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第八話 チーム・スズカの正念場

 開演のシグナルがなると、照明が落とされる。 

 暗闇の中、ステージの中央がライトアップされ、一人の男装の麗人が現れた。

 布袋劇のような派手な外套をオーバーアクションに翻し、ひとり語りを始める。

 奇妙な仮面で顔を隠しているが、その張りのある特徴的な声を知らぬ者は、すくなくともこの国の上流階級にはいない。

 彼女たちの舞台を見ていないと、王都の社交界の話題についていけないのだ。


「私の記憶が確かであれば……

 私の遠い祖先が、この世界の最果てにあるという黄金郷の話を聞いて冒険の旅に出て、今年でちょうど三百年になる。

 多くの仲間を失い、多くの友に助けられて七つの海を越えた我が祖先は、その約束の地へとたどり着いた!」


 世界の果てに黄金郷など存在しない。

 しかし、それが架空の仮面貴族サンディ・サイレンス男爵の設定だ。

 すべての観客が、その話が作り話であることを理解するが、同時に演技の完成度の高さに素直に感嘆する。


「長く過酷な旅より生還した祖先が、最果ての地で見つけたものは、金銀財宝ではなかった!

 しかし、ある意味では、金銀などよりも遥かに価値のある宝だったといえるだろう。

 彼が故郷へと持ち帰ったものは、血の汗を流し、他のどの生き物よりも卓越した速さで疾走する、神の如き獣だ。

 私の先祖は、その神獣の胤を持ち帰り、古今東西の名馬と交配させ、世界で唯一にして、不滅とも言える走る芸術品を作り出した」


 それがサラブレッドだ、と。舞台の上の『彼』は言った。

 

「以来、我がサイレンス家はその血統を、代々守り受け継いできたのだが……

 今年、当主を就任した私、サンディ・サイレンスは考えた

 愛する我が子らは、果たして単なる家畜であろうか!?

 いつまでも私の狭い囲いの中で飼ってよい命たちだろうか、と――

 そして、私は一つの重大な決断を下すことに至った!!」


 まさに千両役者。

 ここまでやるのなら、身分を偽っても怒る者もいない。

 サンタクロースやネズミの中の人と同じで、正体を探ろうとするのは野暮というものだろう。


「セバスチャン!」

「はい、旦那様」

「準備は整っているか?」

「万事つつがなく。

 ……しかし、本当によろしいのですか?」

「かまわない!

 あの子らに、当家の囲いの中は狭すぎる。

 私は愛する我が子らに別れを告げるときがきたのだ!

 祝おうではないか! その門出を!! 旅立ちを!!」 


 とある諸侯より借りてきた吹奏楽団の有志一同がファンファーレを吹き鳴らし、喝采と共に幕が下りる。

 幕間に現れたのは、執事服とメイド服を纏った二人の女の子。

 舞台上ではサイレンス家の屋敷の使用人という役であるが、ディングランツ公爵家に仕える顔馴染みである。

 なかなか器用な二人でイベントコンパニオンという仕事もすぐに理解してくれた。

 貴族を招くのであれば、このくらい趣向を凝らした舞台装置が必要なのだ。


「いやぁ、始まりましたねぇ」

「ついに始まってしまいましたねぇ……って何がです?」

「把握してないのかよッ!! 司会進行のくせに」

「今のを見て何が始まったのか理解したお客さんがいるんですか!?

 この中に!! 皆、おまえだれやねんって顔してましたよ。あの人も、この人も!!

 ほら、あの辺りにいる顔の残念なお客様も!」

「お客様を指差さないっ!! 失礼でしょ?」

「ああ、すみません。

 失礼しました。訂正します。

 あの辺りにいる大変にお顔が残念な方々もー」

「複数形にしてどうするのよ!! 逃げ道がなくなるでしょうが!」


 背の小さい執事服がボケで、背の高いメイド服がツッコミ。

 台本を渡しただけで、アドリブでコントを作れるのは、やはりその道のプロなのではないかと疑ってしまう。

 念のために、偽客(サクラ)は用意しているのだが、漫才としての完成度が高い。自然に笑いが巻き起こる。


「打ち合わせで聞いてるでしょう? ドラフト会議よドラフト会議!!」

「ドラフト?

 怪しげな道具を作るやつですか?」

「それは、マギクラフト。

 サイレンス家の領地から連れてきたお馬さんたちの新しいご主人様を決めるの」 

「馬を売り買いをしたら、持ち主が代わるのは当たり前じゃないですか?」

「良い質問ね。

 私達が領地からはるばる連れてきたサラブレッドは、牡牝合わせて、20頭。

 どなたにお譲りするかは、実はもう決まっているの。

 会場前列の、テーブル席に座っている方々ね」


 それぞれに5~6の椅子が並べられた12の円卓にスポットライトが当たると会場から拍手が巻き起こった。

 彼らが、イレーネが選んだ貴族たちだ。

 リュヴァイツ辺境伯を筆頭に、軍務卿ロンデンベルク伯爵。カスパール子爵。クラニツァール男爵などなど、サラブレッドに興味を示してくれた貴族たちの中でも、相応の財力と馬に対する理解がある方々だ。

 サンディ・サイレンス卿がサラブレッドにつけた値段は、どの馬も金貨二十枚。日本円で100万円ぐらいだろう。

 名馬の値段としてはかなり破格だ。

 条件は毎年、王都でサラブレッドのレースを大々的に開催すること。

 彼らがこの国初のサラブレッドの馬主となり、この国の競馬界を運営していくことになる。


「ただし、どの馬をお譲りするかはまだ決まっていないわ」

「それをこれから決めるってことですね?」

「そのとおりよ。

 まず、お客様がたには、わがサイレンス家の馬たちを吟味していただき、一番欲しいと思った一頭を指名していただきます。

 ほかの方のご指名がなければ、その方がオーナーです」

「複数のお客様が同じ子を指名したときはどうするんです?」

「それはもちろん公平に……」

「半分こにするんですね?」

「するかッ!!

