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2.隠れ鬼

 彼がいなくなってから、四年。

 十六歳になった私は町の人々の中、やはり孤独で……生まれ育った町でぼんやりと暮らす私を見かねた両親に勧められるまま、父の知り合いの医師のいる町へと行くことにした。

 王都からほど近い町に住むそのお医者様は、昔父がお世話になった方だそうで、かなりの高齢だが、若い頃は王城で働いていたこともある名医だそうだ。

 ちょうど住み込みの手伝いが欲しいと思っていたらしいお医者様は私を歓迎してくれた。


「よく来たのぉ。おお、その灰色の瞳……お前の父によく似ておる。懐かしい」


 嬉しそうに笑うそのお医者様を、私は一目で好きになった。――なんの含みもない笑顔。

 私はそこで助手として働き始めた。


 薬の調合、怪我の処置、診察……お医者様は沢山の事を教えてくれた。そして私は診察などを通して、町の人々と徐々に打ち解けていった。友人だってできた。なんの心配も不安もなく町の中も歩き回れる。

 かけがえの無い人々。かけがえのない日々。


 ああ、なんて素晴らしいんだろう!


 そう思うとき、いつもあの傲岸な笑みが脳裏にチラついた。もう彼の顔はおぼろげで、はっきりとは思い出せないけれど。彼があの町のあの家に引き取られて来なければ、私はこの町に来ることもなかった。なんだか……不思議な気持ちになる。


 ぽつりと彼の名を呟いた。


 年々、顔と一緒に憎しみまで薄れていくみたいだった。いない人を憎み続けるのは、とても難しいし、無益なことだから。


 でも、一度だけ彼の存在を感じたことがあった。

 あれは二年前。まだもとの町にいたときのことだ。

 どうしても用事があって夜に家を出たとき、町の若者数人に取り囲まれ、路地裏に連れ込まれそうになった。叫んでも誰も助けてくれないことはよく分かっていたから、私はただ恐怖を紛らわすために、あの記憶の中にしかいない少年を罵倒した。そのとき。


 はっきりしたことは覚えてはいない。ただ、突然目の前に広がったぐちゃぐちゃとした不思議な色の中、彼の声が聞こえた気がした。しばしの記憶の欠落。そして、気付いたときには若者達は消えていたのだ。


 『消えろ』と言った。あれは、そう。


 もうその時すでに忘れかけていた声だったけれど、確かに彼の声だった。それだけはわかる。


 消えた若者たちは……どう表現すればいいのか……本当に消えてしまったらしく、町の人達がどんなに探しても見つかることはなかった。

 そして最後に若者たちといた私は、私がなにをされても助けてくれる気もなかった人々に魔女と呼ばれ、ますます嫌厭されるようになったのだった。


 魔女――――彼は、魔術師だったのだろうか。田舎の町ではあまり見ないが、生まれつき不思議な力を持ったそういう人間がいるのは知っていた。王都には魔術研究塔というものがあるとか、軍に魔術師だけの部隊があるというのを聞いたこともある。

 家にいるとき、そんな力を使うところを見たことはないが、彼はそういうモノだったのかもしれない。


 それで、死んでから私に取り憑いている?


 そんなバカな。

 でも、あり得ることかもしれない。


 永遠に十五歳で止まってしまった少年。

 年齢に似合わぬ賢さで悪魔的な手段をこうじ、私を世間から引き離した彼は、そのくせ幼い子供のする意地悪も同じ顔でやった。どこか不均衡(アンバランス)な子供。

 いなくなって何年もして、ようやくあの悪魔のような恐ろしい彼が、私に異様に執着していた、素晴らしく頭の良い、ただのひねくれた子供だったことに気付いた。彼なら私に取り付いていてもおかしくない。

 そういう()だった。






 診療所の助手として働く日々は、それまでの日々より速く、賑やかに幸せに私の周りを過ぎて行った。

 光でいっぱいの毎日。


 一年、二年、三年……。


 友達だけじゃなく、恋人ができそうなこともあったけれど、いざ相手が私に何かを言いそうになると、頭上から木の枝や植木鉢が降ってきたりして、うまく行かなかった。

 友人には「何かに取り憑かれてるんじゃない」と心配され、取り憑かれている確信のあった私は神官様のもとに相談しに行ったりしたが、無駄だった。

 老医師は「運が悪いのお」と同情してくれた。


 四年、五年、六年……。


 周囲の友達は皆結婚していき、子供もできた人もいた。私に求婚してくれる人も何人かいたが、どうもその後怪我をしたり不幸な目にあったりしたらしく、撤回する人もしばしばだった。

