第六話 その名はサンディ・サイレンス
スズカのデビュー戦では、ハルトも生まれて初めて買った馬券で大勝ちしていた。
勝つべくして買ったレースだ。祝うほどのことでもない。
しかし、博打で得た泡銭など、貯金するよりさっさと消費してすこしでも経済を回すことに貢献すべきだろう。
そう思ってエフテンマーグの町の飲食店に赴いたハルトだったが、そこでなんとも挑戦的な掲示を目の当たりにする。
「スズカより速い馬はいないのか?
レースの勝者の賞金は、リュミエル金貨100枚なり。
―― サンディ・サイレンス男爵 ――」
ハルトはその名前に心当たりがあった。
競馬にまったく興味の無かったハルトも、スズカに乗るようになって日本の競馬史ぐらいは目を通している。
「これはお前の差し金か? かぐや……」
かぐやは愚問だと言わんばかりに笑う。
「御心配にはおよびません。
当家にもそれぐらいの蓄えはございますので……」
リュミエル金貨一枚は4万円から5万円というところだろう。
ただし、あくまで貴族の金銭感覚でだ。
「そりゃいいけどさ。こんなの勝手に名乗っていいの?」
「日本の競馬業界人がこの世界のことを知る由もございませんので……」
「いや、そうじゃなくて……
勝手に爵位なんて名乗って大丈夫なのかってことだ。
身分詐称にならないのか?」
「爵位は名乗るだけなら犯罪にはなりませんわ。
他国の貴族だって爵位くらい名乗りますし、社交界で嘘をついても貴族たちの信用を失うだけ
この程度であれば騙される方が悪いのです。
そもそも男爵ぐらいイモだってヒゲだって名乗れるではないですか」
かぐやはたまに真顔でトンデモ理論を持ち出す。
これがクロウフォーガン家の総意で良いのかとハルトは不安になるのだが……
ともあれ、撒き餌の効果はすぐに現れた。
一週間後、王都の名馬自慢がとっておきの愛馬を持ち込んで、第二戦が開催された。
『さぁ、注目のレースです。
なんとサンディ・サイレンスという謎の人物から大会運営に対し、金貨100枚の賞金が届けられております!』
そこまで速いのかとなると、多くの人々が一目見たくなる。
コーチ屋やノミ屋がどこからともなく現れ、庶民の娯楽となる。
広告戦略の勝利ともいえるだろう。万一負ければ金だけを失うことになるが……
「各馬一斉にスタート!
先頭は7番ガーリオン、続いて4番フェイルノート、12番トワイガンが追走します。
注目のスズカは八番手」
コーナーを抜けると、拡声魔術によって場内に響き渡るアナウンスが一層熱を帯びる。
「各馬直線に入ってまいりました!
大歓声に迎え入れられます。あーっと、ここで各馬一斉にムチが入る!
スズカが加速する!
大外一気にスズカ! スズカが前に出た! 速い!!」
そもそも馬の基本性能が違いすぎるのだが、苦労がないわけではない。
スズカが最初から逃げに徹するともうレースにならない。
お客さんがワクワクできない。だから、ラストスパートで一気に抜き去るという演出が必要になる。
先頭との距離を測り、どのタイミングでスパートをかけるのかが、鞍上のクリスティンの腕の見せ所となっていた。
「先頭のガーリオンに迫る! あっという間に抜き去ってスズカ、今一着でゴールイン!
勝ったのはスズカ! 圧巻のラストスパート! まさに電光石火―――ッ!!」
もはや驚くことではない。
他の馬はサラブレッドではないのだから、高知のウララちゃんを連れてきても勝てるだろう。
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「おう! やっとるのう」
スズカを馬房に戻したところで、リュヴァイツ辺境伯ベルナールがやってきた。
しかも何やら身分の高そうな人たちを引き連れている。
どうやら話題の名馬をひと目みたいという上級貴族の野次馬の皆さまだ。
やんごとなきお歴々の突然の来訪に、馬丁たちは通路に散らばる糞尿まみれの寝藁をあわてて脇に放り込む。
「見事なレースだったな」
「みたいですね」
「褒めておるのだぞ? もう少し喜ばんか!」
「私の馬ではありませんので……」
スズカにとって役不足なレースだったが、駿馬自慢の貴族たちはさぞ戦慄を覚えたことだろう。
サラブレッドを初めて見た者は、まずその姿の美しさに息を呑む。
鍛え抜かれた筋肉の鎧の上から、輝くような栗毛を纏い、細く長い足で弾むように歩く見たこともない騎獣。
多くの者は今までに見た名馬の先入観から「見掛け倒し」と結論付ける。
しかし、サラブレッドのレースを目撃し、初めてその間違いに気づくのだ。
あれは美を追求したのではない。速さを追求した結果、美しく生まれてしまった生き物であることを。
強く、美しい存在。人それを正義という。
誰しもが魅せられる。
100メートル競走が陸上競技の花形であり、F1がモータースポーツの頂点であるように、どれほど気性が荒くても、ずば抜けて速い馬を一頭持っているということは貴族にとって自慢になる。
「ふん、たしかに速かった。
だが、このような細馬。戦には使えませんな」
などと子供じみた負け惜しみも言いたくなる者の気持ちはわからなくはない。
しかし、あの観客の声援こそがすべての答えだ。
「はい。仰る通りです。
この子は速く走るためだけに生まれてきた子ですから、馬車を挽いたり、騎士を乗せて戦ったりするのには向いてません。
ディングランツ公爵家にもそれでご了承を頂いております」