 くじ引きで決めます」

「普通は、オークションじゃないんですか?

 その方がお金が儲かるし、私達のお給料だって……」

「お客様の前で品のない話をしないの。

 今回だけは、オークションにはしないことにしたのよ。

 お金を持ってる人がいい馬を買い占めちゃったら、レースが面白くなくなっちゃうでしょう?

 旦那様は送り出したすべての馬に全力で走れる環境を与えてあげたいとお考えなの。

 それは家の名誉をかけた真剣勝負でしかなしえない」


 司会進行の二人は言葉を濁していたが、その理由は仕掛け人であるハルト本人の意思によるものだ。サラブレッドは、一般的な馬より速く走れるが、その分扱いが難しい。たくさん食べる。デリケートで怪我もしやすい。その上、競走馬以外には向かない種なのだ。

 そんなものにたくさんお金を投資したのに、思うような結果が出なかったら?

 それは馬のせいではなく、選んだ人が馬を見る目が無かっただけだし、飼育の仕方が悪かったから、あるいは乗り手が未熟だったからである。

 だが、心無いオーナーに八つ当たりされないとも限らない。

 サラブレッドを買うのなら、家畜を扱うのではなく、野球選手と契約するぐらいの気構えでいてもらわなければ困る。

 なにしろ、この世界の競馬の歴史は浅いどころか始まったばかりだからだ。


「結局、どの子が速いのかなんて当家にもわからないのよ。

 値段がつけようもないでしょう?」

「そういえば、彼らを全力で走らせる機会なんてありませんでしたしね。

 なにしろサイレンス男爵領はド田舎。

 ターフもねぇ! 騎手もいねぇ! 馬主はいるけど、乗る気がねぇ!!

 ねぇねぇづくしの秘境の地。人外魔境ですから……」

「え? お館さまって馬に乗らないの?」

「ええ、我らが主君サイディ・サイレンス卿はなぜか牝馬にしかお乗りになりません!」


 嘘ではない。

 サンディ・サイレンス卿の七不思議である。


「レースは公平に、馬選びも公平に……

 つーか、馬ごときで見苦しく争うぐらいなら、それも見世物にしちゃえばいいんじゃね!?

 さぁ貴族ども、もっと戦えー! 争えー!

 ……とか、不謹慎なことを考えてこのイベントを企画したわけではございません!」

「……………」

「否定してくださいよ先輩」


 サラブレッドの購入を打診してきた貴族は38家。

 しかし、容易できる馬は20頭。うち4頭は王城に譲らなければならない。

 選考に漏れた残りの26家の貴族たちの不平不満がディングランツ公爵家や、クロウフォーガン準男爵家に向かうことは避けたい。

 おそらく蚊帳の外にされて、報連相もをしてくれないことが一番反感を育てるだろう。

 ならば全てオープンにして、その会議すらショーにしてしまえばいい。

 そして、嫉妬する奴がいたら、一番いい馬を引き当てた貴族に矢面に立ってもらえば良いのだ。

 あらゆるものに付加価値をつけられるのが優れた商人だ。

 絵を書いたり、小説を書いたりするのと一緒で、不愉快な話を愉快な話に変えてしまうのは一種の錬金術である。


「つまり、これはそういうゲームなんです。

 勝負に勝てたらうれしいし、負けたら悔しい。

 それを純粋に楽しんでいただきたいと思っております。

 たとえ今回お譲りする馬が結果を出せなかったとしても、その次の代で名馬が誕生するかもしれません」

「ただし、来年以降はお譲りするのは難しいかもしれませんね。

 しばらく、王都でのレースは今回連れてきた子たちに活躍してもらうことになるでしょう。

 まぁ、この王都でも数年のうちに数が増えていくはずですから」


 心憎いことに、セドリックが連れてきた20頭は近親交配にならないように配慮されている。

 血統的に一番近い牡と牝をかけ合わせても、3×3のインブリード。つまり従兄妹同士にしかならない。競馬の黎明期にはさらに恐ろしい近親交配が行われていたというが、たぶん大丈夫だろう。

 今回貴族たちに提供するサラブレッドが、この世界の競走馬の始祖となってくれるのかもしれない。


「いずれ、サラブレッドの数が増え、供給も需要も増えたのなら、私達が何もしなくたって生産者がオークションを開催するでしょう。

 そしたらもっと多くの方に提供できるでしょうし、今よりもっといい馬が入手できるのではないでしょうか?」

「楽しみですねぇ。さて……

 現在、パドックでは、各家の指南役が慎重に品定めをしておられます。

 やはり若い牡馬が人気のようですね」

「おーっと! さすが専門家だけあって、みなさん入念ですね。

 馬体をチェック! 歯並びチェック! そして、ち◯こチェック!」

「いずれ種馬にするつもりなら、当然ですね」


 サラブレッドに魅せられたホースマンは多いらしい。

 少しでも良い馬を主君に献上しようと、彼らも必死だ。


「さぁ、どうやら指名が出揃ったようです。

 早速、一位指名から参りましょう! まずはパーマストン子爵家から……」


---


 ドラフト会議は、大盛況で幕を閉じた。

 サラブレッド20頭のうち、4頭は王城へ、12頭を十二家が分け合い、残り4頭はドラフト会議後に発足した中央競馬連盟なる組織が繁殖馬として共有することになった。

 意中の馬を手にした客も、そうでなかった客も、走る芸術品の手綱を手に、ある者は早速鞍に騎乗し、満足そうに屋敷へ帰っていった。

 かつて日本の競馬新聞を賑わせた血統など、新たなオーナーたちは知る由もない。

 ただし在来馬との走りの質の違いぐらいは、すぐに理解できるだろう。

 初めてサラブレッドに乗った騎手はどんな感想を抱くだろうか?

