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第十一話 ギルドと言う名の自由業

 この大陸で冒険者になろうという人間は、主に二種類に大別される。

 まず無謀な夢を抱いて冒険者ギルドの門を敲いた世間知らず。そして、是非もなくこの業界にたどり着いた食み出し者。

 いずれにせよ放置すれば、たちまち犯罪に巻き込まれたり、治安悪化の要因となりかねない。

 冒険者業界とは、そういう連中の雇用の受け皿だった。

 竜退治などという英雄譚は、どこかの気の利いたギルドが吟遊詩人や旅芸人に報酬を支払い、意図的に流布した幻想だろう。

 彼らの多くは貴族様や騎士様がやりたがらない危険な作業に従事する底辺の構成員となり、社会の片隅で細々と生きていくことになる。

 それでも、いつか自分が勇者として人々から称賛される日が来るかもしれない。

 そんな夢でもなければ人は働けない。

 冒険者たちには勇者が必要であり、人生には夢や希望が必要だ。


 王都歓楽街――まるで夜の宝石箱のごとく魔石照明が燦然と輝く眠らない街。

 この王都において唯一、人類最古のサービス業が合法的に営まれる街だ。

 妻子のある上級貴族も、家紋付きの馬車をどこかで乗り換えて、ひと目を偲んでこの街にやってくる。

 そんな歓楽街に酒場の一階の掲示板には、常に王都を拠点とする冒険者たちへの仕事が張り出されている。下水道に住み着いた魔物の退治や、郊外の農園を荒らす害獣の駆除などの依頼もあるが、冒険者の生業とは何も退治だけとは限らない。

 彼らは荒事専門の便利屋だ。

 真面目な警察組織ではどうしても融通を聞かせられない業務――たとえば、飲食店にやってくるマナーの悪い客への対応や農村や漁村の閉ざされた社会の秩序を乱す不埒者への恫喝・制裁なども仕事として舞い込んでくる。

 一般人への暴力行為など褒められたものではないかもしれないが、彼らがやらねば善良な人々が泣き寝入りをするしかない。

 ときに暴力を振るっても、最低限の仁義は通す。

 つまるところこの世界の冒険者とは、日本でも古き良き時代にしばしば見られた、「()のつく自由業」なのである。


「では、名馬スズカが戻ってきたことに……」

「乾杯や!」


 大広間を見渡せる中二階の席に腰を下ろし、リゲル・アドモスは祝杯をかかげ、一気に呷った。

 リュヴァイツ産の蒸留酒は火が付くほどだが、幸いなことに彼は酒には強い。この程度で正体を失ったことはない。

 それはかつての仕事仲間で今や冒険者ギルド『黒波』のギルドマスター、ジョン・ホッブズも同様であった。ある程度酒に強くなくては、この業界ではのし上がれない。

 二年前には単なる荷運び冒険者にすぎなかった男が、いつの間にか貴族の後ろ盾を見つけてこの地位まで出世したと聞いたときは、リゲルも大層おどろいたものだ。

 冒険者業界にとって債権の取立の元締めや歓楽街の用心棒などというのは、かなり割の良い仕事だ。

 無論、破落戸に侮られないためのその筋の技術や度胸は必要になるし、収益率の高い縄張りをつくるまでが大変ではある。しかし、地位さえ作り上げてしまえば、毎日泥酔しない程度に酒を飲んで遊んでいればいい。

 その間に、副業をやり始めるやつもいる。いわゆる貴族は、冒険者の中にもいるのだ。


「屋敷を差し押さえたそうだな?」

「とはいっても、不動産はそう簡単に転がせるもんやないがな。

 家財は押さえはしたけど、大したもんはなかったわ……」


 案の定、ディングランツ公爵の屋敷に飾られた絵画などは名画ではなかった。

 力作ではあったかもしれないが、無名の画家が描いたものであれば大した値段はつかない。

 もともと公爵家の財政は火の車だったのだ。


「それでいい。

 放蕩公爵が傾けた家を、俺の力で立て直す。

 立身出世の物語としてはいい出来だろう?」


 貴族に気に入られ家来になるのではない。相応の実力を示して貴族に迎えられるのだ。

 リゲル・アドモスは自分が勇者になれるとを確信していた。

 竜退治など必要ない。勝てる馬に乗って、勝つべくして勝つだけでいい。

 彼の異能の力を使えばそれができる。


「それよりあんた、本当にあの公爵家を継ぐ気なんか?」

「公爵の地位なんて継ぐ気はないさ。

 しかし、この国で成り上がるなら貴族の血は必要だ」

「成り上がってどうするんや? そっから先の夢はあるんかいな」

「まぁ、とりあえず、金を稼ぐ手段はあるだろ?」

 

