第四話 ナイトを名乗れと言われたら
ハルト・クロウフォーガンはリュヴァイツ辺境伯の王都屋敷で二日を過ごした後、辺境伯の馬車に乗って都市の中心部に建てられた王城へと出発した。
道中は騎士が先導するというとんでもないVIP待遇。
ハルトは今更ながら、父も辺境伯もこの国ではかなりのお偉いさんなのだと再確認する。
常芳ことジークフリート・クロウフォーガンは若かりし頃は冒険者として、先代の国王に召し抱えられてからは騎士として、円熟に達してからは軍師として八面六臂の活躍をしていたらしい。
この国は厳格な身分社会であり、下剋上なんてそうそう許されることではない。
平民が一国一城の主にまで出世したというのは一種の英雄譚といえるだろう。
「この国の兵士の盾や鎧は、ジュラルミンという合金でできておる。
ジークフリート殿はジュラルミンを錬金術師たちに作らせ、兵士一人一人に装備させた。
そのおかげで合戦における兵の生存率は向上し、兵士たちには王の兵として矜持が生まれ、国王の求心力の強化にもつながったのだ」
ジュラルミンは地球では20世紀初頭に発明され、人類の文明を革命的に進歩させた合金である。
「でも、ジュラルミンはアルミニウムの合金ですから、それを生成するには莫大な……」
「このたわけ! それを自重せよというておるのだ!
ジュラルミンの製法は国内外の諸侯も商人も、喉から手が出るほどに欲しい軍事機密だぞ!
そうやってうっかりと口を滑らすでない!」
軍事以外にも、常芳は功績は大きい。僅かな国で秘術されてきた製紙技術を普及させ、治癒魔術に頼るしかなかった医療分野に細菌学や予防医学の知識を持ち込み、灌漑事業も手がけて食糧生産量を向上させ、多くの国民を飢餓から救った。
親の七光りとはいえ、そんな英雄の世継ぎが配下に加わるのはそれだけ価値があるというのだ。
しかしだからこそ、辺境伯も口やかましく忠告してきているのだとハルトも理解した。
代替わりした途端、栄華を極めた家が滅亡した例は日本史にも珍しくない。
「下手をすればコレだぞ!」
ベルナールが、首を掻き切るしぐさで脅す。
確かにありうる話だ。功績が大きく影響力があればこそ国益にならぬなら、狡兎死して良狗烹られかねない。
むしろ英雄の二代目は昼行燈ぐらいでちょうどいい。
決して、目立たぬように、慎重に。
ハルトが手本とすべきは、「太平に乾杯!」の一言で中華統一王朝の陰湿な権力闘争から旧臣たちの生命財産を守りぬいた知られざる名君の態度である。
「肝に銘じます」
諸侯専用の荘厳な城門をくぐると、ハルトたちは官吏に案内され、歴代の王様の肖像画がずらりと飾られた部屋で待たされた。
王城は、貴族たちにとっては社交の場でもある。国の中枢を担う元老級の貴族たちがいて、彼らに陳情にくる爵位の低い貴族たちがいる。彼らが互いに挨拶を交わし、情報を交換するために毎日サロンが開かれているのだとか。
「それから、この度の謁見は公式ではあるが、国事ではない。
立ち会うのは陛下の側近ばかりだ。この意味が分かるか?」
もちろん、理解できる。
皇居にお住いの至高の御方に、直接手紙を手渡したどこぞの馬鹿議員の轍は踏むなということだ。
民主国家でも袋叩きにされる暴挙を封建国家でやる勇気はハルトにはない。
「あくまで挨拶の場であり、政治的な主張をする場ではない。
重要なのは私が閣下と一緒に拝謁を賜るという事実だけ、ということですね」
「その通りだ。
陛下に対してはなるべく直言はしないこと。
もしなにか質問されたら、問われたことにだけ礼儀正しく、正直に答えるのがよい。
お互いに腹芸はしないように根回しはしておる」
ハルトにとっては、ありがたい限りである。
「わかりました」
家を代表して王様に会いに行くというのは、一国の使節として合衆国大統領に会いに行くようなものだ。
正直、ハルトは貴族扱いされることも偉い人に阿ることも好きではないのだが、さすがに醜態をさらせば、セドリックたちが可哀想だ。世話になっている以上、家を支えてくれる人たちまで蔑ろにはしたくない。
まぁ、大丈夫だろう。
ほんの少しの間、大河ドラマのような芝居をするだけでよいのだ。
「『術印』は授かっておるな?」
「はい」