 こんな暴れ馬にはとても乗れないと思うだろうか?

 それとも、これほどの駿馬を思う存分走らせる技術を身に着けたいと思うだろうか?

 もし、レースに出すのなら、サラブレッドに勝る選択肢はない。おそらく圧勝だ。

 今回、選考に漏れた者たちは不満をいだいたかも知れない。

 ゆえに飼育方はまだまだ研究段階であり、それに参加するということは相応の経済的リスクがあることも説明した。そして、その研究成果を共有すること。

 数年後繁殖に成功したら、優先的に購入権を与えることで合意した。

 八方を丸く収めることができてハルトも一安心だ。


「全部さばいてしまってよかったんですか?

 一頭ぐらい手元に残しておいたほうが……」

「構いません。

 サラブレッドを何頭も持っていたら、お館様が気を大きくしてしまいますので……」


 公爵の浪費癖は、ディングランツ家の頭痛の種だ。

 無駄に財産として持っておくより、公爵の知らないところで、恩と一緒に全部たたき売ったほうが確かに賢い。

 そして、ディングランツ公爵家ではなく、『公爵令嬢の名声』という無形の資産にかえてしまう。それが侍女長イレーネの乾坤一擲にして、渾身の策であった。

 一方、彼女の主君ティータはそんな政治的な話よりも、たくさんのサラブレッドに会えたことを素直に喜んでくれたらしい。


「……それで、一番、速いのはどの子だったのです?

 やっぱりあの黒い子ですか?」


 ドラフト会議の最大の目玉となったのは、黒鹿毛の4歳馬だ。

 なかなかの美形で、潜在能力はスズカよりも高いかもしれない。

 実績のある血統で、しかも、クロウフォーガン領の産駒ではなく元オープン馬だ。

 戦績は重賞こそ勝ち取ってはいないが中央3勝。

 芝・ダートの両方がこなせる万能型で、脚質はいわゆる「差し」。

 しかしオーナーが破産し、厩舎を移籍してからは成績が低迷。

 紆余曲折あって高薙傘下の乗馬クラブが買い取って騸馬となるところ、今回の話が合って引き取ったという経緯がある。


「そうですね。

 レオンハルトも欲しがっていましたし、なにしろ、6家が一位指名してきたんですから」


 血統・経歴については何も説明できなかったが、いい馬だと一目で見抜くとは皆さすがに目が高い。伊達に名門貴族の馬寮を任されていないのだろう。

 結局、彼はレオンハルトの姉ディアネイラ・ヴァルトブルク子爵が見事引き当てていった。


「あんな名馬を金貨二十枚でとか、君バカなんじゃないのか?」


 レオンハルトが嫉妬に濁った視線を向け、恨み言を口にする。

 主君の前でそういう態度ができるのはさすがの彼もヤキが回っている証拠だ。

 

