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第三話 私の愛馬は凶暴か

「よう来てくれた」


 人工呼吸器に繋がれた老人は、悪戯がまんまと成功したときのような笑みを浮かべていた。

 悠斗はその顔を、遺影でしかしらない。


「………あ、ええと」

「なんだ? 質問はないのか? ん?」


 戸惑う悠斗だったがすぐに思考を切り替える。

 ええい、ここまで振り回されたのだ。

 さして敬愛はしていないが親父だというのなら、タメ口をたたかせてもらおう。

 悠斗も礼節は心得ているが、貧乏人に媚びさせる悪趣味な金持ちとは金輪際付き合う気はない。


「………生きとったんかワレ」


 悠斗の不躾な態度を受け、高薙常芳は愉快そうに笑った。


「生きておったらいかんのかね?」

「すくなくとも公文書偽造。下手すりゃ保険金詐欺だろ。弁護士に嘘までつかせやがって……」

「生命保険には入っていないから、詐欺にはならんさ。

 誰も損をしてはいない。

 そして弘前弁護士は、『高薙常芳が死んだ』とは言っていないはずだ。

 『この世にはいない』などとは言ったかもしれないが……」

「同じことだろ? 何が違うんだ?」


 悠斗の質問には、セドリックが答える。


「ここは、ティアマルト大陸。ホークウィード州の南に位置する辺境の村。

 いわゆる『異世界』でございます」

「………………………何の冗談です?」


 荒唐無稽なことを告げられ、悠斗がその意味をなんとか咀嚼しようと考えていると、ベンケイと呼ばれた巨犬が背中から顔を近づけてくる。


「こんな犬がハルトさまの世界にもおりましたかな?」

「……………遺伝子操作で作ったりしたんじゃないんですか?

 倫理的に難しいとは思いますが。

 はたまた巨大な着ぐるみAIBOか……」

「ははは。なるほど、遺伝子操作か……

 そりゃあまだ試していなかったなぁ」


 常芳は呼吸器を付けながら苦しそうに笑い声を上げる。


「今はこんな大げさなものを付けておるが、命に別状はないよ。

 こちらの世界には回復魔術というものがあるからな」

「…………馬鹿にしているのか?

いくらゲーム世代たからって、そんな妄想を寄す処にするほど人生諦めてないぞ」

「事実だ。この世界にはそれがある。

 まぁ、ありとあらゆる病を治せるというわけではないから、日本で外科手術を受けたわけだが……信じるかどうかはお前の自由だ。

 目を背けたいというのならそれも構わん」


 挑発する常芳に、悠斗は無表情で不快感を示した。


「まぁ、いきなり言われて信じぬのも無理はないな。

 かぐや………頼む」


 月詠かぐやがおもむろに悠斗の手を取った。


「今度は気絶しないでくださいね」


 その言葉に嫌な予感を覚えた直後、重力が消えた。

 地面がどこにあるかわからなくなる。一瞬で乗り物酔いになった感覚だ。

 いや、この世界が目まぐるしく回転する感覚を悠斗は以前にも味わった。昨夜、彼女に夜這いされたときと同じだ。

 乗り物酔いは、平衡感覚と視覚が一致しないから起こる。

 悠斗は視覚情報をシャットアウトするべく目を閉じた。そして、暗闇から意識を引っ張り出すと、あたりから雑踏が聞こえてくる。

 

「!!!」


 一体、いつの間に移動したのか、悠斗が立っていたのは石造りの壁で囲まれた町だった。

 軒を連ねる露店には、見慣れぬ野菜や果物。

 家畜の汗と土の匂い。聞きなれない言葉の啖呵売。

 食肉を扱う店では、家畜やジビエをその場で解体して切り売りしている。

 土ぼこりを巻き上げ、車を引く半人半馬(ケンタウロス)

 遠くから聞こえる鉄を鍛える音。炊煙を上げる民家。

 そして、金属製の鎧を纏い、剣を腰にぶら下げて町を練り歩く屈強な男たち。

 直立歩行のトカゲに、獣の耳を生やした人種……


「リュヴァイツ辺境伯の城下町です。

 村とは直線距離で50キロほど離れていますが、転移魔術を使えば移動は一瞬です」


 一瞬、よくできたテーマパークかと思ったが、裏路地には薄汚れた浮浪者が膝を抱えてうずくまっている。

 ここが夢の世界ではないことは、嫌でも理解できた。

 かぐやは悠斗の手を引き、町の一区画を歩いたところで、もう一度転移魔術をやらを使い、常芳の部屋に戻ってきた。

 

「ご理解いただけましたか?」

「…………」


 言葉もない。

 瞬間移動という超常の移動手段が実現している。勇者と魔王が戦っているような剣と魔法の世界とでもいうのだろうか?