 グラスの中で氷を転がしながらリゲルはほくそ笑む。

 まったく良い時期にこの国にやって来たものだ。 

 しばらくは馬を走らせるだけで金にも名声にも困ることはないだろう。

 

「勝てまっか?」

「ああ。あの馬なら確実にな……

 そして俺の能力なら今後も稼ぐことができる」

「負けてくれたってええんやで? その方がわてらは儲かりまっさかいな」

「よせよ。八百長は貴族どもが最も嫌う行為だからな。

 だれが勝ったってそれなりに儲かるんだろ?」


 最近、黒波のシノギになっているのは、競馬の投票券購入の代行業務である。

 実際に馬券を買う必要はない。鳥を使い、レースの速報を伝えるだけでよい。

 郊外の競馬場にまでわざわざ足を運ばなくてよいのが売りだ。ギャンブルがしたくても忙しくて遠出できない者たちは大勢いる。

 そして、ここには、レースの代わりに見せるものがある。

 それぞれの出場馬に扮した女の子たちが踊ってみせるのだ。そしてレースが終わると、郊外の競馬場からの速報が報じられる。

 毎回店側が用意した偽客(さくら)が大穴を当てる。女たちが歌い踊り、彼を祝福する。酒が入り、気分が乗ってくると、客はみんな大穴を狙い出す。

 男は度胸、そんなキャッチコピーも何万回も繰り返せば多少の効果がある。

 万一、配当金が発生したとしても、この歓楽街で盛大に消費してくれるので損にはならない。

 リスクの高い賭けになれば、実際に正規の馬券を買うように手下に指示を出せば危険を回避できる。


「よく考えたものだ」

「わてが考えたわけやおまへん。とあるお方の入れ知恵や」

「とあるお方? 誰だ」

「そら言われへんな。

 そういう約束で知恵をお借りしたんやさかい」


 この世界には、馬に乗る奴と馬しかいない。

 そして、意外なことかもしれないが、ジョン・ホッブズは管理職になっても、いまだに自分を馬に乗る方だとは思っていないのだ。

 ジョン・ホッブズは、ラグラミア王国という隣国から夜逃げ同然でこの国へやってきた商人の息子である。齢三十で路頭に迷い、冒険者に身をやつしたが、当然その能力は同輩に比べ著しく劣ったものであった。