「金貨二十枚は、会議への参加料だよ。

 これは、サラブレッドの値打ちを上げるための策だ。

 多くの人と価値観を共有しなければ、黄金とて価値を持ちえない。

 私も、彼らも、ティータ様も投資をしただけさ。

 だいたい、どれがアタリかはレースが終わるまでわからんだろ?」

「ふん! スズカをどの馬よりも見事に仕上げて、姉上を見返してやるさ!」


 それは武芸指南役ではなく、調教師の仕事であるが……

 まぁ、貧乏公爵家には彼以上に馬に詳しい人材は居ないので任せるしかない。こうなったら入賞を勝ち獲ってもらいたいものだ。

 いずれサラブレッドの種や、サラブレッドを速く走らせる技術には高値がつくだろう。イレーネが目指しているビジネスはまさにそれだ。

 この国で一番のサラブレッドを見出し、調教し、レースに送り出したという実績はティータ・ディングランツ公爵令嬢の財産になる。

 そうなれば借金があっても嫁の貰い手に困ることはない。今が正に、チーム・スズカの正念場なのだ。


「決勝レースまであと一ヶ月。スズカは勝てますか?」


 たとえスズカ以上の潜在能力を秘めた馬がいたとしても、一ヶ月では競走馬は到底仕上がらない。スズカのスタートラインは限りなくゴールに近い位置にあると思われた。

 しかし……


「どうでしょう? うちのセドリックがかなり頑張ってくれたみたいです。

 移動中もしっかり調教してくれたおかげで、馬体はどれも仕上がっていました。

 疲れが抜けたら、どの馬もたぶん強敵になります」


 多芸すぎる執事というのも考えものだ。


---


 エフテンマーグ騎士学院のホールでは、ドラフト会議の成功を記念し、パーティが行われている。

 参加した貴族たちは今頃、レース開催の打ち合わせや、今後の種付け計画などを話し合い、精一杯青写真を広げていることだろう。

 馬にさほど興味のない貴族にとってもかなり魅力的な投資だ。

 リスクはあると言っても、すくなくともチューリップの球根ほどではない。


 そんな絢爛豪華な社交の場を離れ、ハルトは御者の礼服姿で厩舎にいた。

 馬は犬猫のように自分の体を手入れすることができないので、顔を拭いて欲しいときは、甘えるようにすり寄ってくる。

 あんな乙女ゲームの住人のような連中を相手にするよりも、馬車馬の世話をしていた方が楽だ。

 クリスティンも同様に社交界は苦手らしい。

 ただし、今をときめく天才騎手と盆暗な二代目では、その境地に至るまでの経緯は真逆だ。


「ハルトさんは、こちらに来てから勉強とかしてるんですか?」

「してるよ」


 ハルトは人知れず勉強している。

 こちらの世界の読み書きと、地理、歴史などの教養分野。そうでなければ、辺境伯相手にプレゼンなどできるわけがない。

 他にも大学受験に向けて、勉強は欠かしていない。通信教育のようなものだが、教材を取り寄せて毎日コツコツとこなしている。

 しかし、ノートパソコンやタブレットを使った勉強なんて現地人に見せられるわけもない。


「馬の世話しかしていないようにみえるのですが?」

「勉強とは知識を得ることをいうのではないよ。クリスティン。

 自分が生きていくために必要な経験を積むことをいうんだ。

 ………馬の世話は今の私にとって必要な経験だ」


 ハルトは馬学や獣医学の本まで取り寄せて読んでいる。もっとも教本を読んだからと言って、技術が上達するわけではないのだが、こちらの世界では本そのものが少ない。

 活版印刷は一応あるとはいえ、読者を選ぶような専門書のほとんどが手書きだ。

 故に、知識は一般には共有されず、特定の知識人や技術者の飯のタネになっていく。こちらの世界の勉強とは知識のある人に直接教わることなのだ。

 聞きかじりであっても知識は確実に武器になる。


「王都でしか出来ないことではないでしょう?

 社交だって必要な経験ですし、騎士は手綱さばきだけで馬に乗っているわけではありませんよ。

 少なからず魔力を使って馬を操っているんです」

「そうなのか?」


 しかし、なるほど。

 スズカはクリスティンやティータの言うことはとてもよく聞く。

 ハルトとの違いが魔力を使っているかどうかだとすれば、辻褄が合う話だ。


「そうなのか、って……ハルトさんは実家の馬術指南役に何を習ったんです?」

「馬房の掃除に、馬の曳き方、洗い方、馬具の付け方に、餌のやり方。

 乗り方、降り方、歩かせ方と止まり方だ」


 その程度は、農民であってもできるスキルだ。

 つまり、ハルトの馬術はまだ騎士と呼べるレベルには到底達していないといえる。

 物心つく頃から英才教育を受けてきた連中には対抗できない。


「庶民ならそれで良いかもしれませんが、騎士はそうもいかないでしょう。

 騎士と騎兵の違いは、魔力が使えるかどうかだと父も言ってました」

「そうかもな」


 こちらの世界では、怯える馬を落ち着かせたり、馬の筋力を強化し、障碍物を飛び越えたり、急加速して敵を仕留めるのに魔力を使うらしい。

 が、そんなことは自分には十年速いとハルトは自覚していた。

 使えば馬の筋力は一瞬数倍に跳ね上がるそうだが、サラブレッドのガラスの足にそんな負荷をかけて大丈夫なのだろうかと心配にもなる。


「馬の怪我や病気を治療したり、疲労を回復させる魔術はないのか?」

「それは聞いたことありませんね。

 教会の聖術は、神の子への恩寵ですから、人間にしか効きません。

 だからみんな教会にお祈りに行くんじゃないですか」


 どうやらこの世界の宗教の教義はドラクエ世界の教会と同じ仕様で、お金のない人や信仰心ない異教徒や家畜は奇跡の恩恵にはあずかれないらしい。


「なるほど、我らが主はこれほど人間社会のために働いている馬の怪我は治療してくれないというのか。

 そんな無能がよく神を名乗れるもんだ……

 きっと羞恥心というものが欠如しておられるにちがいない」


 まぁ、宗教なんてそんなものだろう。

 本当の奇跡の技があれば、ハルトも積極的に学んだかもしれないが、地球世界の医療技術には及ばないレベルだからこそ、常芳も日本で外科手術を受けるしかなかったのだ。


「私は当分人前に出れなくなってしまったからなぁ。

 ほとぼりが冷めるまで大人しくしておくよ」

「それまでは、本と机と馬しか相手にしないつもりですか?」

「取引をすべてイレーネに任せてしまえば、私も今の状況から解放されるんだけどな……

 そのカードは是非ともティータ様の嫁入り道具にしたいとか」


 嫁入りという言葉をクリスティンは不本意そうに視線をそらした。

 本来なら、パーティの主役になっていなければならない彼が、こんな馬小屋に足をのばしたのは、きっと実家から警告でも受けたに違いない。

 どれだけ恋慕の情があろうと、税金で食わせてもらっている上級貴族は、政略結婚が当たり前。不服なら駆け落ちでもするしかないのだ。


「イレーネの目標は、競馬という産業を国に承認させることだ。

 公共ギャンブルとして、売上の一部を王城に納税し、さらに馬の血統書を作り、騎手、生産者、調教師を育成し、優秀者に名誉を与え、官民一体となって馬術と畜産業を推進する。

 優れた競走馬、農耕馬、輓馬、軍用馬を輩出すれば、いずれは貿易によって外貨を稼ぐこともできるだろう。

 その利権にディングランツ家も割り込もうってわけさ。

 そして、その実績を手土産にティータ様の輿入れ先を探す」


 まさに忠臣だ。

 借金まみれの主君のためにあそこまで頑張れる家臣はそうはいないだろう。


「ハルトさんも損な選択をするんですね。

 イレーネじゃなくて、リュヴァイツ辺境伯様を窓口にすればいいだけじゃないですか」

「辺境伯様には、法整備と組織づくりの根回しをお願いしている。

 それぞれに役割があるんだよ。

 敵を作らないように調整しながら話を進めるのに、最低でも1年はかかるらしい」


 クリスティンはイレーネに含むところがあるのだろうか。

 スズカという強力な切り札があれば、公女ティータの政略結婚も早まるかもしれない。

 今更それを邪魔するわけにも行かず、彼にとっても複雑なのだろう。

 イレーネから口出し無用と言われている以上、ハルトはクリスティンの恋慕にあえて気づかないふりをした。


「王城にも税収が入るようになったら、私はその功績で家督相続を認めてもらって、故郷に帰るのもいいかな」

「それでいいんですか? クロウフォーガン家は損をしているように見えるんですが」


 クロウフォーガン家にとって一番困るのは儲けにならないことではない。

 サラブレッドを探しに来た連中に領地を嗅ぎ回られることである。

 それ故にサンディ・サイレンス男爵などという架空の貴族を作り上げたのだ。


「忘れたか? 晴・耕・雨・読!