 ならば、バーチャルワールドである確率も微レ存だが……

 いや、そもそも問題はそんなことではない。

 悠斗は必死に平静を保とうとした。それを悟られぬよう静かに呼吸を整えて、父に問い質す。


「…………単刀直入に言ってくれ。俺に何をさせたいんだ?」


 たとえこれが金持ちが道楽でしかけた悪戯だったとしても、ただでこんなものを見せてくれたとは思えない。

 その思考が巡るくらいには悠斗は冷静だった。


「いったろう? 私の遺産を相続してもらいたいのだ」

「それは聞いた」

「生憎、私が遺していくものは、書類を受け取れば終わりというものではない。

 引き継ぐということはなかなか厄介なものでな……」


 高薙常芳は、ようやく真剣な顔つきになる。


「この国――ヴァリスタニア王国は、王が豪族に爵位と領地を封ずることで秩序が形成される。いわゆる近世ヨーロッパのような封建社会だ。

 私は、こちらでは『貴族』であり、一家を構えている。

 こちらでの名前は、ジークフリート・クロウフォーガン準男爵というのだが……」

「くろーふぉーがん?」


 どこかで聞いた響きだと思ったが、何のことはない。

 ツネヨシだから、逆にしてヨシツネ。

 かの源義経の輩行と官職名は、九郎判官、くろうふぉーがん。

 かなり安直だ。飼い犬の名前もベンケイ。


「そのクロウフォーガン家の家督も相続してほしい。要するに後継者を立てて私は隠居したいのだよ」

「家督って…………戦国武将じゃあるまいし……」

「そうだな。乱世というほどではないが、まさしく武家のそれだ。

 家臣と領民の生活が懸かっている。

 私の手術は成功したらしいが、今後、いままでどおり働くのは無理そうだからなぁ。

 いつ何があるかはわからん。

 だからお前に役目を引き継いでもらおうと思っておるのだよ」


 大河ドラマや戦略シミュレーションゲームの影響を受けて、悠斗も戦国時代にあこがれはする。しかし、実際自分に戦国武将と同じことができるかと問われると全く自信はない。

 他に度胸のある若者を連れてきた方がよいのではないだろうか?


「だったら、俺みたいなのじゃなく、有望な若者を養子にしてやれば……」

「ハルト様。それは違います」


 かぐやが口をはさんだ。


「クロウフォーガン家は、先ほどの転移術をはじめとする秘術を擁するがゆえに、他家と血縁関係を結んでおりません。

 後継者がいなければ、お家は改易され、封主によって新たな支配者が送り込まれるだけ……」

「それの何がいけないんだ?」

「それではとても困るのです。

 何しろこの土地は、地脈的に日本と繋がっているのですから……」


 どうやら、このあたりに地球とこちらをつなぐ秘密のトンネルのようなものがあり、悠斗はそこを通って運び込まれたらしい。


「この世界はまだ産業革命も世界大戦も経験しておりません。

 土地の所有権や爵位の継承権をめぐって、騎士たちが矛を交えるような世界です。

 旦那様は日本から進んだ技術を持ち込み、この世界の多くの人々を飢えや貧困から救ってこられました」

 

 産業改革に、医療技術の導入、軍事におけるパラダイムシフト。

 この世界の文明が中世レベルだとしたら、さぞチートができるだろう。


「しかし、そんなことは公言していいことではございません。

 理由はお分かりいただけますか?」


 ライトノベルの発想ではあるが、少し考えればわかる。


「異なる二つの文明が邂逅した場合。まず起こるのは殺し合い……

 たとえ平和的交流が始まったとしても、互いの世界が変わる。

 殺してでも奪い取って独占しよう思う連中がでてくるかもしれない。

 他にも、互いに未知の病原菌が流入したりする危険性があるとか?」

「はい。

 そして、真実が知られた場合、当家は間違いなく二つの世界両方を敵に回します。

 そのような危険を理解できない者に、クロウフォーガン家の家督を相続させるわけにはまいりません」

 