たかが馬丁の分際で口答えした若造に貴族は苛立ち、怒号を挙げた。
「この! 口を慎め!」
急な怒鳴り声におどろいて馬たちがいななく。
厩舎の中で一番神経質であろうスズカは、狭い馬房で前足を振り上げ、耳を後ろに向け威嚇の構えを見せる。
ハルトは必死に頭絡を掴んだ。
「ふん! 暴れ馬ではないか! 下郎の分際で生意気なことを」
「ああ、違うのだ。ガーランド卿。
こやつは下男ではない。これでも、いっぱしの貴族でな」
姿勢が悪かったから庶民と思われたのかもしれないと反省し、ハルトはしゃんと背筋を伸ばす。
「クロウフォーガン家の世継ぎだ」
「なんですと?」
貴族の野次馬たちが一斉にどよめいた。
ジークフリート・クロウフォーガン――その名を知らぬ者はこの国にはいない。
若い頃は冒険者として、騎士として、そして一線を退いてからは軍師としてその名をこの国の歴史に刻み込んだ稀代の戦巧者。兵を与えれば無敗。軍を預ければ常勝。その知略は無尽。
軍人ならば誰もが憧れるような栄光を手にしながら、準男爵という爵位と辺境の一領主という地位に甘んじた英雄卿。
その貴種を受け継いでいるにしては、眼の前の若造はあまりに貧弱に見えたのかもしれない。
「……ほう? あの軍師殿のですかな? 息子がおられたとは聞いていなかった」
「田舎貴族にはいろいろあるのだよ。軍務卿」
堂々たる体躯をした厳格そうな壮年の男が、鋭い眼光でハルトを値踏みした。
同じ長身でもレオンハルトを剣とするなら、堅牢な盾のような印象を与える。
いかにも将軍という言葉が似合う男だ。どうやら彼がこの国の防衛大臣、軍務卿ロンデンベルク伯爵らしい。
ハルトは控えめに自己紹介しておくことにした。
「ハルト……いえ、ナイトハルト・クロウフォーガンです。
非才の身ではございますが、皆様に迷惑をかけぬようできるかぎり精進いたします」
以後、お見知りおき……などしてもらう必要はない。
顔などは憶えてもらわずとも結構だ。どうせ田舎に引っ込むのだから。
「家の事情で今更ながら、騎士の修行を始めることになったのでな。
馬の世話から学ばせておるそうだ」
軍務卿は嫁の仕事ぶりをチェックする姑のごとく飼葉桶の中を覗き込み、中の餌を確認する。
「馬房の掃除、馬装の手入れ、馬の仕上がり……
なるほど、厩仕事だけは完璧だ。たしかに、努力はしているようだな?
当家の馬の世話もしてみるかね?」
背後から、かぐやがハルトの袖を引く。
試されているぞ、という合図だ。
この手の受け答えも何度も反復練習させられた。ハルトはその回答の一つを選び、返すことにした。
「軍令とあらば、よろこんで拝命いたします。軍務卿閣下。
ただし、私的なお指図とあらばお断りいたします。
正当な給与で下男を雇い、お命じください」
意訳すれば、あんたは私的な目的で陛下の直臣を扱き使うのか? と問い返していることになる。
臣下の臣下は臣下ではない。
身分の上下はあるものの、上の命令に絶対服従が正解ではないというところが封建社会の面倒なところだ。
「若造が! 閣下に対して何たる口の聞き方か!」
「よい」
軍務卿が相好を崩す。
上に忖度して怒ってみせる者と、それを寛大に許すトップ。
派閥内での役割分担がしっかりしている。
予めかぐやが教えてくれなければ、ハルトも軍務卿の器の大きさに尊敬の念をいだいたかもしれない。
辺境伯は我関せずと、スズカの鼻をなでている。
乗り手に対しては非常に注文の多い馬だが、ファンサービスはちゃんと心得ている賢い馬だ。
「なるほど、サラブレッドか………速いとは聞いていたがそれほどとはなぁ」
「ほう? 知っておられるのか? 辺境伯殿」
「何年か前、クロウフォーガン卿に乗せてもらったことがある。
とにかく俊敏だが扱いの難しいやつでな。我先にと突っ走っていくから儂にはあわんかった。
そのかわりバンバとかいう馬を何頭か貰うた。これが力が強うてよう働く。
まぁ、騎士が乗るにはちと鈍重だがな……」
どうやら、ばん馬はすでに輸入されていたらしい。
十勝ばんえい競馬で活躍できなかった馬も、食肉にするため屠畜場へ送られている。
手放した競走馬の行方については馬主は何も語らない。秘密裏にこちらに連れてくるにはうってつけなのだ。
北海道の開拓で確かな実績のある馬たちの子孫であり、800キロの荷橇をも牽引するばん馬は、いわば農耕馬のスーパーエリートだ。
未踏の原野が広がるリュヴァイツ辺境伯領では、引く手数多だったに違いない。
「しかし、貴様も自分の愛馬を気前よくくれてやったものだな?」
「それは成り行きでしかたなく……」
公爵家に名馬を献上したのが眼の前の若造だったと知って、貴族たちは驚愕する。
「……こ、この馬はクロウフォーガン家の持ち馬だったのですか?」
「クロウフォーガン卿は大陸間交易で珍しいものを集めておられるからのう。
独自の人脈もお持ちだ。今度は馬で一儲けしようとしておられるのか?」
「それはわかりません。父の意図は測りかねます」
貴族たちがざわついた。
ディングランツ公爵姫の背後に、かの大軍師がいる。
金にも権力にもまったく興味を示さない人物であるがゆえに、その策略はほとんど読めない。
しかし、だとすれば、先程のレースの活躍もうなずける。
かの知恵者であれば、すでに十手二十手先を読み、さらなる仕掛けを施しているのかもしれない。
「………ということは、いるのかね? これほどの名馬が他にも」
「ああ、そうですね……いた……かも?