 それが貴族と平民がただ一つ共有した真の正義だったはず……」

「そんな正義は聞いたことがありません。

 平和が一番だというのはわかりますけど……でも、それだと時代に取り残されてしまうのでは?」

「それはないよ。

 ヴァリスタニアは支配者が腐敗してないし、民が飢えてもいない。

 田舎貴族が取り残されないように、こうやって学校まで作っている」

「何がいけないんです?」

「いけないことは何一つない。

 こういう成熟した豊かな国から時代が動くことはまずない。

 あったとしてもその変化は極めて緩慢なものだから、田舎で畑を耕してたって取り残されることはないってことさ」


 ハルトとしては、王都情勢などより、むしろ日本の世情に疎くなってしまうことの方が心配だ。

 この世界の魔術は誰にでもできるわけではない。

 物理学者でなければ、相対性理論など理解できなくても問題がないように、門外漢にとっては無用の長物なのだ。

 二十一世紀の地球人から見たら周回遅れの世界に取り残されたところで一体何だと言うのだろう?

 というかここにいたほうが時代に取り残されてしまう。なにしろ戦争のやり方も数百年間、変化していない世界である。

 ハルトにとって唯一価値があるものといえば、新鮮な恵みを与えてくれる非汚染の海と大地くらいだ。


「でも武芸だけは、同輩と切磋琢磨しないと」

「そうかもねぇ……けどなぁ」


 武術を心得として習うのと、戦闘教義として叩き込まれるのとでは、まるで意味が違う。

 より剣や弓よりはるかに効率的に人を殺す武器や戦術の存在を知っていれば、後者を真面目に修得する気にはなれない。

 

「私は馬上槍試合はやる気はないんだ。

 レオンハルトの言う通り、重騎兵は時代から取り残されていくだろうからね」

「ほう? それは聞き捨てならんな……」


 厩舎に場違いなほど凛とした声が響いた。

 ドレス姿の『銀の茨』はまるで天から舞い降りた女神が如く、月がまるで霞むほどだ。


「ディアネイラ様! こんなところに……」

「卿だってこんなところに居ていい人間ではないぞ? クロウフォーガン卿。

 今、卿と話がしたいやつは多いようだが……」

「私にはみなさんと話すことはありませんよ。

 あ、いえ、別に社交を嫌っているわけではないんですが、窓口は一つにしておかねば混乱が生じますので……」

「なるほど」


 ディアネイラはハルトに値踏みの視線を向けた後、不敵に笑った。


「どうやら先日ホッブズを連れて行ったことで、私はイレーネに警戒されてな。

 今は彼女と商談どころではない。

 だから卿がどこにいるのかと愚弟に訊ねたら、厩舎にいると言われた」

「私では相談相手にはならないと思いますが?」


 実際はイレーネもそれほど警戒しているわけではない。

 彼女がヴァルトブルク子爵家を躊躇なく敬遠するのは、レオンハルトという太いコネクションがあるからだろう。ハルトの居場所を正直に教えたのが証拠だ。

 彼がいるからこそ、ディアネイラも他の貴族程がっつく必要がない。

 警戒されているというのは、むしろ、ハルトと話すためのディアネイラの方便なのだ。


「なに、今日は商談をしたいわけじゃない。世間話がしたいだけだ」

「お召し物が汚れますよ?」

「構わんさ」


 ディアネイラは従者に促され、厩舎の前に停めてあった馬車の御者台に腰掛ける。

 まるで女王陛下の御白州裁きうけているようだが、不思議と嫌悪感は沸かない。

 彼女はまさにティータ以上のカリスマ性を備えているのだ。


「卿はこの先、時代がどう動くと思う?」

「どう、と言われましても……」


 時代とはなんとも壮大な話だ。

 NHKのドキュメンタリーじゃあるまいし。


「さきほど王国軍の主力である重騎兵は、時代から取り残されるなどと言っていたではないか。

 まぁ、いいから言ってみろ。

 どこかの誰かが無能で恥知らずという下りは聞かなかったことにしておいてやる。

 この国の不特定多数を人間を敵に回すことになるからな……」


 厄介な話を聞かれたものだとハルトは苦笑いした。

 ここは無難に一般論で取り繕うしかないだろう。


「文明が進むにつれ、戦争は高速化し、戦場は広域化します。

 これは大原則です。

 まずは、軽騎兵と飛び道具の時代になるでしょう」


 この世界の文明は、建築も、装飾も、冶金技術も、中世よりは遥かに進んでいる。

 にもかかわらず最強の兵科は重騎兵のままだ。

 たしかに、地球側の歴史でも11世紀ぐらいまで、重騎兵は無敵の兵科だったかもしれない。

 実際、空馬であっても猛スピードで突進してくる馬はとてつもなく恐ろしい。

 それが鉄塊のような騎士を乗せ突撃してくるのだから、歩兵にとって戦車同然だっただろう。

 しかし、時代が進むに連れ重騎兵は衰退の一途をたどる。

 十字軍では、しばしばトルコの軽騎兵に翻弄され、西暦1302年の金拍車の戦い以降は、戦い方次第で歩兵にも敗北するようになる。

西暦1415年のアジンコートの戦いでは、長弓兵を主力とするイングランド軍に大敗を喫し、さらに、西暦1419年のフス戦争で先込め式の滑腔式歩兵銃が登場してからは、戦争の主役は銃歩兵に奪われてしまう。