少し前、ハルトはかぐやに術を施された。
魔法の杖らしきものを左手の甲に当てられ、全身に痛みが走った。
それから現れるようになったのがこの紋章だ。とある大賢者がもたらした術であり、魔力とやらを励起させると血族固有の紋章が浮かび上がるらしい。
それを証として封爵の相続権を認めるのが、この国の貴族の習わしであるそうだ。
(現代の技術でも偽造不可能。
つまり、貴族のIDカードってわけか………)
クロウフォーガン家の紋章はなまじデザインがオサレだから、他人に見せるのはちょっと恥ずかしい。というか、痛々しい。
まるでアニメのキャラクターシンボルをそのままタトゥーにしちゃうようなものだろう。
これが、一生モノだと思うと複雑だった。
(なるべく見せたくないなぁ……)
「陛下に謁見したのち、これを紋章長官に示し、そなたと父の間に血縁があることを証明すればよい。今日やるべきことはそれだけだ!
万一、他の貴族から声をかけられたら、我が家臣が対応する。
貴様は愛想だけにしておけ。
決して言質を与えることのないようにな」
リュヴァイツ辺境伯ベルナールはこの国でも上から数えて何番目かぐらいの地位の人なのに、懇切丁寧に教えてくれる。
常芳に対する恩もあるのだろうが、もともとハルトのような若造の面倒を見るのが好きな人らしい。
やがて順番が来て、儀典官の一人が呼びに来た。
重々しい扉をくぐり、謁見の間に通される。
天井にはシャンデリアが吊るされており、壁には紋章のようなものが描かれたタペストリー。真紅のカーペットの正面の玉座には、王冠をいただく女性がいた。
ハルトはその十歩手前で傅き、深く頭を下げる。
謁見の進行を司る儀典官が告げた。
「面を上げられよ」
一度目の下知で許可されたのは辺境伯だけであり、彼より身分の低いハルトはいまだ面を伏せたままだ。
「リュヴァイツ辺境伯! 久しいな」
威厳というより、威勢のある溌剌とした若い女の声がした。
「壮健そうでなによりじゃ」
「陛下におかれましても、ご機嫌麗しゅう存じます」
「今年のそちからの献上品、実に見事であった!
肉、野菜、果物、酒、磁器、反物……
リュヴァイツの産物はどれも天下の逸品じゃ!
国威に貢献すること著しいものがある。余は、侯爵位に陞することによって、その方の功に報いんと考えておるぞ」
もちろんお世辞である。
陞爵という恩賞をそうやすやすと与えていたら、とある王朝の末期のように生産者階級がいなくなってしまう。
「ありがたき幸せにございまするが、その恩賞は過分にございましょう。
臣は何もしておりません。領民たちが頑張ってくれました。
つまり、すべては陛下の治世の賜物でありますれば……」
分をわきまえた美辞麗句の応酬。こういったやり取りもすべて、台本通りなのだろう。
無邪気なやり取りに聞こえるが、一つ間違えば家臣たちの忖度によって予期せぬ方向に舵が取られ、大惨事となりかねない。
そんな危険な外交プロレスを国王相手に許されているのは、リュヴァイツ辺境伯ベルナールが王城の廷臣たちからも信頼されている証だった。
「陛下、ここにおりますのが……」
「うむ、解っておる。その方が、ジークフリートの息子だな?」
「はっ」
「面を上げよ」
ここでハルトはようやく女王に視線を向けることを許された。
金の刺繍が入った純白のドレスの上から赤いガウンを羽織った女が、権威の象徴たる王錫を握っていた。
髪を結い上げ、きりりと吊り上がった眉にさらに強さを感じさせるように化粧がなされている。急逝した先代の跡を継いで即位した女王ジークリンデ・シェルメルス・ヴェルセティウス。
若干十一歳の若さで登極した女王が、国民から絶大な人気があるのは、見目麗しいからだけではない。その聡明さと行動力に他人を動かすカリスマがあるからだ。
「ほぉ……
多少、優男ではあるが、面構えは悪くない」
褒められているのだろうか、ハルトは判断に困る。
その声色は辺境伯に対した時と比べて、少々機嫌が悪いようにも聞こえる。
しかし、ノーリアクションはさすがに失礼だろうから、儀礼的な挨拶を述べておくことにした。
とりあえず大河ドラマっぽいことを言っておけば大丈夫だろう。
「……私もご尊顔を拝し奉り、恐悦至極に存じます。陛下」
「ふん!