 事情はハルトも理解した。

 しかし、本人の意思を無視して、決定事項みたいに話を進められた以上、悠斗も苦情の一言は言っておきたい。


「…………ちなみに拒否したらどうなる?」


 それを問うと、セドリックは朗らかな笑みを浮かべたまま、さりげなく出口へと移動し、逃げ道をふさいだ。


「ハルト様にその意思がないのであれば、仕方ございません。

 必要なのは常芳様の血を引く若い男性です。

 ご高齢の旦那様にはもう無理をさせられませんが……」


 そして、月詠かぐやは悠斗の腕に絡みつき、背筋が冷たくなるほど艶やかな微笑で言った。


「しばらくこの屋敷にて、それだけに励んでいただきます。

 この国は身分社会……

 貴族の妾になることを希望する若い娘はいくらでもおりますので……」


 常芳のあの目も本気だろう。

 悠斗は引き受けるしかなかった。

 もし中世ヨーロッパのように人が売り買いされているような世界なら、人権やプライバシーなど期待できない。

 そのくらい連中の目は笑ってはいなかったのだ。


「どちらを選ぶかハルト様次第ですわ」


 形だけの選択肢を提示され、悠斗は結局引き受けるしかなかった。


---


 三上悠斗が、この世界に連行されて早三か月。

 彼は、この異世界の城館に一室を与えられ、そこでこちらの世界の勉学に励んでいた。

 高校はもう退学するしかないだろう。

 幸いなことにここでの暮らしは、ただ財産を与えられ、愛のない生殖行為に勤しむだけの堕落した生活ではなかった。

 この世界の貴族はいわゆる、騎士の棟梁である。

 その家督を引き継ぐには、武芸や学問など最低限は身につけておかねばならぬらしい。

 中学でも高校でもハルトは学業成績においてトップを取ることはなかったが、「高校までの授業はすべて参考書に載っているから他人に頭を下げてまで学ぶことは何一つない」などという持論を確信できる程度には明晰だった。

 授業よりもバイトを優先していたぐらいである。

 運動神経もそれほど悪かったわけではない。

 ただ、高校に入ってすぐ母・静香が体調を崩したため、部活などに入らなかったし、家事と学業との両方に追われて、友人と遊び歩く暇もなかったのだ。

 未成年でありながら親を失うという災難を、彼は持ち前の自制心で何とか乗り越えてきた。

 そんな三上悠斗には、準男爵家の嫡子ハルト・クロウフォーガンとしての生活を受け入れる土壌はできていたと言えるかもしれない。


 ハルトは今、日本にいたよりも充実した毎日を過ごせている。

 毎朝ベンケイとともに、ロードワークに出かける。

 アップダウンの激しいコースだったので最初はついていくこともできなかったが、数週間も継続すれば体力は向上した。

 柔軟体操、フットワークトレーニングをこなし、昼はこちらの世界の言葉と知識を学ぶ。

 夕刻になるとセドリックと剣の稽古。そして、乗馬の訓練。


「ちょっと扱いづらくないか? こいつ」

「そうでしょうね。まだ馴致を終えたばかりの2歳馬ですし。

 プロの騎手や調教師だって怪我するそうですから十分にお気をつけ―――」


 忠告を受ける矢先に、ハルトは鞍上から振り落とされる。

 ハルトに宛がわれたのは、スズカという栗毛の若いサラブレッドだった。

 馬主でもある常芳は、この世界にも競走馬を持ち込んでいる。その多くは、日本ではあまり結果を出せなかった馬やその産駒だ。

 あいにく異世界生まれの彼らは正規の血統書が付けられないので厳密な意味では「サラブレッド」とはならないが……

 ハルトは一瞬宙を舞ったのち、小便交じりの馬場の上でのたうち回ることとなった。

 プロでも扱いに困るような生き物を素人に任せるのはもはやパワハラの一種ではなかろうか。


「こんなの無理だろ!」

「………そうですか。なら仕方ありません」

 