 騎兵自体は、第一次世界大戦ごろまで存続するが、文明レベル的に考えて、本来ならもうとっくに重騎兵の時代でなくなっていなければおかしい。

 もちろん、その歪さの原因はハルトにもわかっているのだが……

 ディアネイラが質疑する。 


「鎧に防御魔術を付与した重騎兵をどうやって倒せというのだ?」


 この世界には魔術が存在する。

 騎士が魔術で強化した鎧は生半可な矢弾を寄せ付けない。他者からの干渉も妨害するので、完全武装の騎士には攻撃魔術も効果が薄い。魔術士が地表に手を加えれば、ぬかるみに足を取られることもないし、パイクによる槍衾も蟷螂の斧。ゆえにこの世界の重騎兵は地球のそれより遥かに強力な兵科だ。

 魔術による支援があれば無敵の戦力と考えられている。重騎兵の突撃が決まれば、決着がついてしまう。

 そして、あらゆるゲームにおいて強力な戦術には、熱心な信仰が生まれてしまし、思考の硬直化を招いてしまうのだ。


「倒す必要はありません。

 倒せないなら、戦術的に無意味なものにしてしまえばいいんです」


 強力なストライカーにはゲームから消えてもらえばいい。

 

「重騎兵の仕事は、本陣を突き崩すこと。その仕事をさせなければいい」

「具体的にはどうやる?」

「あくまで机上の理論ですが、対策は2つあると思います。

 まず、本陣が敵の突撃よりもすばやく動いてしまう戦術。

 そして、敵の射程を上回る飛び道具を用いる戦術です」


 戦術論というより、スパロボ的発想だ。


「ふむ。敵の突撃よりもすばやく動けというのはわかりやすいな。

 構成員を全員、軽騎兵にしてしまえというのだろう?」

「そのとおりですが……まぁそれ以前に、敵が万全の布陣を整えるまで待ってやる必要はありません。こちらに有利な戦場を作ってしまえばいい。

 機動力のある部隊ならばこそ、狭い道で待ち伏せたり、集結する前に各個撃破。あるいは補給線の分断などという選択肢も取れるでしょう。

 素早い情報収集・伝達のためにも、軽騎は有効だと思います」


 すくなくとも内燃機関や通信技術がこの世界に登場するまでは、馬は活躍してくれるだろう。


「なるほど。飛び道具はどう使う?」


 いくらハルトでも、ここで銃火器の台頭を予言してやるほど愚かではない。

 異世界チートものよろしく、その歴史の針を進めてやる気もなかった。

 それで命を落とす人たちのことを思えば、一介の高校生に背負える問題ではないからだ。


「たしかに騎士の鎧に弓矢は効かないかもしれません。

 しかし、騎士たちは常に鎧を着ているわけではありませんし、重騎兵だけで戦争の継続は不可能です。

 ならば弱い時、弱い部隊から削っていけばいい」


 ヒット&アウェイで弱いところから潰す。

 射程と機動力が敵より勝っていればそれが可能になる。騎馬民族の戦い方だ。

 しかし、これにはクリスティンが反駁した。


「卑怯ですよ、そんなの」

「なぜだ?」

「不意打ちをするということでしょう?

 騎士と騎士が正面からぶつかるより、たくさんの人が死ぬってことじゃないですか」


 クリスティンが支持するのは、この国の貴族たちが想定する理想的な戦争の一形態には違いない。あくまで騎士が戦争の決着をつけるからこそ、余計な血は流れない。匪賊と化した兵が跋扈したりしないのだ。


「そうだね。クリスティン。その考えはとても正しい。

 でも、それは恵まれた者の考えだよ」

「恵まれた者?」

「戦争とは、そもそもが卑怯で野蛮な振る舞いなんだよ。

 話し合いで解決すべき外交問題を暴力で解決しようとする。それが戦争だ」


 話し合いで決着がつかないなら、国家の代表者がレスリングでもして白黒つけた方がよほどよい。しかし、そんなガン〇ムファイターのごとき文明的な人類は、異世界にもおそらくいない。


「いつの時代も戦争の原因は、貧困と絶望。そして、他者に対する不信感だ。

 食事にも事欠くほど追い詰められたら、人間に善悪はなくなる。

 私達だってたぶんそうだ」

「……ふむ。

 クロウフォーガン卿が正しいな。

 正義とは何かを哲学する余裕があるということは、この国が豊かであるという証明だ。

 国が盤石であれば卑怯なことを思いついても実行する必要がない。

 しかし、そうでない国はどうだ?