 そんな彼がギルドマスターの地位にまで上り詰めたのは知恵を使ったからだ。

 「酸っぱい葡萄」という寓話がある。

 木の実を採ろうと背伸びをしても届かなかったキツネが、「あれは酸っぱい葡萄だ」と捨て台詞を吐いて去っていったという話だ。

 しかし、今のホッブズならば、負け惜しみではなく確信をもって断言するだろう。

 「美味しい果実が、常人の手の届く場所に実っているわけがない。それは味が良くないから、実力者たちの手で収穫されてはいないのだ」と。

 ただ闇雲に掲示板の仕事をこなしているだけでは、冒険者業界では決して伸し上がれない。

 常人より手足の短い自分が価値ある果実を得ようというなら、もっと別の方法で探し当てねばならない。

 彼は、どんな能力が社会で必要とされるのかを見出し、それを磨き上げたのである。

 それが何なのかを他人に聞かせてやる気はさらさらない。それは彼だけの命綱だからだ。


「一つ忠告しときまっけどなぁ……

 一代で貴族になろうちゅうんは危険な賭けや。

 たしかに平民から貴族になる人間はおらんわけでもない。

 けど、まず戦働きで騎士の位を賜り、そして孫ぐらいの代で血縁を結んで貴族の末席に加わるもんや」

「ジークフリード・クロウフォーガンは一代で貴族になったんだろ?」

「あのバケモンでさえ準男爵の爵位と辺境領主の地位で妥協したんやで?」


 それを臆病か聡明かと問われれば、間違いなく後者だ。

 男爵以上の地位になれば、多くの貴族の頭上を飛び越えることになる。

 彼らの掣肘に悩まされ、領地経営がうまくいかないこともありうる。


「会ったことがあるのか? あの英雄卿に……」

「だいぶ昔の話やがな……

 あれは絶対に敵に回したらあかん男や。

 しかし、他人を打ち負かしたり、支配したりすることにまったく興味がない。せやから田舎に引っ込んどるんやろ」


 そんな男がいるはずもないと、リゲルは鼻で笑う。

 事情はどうあれ、都落ちしたのはその程度の男だったからだ。

 だが、酒の席で相手の言い分を完全否定してやるのも野暮だ。

 話半分に聞いてやることにした。


「そうだったとしても、もう余命幾何もない老人だろう?

 跡取りがいないというので、慌てて庶子を嫡子にまつり上げたという……」

「いままで跡取りを作らんかったっちゅうんも、けったいな話なんや。

 まぁ、いずれにせよな。

 あんさんからは、あの男ほどの凄味はまだ感じまへん」

「凄味ねぇ……」

「まずは目先の目標を一つ一つ達成していくのがええやろ。

 あまり派手な真似をすると、ああいう大物を敵に回すわ。しかも複数同時にや」

 

 たしかに、出る杭は打たれるものだ。

 いずれあの放蕩公爵以外の後ろ盾は必要になるかもしれない。

 グラスの酒を飲みほしたホッブズに、若い黒服が近づいてきて耳打ちする。


「ギルドマスター、あなたに会いたいというお客様が……」

「今日は冒険者家業は店じまいや」

「しかし……」

 

 ホッブズは舌打ちし、黒服を面罵する。


「ほんま使えんやっちゃな! このボケ! 

 緊急やったら符牒を決めてあるやろ!

 取り次ぐべきかそうでないんか、そんぐらい自分で考えんかい!」


 そうこうしているうちにその意外な客は、ほっぶ現れた。


「やぁ、ホッブズさん。こんばんは」


 ホッブズは少々意表を突かれたが、動揺を悟らせぬべく気さくに声をかけることにした。


「……おう、ぼんやないか! 元気しとったか?」

「夕刻会ったばかりじゃないですか」

「何の用だす? わてと取引することはなかったんやおまへんか?」

「その節は申し訳ありません。

 サラブレッドはすべてサンディ・サイレンス卿からの預かりものなので、私の一存で勝手にお譲りすることはできなかったんです」


 白々しい笑みを浮かべる若造の名前は、ナイトハルト・クロウフォーガン。

 最近王都で出会った若者の中では見どころがある方だと評価したのは、その父親が偉大だからではない。自分の直感に過ぎないが、しかし仕事ぶりをみれば、その直感は間違ってはいなかっただろう。

 20頭のサラブレッドを捌いたのはこの男だ。

 保有している名馬を高値で売るのではなく、まず上級貴族に安値で譲渡し、その価値を最大限に高めた。

 結果は大当たり。今や、国内外の貴族や商人がサラブレッドを欲しがっている。

 ホッブズは手段を択ばず、そのうちの一頭を辛うじてふんだくったに過ぎない。

 およそあらゆる品物の値打ちは、需要の多さで決まる。クロウフォーガン家がおそらくまだ隠し持っているサラブレッドには莫大な値がつくだろう。

 それがたとえ傀儡として動いた結果だったとしてもホッブズの評価は変わらない。

 決して功を誇らず、無能を装っている者は他人の威光を十全に利用できるのだ。

 故に彼は警戒に値する相手である。

 

「実は、ホッブズさんを見込んでお願いしたいことがありまして」

「ほう、何や?」

「実は、親に遣いを頼まれましてね。

 領地の職人が作った品物らしいんですが、どうか目利きしていただきたいというんですよ。

 是非、専門家の目で……」

「なんでわてなんでっか? 王都には商人なんてゴマンといまっしゃろ?」

「もっといいものが作れるように、いろんな人の意見を聞いて、その職人に伝えてあげたいんです。

 御多忙かと思いましたが、執事は明日朝一で領地に帰らねばなりませんので……」


 取ってつけたような理由だ。 

 それなら猶更自分など訪ねてくるはずがない。

 おそらくは何か策を仕掛けてきたのだろう。

 とはいえ、どういう策なのか彼の手の内は知っておきたい。

 商売は時に、騙されてやることも必要なのだ。取るに足らない浅知恵であれば笑ってやればいい。


「……ま、ええやろ、ちょっとだけなら見てみまひょ」

「ありがとうございます。

 ……では、セドリック、お見せしなさい」

「はい、若様」

 