ただ、名馬というのはどうでしょう?
そちらの閣下がおっしゃる通り、たしかに暴れ馬なので……
荷物を運ばせるなら驢馬の方がマシでしょう。
怪我もしやすく、手もかかります。よほど技術の高い人でない限りおすすめはしません」
ハルトはさりげなくサラブレッドを戦争に徴用する愚を指摘する。
しかし、自分の技術と蛮勇を証明したいという願望は騎士ならば誰にでもある。創作かもしれないが、こと勇者と呼ばれる偉人には、誰にも乗りこなせなかった荒馬を乗りこなしたという逸話や伝説が付きまとう。
「軍馬としての名馬もいれば、農耕馬、荷駄馬としての名馬もおるということだ。
姿そのものが芸術品のように美しい馬もおるだろう。
馬は仕事を選べん。成果を出せるかどうかは使う人間次第だ。
彼らに適した仕事を与えねば国は豊かにならず、戦にも勝てん。
さしずめこいつは見目麗しいがとにかく気位が高く、金のかかる高嶺の花といったところかの」
「さすがは辺境伯殿。言い得て妙ですな。
しかし、ならばこそ。ぜひ一生に一度、その手を取って踊っていただきたいと思うのが男の性でございましょうな。
少々手ひどくフラれたとしても、男の勲章というものでございます」
笑い声が湧き上がる。
さすがは貴族。物事の捉え方がエレガントだとハルトは感心した。
「なるほど、それならばたしかに戦士や農夫と比べること自体が間違っているでしょうな」
「人は馬を使うことで文明を謳歌してきた。馬は勇者を鼓舞し、荷を運び、軍に速さを与え、田畑を耕す。
これほどの馬を手懐けるのは男の生き甲斐というものだ。
他には何頭ほどお持ちなのかな? 是非一頭、譲っていただきたいのだが……」
「うーん、どうでしょう。
父も知り合いから譲っていただいたそうですので」
連れてくることはできるだろう。
毎年日本では七千頭のサラブレッドが生産されるが、競走馬になれるのは約三千頭といわている。
競りで値が付かなかった仔馬はその道のブローカーに二束三文で買われ、ペットフードに加工される。
調教に耐えられなかったり、能力検査に受からなかった馬も同じだ。
去勢され乗馬クラブに払い下げられることもあるが、いつかは年老いて引退するし、そもそも乗馬人口が少ない日本では、それほど多くの馬を養えるほどの需要はない。
過酷な淘汰をくぐり抜け種牡馬になっても産駒が結果をだせなければ、同じ道をたどる。
功労馬として天寿を全うできる馬など、ほんの一握りしかいない。
JRAは馬の飼育法は教えてくれても、この問題の解決方法は決して教えてはくれない。
ホースマンなどと言っても所詮は馬喰。畜産業の一つなのだ。みな共犯者であり贖罪することもできない。
しかし、一つの解決策がここに在るのかもしれない。
一勝もできなかった競走馬を連れてきても、この世界の貴族たちはサラブレッドだというだけで生涯大切にしてくれるだろう。
(いや、だめか。
それですら偽善……救える馬はせいぜい数十頭だ)
そもそも良かれと思って始めた慈善事業が、最善の結果をもたらすことは滅多にない。
救う者が現れれば、たぶんそれを良いことに遠慮なく捨てる馬主や生産者も増える。
そして、サラブレッドに希少価値がなくなれば、こちらの人々も日本人同様、経済動物として扱うようになるのだろう。
必然のいたちごっこだ。
救えるかもしれない命を救わないと決断してしまった時点で、このときハルトも馬喰の世界に片足を突っ込んでしまったのかもしれない。
「父に相談してみます。
父の知り合いと交渉次第になりますので、私の一存ではいかんとも」
「そのお知り合いとは?