 貧しい国は卑怯を承知で、我々が考えもしない戦術を使ってくるかもしれない」


 ディアネイラの理解は速い。

 おそらく自分でももう答えを出しているのだろう。


「はい。新しい戦術はいつか誰かが考えますし、貧しい人々にとっては戦争が唯一の活路になることもあります。

 多くは失敗するでしょうが、そのうちの一つが結果を出して支持され、次の時代を作る」


 豊かな国から新しい戦闘教義が生まれる道理はない。

 モンゴル帝国の最強騎馬軍団は大陸内陸部の過酷な大自然によって育まれている。16世紀以降の大航海時代は、ヨーロッパが海へでなければならないほどに貧しかったからだ。

 織田信長の躍進は尾張の兵が弱兵だったからであり、日露戦争の奇跡も、真珠湾の奇襲も近代化に乗り遅れた日本がなりふり構わずあがいたからだ。

 そして、現代に世界帝国として君臨するアメリカ合衆国も、もとは貧乏な移民の集まりだったからに他ならない。


「であるからこそ、平和で豊かな国における戦備とは、万が一に備える保険であるべきでしょう。

 それは必要に応じて変化すべきものであり、理想や美学で考えてはいけない。

 敵がこちらのやりたい戦争をやらせてくれるわけがありませんからね」

「なるほど。戦争の高速化と戦場の広域化。

 それに備えよということか……

 もしや軍師殿がサラブレッドを普及させようとするのはそれが狙いなのか?」


 そればかりは、偶然だとハルトは断言できる。

 あの男がもし富国強兵をなすつもりなら、サラブレッドではなく内燃機関を普及させている。

 常芳がたまたま馬の繁殖に手を出し、乗馬の練習用にたまたまハルトに充てがわれたのが日本でレースには出せないサラ系のスズカだったというだけで、それにたまたまティータとレオンハルトが一目惚れしただけ。

 すべては偶然なのだ。

 今更考えれば、どうしてこうなったのかと一番問いたいのはハルト自身である。


「さぁ、それはわかりません。

 サラブレッドはおよそ2レプスまでを走り抜けるのであれば、他のどの馬よりも速いでしょうが、性格は極めて神経質なので軍馬には向かないでしょう。

 もっと短い距離、長い距離であれば、それぞれ強い種がおります」


 数百メートルの直線番長であればクォーターホース。

 数十キロのエンデュランスならばアラブの方が強いという。

 特にアラブ馬は、明治維新以降、陸軍の近代化のため日本に大量に輸入されている。

 当歳馬であれば、数十万円で買えるはずだが、本気で馬術競技に金を使いたい人の買い物だ。


「ほう? クロウフォーガン領には、そんな馬もいるのか?」

「………あ、いえ。すみません。

 私は資料を読んだだけなので、実際に乗って確かめたわけでは……」

「では、資料はあるのだな!?」


 ハルトは言葉に詰まり、一瞬沈黙する。

 ディアネイラにとってそれは肯定と同義。

 回答は必要ないとばかりに、勝手に話を勧めていく。


「よい。俄然興味が湧いた。

 機会があれば、卿の実家を訪ねさせてもらおう」

「ええ!?」

「資料ぐらい良いではないか……

 その資料の出所をたどっていけばそういう優れた品種が手に入るかもしれぬだろう。

 それとも貴家ははるばる訪ねていった客に書物さえ見せてはくれぬのか?」


 原産地がどこかなど説明することはできない。

 さすがに馬の図鑑なんぞ見せたら、サラブレッドが異世界の生き物だということばバレてしまう。


「隠してはおりませんよ。

 一応、実家に相談してみます。

 お力になりたいとは思いますが、実権のない身の上ですので、お約束はできません。

 もちろん領地にお越しの折は、歓迎いたしますが……」

「なるほど、世継ぎである卿の判断でも、容易には閲覧を許可できぬ資料か……

 ますます興味がわいたぞ!

 ホークウィードには近々訪れる予定だったのだ。その時に改めてお願いしてみよう」


 ハルトは常芳が田舎に引っ込んだ理由を思い知るに至った。

 どうやら、嘘を嘘で塗り重ねていくと取り返しのつかないことになるらしい。


「書物に載っていることが真実とは限りません。

 サラブレッドがレースに強いということは証明されましたが、他の品種もその強みを十全に発揮できるかどうか……

 私としては、一方的かつ過度に期待され、結果的にそれに応える事ができないというのは、非常に心苦しいのですが」

「そのときは勝手に期待した私が悪いさ。

 もちろんタダで、とは言わん。我が従士から一人やろう。

 卿の副官にどうか?」

「んな、犬猫じゃあるまいし」

「犬猫なものか、夜のお供の嗜みも心得ている」


 貴族の将校の中には目鼻立ちの整った美人の副官を連れている者も少なくないが、これはただ単に助平というわけではない。

 妙な女に手を出して性病にかかったり、お家騒動になるくらいなら、しかるべき教育を受けた器量の良い娘を補佐とすることがこの世界の貴族の常識であった。

 当然、シモの世話も心得ているというわけだ。


「しっかりと調教してあるぞ?」

「……そ、それは、ちょっと……」

「あまり深く考えるな。友好の証だ」


 ディアネイラの従士は皆、才色兼備なのだろう。

 一瞬心が揺らぐが、理性がハルトを現実に呼び戻した。

 そんなあからさまなハニトラ要員なんぞお持ち帰りしたら、かぐやに殺される。


「いい話じゃないですか。身分のある騎士であれば従士の一人はついている者ですし……」

「お子様は黙っていなさい」


 クリスティンは、まだ夜のお供の意味をわかっていない。

 賢いとは言っても、やはりこういうところは子供だ。


「ディアネイラ様の従士の方々は、どなたも大変魅力的ですが……

 私ではたぶん活躍の場を与えてあげることはできないと思います。

 第一、たかが馬にそこまでするほどのことはないでしょう?」

「たかが馬ならそこまで隠すこともないではないか?」


 ハルトは実家の期待に応えるので精一杯だ。

 それ以外の人間の期待にまで応えてやる余裕はない。

 しかし、ハルトが答えに窮しているところで、厩舎全体がドンと揺れた。

 それは地揺れではない。

 建物の上になにか重いものが落ちた音だった。


---


 ハルトたちが階段を駆け上がると、会場はパニックだった。

 駆け付けた兵士と客人たちが玉突き衝突を起こしている。

 バルコニーに現れたのは、体高4メートルはあろうかという巨大な蜥蜴。その四肢のうち前足は、翼になっている。

 ただし、鳥のような羽毛ではなく、鉤爪が突き出した翼膜だが……

 