 ナイトハルトの後ろに控えていた老執事が、絹の風呂敷に包まれた箱を卓の上に置いた。

 その色は全くムラのないロイヤルパープル。南海岸の貝から採れる貴重な染料でしか出せない色だ。

 風呂敷を解くとこれまた見事な木製の箱が現れる。


「塗装は何もほどこされていないにもかかわらず、滑らかで真っ白な木肌……

 伐り出したばかりの若木のような清涼な香り……

 ………………もしかして、これは、桐でっか?」

「さようでございます。流石でございますね。ホッブズ様」


 桐は非常に貴重な木材だ。

 高温多湿の国で、貴重品などを保管されるために重宝されるというが、この国には自生していない。エルフ族の木工職人が作った品物がわずかに出回る程度だが、これほど精緻に作られたものを見た記憶はホッブズにはない。


「………もしや、ハイエルフの職人でも雇いはったんでっか?」

「いえいえ。

 見ていただきたいものは、中に入っている品でございます」


 ホッブズはやや緊張して蓋を開ける。

 釘や接着剤ではなく、木材を咬み合わせで寸分の狂いもなく縁取りされた蓋は、絶妙なる力加減で箱に密着していた。


「こ、これは……」


 桐箱の中に納められたものは、ビロードに包まれた銀細工。ただしそれは規則正しい音を鳴らしながら動いていた。


「これは、もしや時計……」

「はい。クロノグラフと申します」


 ホッブズは店の中央に置かれている大時計に目を向ける。

 四秒間に一度ゆったりと往復する長い振り子で動くホールクロックだ。

 近年、時計職人は増え、さまざまな意匠の時計が作らている。しかし、これほど小さく、実用性を兼ね備えたものはない。

 そもそも、こんな掌よりも小さな細工の中でどうやって振り子を動かしているのか?


「………まるで魔法や……まさか、神代の遺物!?」

「いえいえ、とある職人がつくったものでございます。

 たいへん手先が器用な者でございまして」 


 セドリックはクロノグラフを手に取り、後ろ蓋を外すと、麦粒よりも小さな金や銀の歯車がぎっしりと組み合わされ、動いていた。

 その一つ一つが金銀の光沢を放ち、まるで星空を思わせるような美しさだ。


「中はこのような構造になっておりまして、振り子の代わりにバネ発条の振動を利用しております。

 これの優れたところは、こうやって頭のボタンを押せば、経過時間を計測することができるという点でございます。

 精度は十分の一秒単位……」

「こりゃあ器用なんてもんやありまへんで? 神業や!」

「ありがとうございます。職人が聞いたら喜ぶでしょう。

 ………それで、ホッブズ様。もしこの品に値段をつけるとしたらいかほどですかな?」


 ホッブズは我に返る。

 酒が入っていた時の不意打ちではあったが、ホッブズは腹芸をすっかり忘れ、まるで駆け出しのヒヨコのように素直に驚愕し、称賛を口にしていたのだ。商人として何たる失態か。

 しかし、セドリックの視線を受けてホッブズは、改めて冷静に思考する。

 これは取引ではない。

 彼らは売るなどとは一言も言っていない。

 おそらくは彼ら自身がこの品物の価値を一番知っている。

 小癪にもホッブズの商人としての器を試しに来ているのだ。


「…………正直に言いまひょ。

 わてでは値段をつけられまへんな」

「ほう? それはなぜ?」


 この好々爺もなかなかに白々しい男だ。


「ごっつぅええ品やとは思いまっせ?

 しかし、こういう一品物には相場もありまへん。すべては買い手次第や。

 要は絵画なんかと同じ。欲しいという金持ちがいたら値上がりするし、誰も買わんのなら二束三文だす」


 商人としては降参に等しい態度である。

 しかし、賭けはときに降りることも必要だ。


「どうしても買い取って欲しいやったら一応、値ぇは付けますけど、わては商人でっからな。

 ……かなり買い叩かせていただきまっせ?」

「なるほど、なるほど………

 いやはや、大変正直なご回答、ありがとうございます」


 今のやり取りに何の意味があったのか、ホッブズはまだ理解できていない。

 単にお抱えの職人の腕を自慢にきたのか? そんなわけがない。

 となると、自分にどういう人脈があるか探りに来たのか?