せっかく余が心配してなんども養子縁組の話を持ち掛けたのによくも袖にしてくれたのう。
まことに実子がおらなかったら、どうしてくれようかと思っていたところじゃ!!」
そんな恨み節聞かされても知らんがな……とは思っても声にも表情にも出さず、ハルトはポーカーフェースを決め込む。
とはいえ素人ではこれが限界であり、何を答えて良いのかわからない。
周囲からの助け舟を待つことにした。
「………まぁよい。名を何と申す?」
謁見前に念を押された通り、ハルトは問われたことだけに答える。
「ハルト……クロウフォーガンと申します、陛下」
「母の名は?」
想定外の質問だが、ハルトは辺境伯に言われた通り正直に答えることにした。
母親が平民だったら、家督相続が認められないということもあるのだろうか?
しかし、名前だけだ。素性を女王陛下が知る意味はない。
「シズカと申します」
「―――ッ!!」
一瞬だったが、女王の表情が変わった。
彼女はすぐに平静を装ったが、両目を見開き、王錫を握りる手に力が入ったように見えた。
「なるほど、確かに面影がある。今は、どこにおる?」
「………三ヶ月ほど前、病で世を去りました」
「そうか………残念だ」
生前、母はもしかしてここに来たことがあるのだろうか?
ご存じなのか聞いてみたかったが、こちらから質問する権利は与えられていない。
女王ジークリンデは天を仰ぎ、深く息を吐く。
「セドリックは元気か?」
「はい」
「剣の腕も健在か?」
「昔ほど体が動かないなどと申しておりましたが、すくなくとも私ごときに不覚を取るほど耄碌はしてはおりません」
「さもありなん」
しばらくの哄笑が響いた後、女王はやがておもむろに口を開いた。
「………ハルトだけでは絞まりがないな。ナイトハルトと改めるがよい!」
「え?」
「うむ。ナイトハルト・クロウフォーガン。良き名じゃ!」
あさっての方向を向いて、自画自賛する女王。
ハルトは戸惑うばかりだ。
「……え? あ、あの……」
「余も、子供が居てもおかしくない歳。名付け親ぐらいならばよかろう?」
「ははっ! ありがたき幸せにございます」
ハルトが混乱してる隙に辺境伯が勝手に承諾してしまった。
抗議する間もなく、側近が進行を促す。
「陛下、そろそろお時間でございます」
「………すまぬな辺境伯。
昔話に花を咲かせたいのはやまやまだが、分刻みで予定が詰まっておってな」
「なんの貴重なお時間を割いてくださり、感謝に堪えません。
お呼びいただければいつでも陛下の前にはせ参じます!」
「それもこれも、そやつの父が時計などというからくり道具を我が臣下たちに持たせたからじゃ!
