ファースト・コンタクト
エリティア第三の都市トルサ。その兵舎内にある食堂の一角で,数人が,遅い昼食を済ませた後の雑談をしていた。
「おい,聞いたか?難民受け入れ作戦,遂に放棄だってよ」
すらりとした体躯の男が口火を切る。
「耳が早いですね,盗賊殿」
ローブをまとい,仮面をつけた男が感心したように言う。
「まぁ,盗賊は情報が生命線だしな。さすがにその辺はおろそかにできねぇ」
男,世界に最も名を知られた四つの冒険者集団である“四部衆”の一角,“風”のノエルは,ハハッと笑いながら言う。
「カッコつけてるけど,どうせ情報源はいつもの彼女でしょ?色男?」
「寝物語に情報収集とは,なかなかの色男ぶりじゃの。さすがは盗賊,諜報活動はお手の物と…」
悪戯っぽい笑みを浮かべながら茶化すのは,同じく“風”のハイエルフ,フレイア。それに相づちを打つのがドワーフのハーティ。
「バ…!お前ら,人聞きの悪い事言うんじゃねぇよ!」
殊更大げさな動作で周りを見回して風評被害が起こらない事を確認し,ノエルは言う。だが食堂が貸し切り状態となっているのは予め了解済みであるから,表情にもどこか悪戯めいた軽さが現れている。
「エリティア軍の最高司令官にして王妹のクリミア殿にそんな風聞が立っては気の毒というものです。二人とも,あまり大っぴらに口走ってはいけませんよ?」
仮面の男,魔法使いのノーブルが口元に苦笑を浮かべながらたしなめる。
「俺の名誉は無視かよ…」
「火のない所に煙は立たないもの。当然よね?」
肩をすくめるノエルに,にやにやしながらフレイアが言う。
「まぁ冗談はさておいて,いよいよ連合は苦しくなってきましたね…人員と資金の供給が途絶えたからには,放って置けば干上がるだけです」
「じゃのぅ。せめてマイシャだけでも取り返さねばジリ貧じゃ」
ノーブルの言葉にハーディが相づちを打つ。
「ねぇ…先日のアレ,どうしても気のせいと思えないんだけど…」
そこでフレイアが心配そうな表情を浮かべる。
「三つ目の封印が解けたかも知れねぇって,アレか?まぁウチの魔法屋二人の見立てが同じってのは確かに説得力はあるが,仮にそうなら間違いなく軍機だ。返答は一緒だろうな」
「そうですね…アリシアが帝国の占領下でなければ,そちらで確認をとる事もできたのですが…」
ノーブルが口惜しそうに言う。
「まぁどのみち後が無くなっちまったんだ。より深刻になるかどうかってところはともかく,連合は行動を起こさねぇわけには行かなくなった」
そこまで言って一つ溜息をつき,ノエルは言葉を繋ぐ。
「さてそこで,今日の本題は,俺たちがその流れにどう関わるかって事だ」
一同の顔が神妙になる。
「ウチのお姫様は,正直アレじゃおっかなくて戦場に出せねぇ」
肩をすくめてまた溜息を一つ。首を左右に振ってノエルは続ける。
「しかも現状で,改善の見込みはほとんど立たねぇときた。それどころか期限に向けて下り坂一直線だ」
「さすがにちょっと,どうしようもないわよねぇ…」
フレイアが頭を抱える。
”紅き流星”ことシャルルは,帝国の漆黒将軍ヴァニティに完敗を喫して己の力不足を痛感し,自らを鍛え上げるべく一時的にエリィの下を離れた。しかしそれは”風”の中だけの秘密で公表されてはおらず,当初はそのために随分とエリィに批判が集中した。
その後のトルサ攻防の緒戦でエリィは鬼神の如き戦果を挙げ,”純白の舞姫”の二つ名を以て呼ばれるようになったため,現在では彼女を悪く言う者は居ない。だがそれはそれとして,失踪したシャルルへの不満はやはりくすぶり続けている。
それもエリィの精神には少なからぬ悪影響を及ぼしていた。エリィは,どこかで自分を鍛え直しているシャルルの耳にそれが入り,どこか思い詰めるところのある彼がより一層の過酷で危険な試練を己に課すのではないかと心配していたのだ。
「消息だけでも分かれば随分と変わるんじゃろうが…」
髭に手をやりながらハーディが言う。
「まぁそれは趣旨的に禁忌だしな。そもそもそれでいいなら旅に出る必要なんか無ぇ」
ぼりぼりと頭をかくノエル。この辺りについても,既に何度も繰り返されたやり取りである。
「ともかく俺としては,ここでお嬢ちゃんを戦場に出して”風”まで崩壊させちまいたくはねぇ。世界が終わるかってところでそんな事言ってる場合かってのも分かるが,どのみち現状じゃ役には立てんしな」
「エリィが出るって言ったら…?」