 頑固に押しかけて来てくれる人もいたが、どんどん傷だらけになっていくのを見るに忍びなく、結局断った。なんといっても、結婚したその日に未亡人になるような未来は避けたかったから。

 いつしか求婚した相手に不幸が降りかかる『呪い付き娘』とか呼ばれだしたりもしたけれど、疎まれることはなく、皆気の毒がってくれただけだった。

 老医師も「運が無いのお」と同情してくれた。


 七年、八年、九年……。


 そろそろ適齢期も終わりかけの二十五歳の私は、結婚をとうに諦めて、老医師の助手として女医様、女医様、と呼んでもらえるようになったのを良いことに、ここで本物の女医になるのもいいな、なんて考えだしていた。

 老医師は私に診療所を譲ってくれるというし、友人たちも子供を連れてよく遊びに来てくれる。このまま生きていくのは、とても穏やかで幸せだろう。


 りんごのジャムは、もう何年も作っていなかった。








「女医殿」


 通りに面した小さな薬草園で雑草をむしったり、水をやったりしていた私は、その声に顔を上げた。低い塀の向こうに、貴族然とした紫の瞳の青年が微笑みを浮かべて立っている。


「まあ、エイルマーさん。おはようございます」

「……ああ、おはよう」


 彼は旅行者で、数ヶ月前からこの町に滞在している。私は笑顔で世間話をしながらも、決して油断しなかった。この人は朗らかな好青年で町の人達からの評判も良いが、ひとつだけ問題があるのだ。


「なあ女医殿」

「はい?」

「結婚してくれ」


 ほらきた、と私は笑顔を引きつらせた。出会ってから数ヶ月、この人は毎日毎日毎日毎日あきもせず、世間話のように求婚してくるのだ。そろそろ百回に達するのではないだろうか。

 最初のほうこそ桶が飛んできたり、フォークが降ってきたりと『呪い付き娘』に求婚する人毎度おなじみの不幸が降りかかっていたのだが、全然気にしていないこの人に呪いのほうが嫌気が差したのか、はたまた慣れたのか、だんだん危険の数は少なくなり、ここ一ヶ月ほどはエイルマーさんが怪我をすることはなくなっている。

 呪いよりしつこいとは凄まじい人だ、が。


「お断りします」


 私はいつもどおり断った。結婚なんかしたら、諦めたのか何なのか今は静かにしているとはいえ、未だ取りついているらしい少年が何をするか分からない。

 だいたい私は医者になってひとりで生きていくつもりなのだから、もう結婚相手など必要ないのだ。


「だが女医殿……」

「いいえ、あの……」

「しかしだな……」


 笑顔で迫ってくる青年の相手をするのに、私はだんだんうんざりしてきた。心の中で植木鉢が降ってくるのを期待する。でもここ最近は本当に何事も起こらないのだ。代わりに別の救い主なら現れるのだが……。


 あなたのためなら、と今にも跪かんばかりに求婚の言葉を続けるエイルマーさんに、だんだんとうんざりしてくる。いつまで続くのかしら。


「げほげほっ」


 ちいさな咳がエイルマーさんの弁舌をさえぎった。「女医様」と少ししゃがれながらも可愛らしく呼ぶ声と、近寄ってきた金髪。ここひと月の私の救い主である。私はぱあっと目を輝かせた。


「ライルくん」


 ひと月前にこの町にできた香水店の息子さんだ。お父さんを亡くしてそんなに経っていないのか、いつも黒い喪服を着ている。香水店をひとりで切り盛りしているお母さんは忙しいらしく、お会いしたことはないが、この少年は私になついてくれていた。

 私と少し似た明るい金色の髪と、同じ灰色の目をした子で、さらにいつもエイルマーさんから助けてくれる救い主のため、私の中では弟どころかすっかり天使扱いだ。

 香水を付けているのか、お母さんからの移り香なのか、いつもりんごの香りがするのも良い。花というより、りんごジャムみたいな匂いだった。


「おはようございます、女医様」


 礼儀正しい可愛らしい挨拶。でもしゃがれ声である。十三歳で、そろそろ声変わりということもあるかもしれないが…………先ほどは咳もしていた。


「ちょっと待ってて、お薬作ってきてあげる」


 心配になった私は、まだそばにいるエイルマーさんを置き去りに、診療所の中に戻ったのだった。







 エイルマーさんをあしらって、ライルくんと話して、老先生と患者さんをみたり薬を作って、友達とお茶をして……一日はそうして過ぎていく。

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