父に言うておけ! 文句があるのなら今生に一度ぐらいは会いに来いとな!!」
なんとなく切実な恨み節を最後に、ハルトとベルナールは謁見の間から丁重に追い出された。
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「ナイトハルトねぇ……」
揺れる馬車の中で車窓から街並みを眺めながら、下賜されたばかりの仰々しい名前を呟く。
(某鉄壁提督じゃあるまいし。仰々しすぎだろう。
そもそも、ジャーマン系だったのかこの国……)
同級生が知ったら絶対笑うだろう。
ぶつぶつと日本語でごちっていたら、斜め前に座るベルナールに諭された。
「しかたなかろう。
優れた王であればあるほど、時間は自由にならぬものだ。
それより陛下から名前を頂くということは、世継ぎとして承認されたも同然だ。
名誉と考えるのだな」
「あ、はい」
どうやら、謁見の時間が短かったことが不満だったと誤解されたらしい。
「陛下との謁見は、無事に終わって感謝しております。
ただ、私の知らないところで粗相があったのではないかと……」
「心配することはない。
田舎から挨拶にやってきた直臣に不愉快になる君主はおらん」
王城の承認を経て、家督相続が許されたことは喜ばしい。ハルトが心変わりしないならば、家臣・領民にとっては雇用形態や税制が現状維持されるという極めて良いニュースである。
石畳の上を、車軸をきしませながら馬車が進む。
目抜き通りには高層住宅が立ち並んでいた。表通りに面した一階は商店で、二階から上は住居だ。
道行く人々のファッションは、リュヴァイツ辺境伯領より洗練されている。
釣鐘のような形に膨らんだスカートに日傘をさして優雅にあるくご婦人や羽根付き帽子の紳士は産業革命期のヨーロッパに近いかもしれないのだが……
「どうだ? 王都はすごいだろう?」
「ええ。でも……」
王都人口はおよそ30万。この世界では大都市らしいが、地球最大の大都市圏を見たことがあれば「凄い」と思えるほどの規模ではない。
ハルトにとってこの王都は、せいぜい『古き良きヨーロッパの古都』なのだ。
むしろ、ここより規模は小さく、雑然たるものの、リュヴァイツの城下町の方が衝撃的だったかもしれない。
皮鎧を纏って街を練り歩く冒険者に、ドワーフの職人。エルフの狩人。ネズミの学士に、リザードマンの漁師。アヒルの露天商人。ワーウルフのお巡りさん。あの町は、まさしく『異世界』だった。
だからこそ、かぐやが最初に見せてくれたのだろうが……
「この町には、亜人や獣人はいないのですか?」
「まぁ、郊外には住んでおるのだがな……」
辺境伯は、街並みを眺めながら少し寂しそうに言った。
「我がリュヴァイツでは、住みたい者、店を出したい者に人種を問うてはおらぬ。
法を守るのであれば、誰であろうと我が領民だ。
しかし、それは辺境の町だからできることなのだ。
亜人たちの貢献は陛下も理解を示しておいでだが、政治の中心であり、諸国からも人が訪れる王都ではそうもいかんよ」
この世界の貴族と呼ばれる人種はその身に魔力を宿す。
一般の平民には持ちえぬ強力な能力によって、社会に君臨する存在である。
この世界において、人間は比較的脆弱な種だ。
エルフは人間よりも長い寿命を持ち、ドワーフには人間よりもはるかに膂力がある。獣人たちには高い身体能力がある。
そんな大陸の戦国乱世の生存競争のなかで、人間が勝ち抜き、いくつもの国を築き上げたのは、自分たちの中から優越種を選出し、『王侯貴族』として奉戴したからに他ならない。
貴族には、魔力という遺伝的な優位性があるのだ。
実際、貴族たちには魔道の技で国を興し、蛮族たちから国を守ってきたという自負と実績がある。
そこに人種の平等などという思想が入り込む余地はない。
支配者として君臨している以上、国家の秩序のため、強者としての自覚がなければならない。
むしろ、亜人たちの奴隷を禁止しているだけ、あの女王ジークリンデの統治は開明的だといえるだろう。
「まぁ、亜人たちも卑下されるとわかっていて、わざわざ王都の中心街に入ろうとは思わんさ……
おかげで、リュヴァイツのような町が栄えておるというわけだ」
ヴェルセティア王国における伯爵以上の諸侯は、王家に対する軍役奉仕のために、王都への参勤の義務を負っている。
しかし、軍役と言っても、名目上のものだ。
彼らの戦いは、光り輝くシャンデリアの下で繰り広げられている。
それはとても生産的な戦いと言えるだろう。
諸侯貴族やその子弟が王都に滞在し、互いに見栄を張って派手に消費してくれれば、民の経済が回る。民が豊かになれば王城の財政が潤う。そして、王城は税を計画的に民衆に還元し、国を豊かにするのだ。
この国における貴族たちは単なる搾取階級ではなく、良き消費者であり、良き納税者だった。
「………さて、あとは初陣じゃな」
それは避けては通れないものだろうかとハルトは考えていた。
この世界の戦闘職は気だか魔力だかしらないが、不思議パワーで身体能力を強化している。現にセドリックなど齢六十間近にして超人の域にいる。
オリンピックに出れば二桁のメダルは確実なのだが、おそらく、この世界には、あれ以上の化け物が大勢いるのだろう。
素人がのこのこ戦場に出て行って、そんな人外が敵側にいたら即アウトである。
「おいおい、そう不安そうな顔をするな! 相手はたいていゴブリンどもだ!