 もう少し気性の大人しい馬にチェンジしてくれるかと思いきや……


「今日の夕飯はタルタルステーキにしましょう。

 明日になって、昨日乗ったお馬はどこ? とか聞かないでくださいまし」

「…………何それ怖い」

「ハルト様が諦めるのであれば、この子の運命は他にございません。

 競走馬の種付けなんて、数千万円単位の費用のかかるガチャゲー。

 そして、稼げないサラブレッドの命など、ロマサガ2の皇帝パーティと同じぐらい軽いのですから」


 酷い話だ。何よりたとえが酷い。

 たしかに日本で生産される競走馬のほとんどは、子孫を残すこともなく殺処分されている。乗馬クラブに引き取られ、第二の人生を送ることができるのもほんの一握りだ。

 多くの競走馬が人間でいえば高校生ぐらいで殺され、動物園のライオンの餌になるのだ。

 このスズカもそうなる運命だった一頭だろう。

 ゆえに彼にはもう血統書はない。血統書を消失してしまうともう厳密な意味でサラブレッドとは言えないのだが、今はハルトの愛馬には違いない。


「いともたやすく行われるえげつねぇ行為などごまんとございます。

 ホルスタインだって搾乳のためだけに子牛を生ませ、年老いて乳が出なくなったら廃牛として肉にするのではありませんか。

 牛や豚ではなく、馬だから可哀そうというのは偽善でございます」


 いくら資産家とはいえクロウフォーガン家にも無尽蔵に資金があるわけではない。

 ハルトにサラブレッドが宛がわれるのも要は経費削減の一環なのだ。


「現実はスクエニより奇なり。

 およそすべての人類は共犯者か、傍観者のどちらかです。

 ハルト様は今朝も肉料理をお召し上がりになりました。

 その子を見捨てられるというのなら、そのことをよく認識して……」

「ハイ! ソイレントシステムですね!

 みんなのトラウマです! 本当にありがとうございました!!」


 三上ハルトには、お世辞にも剣術の才能はあるとはいえなかった。

 馬術も似たようなものだ。

 しかし、こちらの世界ではたとえ苦手でもある程度の武芸は身に着けておかねば、いざという時に死ぬしかないという。

 いわば水泳と同じなのだ。

 もし巷によくある冒険物語の主人公のように、こんな世界に着の身着のままで迷い込んでいたらどうなっていただろう?

 村人に不審者扱いされ、反抗心が無くなるまでリンチされ、そのまま人買いに売り飛ばされていたのではないだろうか?

 身分と教育の機会が与えられるというのはこの上なく幸運なことである。

 そう頭を切り替えて、ハルトは練習を続けることにした。

 傷だらけになりながら訓練を終えると、セドリックの指導の下、凶暴な愛馬の体を丁寧に洗い、馬房に戻す。

 そして、就寝前には筋力トレーニングをこなす。サボることなく決められた回数を……

 血のにじむようなというほどでもなく自分にできることを継続する。

 そんな生活は、確実にハルト・クロウフォーガンの血肉となって積み上げられていったのである。


---


 山の上に建てられた城は見晴らしがよく、眼下には牧歌的な農村の風景があった。

 クロウフォーガン家はこのあたりの開拓村を領有しており、食卓には、海の幸も山の幸も上がる。小麦が主食のようだが、穀物や野菜、果物などの様々な品種が持ち込まれ、農作物は充実していた。

 それを日本から取り寄せた調味料で味付けするのだから美味いはずだ。

 シャワーで汗を流し、未だたどたどしいテーブルマナーで朝食を平らげると、セドリックが紅茶を淹れてくれる。もちろん日本からの密輸品だが、こんな贅沢なものを飲める人間はこの世界では貴族でも少ないらしい。


「もうずいぶんと学ばれたようですね?」

 

 セドリックの発音は、教科書通りで聞き取りやすい。

 おかげでハルトの現地語のリスニングはかなり上達し、この三か月で日常会話レベルであれば何とか話せるようになっていた。

 エンターテイメントの誘惑もなく、勉強しかできない環境の利点もあるだろう。

 

「ええ、おかげさまで……

 セドリックさんが丁寧に教えてくれるので、だいぶ助けられました」

「それはようございました」


 こちらの言葉を『大陸公用語』と呼ぶらしい。

 日常会話であれば語彙が少ないので、学ぶのに苦労はなかった。

 読み書きも難しくはない。

 この世界の文字は、英語のように綴りと実際の読みが異なるということがないし、日本人の耳に聞き取りにくい発音もない。また公用語であるがゆえに、文法も単純明快だ。

 ただ、ハルトのそれは、セドリックの口調を真似たものなので、知らず知らずのうちに上品すぎる話し方にはなってしまったが……


「後は、お披露目と受爵、初陣。そして花嫁さがしでございますね」


 セドリックは簡単そうに言うが、二十一世紀生まれの少年に後ろ二つはハードルが高すぎる。

 戦場で血を見て、自分が平気でいられるとはハルトは思っていない。

 まして結婚など、まだ考えたこともない。

 

「初陣などとても……、剣術も馬術も一向に上達しませんし」

「そんなことはございませんよ?