もしや、噂のサンディ・サイレンス卿なる人物か?」
(人物じゃないんだけどな、人物じゃ……)
貴族たちはことの真偽を見極めるべく、ハルトの一挙手一投足を観察している。
「ええ、まぁ……
私には面識はありませんが」
馬主になるくらい競馬好きな常芳なら、北海道のスタリオンステーションまでごほんにんに会いに行ったりもしたかもしれない。
「でも、サイレンス卿の方は会いに来た人間の顔なんて一々憶えちゃいないかもしれませんね。
あははは……」
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「スズカは活躍しているようですわね」
三戦目を終えた後の事である。
悍馬を買うことに当初難色を示していたディングランツ家の侍女長イレーネも、主家の名声が高まると鮮やかなほどに手のひらを返してきた。
「スズカをレースに出すのは今季限りにしてください。
怪我が心配ですし、対抗できる馬もいませんので」
「たしかに、それが良うございますね。勝ちがすぎれば顰蹙も買うでしょうし……」
反対されるかと思いきや、イレーネはすんなりと同意した。
もちろんそれには公爵家の戦略があった。
「レースの成績にティータ様が満足なさったら、卿のおっしゃる通り乗馬用として調教をやり直すつもりですが……
実は頃合いを見て、種馬にしてほしいという意見も上がっております」
種牡馬生活。日本では結果を出した馬だけが進めるキャリアだ。
競走馬のうち、肌馬になれるのは牝馬の3割弱、種馬になれるのは牡馬の1%にも満たない。
「すでに、スズカの仔がほしいといの要望を、多くの方々から頂いております。
大人しくて耐久性のある牝とかけ合わせれば、ちょうどいい馬になるかと……
ティータ様には他の常用馬にお乗りいただきながら、仔馬の成長を楽しんでいただこうかと考えております」
ハルトには、ブリーディングというものがそう簡単に行くとは思えない。
昨今の競走馬の繁殖は、緻密な血統理論に基づいてなされている。
速く走るためだけに特化したサラブレッドを他の品種と掛け合わせても、中途半端な交雑種が生まれるだけではないだろうか?
「………まぁ、専門家の助言の下でならいいと思います。
私が口を挟むことではありませんし」
レオンハルトが遠い目をしていった。
「………というと、最低でも3年か。気の長い話だな……」
「いいや、気が早いよ……
なんでその仔馬に自分が乗ることが前提なんだよ?」
「恩賞は、手柄を立てる前に予め主君にお願いしておくものだ。
論功行賞で揉めることもないし、いらないものを貰ってがっかりするのも失礼だからな」
これはレオンハルトが正しかった。
物流が未発達な経済圏では、金があれば何でも手に入るわけではない。
何がほしいかを具体的に言ってくれた方が、上に立つ側も封建社会の基本である御恩と奉公の関係を構築しやすい。
「検討しておきましょう。
それで、クロウフォーガン卿にご相談なのですが……」
改まってイレーネが問う。
「サラブレッドをもう何頭か譲っていただくことは可能でしょうか?」
一頭二頭と言わず、何十頭と仕入れてくることは可能だ。
馬の処分に困っている馬主はたくさんいる。
業界に話を通せば、捨てられる命を僅かだが救うことができるかもしれない。
しかし、ハルトの答えはもう決まっている。
「転売なさるおつもりでしたら、お断りいたします。
理由はティータ様にもお伝えした通りです」
「転売目的ではありません。もちろん公爵家の利益のためではありますが……」
「といいますと?」
「この国における馬術競技の花形は、全身甲冑の騎士二人が真っ向からぶつかり合う馬上槍試合。騎士たちは己の技量と、家の財力の両方を示すことができます。
しかし、試合は一瞬。競走馬が最後の直線に入ってきたときのあの熱狂には遠く及びませんわ」
競馬は民衆を熱狂させるスポーツだ。
それに目をつけたイレーネは、近代競馬を本格的に興行するつもりなのだ。
そのためには、複数のサラブレッドが要る。スズカと互角に戦える馬がいないと賭けが成立しない。
観客にとって常勝の競走馬は、祈り崇められる存在――つまり、神だ。
レースを続けるほどオッズは1に近づいていくが、その神を打ち負かす悪魔の登場に期待するのもまた一興。
公爵家の財政を預かるイレーネにとって、人々を熱狂させてくれるなら、神だろうと悪魔だろうと構わない。
主君の安全を守り、利益を最大化しなければならない補佐役としては有能な証でもあるのだが……
「うちの指南役も準決勝で負けましたし……」
ぐぬぬと唸るレオンハルトにハルトも追い打ちをかけた。
本来ならば、主君の旗を掲げるのはクリスティンではなく、家臣であるレオンハルトの役目だった。
事実その期待に答える十分な実力が彼にはあったはずだ。しかし、今月の定例大会で馬上槍試合の優勝候補と目されていたレオンハルト・ヴァルトブルクは準決勝であえなく敗退する。
「あきらかにスタミナ不足だったな。
クリスティンに張り合って無茶な減量するからだ」
レオンハルトも襲歩競走の騎手として立候補したが、彼の身長は180センチ台後半。体重はライトヘビー級。偉丈夫と言っても過言ではない体躯だ。
レースの騎手としては重すぎるというハルトの進言を受けて、イレーネも却下していた。
しかし、その屈辱を晴らすために力石ばりの減量生活を敢行するとは、さすがの才媛の眼をもってしても見抜けなかったのである。
「け、けど……僕がスズカに、一番うまく乗れるんだ!!」
「断食したぐらいで、その図体が子供より軽くなるわけ無いだろ。
そもそも、騎士の本分は一騎打ち。早駆けは騎兵の仕事じゃないか」
「馬上槍試合なんて戦争の形態が変われば、きっと衰退する競技だ!