兵の指揮は騎士に任せておればよいし、事務的な仕事も副官に助言をもらいながらやればよいのだ!」
「そんなのが初陣っていえるんですか?
指揮官が剣を構えて先陣に立たなければ兵はついてこないのでは?」
ベルナールは笑う。
「おぬし……何か勘違いしておるようだが、貴族の仕事は戦の手配と、戦後の論功行賞だぞ?
初陣における領主の役目など、ぶっちゃけ金を出すことだ!!
領主に先陣をとられては、将兵には功名の機会がないし、そもそもそんな必要がある時点で負け戦ではないか!」
たしかに、戦争とはまず勝利を見出してから進めるものだ。
列強国との苛酷な戦争を想像してしまう日本人がおかしいのかもしれない。
「領主が戦を怖がったり、金をケチったりすれば、民は不安になり領地の税収は悪化する。
よって領主は民の平和を守る意志を示さねばならない。
初陣とは要するに、平民たち向けのお披露目のようなものと思えばよいのだ」
どうやら貴族の初陣とは、政治家が作業服を着て被災地に赴くようなものらしい。
同時に貴族に金を出させることで、経済が回る。
なるほどよくできている。
「まったく、多少は知恵があるかとおもえば、常識がないのぉ……」
ハルトの無知を指摘できたのがよほど痛快だったのかベルナールは上機嫌だった。
たしかに知識がないより、常識がない方がはるかに恥ずかしい。
ハルトは素直に自分の非を認めることにした。
「不勉強でもうしわけございません。汗顔の至りです」
「……とはいえ最近はゴブリンもほとんどおらぬからの。如何したものか……」
「被害が出てないというのは良いことなのじゃないでしょうか?」
「そうなんだがな。
初陣を果たさねば家督相続は認められん。
まったく、どうせ名声を得るために金を出すのが目的だというのなら、橋でもつくって家の名前を付けておけば良いだろうに!
ゴブリンだって際限なくいるわけでもない!
貴族にも騎士にもそういう理屈が解らん奴が多すぎるのだ!」
野生のゴブリンも災難である。
どうやらこの世界の彼らはマサイ族の成人の儀式で狩られるライオンのようなものらしい。
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ヴァリスタニア王国における諸侯の王都参勤には、もともと人質としての意味があったが、現代ではそれは形骸化している。
この国は封建社会であるため、有事の際、王の号令のもと諸侯は領地の石高相応の兵を出さねばならない。
しかし、地方貴族というお山の大将的地位にいれば、何かと独りよがりになりがちだ。諸侯によって兵の練度や戦闘教義が異なり、近代的な戦術に対する理解もない諸侯がいれば、いかに大軍を集めても烏合の衆となる。
よって貴族の子弟は、王都の騎士養成学校に通い、最低限の教養と武芸を身に着け、同時に己の身の程も知らねばならない。
「見えてきましたよ!」
馬車の窓からクリスティンが指差す先には、要塞のような建造物が見える。王都郊外に立てられたエフテンマーグ騎士学院だ。
敷地内では、甲冑を身にまとった学生たちが、剣術や馬術の訓練に励んでいる。
別の一角では、的に向かって杖をかざし、火の玉を放つローブ姿の少年少女。
二宮金次郎のように本を読みながら歩く眼鏡の青年ともすれ違う。
「学院には騎士科、魔術士科、学士科、そして貴族科があります。
僕らが通うのは貴族科です」
行けばわかると言われて、ハルトは常芳からもかぐやからも何も聞いていない。
騎士科は武芸を鍛錬する騎士の養成コース。
魔術士科は魔術を習得する魔術士の養成コース。
学士科は文官の養成コースだということは想像できるが……
聞くは一時の恥であると考え、ハルトはクリスティンに訊ねた。
「他はわかるが、貴族科って何を学ぶところなんだ?」
「どの科目のどの授業も聴講することができますが、履修することはできません。
何年在籍したら卒業というルールもありません」
「どういうこと?」
「他の学科に通う方々は、家督継承権のない貴族の非嫡子や、平民から難関をくぐり抜けて入学した人たちです。
僕たちは世襲で爵位を賜ることはほぼ決まっていますので……」
「……ああ、つまり彼らを雇う側ってことか」
「そうです。
でも、ただ遊んでいればいいというわけではありませんよ?