 少しずつですが上達なさっておいでです。何事も継続でございます」


 ハルトは苦い愛想笑いを返す。

 中学時代に多少剣道をやっていたので、ひょっとしたらいい線行くのでは……などと甘い期待をしていたが、円熟の域に達したセドリックの実戦剣術の前に、ハルトの生兵法は木っ端みじんに打ち砕かれた。

 この世界の武術は魔法の領域である。

 達人クラスになると、「丹田で気を練る」などという漫画のような理屈で、剣で丸太を両断したり、拳や木刀で岩を粉砕するらしい。

 日本人が夢にまで見る剣と魔法の異世界だが、いわゆる異世界小説の主人公になることはハルトはもう諦めている。

 

「失礼します」


 ハルトにとって、もう一人の鬼コーチが部屋に入ってきた。

 月詠かぐやは父・常芳から、財産の管理と日本との交易を任されているらしい。


「ハルト様。国王との謁見の日取りが決まりました」


 謁見———いわゆる、お披露目の前段階。

 領主に世継ぎがいることを国王ならびに、国内の有力者に認知させることが目的である。

 後継者がいなければ、財産目当ての輩がウォームアップを始める。異世界も同じだ。

 ハルトはかぐやに確認する。

 

「お披露目さえ済んでしまえば、俺はしばらくは領地に退き籠って、高卒認定の勉強でもしてりゃいいんだな?」

「この期に及んで、日本の大学などに進学されるつもりなのですか?」


 埒もない質問だ。現代日本と前近代的社会。

 平民と貴族という身分の差を引いても、将来的にはどちらが快適かなんて比べるまでもないだろう。三上悠斗はセドリックのような年長者に傅かれても、優越感より不安を感じる小心者だ。


「農学でも学んでたら、この世界でも何かの役に立つかもしれないだろ?

 剣でも魔術でも俺は一流にはなれそうにないんだからさ……」


 まだこの世界に自分の運命をゆだねる気にはなれていなかったハルトは、そんな取ってつけた志望動機を述べたのだった。

 

---


「では、行ってきます」

「ああ、しっかりな。ちゃんと貴族になってこい」


 出発の前に、メイドとリハビリに励む常芳に挨拶する。

 まだ父と呼ぶには抵抗があるが、べつに嫌いなわけではない。

 この世界において、ハルトの実家クロウフォーガン家は、王国英雄卿・準男爵という地位にある。

 この世界の貴族が比較的ノブレスオブリージュを守っているということをハルトは学んでいた。

 英雄卿とは、軍功によって国に貢献し、貴族の地位を得た者のことだ。

 国王が直臣の地位と領地を下賜することで、有能な人材を国内にとどめ置くのである。

 貴族となった者は領地を守るために、兵を雇い、城を建てる。

 そして、嫡子を世継ぎとして、封主に承認してもらわなければならない。

 常芳は別れ際にこんなことを言った。


「転移魔術はクロウフォーガン家の秘技だ。おいそれと安売りはするなよ」

「それは、嫌味ですか?

 安売りするも何も、魔術らしい魔術は何も使えないんだが……」

 

 常芳は一瞬、何か失念していたことを思い出したように目を丸くし、そして含み笑いをうかべた。


「………そうだったな。忘れておったよ」


 何も知らない高校生を異世界に連れてきたのは自分だろうに、なぜそんなことを忘れるのか。

 痴呆の兆候であれば心配だ。

 まぁ、セドリックを始めとしてしっかりした家臣がいるようなので、ハルト自身が介護する必要はないのだが……


「それから、なにか迷ったら必ずかぐやに尋ねることだ。

 かぐやの言葉は当家の総意だと思って良い」

「良いのか?」

「良いも何も、かぐやは転移魔術の使い手だぞ?」


 転移魔術があればどれだけ遠くに行っても当主の意向を伝えられる。

 つまり、報連相は怠るなということだろう。


「あまり小さな問題まで、尋ねられても困るがな。

 まぁ、かぐやならば大抵のことには適切に助言できるはずだ……」

「それは彼女がミスをしたら当主の責任だということでいいのか?」

「ああ」


 つまり、かぐやの指図を仰いでいる限り、ハルトは責任を取らなくてもよいということだ。

 それだけ息子よりも彼女を信用しているということだが、ハルトが嫉妬する余地はない。


「……まぁ、あまり緊張したり、周囲の期待に応えようと張り切らんでよい。

 まずは無事に帰って来ることだ」

「はいはい。

 素人が大河ドラマのエキストラに出してもらえるようなものだと思って、目立たずさりげなく、爵位を貰ってきますよ」


 日本語の会話を現地人のメイドは理解できない。

 彼女には「父をよろしく頼む」と声をかけておく。

 こちらではこの程度のことで庶民に頭を下げる貴族は珍しいらしく、少し恐縮されたが、悪いことではないだろう。


「では、まいりましょう」


 栗毛の愛馬スズカを厩舎から連れ出し、かぐやと手をとると、転移が始まる。

 ハルトの平衡感覚は数秒間マヒするが、何度かやると慣れるものだ。

 しかし、地面も重力もない、虚無のトンネルに目をつぶって入るのは、絶叫マシンの列に並ぶのと同じ程度には緊張する。

 歪んだトンネルを抜けるとハルトにどっと疲れが押し寄せてきた。


「着きましたよ」

 

