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1.名無しとジュリア 〜リア〜

 とある国があった。知識と研究……学問の王国。

 その王都の中、宮殿の敷地の片隅、深い森の奥に古い館がひっそりと建っていた。その誰からも忘れ去られたような離宮に住んでいたのは――。


《ゴ主人さマ》


 魔力で動く人形達に育てられた幼子(おさなご)。それは亡き王太子と、やはり既に亡きとある公爵夫人との間に生まれた、高貴な、だが忌まれるべき子供。





 “彼”に名前は無かった。少なくとも“彼”自身は知らなかったし、生まれたばかりの“彼”の世話を任された人形たちも知らないようだった。


【今日ハ何を読まレマすカ?】


 脳に直接響くような声で“彼”に聞いてきたのは、人の姿に似せてはいるが、表情も感情も無い、遥か昔の技術の結晶、叡智の人形達。彼らは主人とだけ魔術で話ができた。主人――彼らに魔力を提供する者。


【ん……。では、あれ】

【かシこまリました】


 世話係達と同じく、口で声を出すことを知らぬ“彼”の言葉で、ふわふわ浮く人形は書架の本に磁器製の手を伸ばす。差し出された本を受け取った幼子の薄茶の目は静かで、ちっとも子供らしく無かった。人間らしくも。

 ぶ厚く重い本を抱えて、“彼”は椅子に向かう。貴族の幼い男児が着るのと同じ裾長ドレスの胸元で、ゆらゆらと首飾りが揺れていた。


【じゃまだな……】


 椅子に座り、首飾りをドレスの中に放り込む。

 大人用の指輪に鎖を通しただけの簡素な首飾り。それは、人形達を目覚めさせ、“彼”をこの館に連れて来た男が残していったモノ。

 人々に王の指輪と呼ばれるものだった。

 最も忠実な王の盾であり、剣である王家の至宝。それは、人形達と同じ、失われた叡智の欠片。


 相応しい主人にのみ従い、守護し、敵を退ける。


 人形は王のためにつくられた。……だから“彼”の持つその指輪こそが、人形達の『命』の根源であり、主人(もちぬし)からの魔力を人形に提供するモノなのだ。


【……っ!】


 長く柔らかな、だが平凡な茶色をした髪を後ろに払い、膝の上の本を開こうとした“彼”の手が止まった。――()()が、館の結界を通り抜けた?


 それは、彼の五年の人生で、初めてのこと。


 四体の人形が開きっぱなしの扉から飛び込んで来た。バタンと最後の人形が扉を閉める。


【侵入者デす!】

【にんゲんノ男】

【結界ヲ抜けまシた】

【こチらに向カってキます】

【ゴ主人さマ、ご命令ヲ】


 “彼”は立ち上がった。本を机に置き、五体の人形達を眺める。自分と大して変わらぬ大きさの磁気人形。五体で全部。戦闘には向かない。

 館の結界は強力だ。上級魔術師でも通り抜ける事が容易ではない程の。


 ぼくを、コロシに来たのかな……。


 そんなことを考え、ぱた、と長い睫毛を伏せて、やはり静かに“彼”は決断した。




 高貴で美しい子供が育った館から一人の魔術師に連れ出されるのは、すぐ後のこと。




 *・*・*




 王都の貴族の邸宅が並ぶ一角。その中に魔術師団長ライル・カロンデッシュの(やかた)はあった。

 大きくはあるが、それだけで、使用人もいない質素な館。――住人は変わり者の魔術師団長夫婦と、数年前に引き取ったという親戚の子供だけだった。


 二階の角の部屋、窓枠に腰掛けて八歳ほどの子供は外を眺めた。開け放した窓の、向こう側に投げ出された足は、空色のドレスの裾に隠れている。


「そのまま空に吸い込まれてしまうんじゃないかと心配になりますよ、ジュリア」


 お茶を持って来たカロンディッシュ夫人は、夢見るような瞳で、空を眺める子供にそう言って微笑んだ。

 ジュリアは振り向いた。大人びて秀麗な顔に浮かべられているのは、子供らしくない、落ち着いた笑顔。


「僕は吸い込まれたりしませんよ」


 もうドレスではなく、少年の格好をする年齢にも関わらず、女の子の格好をしている“彼”(ジュリア)

 夫人は、夫がいきなり連れて来た幼児に、亡くなった娘の名前をつけた。それは初対面の幼児への親愛か憐憫か、それとも亡き娘の代わりを幼児にさせるため、だったのか。


 ――親切な方ではあるんだけどねえ。


 なんにせよ、夫妻はジュリアを育てた。まずは言葉を教え、本を与え、夫人は家事や行儀作法を、主人は剣や魔術を教えた。…………感謝、という感情を少年は知らず、持ち合わせてもいなかったが、それに似た感情ならあったかもしれない。


