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1.悪魔と私

 誰かを心から憎いと思ったことある? なんて、そんな質問されたことないけれど、もしされることがあるのなら、私は「ある」と頷くだろう。間違いなく。




 *〜*〜*




 私の生まれた町は、王都から離れた小さな町だ。

 町で唯一の診療所を営む医師である父と、王都出身で、町一番の美人と言われる母の間に生まれたひとりっ子の私は、町の人達に愛されながら育った。……少なくとも、その年までは。


 私がとある少年を引き取る事にしたと両親に聞いたのは、九歳のとき。


 よくは知らないが、私の母の生家は商家で、その少年はどうやらお得意様の子供だったそうだ。母の生家(今は母の弟が継いでいる)は病気で親を亡くした彼を引き取って、なぜか我が家に預けることにしたらしい。

 人の良い両親は二つ返事で彼を受け入れ、父は王都から来るその少年を、少し遠い大きな町まで迎えに行った。


 そして彼が着く予定の日。話を聞いてから新しい『家族』に会えるのが楽しみでソワソワしどおしだった私は、当日になってさらに落ち着きなく窓の外を見てはウロウロして、見かねたらしい母にたしなめられていた。


「あまりはしゃいではだめよ。今日来る男の子の家族は流行病(はやりやまい)でみんな亡くなってしまったの。きっととても辛いわ。あなたのほうが年下ではあるけれど、お姉さんの気持ちで落ち着いて待って、男の子が来たら優しく接してあげましょうね」


 綺麗な金茶の瞳に哀しげな色を湛えた母の言葉に私は神妙な顔で頷いた。そのかわいそうな少年と仲良くしてあげよう、と。それから私はりんごジャムを作る母のそばでおとなしくしていた。

 家の前に馬車が止まったのは日暮れ前。

 出迎えた母と私はしかし、父に連れられて家に入ってきたその少年を見て、瞠目した。


 ありきたりな茶色の髪とそれより薄い色の瞳をした十一、二歳ほどの少年―――両親を亡くして『不幸』で『かわいそう』な少年は、想像とはぜんぜん違う雰囲気で、出迎えた私たちに向かって、その整った顔に上品で優しげな微笑みすら浮かべてみせたのだ。


「はじめまして。今日からお世話になります」


 大人びた雰囲気の少年は柔らかな声でそう言った。


「お会いできて嬉しいです……」


 父と母は彼が不幸な境遇の中でも気丈に前を向く強い子だと、同情しながらも気に入ったようだが、私は彼の笑顔になぜかものすごく嫌な感じがした。私の直感が『こいつは危ない』と告げたのだ。


 そして悲しいことにその私の直感は的中する。


「君の髪、本当に派手な色だね。目に障る」


 母譲りのまっ黄色の髪にインクを浴びせられて、泣くこともできずに呆然とする私に、十二という年齢に似合わない不敵な嘲笑を浮かべてみせた少年は、控えめに見ても悪魔だった。控えめに見ないなら大魔王だ。仲良くするのは絶対ムリ。

 なんたって、彼はその後私の母の髪を「奥様の髪は日の光を集めたみたいで素敵ですね」とか絶賛していたのだから。ちなみに、インクは私が不注意で零したことにされてしまった。


 それからも色々あった。


『……悪いけど、もうあんたと友達ではいられない』


 彼に惚れた友達(複数)になぜか絶交されたり、


『お医者様のとこのお嬢ちゃん? あの子はね……』


 気付いたら町の人たちが私から遠ざかっていたり、


『いや娘の物は良いんだ。彼に買ってやろうと思ってね』


 両親が私より彼を可愛がるようになっていたり……とにかく、彼が愛され、評判が良くなっていけばいくほど私は孤立していった。


 そして彼はそれを見て喜んだ。


 派手ではなく、どこか高貴な、上品に整った美しい容姿、優しくて大人びた性格、教会の神官ですら舌を巻く鋭敏な頭脳。

 誰からでも好かれる彼が、形の良い唇に傲岸な笑みを刻むのは、私と二人きりのときだけで。


「あいつは悪い奴なのよ! お願い、騙されないで」


「まあ、ダメよ。あの子はとても良い子じゃない。どうしてそんな事を言うのかしら……」


「嘘じゃないの。本当なの! 皆あいつに騙されてるのよ!」


 私がいくら両親や町の人たちに彼の本当の姿を教えても、妬んでいるとしか思ってもらえない。――――苦しくて悔しくて、なにより悲しかった。泣いたら彼が喜びそうだから、絶対に彼の前で泣いたりなんかしなかったけれど。