 かぐやの声に従い、ハルトが再び目を開けると、そこは湖に面した優美な都市を見下ろす、小高い丘の上だった。


「王都ヴァリスです」


 転移という移動手段はつくづくすさまじい。

 この世界の地図によると、この国の王都はクロウフォーガンの領地から400キロは離れていたはずだ。

 かぐやは「学生ではない」と言っていたが、たしかにこんなことができるのなら勉強なんて必要ない。

 

「凄いもんだな。転移魔術っていうのは……」

「訓練すればハルトさまにもできるようになりますよ」


 今のハルトにその種の励ましは「努力が足りない」という皮肉にしか聞こえなかった。


「できないよ。たぶん」

「できると思えばできる。できないと思うからできないのです。自転車と一緒。

 この世界は、そういう理で成り立っておりますので……」


 無茶を言ってくれる。

 努力したからと言って、すべての人類が100メートルを9秒台で走れたり、時速100マイルのフォーシームを投げられるわけではない。

 そもそも、かぐやに教師の才能はないことはハルトも確信していた。

 いわゆる天才という奴だ。

 こういうタイプには凡人の努力も、自分の手足を縛ってあがいている間抜けな行動にしかみえないのかもしれない。

 

「……では、私はこれで」

「案内してはくれないのか?」

「お察しください。私は他家の方と接触するわけにはまいりません」


 クロウフォーガン家は魔道によって準男爵の地位を得た家だ。

 その秘技は一子相伝とされているが、実際は血縁関係にない小娘が転移魔術を使えている。

 ならば、その門外不出の奥義を可能なら殺してでも奪い取る……などと穏やかでないことを考える輩もでてくるかもしれないのだ。

 かぐやの存在を安易に他所に漏らしてしまえば、彼女の身に危険が及ぶかもしれない。

 常芳の「安売りするなよ」という忠告はそういう意味なのだろうと、ハルトは理解した。


「何事も経験です。それとも私がいなければ不安ですか?」


 安い挑発だが、乗らざるを得ない。

 月詠かぐやは、いわばクロウフォーガン家の真打であり、ハルトは所詮御輿である。

 ハルトの仕事は、渉外において矢面に立つことなのだ。

 それに異存はない。保護者がいなくなり、路頭に迷う恐怖を味わった身の上としては、衣食住が保障される以上にありがたいことなどない。


「わかったよ。自分で探してみる」

「では、待機しておりますので、御用があればお呼びください」


 そう言い残すと、月詠かぐやはハルトに地図を手渡し、影を残して消えた。

 かぐやは呼べばいつでもやって来るという。

 一応、世継ぎとしてハルトを立ててくれているのだろうが、ひょっとしたら自室で水晶玉かなにかを覗き込み、常に監視しているのかもしれない。


「……はじめてのおつかいかよ」


 しかし、知らない街を一人で外出するなど、ハルトも新鮮で晴れやかな気分にはなれる。


「まぁいいか」


 ハルトは、ようやく自分に懐いてくれたスズカの背にまたがり、丘を駆け下りて行った。

 騎乗技術は熟練者のそれとは呼べるべくもなく、あくまで初心者マークのスピードではあったが……


---


 王都の中に入ると、ハルトは馬から降り、かぐやから与えられた手描きの地図に従って、街を歩き始めた。

 スズカは曳き馬のときだけは大人しい。ちゃんと従順にハルトの右側を歩いてくれる。

 ハルトが向かうのは父の知り合いの貴族の屋敷である。

 警邏の兵隊から不審がられ、一度職質を受けたが、自分は準男爵家の使いでリュヴァイツ辺境伯のお屋敷を訪ねるのだと答えたら、手のひらを返して途端に丁寧になった。

 どうやらこの国はかなり強固な身分社会であるらしい。


 以前訪れた辺境伯領の城下町とやらより、近代的な街だった。

 守るための城壁ではなく、城館を彩るために誂えられた荘厳な鉄格子。規則正しく並ぶロートアイアンの街灯。石材とレンガを組み合わせた石畳。張り巡らされた水路には、荷物を載せた小舟が行き交っている。

 魔術なんてものがあるおかげか、この世界の建築物は中近世のヨーロッパに比べれば洗練されていた。立体的に交差する陸路と水路。煉瓦で装飾された壁に、左右対称を徹底した屋敷。鐘楼を備えた時計塔も魔術文明ならではだろう。