「思いとどまらせるさ。『奴の帰る場所を無くすつもりか』で,止められる筈だ。…ヘッ,こっちの都合でダシにするってのは後味も悪ィが,まぁ奴もその辺りは大目に見てくれるだろう」
苦笑するノエル。
「お主は良いのか?盗賊の?」
そこでハーディが控えめに尋ねる。
「あん?」
ノエルは質問の意図を測り兼ねて頓狂な声を上げる。
「エリティアのお姫様が心細がるじゃろう?」
「…おいおい。それじゃ何か?アンタは,エリティアに義理立てして”風”が潰れても良いのかい?例えば俺がそっちに囚われて”風”を犠牲にしても?」
「…それは確かに困るが…」
ぐむぅ,と唸るハーディ。
「それにな…俺たちはどこまでいっても雇われだ。ろくに働けもしねぇのに居座って,給金だけ取るってほうが信用的にかなりまずいだろう?」
「まぁ,のぅ…」
「脱線を元に戻すぞ。ともかく,お嬢ちゃんがあんなじゃとても第一線は無理だ。俺としては適当なところで契約を打ち切って,少なくとも状況が改善するまでは後方で様子を見るべきだと思う」
「それが,妥当でしょうね。少なくとも姫が復調しない限りは危険すぎます」
ノーブルが相づちを打つ。
「まぁ,そうなるよねぇ…」
「うむ…儂も異論は無いぞい」
口々に賛意が表明される。
「よし,多数決決定だな。じゃぁエリティアには悪いが今回はパスって事で…」
そこでノエルは言葉を切ると,声を落とす。
「おいでなすったか…って…何だありゃ?」
一人の男が食堂へ入ると,一同の方へと真っ直ぐ向かってくる。それを見て目を丸くするノエル。
「随分と怪しげな格好じゃのぅ…」
一同の気持ちを代弁してつぶやくハーディ。
男が着ているのは確かにエリティア軍の制服なのだが,およそ規律正しいエリティア軍の軍人とは思えない大胆な着崩しで,ややもするとそれによく似た別の服なのではと疑ってしまうほどだ。
さらに得体が知れないのは,男が目の部分に装着している仮面のようなもの。およそ他には類を見ないもので,その視線がどこを向いているのか全くうかがい知ることができない。
「くせ者にはくせ者,的な何か?随分気に入られてるわねノエル殿」
「なぜ俺限定…?」
しかし男が近くまでやってきたので,ノエルはそこで切り上げる。
「”風”の方々…で,間違いありませんな?」
「ああそうだが…そういうアンタは?」
「私はガイナット=クーラ大尉。以後お見知りおきを」
男,クーラはそう言って握手を求める。
「ほぅ,アンタがあの…噂は聞いているぜ。俺はノエルだ」
それに応えるノエル。
「私はフレイア」
「ハーディじゃ」
「ノーブルと申します」
各々と握手するクーラ。
「で…一般にゃあまり知られてねぇがその筋じゃそれなりに名の通ってるエース様が,どんな御用で?」
軽い口調でノエルがいきなり本題に斬り込む。
「あまり買い被らないで頂きたいものですな。エースと呼ばれるほどの中身は私にはありませんよ」
その筋などと言っても結局は大佐だろう。苦笑するクーラ。
「まぁ,大きな動きについては予想されている通りです。ご存知の通り,難民受け入れ作戦は先日帝国に知られ阻止されてしまいましたからな」
「で…俺たちに出張れと言いに来たってわけかい?」
「それを見極めに」
「ほう?」
意外そうな顔で言うノエル。
「いちいち言うまでもない事とは思いますが,より万全を期すならば猫の手も借りたいところです。ですが…”風”,特に”純白の舞姫”が見る影も無くなったという噂は私の所にも届いておりましたからな」
何とかしろという命令を受けてきた事などおくびにも出さず,クーラは言う。
「つまり,契約に見合った働きができるかどうか調べてから話を出したい,って事かい」
苦笑しながらノエルが言う。
「まぁ…連合は資金源を断たれてジリ貧ですからな。出せる報酬に限りがあるという事も否定はしませんが…」
こちらも苦笑しながらそう言うと,クーラは言葉を繋ぐ。
「むしろ,我々のような本業でもないあなた方を,札束でその横っ面を叩いて死地に蹴り込むのは心苦しいと,そういう事です」
「言ってくれるのぅ…」
ハーディが髭をいじりながら言う。
「気分を悪くされたのならば謝りますが…極論,あの漆黒将軍を止める役割が回ってくるという話にもなりますからな。足下を見ているとか見くびっているとか,そういう話では決してないとご理解頂きたい」
「む…」
その名を聞いて,ハーディは二の句を継げなくなってしまう。
「確かにな。奴を…少なくとも今の嬢ちゃんに止めろってのは,かなり酷な話だ」
それをノエルが引き継ぐ。