 手の内を晒すのは癪だが、これほど金の臭いがする話を切り捨ててしまうのも惜しい。

 考えていると、リゲル・アドモスが尋ねた。


「そんなものが何の役に立つんだ?

 時間など、壁掛け時計で十分じゃないか」


 まるで三流商人の値切り文句に、ホッブズは鼻白んだ。

 もし同業者であれば、聞くに堪えない。

 商人であれば、それがいかに利益を生み出すかを考えてから値切り交渉に入るのだ。

 買うつもりがないなら、お世辞の一つでも言っておいた方がマシである。


「そうですね。たとえばですが、あらゆるものの速さを客観的な数値で測ることができます。

 どの地方の馬が速いのか情報を集めるのにも役立ちますね」


 そして、しばらく視線を天井に向けた後、老執事は思いついたように言った。


「一番利点が大きいのは、海上でも正確な時間がわかるということでしょうな。

 揺れる船の上では、振り子時計は正確には動いてはくれませんから」


 それを聞いた瞬間、その技術に秘められた計り知れない価値を見出し、ホッブズの喉が空嚥下した。

 ならばこれは、単に趣味人の嗜好を満たす工芸品ではない。

 世界を変える発明品だ。


「風任せで走る船の速さなど測る意味があるのか?

 どうせ正確な時間に船が付くわけがない」

「まぁ、そうでございますね」


 リゲル・アドモスに対しては適当に相手をしながら、セドリックはクロノグラフを桐の箱に仕舞い風呂敷に包みなおした。


「………待ちなはれ。セドリックはん……

 わてには買い取ることはできんけどな……

 そういう細工物にご執心な御大尽に心当たりぐらいならおまっせ?」

「それはありがたいお話でございますが、これをお譲りする相手はもう決まっておりまして……」

「……そ、それはどなたでっか?」


 尋ねておかねばなるまい。

 その人物がこのクロノグラフの有用性を理解していないのであれば、倍の値段、いや十倍の値段で買い取っても損はない。


「セドリックが言ったろう?

 こいつを届ける相手はもう決まっている。

 もっとも今の話をして価値がわからない奴なら、くれてやる気はなかったがな……」


 ナイトハルト・クロウフォーガンはセドリックから箱を受け取り、それを『相手』の胸に突きつけた。

 ホッブズの顔から媚びへつらいの笑みが消える。


「……率直に聞くわ。何が望みや? ぼん」 

「条件は一つだ」

「……公爵家から手を引けっちゅうんか?」

「いいや。

 あそことはもう縁が切れたんだ。

 当家は、ディングランツ公爵家の陪臣ではないからな。

 ティータ様には心から同情はするが、当主自らに裏切られてまで尽くしてやる義理はない」


 貴族としては当然の判断だろう。

 そもそもあんなことを繰り返してきたから、公爵の周囲からは人がいなくなったのである。

 本来なら綺麗さっぱり介錯してやったほうが世のためだ。

 お家は改易。当主は放逐、お姫さまは出家させて修道女。家臣たちには王城が就職先を斡旋……

 妥当な落とし所だろう。

 しかし、ならば何故自分にこれを見せたのか?

 今、彼との仲は決して良好とはいえないのに……


「こいつで巨万の富にかせぐ具体的な方法を考えてほしい。

 要するにこれは手を組もうという提案だ。

 断るというのなら、こいつはあんたの商売敵の手元に届く」


 これの有用性に気がつく人間は自分だけではないだろう。

 叩き潰すより味方に引き込み、その動きを悉に監視してしまおうという考えか。

 なるほど、激情で動いたりはしないとはなかなかに老獪な手を打ってくる。

 

「わてをこれを持ち逃げして、有力諸侯のもとに駆け込むかもしれまへんで?」

「しないさ。

 たとえ私たちを裏切ったとして、そこらの職人にこれと同じものが簡単に作れると思うか?」


 答えは否だ。

 実物を見せたら、いつか作れる職人も現れるかも知れない。

 だが、できたところでそれは何年先だ?