槍を構えて突撃なんて、見通しのいい場所でしか使えない戦術だろうが!
より速い伝令は戦局そのものを左右する!」
たしかに重騎兵はいずれ衰退する兵科だ。しかし、今それを言っても負け惜しみにしか聞こえない。
「主君を失望させるってのは、騎士が一番やったらいけないことなんじゃないかな?」
「今の卿に、スズカの仔を任せるには不安が残りますわね」
落ち込んで壁の隅で小さくなっていくレオンハルトを尻目に、イレーネとハルトはビジネスの話を再開した。
「……それで、可能でしょうか?」
「もちろん、お譲りすることはできますが、スズカと同様のお値段でというわけにはいきません」
「当然でしょう。いまサラブレッドにはそれだけの価値があります」
「いえ、そうではなくてですね……」
ハルトは空中にジェスチャーで地図を書いた。
「クロウフォーガン領からはるばるここまで連れてこなければいけないわけですよ?
あの荒馬を扱える人を派遣し、給与を支払い、旅費を支給し、状況によっては護衛も……となると、それなりの経費もかかるでしょう?」
やはり問題は輸送コストなのだ。転移魔術という裏技はあるのだが、あまりに非常識な手段を使えばクロウフォーガン家はこの国にいられなくなるだろう。
この世界の一般的な魔術は火を起こしたり、室温を管理したり、水を浄化したり、土から建材を作り出したりする程度だ。
そのおかげで木材加工や冶金技術は高く、この国の人々は中近世ヨーロッパなどよりもはるかに安全で豊かな暮らしを享受できているのだが、輸送技術はあまり発達していない。
その理由はかつての日本人の移動手段が江戸時代まで籠であったのと同じだった。
生産能力が高く、衣食住を一つの都市圏でまかなえるのであれば、高いコストを支払って遠方から物資を取り寄せる必要がないのだ。
ヨーロッパ諸国では、作物の収穫が難しかったため畜産が盛んになり、肉の腐敗臭を消す香辛料が必要だったため造船技術や航海技術の発展し、それが大航海時代をもたらした。もし肉を冷蔵する技術があれば香辛料にも需要が生まれず、海洋国家は生まれなかったということになる。
「私も商人ではないので、いくらになるか試算はできません。
ただ、クロウフォーガン家で責任を負える額を超えるのは確かでしょう」
田舎貴族風情に、その費用を建て替えてあげることはできない。
出資者を募り、リスクを分散するしかないのだ。
「…………なるほど、たしかに仰る通りです。失念しておりました」
「その問題さえ解決していただけるのなら、スズカと同じ条件でお譲りしてもいい」
「よろしいのですか?
貴家にとって、よいお話になると思いますが……」
「まぁ、なるでしょうが……
お金というものは田舎にあったってしかたないんですよ。
買うものがありませんしね」
「心より感謝いたします」
イレーネの言葉には若干の失望が込められていた。
仕事のできる人間ならそれを試算し、十分な利益を上乗せして提示する。
利益に興味がないという人間は、ビジネスパートナーとしてはあまり頼りにはならないのだ。
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その日、エフテンマーグ騎士学院では、生徒会主催で晩餐会が開催されていた。
騎士学院の生徒会は単なる学生のおままごとではないし、ティータ・ディングランツとその侍女イレーネが会合に参加するのも、決して遊びではない。
学院生徒会とは、この国の未来の国政を担う有力貴族の若者たちが、議会政治や外交儀礼を学ぶための演習場でもある。
余談だが、フランスの悪婦破家として有名なマリー・アントワネットは、五カ国語を操ったインテリでもあった。
社交界とは、支配者階級が結束を結ぶ場所であり、魔光のシャンデリアの下で繰り広げられる紳士淑女の戦いの場。タダ飯を食べる場所と考えてしまう者は生き残れない鉄火場だと皆心得ているのだ。
みな年若いとはいえ、選挙で初当選した日本の一年生議員のように浮ついた連中など一人もいない。「使えない」と判断された者は、貴族社会から容赦なく斬り捨てられる。
貴族とは、自ら治める領地の営業マンであり、輸入品の調達担当官である。
ときに清濁併せ呑む政治屋、優れた商人、悪辣な弁士、強かな娼婦であらねばならない。そして、勇敢な冒険者としての資質が求められることもあるだろう。
すくなくとも彼らの先祖は、紛れもない勇者であったのだから……
「もちろん我々は遺跡へと足を踏み入れました。
万が一凶暴な魔物が棲んでいれば、ただちに冒険者組合に報告し、策を練らなければなりません」