「正直,今思い出しても身震いするほどのデタラメな強さだ。向こうも向こうで精彩を欠いているような感じもあるが,まともに考えりゃ割に合わねぇ仕事だ」
エリティアの国家予算数年分でももらえるんならバクチもあるかも知れんがな,と肩をすくめておどけてみせるノエル。
「それほどなのですか…”風”にその人ありと謳われたノエル殿の言葉は軽く見るわけにはいきませんね」
「おいおい,その”風”を見る影も無いとこき下ろしたのはアンタだろ?大尉?」
「これは手厳しい。では第二案を先に言っても?」
苦笑しながらクーラは言う。
「…第二案?」
「ええ。”風”としてはともかく,エリティアにはノエル殿の手腕を疑う者はおりませんからな。仮に”純白の舞姫”と行動をともにして”風”が戦線を離脱した場合,せめてノエル殿にだけでも残って頂きたい,というのが第二案です」
「あー…やっぱりそうきちゃうかぁ…。まぁ確かに,エリィが離脱すると,付き添いの私らも間違いなく離脱だもんね」
フレイアがにやにやしながら言う。別の意味で面白がっているのは明らかだ。
「おい,何だよ。それじゃ俺が一番”風”に不義理な奴って事になっちまうじゃねぇか」
「何なら,療養中の儂らの当座の生活費を稼いでくれても良いのじゃぞ?義理堅いノエル殿?」
憮然とするノエルをハーディが茶化す。
(なるほど…報告書の通りだな)
諜報部はいい仕事をしている,とクーラは密かに称賛する。眼前では,まさにそれを読んで頭に思い描いた通りのやりとりが繰り広げられているのだ。半分は駆け引きで提示した第二案も,彼らがこちらの予想通りの腹案を持っていたからこそ機先を制した格好になったのだろう。つまりは諜報部の分析が精確であるという事の証明だ。
幾分精彩を欠いているように感じるのは,本来そこに加わるべきエリィの不在と不調とが暗い影を落としているからだろう。
(やはり彼女の状態は思わしくない,か…)
分かってはいた事だが,やはり暗澹たる気持ちになる。ノエルの見立てでは難しいという事だが,それでも現状,漆黒将軍と対峙できる可能性が一番高いのは彼女なのだ。
「話の腰を折って申し訳ありませんが…」
思わず気が滅入ってしまうようなそれを振り払い,クーラはノエルたちの掛け合いに割り込む。
「こちらもクリミア大佐直々の命を受けて来ております。その後どうするかはともかく,せめて”純白の舞姫”に逢って直接その状態を見極めさせて頂きたいのですが…」
「あぁ,まぁそれもそうだな」
呆れられたと思ったのだろう。ぼりぼりと頭をかきながらノエルが言う。
「嬢ちゃんなら,もう間もなく来るはずだ」
彼は言いながら用意された,しかしすっかり冷めきってしまったと思われる食事を指さす。
「…」
これはよほどの重症か。武道家としても冒険者としても身体は資本だ。量はともかく食べようという意欲すら失われているのは致命的と言っても差し支えない。
「お,来たようだ」
「!」
どうしようもないほど萎えてしまい,ともすれば霧消してしまいそうな自らの気持ちを,繋ぎとめることに没頭し過ぎてしまったらしい。ノエルの言葉に我に返ったクーラは,背後に人の気配を感じて振り返る。
(…なんだ…この感覚は…)
そこで不意に襲ってくる得体の知れない感覚。
「嬢ちゃん。こっちはエリティア軍の大尉だ。上の命令で,嬢ちゃんの様子を見に来たんだと」
「…そう…」
うつむいていた顔を上げてちらりとクーラを見るが,ほとんど何の情動も感じられない声でエリィはそれだけを言う。
「ガイナット=クーラ大尉です。はじめまして,エリィ殿」
こんなことは初めてだ。居心地の悪さに耐えながら握手を求め手を差し出すクーラ。
「…エリィです…」
やはりほとんど何の感情も示さないまま,それを受けるエリィ。
(!?)
手が触れ合った瞬間。そこから奔流のように,クーラの中へとその感覚が流れ込んできた。
(う…っ)
そしてその感覚は,クーラの中の感情を急速に膨れ上がらせていく。
「…?」
異変を感じ,手を引っ込めながらさすがに怪訝そうな表情を見せるエリィ。だがそんな彼女の弱々しい雰囲気が,クーラの感情をさらに膨れ上がらせる後押しをした。
それは,雑多な,しかしおしなべて負の感情と言って良いものばかりだった。怒り,悲しみ,落胆,罪悪感などなど。それらに類する感情が押し寄せてきたと,後で思い返せばそう分析できなくもない。
だがそれらは,その場ではクーラにその余裕を与えなかった。
「正直…がっかりですな」
クーラが我に返ったのは,すでにその言葉が口をついて出た後だった。