 窓から離れ、カロンデッシュ夫人とお茶をしたジュリアは、それから少し散歩をすることにした。

 リボンと花をあしらった愛らしい帽子を被り、ゆるりと波打つ茶色の髪をたらした色白のジュリアは、どう見ても少女だった。それもとびきり美しい。


 館の門から出て歩き出し、いくらか経ったころ。どこか近くからふいに泣き声が聞こえた。


 幼い子供の泣き声。……迷子だろうか。


 馬車が何台か通り過ぎるだけの道、時間。見回せばやたらと派手な黄色のかたまりが、道の端にまあるくうずくまっていた。

 金ではなく、もの凄く眩しい黄色の髪。身なりは悪くない。たった一人でふえふえ泣いている。


「――どうしたの? 子守とはぐれた?」


 ジュリアが声を掛けたのは、ちょっとした気まぐれからだった。自分より小さな子供。自分(ジュリア)はともかく、それなりの家の子供の外出には子守が付くものだ。

 なのに……こんな人通りの少ないところで、たったひとり迷子になるなんて、なんて器用な子供だろう。


「どうして泣いているの?」


 子供は顔を上げた。煌めく黄の髪と正反対な、ひどく落ち着いた色の瞳だった。たくさんの涙を溜めている、大きな灰色水晶の瞳。四、五歳の女の子。

 思わず息を呑んだ。


「…………ひとりは、いやなの」


 嗚咽に混じって、その子は言った。水晶の瞳から、ぽろぽろとカケラが零れる。綺麗な白ドレスが濡れてゆく。ぽろぽろ、ほろほろ……。

 ジュリアはただ無感動な瞳のまま「ふぅん」とつぶやいて、手を差し出して子供を立たせ、その頬に口付けた。紅い唇にほんの少し微笑を浮かべる。いつもの高貴な落ち着いた物とは違い、嘲笑混じりの、どこか歪んだ微笑を。

 それは“彼”自身の表情だった。なぜそんな笑みを浮かべたのかは、わからない。ずっと、何年経ってもわからないままだった。


「じゃあ、()()()()が一緒にいてあげる」

「おねえ、ちゃんが?」


 嵐の色にも似た瞳が、じっとジュリアの薄茶の瞳を見た。光色(ひかりいろ)の睫毛に囲まれた、純粋な灰色水晶の瞳。そこに映る自分の顔を見て、ジュリアは変な気分になった。


 ――嵐の中に閉じ込められてるみたいだな。


 強い風と雨、雷……その圧倒的な自然の力。

 少年は「泣かないで」と言わない代わりに、笑みを深めた。嘲笑と優しさと微かな困惑の混ざった、醜悪な、だが不思議と艶やかな笑み。口は勝手に動く。


「そうよ、わたくしはジュリア。あなたは?」


 ずびっと鼻をすすってから、ケティ、と迷子の女の子は不思議そうに答えた。


 少年と女の子は一緒に遊んだ。遊んで、遊んで……日が暮れる寸前、女の子の父親が探しにきた。そして、それに気付いた少年は、女の子から記憶を抜いた。だから。


「ケティ! 今までどこで何をしていたんだい!?」


 父親からのその質問に、たった一人で立っていた女の子が、答えられるはずがなかったのだ。


「ばいばい、ケティ…………」


 たった一人、屋敷に帰る道を歩きながらジュリアは口の端を上げた。ふふっと笑う。

 記憶を抜く寸前、彼女は確かに言ったのだ。


『リアお兄ちゃん』


 だから、それだからジュリアは彼女の記憶を抜いたあと、魔術をかけた。彼女の耳が拾う全てを、灰色の瞳が映す全てを共有する上級魔術。彼女の目に映るものが知りたかった。


 ――君が見ているのは、本当に僕と同じ景色かな。


 二人分の景色を同時に見て、声を聞き、しかし発狂も、混乱もしない精神力と頭脳。少なからぬ魔力が常に流出しようと、気に止める必要もない魔力量。


 人ならざるもののような“彼”は、その日、たった一人の宝物を見つけたのだ。


 宝物は光色の髪をしていた。




 *・*・*




 十二歳の少年は馬車の中にいた。街道を走って行くその馬車は、王都でも有名な商家のもの。

 長い睫毛に囲まれた、老成し、高貴で、冷めきった薄茶の双眸からは、どこか厭世的な雰囲気と、異様な威厳が感じられる。

 少年は魔術師団長夫婦に育てられた孤児であり、彼らの病没後、魔術師団長に大恩があるという、若き大商人に引き取られた養子だった。


 半年間、彼はその商人の屋敷で暮らした。

 そしてある日商人に言ったのだ。


『王都から離れた、どこか田舎で暮らしたいのです』


 彼にほとんど心酔していた商人はすぐに頷き、遠くの田舎町に住む姉に手紙を書いて、彼を引き取ってくれるよう頼んだ。商人の姉は医者と結婚し、少年より三つ歳下の娘がいる。


 その母娘は、珍しい明るい黄色をしているという。


 馬車が揺れた。

 王都はすでに遠く、商人の姉の住む町までそう遠くない。次の町、日暮れ前に着くであろう町まで、その姉の夫が迎えにきてくれるらしい。


 ―――あと……もう少し。ほんの少し。


 少年は外の景色を見ようともせず、静かに瞳を閉じて、見えるはずも聞こえるはずもない、だが確かに見え、聞こえる光景と会話にウットリと見入り聞き入った。


 四年間で耳に馴染んだ小さな少女の声と、その母親の会話。


『ねえ、母さん』

『なあに? ケティ』

『父さんはいつ帰ってくるの?』


 透き通る光のような、明るく楽しげな可愛い声だった。彼女の瞳から見える母親は、琥珀色の瞳を優しく和ませて娘の頭を撫でる。


『そうね、たぶん明日よ』

『男の子も一緒?』

『ええ、お兄さんができるのよ、仲良くできる?』

『する!』



 翌日、到着した少年を見て、大きな灰色の瞳をさらに大きくした少女の髪は、どこまでも眩しい光の色だった。


「はじめまして」


 自分の宝物の瞳に、子供っぽい喜色を滲ませたアホ面の少年が映っているのを見て、彼は慌てて微笑んで取り繕った。


「お会いできて嬉しいです」


 ふわっと香ったのは、りんごだっただろうか――?

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