少々気障な話し方をする青年はまだ二十代の半ばであろうが、一時期『冒険者』をやっていたらしい。
この世界で冒険者と呼ばれる者の多くは、農村に現れた魔物の駆除、隊商の用心棒、貴重な動植物を採取など、戦争以外の危険な仕事を請け負う便利屋にすぎない。しかし、中には英雄的な成果を上げた者や、未知を探求し、人類に新たな発見を齎した偉人も確かに存在する。
貴族の中にも、そんな『英雄』に憧れる者は少なくない。
腕一本で成り上がり、貴族の列に並んだ者んだ者に対する憧れは、名誉を重んずるよう教育されてきた貴族の若者たちにこそ顕著だとも言えるだろう。
しかし、理想と現実の間には大きな壁が立ちはだかるのは、世の常だ。
大家であればこそ、大切な世継ぎに危険な道を歩ませるわけにもいかない。
だからこそこの手の冒険話は社交界では引く手数多なのだ。
「荘厳な石像でございましたが、我々が見つけた遺跡は古代のものだったようです。
調査の結果、大帝国と生存競争をしていたとある王国の遺跡だったということがわかりました。
学術的な価値はあったかもしれませんが……期待していた神代のものではございませんでした」
「神代――とは?」
「このティアマルト大陸各地に文明が生まれ、大帝国によって大陸が統一されるまでが、古代。
大帝国が分裂し、各地に小国が勃興し、割拠したのが中世。
『聖女』の降臨によって、戦乱の世の中に秩序が生まれてからが近世。
『大賢師』によって魔導の技がもたらされ、人々の生活を向上させたのが現代です。
神代は、古代のさらに太古の昔。人類が神に等しい技を持っていた時代のこと……
人類の文明はその時代に一度滅んでおります」
「そんな高度な文明がどうして滅んだのですか?」
「有史以前のことであるからして、わかっておりません。
ゆえに神代。神話の時代です。
なんでも、呪文一つで都市を焼き尽くす大魔術が存在したそうです」
「まぁ、怖い!」
「他にも、遠くの町や村に一瞬で移動する術や、死者を蘇らせる術など……
真偽は定かではありませんが、そんな曰く付き時代に封印された物騒な代物が見つかることがあるのですよ」
「それで、その遺跡の中には何があったのですか? 金銀財宝でも?」
「ところか、勇んで暗闇の中を進んだ我々が発見したのは、錆びついたシャベルやツルハシ……
そして、壁には“一足遅かったな”という大陸公用語のメッセージ」
若者は肩をすくめる。
「つまり、もう盗掘者によって荒らされた後でございまして……」
「ハッハッハッハッ! それは良い経験をしたものだな!」
「まったくです。
道なき道を10日も歩き続け、魔物の返り血に塗れたのに……
冒険者になんてなるものじゃございませんな」
貴族の青年は若気の至りだと苦笑いした。
一般的な貴族たちにとって、腕自慢、冒険自慢などは社交界での酒の肴ぐらいにしかならないが、話の上手い彼の周りには紳士淑女の輪ができている。それこそが彼が冒険で得た財産だと言えるだろう。その経験があるからこそ貴族の中では比較的身分が低くても、爵位持ちの貴族たちのご相伴にあずかれるのだ。
自衛隊経験のあるYoutuberの方が、成績優秀でも平凡な経験しかしてこなかった会社員より稼ぎがよいのと似たようなものかもしれない。
「冒険者というものは、家業を継げない平民がなるものだ。
もちろん中には称賛に値するだけの成果をあげる者もいるだろうが、数万人に一人。
誰もが英雄になれるわけではないということさ」
「違いないでしょう。
たとえ努力を怠らなかったとしても、運に恵まれるとは限らない。
蜘蛛の糸よりも細い道、針の穴よりも狭い門です」
貴族は決して選民思想の権化ではない。冒険し、結果を出した者ならば、いつでも出自を問わず自分たちが所属する支配者の倶楽部に招き入れる用意はある。
しかし、彼ら自身は、冒険という熱病に浮かれてしまう時期は卒業しているのだ。
夢を追うよりも、貴族として家臣や領民を守らなければならない。故に身分という砦が必要になる。
そもそも冒険者として成功するような才があれば、他にいくらでも使い道はある。有能な人材を魔物の餌になどできるものか。
それができる貴族は、おそらく狂っている。
「英雄と言えば、あのクロウフォーガン卿のご子息が貴族科に入学したという噂を聞きましたわ」
「ほう? それは知らなんだ」
「けど、こういった社交の場にはまったく出てきませんの」
「なら、何のために入学したんだ?
貴族科の意義は、他家との誼を深め、人脈を育むためだろう?