 それでもそんな私を見て彼は笑うのだ。

 心底愉快そうに。


『どうしたの、ケティお嬢様? 誰にも信じてもらえなくて悲しいね。泣いても良いんだよ』


 町の人々の中で私の評判は悪くなる一方で……。私はあまり家から出なくなり、また笑わなくなった。どうせ悪魔は家にいたから。


『君の味方は僕だけだよ。君のいちばんの敵も僕』


 甘い声でささやく悪魔。憎かった。

 ときどき彼の大嫌いなりんごジャムを作って、復讐してはいたけれど、そんな程度じゃ全然足らない。



 日々に変化が訪れたのは彼が十五になった年。


 町の視察に訪れた領主様が案内役を務めた彼を気に入って、領主様のご子息と同じ王都の学院に通わせてもらえる事になったのだった。

 貴族の子弟や大金持ちが通う全寮制の学院で、一流の教師が揃っている。卒業すれば勤め先には困らない。


「この身に余る幸せです」


 どこか高貴さを感じさせる綺麗な笑顔でそう言いながらも、彼はなぜか乗り気では無いように見えた。だが、それでも彼は結局学院に行く事になったのだ。

 彼の出発の準備は慌ただしく進められた。彼との別れを惜しむ人々が毎日訪れ、贈り物をしていく。両親は彼に色々持たせようと隣町まで買い物に行った。


「ふうん『心から愛しています。あなたが遠くに行ってしまうなんて嫌よ。あなたに会えないなら死んだほうがマシ』だって。すごいね」


 家の食卓には町の女の子全員からじゃないかと思うほどの手紙の山。彼はその中から器用に一枚引っこ抜いて、馬鹿にしたように嗤った。


「君もそのくらい悲しんでくれるのかな?」

「なんで私が悲しまなきゃいけないのよ」


 むしろなぜ私に悲しむ理由があると思うのか。この悪魔がいなくなったら清々する。きっと、もう私が孤立することもなく、友達もできて。


 私はりんごをむく手を止めて(あくま)を睨んだ。


「あんたね、王都に行っても分厚い化けの皮かぶって、女の子たちをたぶらかすつもりなの?」

「勝手にたぶらかされるんだよ」

「……へー」


 げんなりした私は、りんごの皮むきを再開した。この悪魔が綺麗に隠してはいるが、実はものすごく苦手としているりんごジャムを作るのは、ほとんど唯一の私の楽しみだ。

 やたらとおモテになる彼は別の手紙をお手紙山から引っこ抜いて読み始めている。

 しばらく黙々とりんごの皮を剥いていると、ひどく静かな声が、お手紙山を越えてやってきた。


「僕はもう戻ってこないよ」

「え……?」


 ナイフを止めた私は、どんな顔をしたのだろう。まずは驚き。その後の感情は疑念か喜びか、その他の何かか……。

 顔を上げると、長い睫毛に囲まれた薄茶の瞳が私を見ていた。それは、全てを隠す綺麗で嘘くさい笑顔でも、その裏の冷笑でもない、初めて見る表情で。


 たじろいだ。


「学院に行ったら、もう僕は戻らない」


 その抑揚の無い声は、どこか諦めきったような……予言じみた響きを持っていた。絶対に外れることのない予言。私は何も言えなかった。「なんで」とも、「清々する」とも。ああ……だって、あの悪魔が。


 あまりに年相応のふてくされた顔をしていたから。


 そして王都へ発つ日、馬車の前で彼はたった一言私の耳にささやいたのだ。大勢の見送りの人々に見えないように、一瞬だけあの傲岸な笑みを浮かべて。


『さようなら』


 私は無言で彼にりんごジャムを押し付けた。

 それが、別れ。


 彼は本当にもう帰ってこなかった。


 王都に着く前に流行り病にかかり、死んだというのだ。あっけなく。家にはすでに荼毘に付されたという死体の代わりに、彼の髪や荷物や、そんなものだけが届けられた。


 両親が泣き崩れ、近所のひとびとまでやってきて彼の死を悼む中、私は彼の荷物に入っていた()()だけを取り出して、こっそり隠した。

 空っぽの小瓶。私が最後に押し付けた、りんごジャムが入っていた瓶。


『ケティお嬢様……』もう聞くことのない声。


 私は驚いたことに喜びも悲しみもしなかった。

 ただ、ポッカリと、何かが、大きな穴が、自分のどこかに開いた気がした。なぜかなんて分からない。


 彼がいなくなった町の中、ただ彼がばらまいていった私への悪意の視線の中で、私に残っていた少ない表情と感情も、しだいに胸の真っ黒な穴の中に吸い込まれていき、もはやどこにも残らなかった。

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