 一国の王都となれば優秀な魔術師も揃っている。

 重機代わりの土の巨人が石材を積み上げ、魔術師がそれを一枚の岩に変え、石工がその表面を磨き上げ、手の込んだ装飾を施していく。

 上下水道も古代ローマ並みには普及しており、四階建ての都市住宅が立ち並ぶ表通りも清潔に保たれている。

 階上から汚物が降って来ることもないらしい。

 そんな異国情緒あふれる街並みを地図を見ながら歩いていると、庭付きの洋館が立ち並ぶ閑静な場所へやってきた。

 この城のような屋敷の一つ一つが諸侯貴族の邸宅であり、家来の騎士たちも一緒に暮らしている。江戸時代でいうところの「藩邸」だ。

 それぞれの敷地の規模はあの高薙屋敷と同じくらいだが、都心にあることを考えるとこちらのほうが不動産価値は高いだろう。

 そして、目的の屋敷の門の前では、たいそうな美少年が待ち構えていた。


「お待ち申し上げておりました。クロウフォーガン卿。

 クリスティン・ベイオルフと申します。現在はリュヴァイツ辺境伯にお仕えしております」


 髪は金髪、瞳は澄んだブルー。頭のよさそうな美少年だ。

 服の生地は上等で、下男ではないことがうかがい知れる。

 『小姓』と呼ばれる身分だろう。

 中世の騎士は7歳ぐらいになると他家に預けられ、小姓としてオンジョブトレーニングを積んだとされている。この世界でも似たような教育システムがあるらしい。

 16歳では遅きに失しているのだが、ハルトも一応そういった下積みをしたということを繕っておかねばならないからこの屋敷を訪ねたのだ。

 彼の背後には、磨き上げられた鎧を纏う騎士が、儀仗兵のごとくずらりと整列していた。

 ハルトは一瞬考えた。こういう場所では、無理せず小市民っぽく振舞った方がいいのか、それとも、背伸びしてでも毅然と振舞う努力をした方がいいのか……

 ハルトは、丹田に力を込めながら噛まないようにゆっくりと言葉を口にする。


「ご丁寧なお出迎えありがとうございます。

 ハルト・クロウフォーガンと申します」

「ではご案内したします。クロウフォーガン卿」

「卿はやめてくださいませんか?

 まだ家督をついではおりませんし、身の程は知っているつもりですので……」

「そうですか。承知いたしました。

 では、僕もクリスティンで……」


 屋敷の馬丁にスズカの手綱を手渡すが、さびしがって暴れ出したので自ら厩まで連れて行く羽目になる。

 こいつは俺が嫌いじゃなかったのか?

 サラブレッドは本当に扱いが難しい。

 素人に預けるようなものではないとつくづく思うのだが。

 いつものようにブラッシングし、餌を与え、落ち着いたところでそっと馬房を離れた。


「すみません。

 知らない厩舎に入って不安になったからだと思います。

 私と同じお上りなもので……」


 ハルトは屋敷の使用人たちが整列したエントランスを肝が縮む思いで歩きぬけ、客間に通された。

 腰かけた牛革のソファーはなかなか座り心地のよい機能的にも洗練されたデザインだった。

 しばらく待っていると、やってきたのは身なりの良いずんぐりとした小男だった。

 日に焼けた肌に白髪交じりの髪。ドワーフのような風貌だが、人間である。ハルトは立ち上がって、出迎える。


「よう来た!!

 儂がリュヴァイツ辺境伯、ベルナール・エルウッドだ!」


 男は、やり手のベンチャー企業の社長のような威勢と愛嬌のよい大声を張り上げた。

 リュヴァイツ辺境伯家は、領民30万ともいわれる大諸侯であり、当主はこの国の元老でもあるらしい。

 つまり、江戸時代なら伊達家や前田家ぐらいのお殿様。本来なら、玉座の間とかで謁見する立場だろう。

 そんな人が迎えてくれるというのはさすがにハルトも恐縮する。

 しかし、クロウフォーガン準男爵家も小なりとはいえ王家の直臣であるがゆえに、その世継ぎや家臣が膝を付いてはならない。

 相手より長く深く頭を垂れることで、格上への敬意を表す。


「お初にお目にかかります。閣下。

 ジークフリート・クロウフォーガンの子、ハルト・クロウフォーガンと申します」


 辺境伯の年齢は50を少し過ぎたころだろうか。

 父と旧知の仲と聞いていたが、だいぶ年下ということになる。

 ベルナールはお世辞にもルックスが良いとは言えないが、親しみやすそうな笑顔を見せる。

 豊臣秀吉のような強かな人たらしなのかもしれない。

 外見や上辺だけの言葉には決して騙されないようにしようとハルトは思った。


「おう! 堅苦しい挨拶など抜きにせよ!