人材の奪い合いは、個人の競争よりもずっと過酷で重要だと辺境伯さまもおっしゃっていました」
確かに責任重大だ。
剣術の試合に負けたって、失業するわけではない。
しかし、当主が有能な人材を獲得できなければ家が傾き、家臣たちは露頭に迷うかもしれない。
「あとは横の人脈作りです。
国中から諸侯や領主が集まっているのですから、在学中に縁談が進んだり、遠方の領主と仲良くなって交易ができるようになるかもしれません。
十分な人脈が作れたら、それぞれ勝手に卒業して、領地に帰るんです」
「なるほどな。
みんなにメリットがあるわけだ。
私が思ってたよりもずっと進んでる。こっちの世界にも賢い人がいるもんだね」
「………何を言ってるんですか?」
クリスティンが首を傾げる。
ハルトは「こっちの世界」などと異世界をほのめかすような言葉を使ってしまったことにハッと気づき、慌てて取り繕った。
「あ、いや……
王都に住む貴族たちの“華やかな世界”ってことね
私は、ほんの少し前まで一般庶民だったから……」
「いえ、そうでなくて……
この学院創設を最初に提唱されたのは、クロウフォーガン準男爵。
つまり、貴方のお父上です」
「へ?」
「ご存じなかったのですか?」
教えてくれなきゃご存知のわけがない。
「クロウフォーガン卿の功績を知らない人はこの国にはいません。
もしかして外国にいらしたんですか?」
異世界だとはさすがに伝えられない。
「………あ、ああ。まぁ……ね。たしかに外国ではあるかな
父と会ったのもつい最近だから。
私が増長しないように黙っていたのかな? たぶん……」
学院の維持費は、王城と諸侯、領主が供出している。
学生にもある程度学費を支払う必要があるが、成績優秀であれば学生のうちに貴族と主従契約が結ばれ、主君が学費を出すのだ。
人材を育成するには相応の金と技術が必要だが、育成ノウハウは国が、費用は人材を必要とする諸侯に出させることで学院は経営されている。
なにより、同じ釜の飯を食い、切磋琢磨した学友と本気で戦争しようとは思わなくなるだろう。
国内の内紛の抑止としては良い策だ。成功しているから尚更その凄さがわかる。
「クリスティンは今、何を勉強しているんだい?」
「剣術と、馬術と、中級魔術と、礼儀作法と、社交ダンスと、歴史学と、兵学と、詩作と、水泳と……」
一本一本指を降りながら数えているところを見ると、まだあるらしい。
要するに諸侯の世継ぎとして相応の英才教育を受けているということである。
「ハルトさんは?」
「私は、野山を走り、田畑を耕し、本を読んでいるだけだ。
父に引き取られてから、剣術や馬術を慌てて習いだしたんだがほとんど上達しない」
特に魔術の習得には、特殊な感覚が必要らしい。
ピアノの稽古と同じで、この一芸で食べていくためには幼少期から訓練する必要があるのだろう。
そういう現実を叩きつけられなければ、大学受験の準備をしておこうなどとは思わなかったかもしれない。
「別に上達する必要はないと思います。
競争するわけじゃありませんから。
けど、いろんな分野を経験していないと、人材の良し悪しがわからないでしょう?」
なるほど。
貴族は修学の目的そのものが違うのだ。
彼らの勉強は、経営者として収入を得ながら、組織をより豊かにするための勉強である。
しかし、だからこそ、家がなくなってしまえば生きていくのは大変だ。
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貴族科の学生は、学院の広大な敷地内に宿舎を構える。