 似たようなものが作れるようになる頃には、その技術は周回遅れだ。

 二番煎じでオリジナルを超えることは容易ではない。


「何故わてなんだす?」

「決まってるだろ? あんたが働き者だからだ。

 これは私の一存ではなく、この国のやんごとなきお歴々のご意思でもあるのさ。

 国のために働くなら仕事もご褒美も貰えるが、期待に答えられなかった場合は、私よりも敵に回してはいけない人たちがでてくるだろうね」


 働き者は、必ずしも褒め言葉ではない。

 有能なら扱き使われ、無能ならば切り捨てられる。


「ほな、わてがしくじったり裏切ったりしたら、ぼんも咎められるんとちゃうんか?」

「それはないよ。別に私の献策ではないから。

 私はただあんたと面識があったから、この仕事を任されただけの使いっ走りさ」


 ナイトハルト・クロウフォーガンの表情には、嘘をついている人間に特有の気負いが現れない。

 となると本当にメッセンジャーボーイに過ぎないか、あるいは、自らですべてを画策したかのどちらかだ。

 それを確かめるすべをホッブズは持ち合わせていなかった。


---


 冒険者になるのに資格がないように、商人を名乗るのにも資格は必要ない。

 欲するものを手に入れるのに、危険な仕事を請け負うなら冒険者。金品を払うなら商人。労働で支払うなら労働者。体で支払うのなら娼婦だ。

 冒険者ギルドとは、生きていくために危険を冒さざるを得ないような連中が身を寄せ合い、知識や技術を共有し合うための互助組織である。

 ギルドにはギルドマスターの技能や性格が色濃く反映される。

 商人ジョン・ホッブズが率いる冒険者ギルド・黒波は、商いで大きくなってきたギルドである。

 

「しかし、ギルドマスター。

 船の上で正確な時計など必要があるのでしょうか?」

「アホか! それでも商人になる気あんのか!?」


 ホッブズは若い弟子の愚問に失望を禁じ得ない。

 しかし、これが教育を受けたわけでも、痛い経験をしたこともない一般的な若者だろう。


「陸の見えない外洋船の上で、船乗りはどうやって船の位置を知るんや!?」

「………そ、それは、羅針盤と船が進んだ時間で」

「アホ!

 おんどれが航海士やったら積荷は海の藻屑や!

 嵐で船が流されたらどうするんや! 

 知らず知らずのうちに危険海域に入っとるかもしれん。

 そうやって風まかせに進んどるから、莫大な金や商品がなんのご利益もない海神さまなんぞへの貢物になるんや!」


 どんな頑丈な船でも、位置を見失えば遭難する。

 そして、広域地図の端には、必ずと言っていいほど、巨大な蛸やウミヘビのような水生生物が描かれている。この世界では空想上の怪物ではない。

 何の目印もない大海原の上でそんな危険な海域に迷い込まないようにするためには、天文学の知識が必要なのだ。


「南北の位置は北辰星の高さでわかる。そして東西の位置は、時差でわかるんや!

 せやけど、揺れる船の上では振り子時計や砂時計では正確な時刻は測れんのや」

「なるほど、つまりこれが量産できれば、船が遭難しにくくなると」

「そして、金属をこれだけ精密に加工する技術があれば、今、そこいらの船乗りが使うとる六分儀や羅針盤よりずっとええもんが作れるはずやで……

 いままでよりずっと安全に外洋に出れるようになるんや!

 外洋にも安全に荷物を届けられるのなら、みんなその船に乗りたがる!

 荷主は荷を預けたがる。この国どころか大陸同士の海運を牛耳れるかも知れへんのや!」


 とびきりのニンジンだ。

 鼻先にこれほどの餌をちらつかされたら、商人ならば飛びつかぬ訳にはいかない。

 たとえ罠だとわかっていてもだ。

 若造にこき使われる屈辱など、二の次である。

 

「何をボサっとしとる! 出立の支度をせんかい!」

「ど、どちらへ」

「海や!」


 少なくとも、このクロノグラフに金や労働力を投資してくれる者たちは、内陸にはいない。

 こうしてジョン・ホッブズは、夜も明けぬうちから港町メディオに向かったのである。


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