「ドラゴン?」

「いや、ドレイクだ」


 ドレイクはオランダ語でドラゴンのことだったはずだが、こちらの世界では、空を飛ぶ小型の竜のことをそう呼ぶらしい。

 馬のそれと同じような頭絡が装着されているところをみると野生ではない。

 なんとか統制を取り戻した武官たちの包囲が完成したとき、ドレイクの背から大男が飛び降りる。

 身の丈はレオンハルトよりも大きく、傷だらけの腕は丸太のように太い。

 獣の毛皮を纏っているが、顔立ちはそう粗野でもない。

 眉が太く覇気のある面構えだ。


「お父様!」

「久しいな我が娘よ。大きくなったものだ! ハッハッハッ!」


 大男はティータを手荒に抱擁したあと、その戸惑いも気にせず軽々と抱き上げ、肩に乗せる。

 つまり、彼がティータの父親。ディングランツ公爵その人であった。


「アレクサンデル・グロースワルト・ディングランツである!

 皆の者! 今帰ったぞ!」


 まるで凱歌のように名乗りを上げるも、それに呼応するものは誰も居ない。

 空気を読まない闖入者は、静寂で迎え入れられた。

 それすら意に介さず、公爵はパーティ会場にノシノシと踏み入り、中央のテーブルの肉料理の手を付ける。

 おそらくその帰還を一番を歓迎していなかったイレーネが声を発した。


「……お、おかえりなさいませ。お館様」

「うむ、今帰った!」


 主君を諌めるのが家臣の役目である。


「暫くの間、船でレンガのようなビスケットを食ってきたのでな、すっかり腹が減ってしまった!!」

「お館様、ご歓談の皆様が迷惑をしておられます。

 お食事でしたら、どうか、屋敷にお戻りください」

「まぁ、よいではないか………そちらは、おお!

 ディアネイラ殿か! 相変わらずお美しいな!!」


 いつの間にかイレーネの斜め後ろに進み出ていたディアネイラは優雅に一礼する。


「愚弟がお世話になっております。王叔殿下。

 見事なドレイクですね。今度の冒険は、南方でございますか?」

「うむ!! 

 荒野の先にあったのは、石造りの大墳墓であったわ!!」

「そこには何か貴重なお宝でも?」

「あるにはあった。黄金の仮面や宝玉の散りばめられた太古の装飾品……

 が、決して触るなと言われてのう。

 ガラス越しに見るだけで銀三枚は高いとは思わんか?」


 適正価格を論じる以前に、それは冒険ではないだろうと、このとき会場に居ただれもが思ったはず。

 しかし、貴族たちにも序列があり、身分の高い人に対しておいそれと意見が言える社会ではない。

 それ故に、上級貴族の放蕩というものは度し難い。抑制が効かずどこまでも暴走しかねないのだ。


「彼の地にはまだ未発見の遺跡もあるという。

 ならば余もと思い、人を集めて探索してみたのだが。

 ……盗掘団と間違えられてな」


 そんな事をしていたらただ観光するよりはるかに金がかかる。


「見つかったら一攫千金であったというに……」

(それが盗掘だッ!!)


 そんな公爵に対して、まるで要介護老人を扱うような態度でディアネイラは会話を続ける。


「それは良い経験をなさいましたな。

 しかし、ドレイクなどよく連れてこられましたね

 たしか、暖かい地方では騎獣として使われることもあると聞き及んでおりますが」

「おう! そうであった。

 旅先で、そのドレイクを自在に操る術を身に着けた者と出会ってな!」

「ほう?」


 自在に操る術という言葉にディアネイラが興味を示す。

 歳はハルトと同じくらいだろうか、いかにも剣士タイプの冒険者だといえる好青年が、前に進み出る。

 齧り付いていた肉料理を皿に戻し、公爵は高らかに宣言した。

 

「皆に紹介しよう!!

 勇者リゲル・アドモス!

 余は、この若者を婿養子にと考えておる!!」


 宮家とは、王家のスペアとして、血統を維持することが仕事であり、そのために王城が扶持を支払っている。

 王城の外交戦略のために他国に嫁ぐこともあるが、いずれにせよ公爵ごときの一存で決めて良いことではない。

 まず最初に異議を唱えたのは、家臣であるイレーネだった。


「一体何をお考えなのですか!?」

「しれたこと、余は自分が見込んだ勇者に当家を継がせるつもりだ」

「リゲル・アドモスと申します、以後お見知りおきを……」


 リゲル・アドモスは、ティータの手を取り、甲への口づけをしようとするが、イレーネが断固拒絶した。


「控えなさい! この無礼者! 己の身分も弁えられぬのですか!!」


 一般的な異世界小説では悪役のセリフなのだが、このときばかりはハルトもイレーネを応援したくなる。お家を守るために家臣たちが不断の努力をしているからこそ、貴族を平民と同列には語ることは許されない。

 ハルトは従者のふりをして、イレーネに諫言した。


「イレーネ様、衆目がございます。ここでは……」

「わかっています!

 馬車を出してください。お話は屋敷でいたしましょう」

 

 その夜、ディングランツ公爵家の一団は、まさに逃げるようにして会場を後にした。


アレクサンデル・グロースワルト・ディングランツ 37歳

 ディングランツ公爵家当主 女王の叔父 王国の頭痛の種


リゲル・アドモス 18歳

 公爵お気に入りの、見どころのある冒険者。


「私の記憶が確かならば」 出典:料理の鉄人 ‎鹿賀丈史

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