諸侯格の貴族のそれは、ほとんど「お屋敷」といって良い規模で、執事や護衛や使用人を従え優雅な学生生活を過ごす。
単なる贅沢ではなく、相応の財力を見せないと、有能な人材がなびいてくれないかららしい。
クロウフォーガン家が所有する物件は、のどかな森のなかにある小さな洋館だった。
2階建ての3LDK。一般家庭の一戸建て住宅の規模だ。
まだ庭は荒れ果てているが、家具類はリュヴァイツ辺境伯家の家臣たちの手によってすでに運び込まれている。
「校舎からはかなり遠いですが、よろしいのですか? クロウフォーガン卿」
そう尋ねた美人は、クリスティンの学友――というより護衛である。
亜麻色の長い髪を束ね、腰にはサーベルを差している。
彼女も騎士科に在学中の学生らしい。
「実家が用意してくれたものに文句を言える立場ではないさ」
それでも一人暮らしには贅沢すぎる一軒家だ。
ハルトはそこで大学入試の勉強に没頭するつもりだ。
「正直、私は学院の授業にいきなり出席するつもりはないんだ。
他の皆さんについていけずに恥をかくだろうし、しばらくここで晴耕雨読の生活をするつもりだから……」
学校という環境は一定確率で頭のおかしな人材を輩出してしまう。
教員にも生徒にもだ。
そういう奴に目をつけられたらたまったものではない。
しかし、女騎士はハルトに言った。
「………そうですか。
ならば、どうか諫言と思ってお聞きくださいませ」
彼女がいうには、ベイオルフ伯爵公子が、クロウフォーガン卿の嫡子と昵懇であるという事実を周知させる必要があるらしい。
同盟関係にあるにもかかわらず、その子同士が不仲だと、良からぬ噂が立つこともあるという。
「クリスティン様のご学友であれば一挙手一投足が他家に値踏みされているという自覚をお持ちください」
「正直にいうと、私はあまり貴族にもふさわしくないと思うのですが……」
ハルトが謙遜すると、彼女は心底失望したように言った。
「クロウフォーガンという名前にはそれだけで価値があります。
たとえ貴方様個人の能力が貴族として並以下だったとしてもです」
「……なかなかキツイことをいいますね」
「主君に変わって憎まれ役を買って出るのも家臣の役目ですから」
ハルトと歳は同じぐらいだが、すでに軍人然とした佇まい。
きっと優秀なのだろう。思わず背筋を伸ばさずにはいられない。
こういう人間に囲まれていたらクリスティンのような子供になるのか……
「ご自身の欠点を自覚しておられるのであれば、優れた補佐が必要でしょう。
騎士科の学生から募ってはいかがでしょうか?」
一応、優れた補佐はいるにはいるのだが、表には出せないのでハルトも難儀しているのだ。
「………ご忠告ありがとう。考えておきます。
何事も実家と相談しないといけませんので」
と、ハルトはなんとも日本人らしい答えを返すのだった。
ジークリンデ・シェルメルス・ヴェルセティウス
ヴァリスタニア王国女王。大変お忙しい。
「太平に乾杯!」 出典:横山光輝三国志 劉禅
三国志演義では暗愚に描かれているが、有能な部下に全権を任せ、古代中国において君臨すれども統治せずの姿勢を堅守し、40年も渡り王朝を守り抜いた名君。彼が降伏したとき曹一族はすでに実権を失っており、劉備・諸葛亮の悲願は果たされている。関羽、張飛、趙雲たちが建国の功臣として歴史に名前を残せたのは彼が決して自分の地位に奢らなかったからである。