社交界に出てこなければ意味がないではないか」
「その世継ぎ殿は、リュヴァイツ辺境伯様が後見されているのですが……
それがどうも、ディングランツ公爵家に肩入れをしているらしいのです」
「ディングランツ!? あの放蕩公爵のか?」
「………卿、声が大きいぞ? 仮にも相手は王族だ」
「これは失敬。聞かなかったことにしておいてくれ」
王城に讒言するものがいないとも限らない。口は災いの元だ。
一同は改めて会話の輪を小さくする。
「じつはとある貴族が、ディングランツ家に助け舟をだしたらしい。
その仲介をしたのがクロウフォーガン卿だという話だ」
「とある貴族?」
こうやってワインを片手に情報交換をするのも大切な役目だ。
一人一人と話をするだけでその貴族の個性がわかる。情報に聡い者、疎い者、それを高い値で買う者、偽りの情報を流す者、惑わされやすい者。そして、能力がある者。
クロウフォーガン準男爵はこの王国で一二を争うほどの油断ならない人物である。
ディングランツ公爵家に近づいたのも自分の利益のためだと考えるのが妥当だろう。
「いま襲歩競走がにわかに活気づいているだろう?
卿は、サンディ・サイレンスという貴族について聞いたことはないか?」
「静寂卿ですわね? 今、噂の……」
「有名なのですか?」
「謎多き人物です。
馬をこよなく愛し、数々の名馬を輩出した男性だと聞いております。
他にも噂は流れておりますわよ。たとえば……」
曰く、幼い頃は病弱であり、幾多の災難が降りかかり呪い子とまで恐れられたこともあったが、苦難を乗り越え大成した大物である。
裸一貫で海を渡り、言葉も通じぬ異国の地にたった数年で「王朝」とも呼ぶべき確固たる地位を築き上げた。
一年で庶民の生涯年収の百倍を稼ぐ大富豪である。
男ですら惚れさせてしまうほどの美貌と鍛え抜かれた肉体の持ち主であるが、その気性は野獣のごとく荒々しい。
精力絶倫で数多くの女を孕ませており、なおかつ馬並みの逸物の持ち主である。
ただし、金銭にまったく興味がない。稼いだお金は全部自分の世話人たちのために使ってしまうので、彼に不満を持つ人間はいない。
その子種を求めて、彼のもとに通い続ける名門の女たちも後を絶たない。
さらに、徹底した菜食主義者である。
「とか……」
荒唐無稽も甚だしい与太話だ。
しかし、その全てが紛れもない真実であることを知る人間は、この王都で一人しかいない。
「そんな人間がいるわけ無いだろう。
大方それらは真実を隠すための欺瞞情報じゃないか?」
「まぁ、誰かを陥れるための嘘ではないでしょうし、噂など勝手に尾ひれがついていくものですからね。
でも、あえて自分の悪名まで喧伝しているところを見ると、かなりの知恵者ではないでしょうか?
いまその人物が中心となって、王都で開こうとしている馬術大会は、馬上槍試合ではなく襲歩競走を目玉にしようとしているらしいですわ。
あのサラブレッドというとてつもなく速い馬を何頭か放出するつもりだとか……」
「そりゃまたどうして?」
「少し考えればわかるだろう? あの策士クロウフォーガン卿も一枚かんでいるんだぞ?」
貴族たちは自ずと思考を巡らせる。
馬自慢の貴族が、持ち馬の速さを競う催しは今まで何度も行われてきた。
しかし、今や馬主たちだけが名誉をかけるだけではなく、庶民たちの間でも賭博として営業されるようになっている。
「襲歩競走が他の馬術競技と異なるのは、学の乏しい平民の目にも勝敗が明らかであるという点だ。馬上槍試合などは、相手の面子を慮り、勝負を譲ることもある。
社交辞令としては正しいが、金のかかった勝負でそれをやれば八百長だ。
客は離れ、胴元は儲からなくなる。しかし、動物はそんなことは考えなしに走るだけだからな」
「なるほど、公正な賭博が運営しやすいってことか」
「手持ちの駿馬を放出しても、莫大な賞金を出しても、レースの胴元はそれなりに儲かる。
馬一頭を金の卵を生む鶏に変えてしまうのが、あの方の策士たる所以なのだろう。
しかし、それ故に、そのクロウフォーガン家の世継ぎ殿は傀儡と呼ばれても仕方がないが……」
「まぁ、言っては悪いが実際、傀儡だろう。
あの英雄卿が嫁を取られたという話は聞いたことがない。
つまりは、養子か、妾に産ませた庶子だということだ」
「それを公爵家の懐に潜り込ませたというのか。思い切った手を打ってきたものだな……」
「しかし、こうして効果を上げている。
その世継ぎ殿だって、分をわきまえ、大人たちの指示通り動いているのなら何も問題はないさ。
一番困るのは、余計な仕事を増やす無能な働き者だ」
「そうだな………お? 噂をすれば……」
噂の小公女ティータ・ディングランツが、伯爵公子クリスティン・ベイオルフのエスコートでサロンに入ってきた。それだけで会場が華やかになるのは彼女が曲がりなりにも王族たるゆえんだろう。
彼女の魅力は生まれ持ったその見目麗しい外見だけではない。
庶民にも、その立ち振る舞いに気品があることぐらいはわかる。
貴族ならば、その一切の淀みのない所作が相当な修練の結実であることを知る。
落ちぶれたとは言え、やはり公爵家の姫君だ。
「これは、ティータ様。ご機嫌麗しゅう」
公爵自身の放蕩ぶりは悪名高いが、その公女ティータは淑女としての慎ましさと、見目麗しさを兼ね備えている。
我先にと話しかけて来る者、人脈を伝手に彼女との知己を得ようとする者が多いということは、今、まさにディングランツ家が王族としての輝きを取り戻しつつあることを意味する。
「レースを拝見しましたわ!