 ジークフリート殿には若いころに世話になったからな。

 我が領地が実りが豊かなのも、みなそなたの父上のおかげだ!」


 そういえば、父・常芳は、日本から農業技術を持ち込んで改革などを行ったという話である。リュヴァイツは、昔は不毛の土地だったらしいが、灌漑と土壌改良によって今は国内有数の穀倉地帯になっているらしい。

 現代農法はこちらの人々にとってはもはや魔法の一種だった。


「そなたの父上の爵位はその功績にくらべ低すぎる。

 儂など何かの間違いで辺境伯などという大それた地位におるが、世が世なら儂はそなたの家臣になっておったかもしれぬよ」


 さすがに、これはお世辞だ。

 真に受けるほどハルトもバカではない。


「とんでもない。

 すべては閣下の賢明なるご決断と、家臣の皆様の献身の賜物でございましょう。

 それらすべてに敬意を示さぬわけにはまいりません。

 父もくれぐれも失礼のないように、と申しておりました」

「ははは、そなたも父上に似て謙虚で聡明だのう!」


 ベルナールは気さくにハルトの背中をたたく。

 そして、対面のソファーに座り、改まって言った。


「さて、今後のことだがな。

 明後日、儂が陛下に謁見し、そなたをクロウフォーガン家の世継ぎとして紹介する手筈となっておる!」

「はい。聞き及んでおります。 なにとぞよろしくお願いいたします」

「…………本当によいのか?

 クロウフォーガン家は我がリュヴァイツ辺境伯家の派閥に組み込まれるということになるが?」


 それは、もしこの国で関ケ原のような天下分け目の戦いが勃発すれば、どちらの陣営につくかが今決まってしまうということでもある。

 もちろん今ハルトにはそれに異を唱える権限も、判断材料もあたえられていない。


「はい。異存ございません。

 そもそも私と閣下では身分も格も違いますし、私は政治のことはさっぱりわかりません。

 父がそうせよというのなら、従うまでです」

「今、王家ではちょっとした問題が起こっておることを知っておるか?」

「いえ。父から特に何も聞いておりませんが……」


 少し気になったが、常芳もかぐやもセドリックもこの国の政治情勢については教えてはくれなかった。ならばハルトは知る必要のないことなのだろう。

 何が起こってもハルトの責任ではないということである。


「私のような若輩が天下国家のことに口をはさむなど、百年早いということなのでしょう」


 辺境伯が何やら考え込んでしばらく、会話が途切れた。


「……そうか、ふぅむ。

 まぁ、ジークフリート殿は英雄卿でもあられるからのう」


 ベルナールは納得したようにうんうんと頷いた。

 平民のでから一代で立身出世した英雄卿という連中は、国政や社交には興味ない者も多いらしい。成り上がり者が調子に乗って政治に口を挟めば反発も招くため、自然とそうなるのだ。


「あいわかった。万事任せておくがよい!

 ………ただ、一つ言っておく!

 クロウフォーガン家の世継ぎであることは、できるだけ伏せておけ」


 そもそも、だれにどう吹聴せよというのだろう?

 ハルトは王都どころかこの世界に知り合いが全くいない。このリュヴァイツ辺境伯ベルナールが紹介してくれる人脈だけが頼りなのである。


「すべて閣下の指示通りに行動するよう父には命じられております。

 しかし、差し障りがなければ、理由をお聞かせ願いますでしょうか?」

「なに? わからぬか?」

「はい。皆目」


 どうやらハルトのこの質問には、本気で呆れられたらしい。

 ベルナールは目を丸くしたのち、そんなこともわからぬのかと深々とため息をついていった。


「クロウフォーガン家の世継ぎが当家に滞在していると噂になれば、いろいろと面倒なのだ。

 なにしろそなたの父は稀代の策士でもあったからのう」


ジークフリート・クロウフォーガン

 ヴァリスタニア王国准男爵。高薙常芳の異世界での名前。

 異世界小説でありがちなことはやり尽くしている。


セドリック・アークエルト 62歳

 クロウフォーガン家に仕える執事。物腰は柔らかだが実は武闘派。


スズカ 

 サラ系(血統が不明なので)

 栗毛・牡・三歳 父:不明 母:不明


「私の愛馬は凶暴」 出典:機動新世紀ガンダムX シャギア・フロスト

「生きとったんかいワレ」 出典:漫☆画太郎

「いともたやすく行われるえげつねぇ行為」 出典:ジョジョの奇妙な冒険 + HUNTER×HUNTER

「ソイレントシステム」 出典:ゼノギアス

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