の護衛ですね」


 諦めきったような口調だった。仕方ない、とでも言うような口調。どうせ、領主が自分の出自を知って、わざわざ会いに来るようなら、もう今まで通りには暮らせないだろう。リアンは脅されながら暮らすのなんてまっぴらだった。

 しかし、それでも薄茶の瞳は深く驕慢で。


 ――領主の息子は二人。さて、どっちの息子かな。


 大きくはないが、豊かなバーナンハード伯爵領。その領民皆に慕われる(あるじ)である彼が、わざわざ人に知られていない魔術師を欲しがるということは、それだけの何かがあるということ。

 たとえば、後継争いの兄弟ゲンカの果ての殺し合いとか。


「微力ながら手をお貸し致します。それで、お仕えするのは、一番目のご子息か、それとも二番目のご子息でしょうか」

「ああ………二番目、フィオンの護衛を。あいつの方が長男より優秀だ」


 後継である長男ではなく、次男の補佐。

 次男フィオンは王都の学院に在籍している。リアンは自分の予想が、ほとんど当たっていたことを知った。


 ――くだらない。


 これは護衛など名ばかりの監視役だ。領主が亡き前妻に似た長男を溺愛しているのをリアンは知っていた。年若く優秀な次男を庇護するために護衛を付ける、というように周囲には思い込ませるのだろう。

 しかし真実は、護衛と称して魔術師を送り、次男の行動、情報を領主に流させて、もしおかしな動きがあれば、魔術で縛るか、殺させる。


 誰にも知られていない魔術師だから、周囲に魔術師だと隠すのも容易だ。殺させた場合に切り捨てるのも。


 王都……。


 リアンは首から下げた指輪に、服の上から手を触れた。王都には、この指輪の意味を知っている者もいるだろう。リアンが存在するという意味も。

 しかし断ることは既にできないし、その気も無い。


 ――あの子はどう思うかな。


 それだけを考えて、少年はただ「はい」と頷いた。




 王都に発つ日、リアンは見送りに来た少女にだけ、心から別れの挨拶を囁いた。


『さようなら』


 それだけ。迎えに来るとは言わなかった。また会おうとも。


 彼が彼女に再会するのは当然のことだから。


 返事も待たず馬車に乗り、窓を開けもせずに町を去った。

 でも予想外だったのは、無言で押し付けられたりんごジャムの瓶と、馬車を見えなくなるまで見つめ続けていた、もう一つの視界。


「ばいばい…………ケティ」


 長い睫毛を伏せて、別れを告げる。

 王都に行けば、『リアン』は死に、また自分の名は変わるのだ。領主は新しい戸籍を用意した。


 ――はやく大きくおなり、お嬢様。


 微笑んで、りんごジャムの瓶に口付けた。

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