素晴らしい名馬をお手になさいましたのね?」
「スズカは速さもさることながら、走る姿がまことに美しい!
まさに走る芸術! 魅了された者は少なくございません」
互いに利益のあるビジネスなら、なんとしても誼を通じたい。
しばらく疎遠にしていたことなど、何を恥じ入ることなどあろうか?
貴族の手のひらは、美しく翻すためにあるのだ。
「ありがとうございます。皆様」
ティータもまた今までの評判など気にしてはいられない。
お金も名声も稼げるときに稼いでおかねばならないことを理解していた。
また、若い男女に愛想を振りまくティータから常に目の届く位置では、イレーネが年配の貴族たちと商談を始めていた。
「私の主君も、是非、あのような名馬が欲しいと申しております。
サラブレッドが手に入りましたら、当家にもなんとか一頭、融通していただけませぬでしょうか?」
「あれだけの名馬を育てるには、まずは馬よりもまず人材から育成しなければならないでしょう。
餌や調教法も見直さねばなりません」
「ほう、調教法ですか?」
イレーネほどの才媛であれば聞きかじりの知識でプレゼンをこなすことなど造作もない。
「馬は大きな体をあの四本の細い足で支えております。
よって、筋が断裂したり、骨にひびが入ることもしばしばございます。
速く走る馬ほど地面を蹴る力が強いため、その危険は高いと言えましょう。
小さな怪我に気付かず訓練を続けると、馬は二度と走れなくなります」
「その怪我を察知することも重要ということですな」
「はい。
しかし、痛めたからといって、まったく運動をしなければ、筋力も心肺機能も衰えてしまいますので、足に負担をかけない訓練に切り替える必要があるのです。
たとえば、水泳でございますね」
「水泳? 馬を泳がせるのですか?」
馬が泳ぐことは古くから知られているが、馬のプール調教が始まったのは二十世紀半ばだ。
そもそも軍馬以外で馬を鍛えるという発想がない。
「もちろん、私ごときが偉そうなことを申し上げるつもりはございません。
私も、さる方に助言をいただいて知ったふうな口をきいただけでございますので」
「もしや、噂の『静寂卿』ですかな?」
イレーネは輪の中にだけ話が聞こえるような声でささやく。
「実はその方から、サラブレッドを何頭か譲ってもよいというお話をいただいておりまして……」
「そ、それは真ですか!」
「おいくらでお譲りいただけるのですか?」
たちまち貴族たちが食いついた。
今、ここでサラブレッドを金貨に変えてしまうことは容易い。
しかし、簡単に商売を終えてしまえば、そこで縁が切れてしまう。それではあまりにも勿体ない。
貴族の商売とは、一過性の金の奪い合いではない。利権を作り合い、譲り合うことだ。
そして大きなパイを焼ける貴族は末永く重宝される。
「お金だけでは不十分でしょう。
相応の環境を整えなければ、たとえ同じ馬を手に入れても同じようには走らないかと存じます。
馬を愛し、馬術競技に誇りを持っておられる方ではないとお譲りできないと伺っております」
「これは手厳しい」
「とんでもない。
これは我が国の国益にもつながることでございます。
国を挙げて優れた血統を管理し、名馬を鍛え上げる技術を確立すれば、ゆくゆくは他国との公益に役立つことになるかと……
これは一部の金持ちだけでは成し遂げることのできない大事業です。
どうか皆様にもご協力をお願いいたします」
「なるほど、なるほど」
「さすがはイレーネ殿、やり手と評判ですぞ?」
イレーネは手に入れた手札を最大限に利用するため、まずは風呂敷を目一杯に広げるのだった。
イレーネ
ディングランツ公爵家侍女長
ロンデンベルク伯爵
ヴァリスタニア王国軍務卿
「僕が◯◯に、一番うまく乗れるんだ!!」 出典:機動戦士ガンダム アムロ・レイ
サンディ・サイレンス卿
海を越え異郷の地へと渡り、その勢力図を塗り替えた伝説の男。
基本は全裸。ただし、紳士の嗜みとして覆面をすることはある。
馬並みの逸物が自慢の草食男子。名門メジロ家のマックイーン卿とは仲が良かったらしい。
高知のウララちゃん
113戦常敗。しかし、競走馬の世界で天寿を全うできる馬は間違いなく勝ち組。