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賽は出鱈目に

「ガイナット=クーラ大尉,入ります」

 そう言って扉を開け,敬礼をしてからクーラは中へ入る。

「元気そうだな,大尉」

 大きめの机の向こうで,比較的小柄なクリミアが笑みを浮かべる。

「ちゅ…失礼しました,大佐もお変わりないようで」

 エリティア王妹クリミアは,先頃大佐に昇進していた。対帝国戦の緒戦において佐官以上のほぼ全てを失ったエリティアは,立場上は元帥だが病弱もあって前線に出られない国王に代わって,当時小佐として従軍し難を逃れたクリミアが指揮を執り続けてきていたのだ。

 二年近くの時を経て,佐官には何人かが昇進した。だが彼らは例えば後方支援が主な任務であり,前線での実績で言えば相変わらず彼女と,その補佐として戦い先頃ついに小佐へ昇進したラルスが飛び抜けている。尚武の気風にあふれるエリティアということもあって,昇進にせよ前線の指揮にせよこの二人の実績を引き合いに出してそれを遠慮するという空気は確かに存在していたのだ。

「報告は見た。とうとう対策を講じられてしまったな」

「ハッ」

「いよいよ,反攻作戦開始だな」

「…しかし…」

 そういう計画だった事も重々承知しているが,クーラは敢えて異を唱える。

 連合には決め手がない。敗れれば後もない。分の悪い博打に全てを賭けろと言っているようなものだ。

「分かっているよ,大尉。明るい材料が何一つとして無い事は,今に始まった事ではない」

 ひとつ溜息をついてクリミアは言う。

「だが,行動を起こさねばじりじりと状況が悪くなるだけだというのも今に始まった事ではない」

「…」

 それはその通りだ。人的な流入が途絶えればこれ以上の戦力の拡充は見込めない。しかしそれはすでにエリティア一国の国庫で維持できる規模ではなく,それを援助してきたルトリアからの資金流入経路も絶たれてしまったからには,痩せほそってゆくのも火を見るより明らかだ。

「出資者は無下にできませんか…」

 それでも承服しかねる。そんな思いが多少本題から外れた皮肉の形でクーラの口をつく。

「耳の痛い現実だが,まぁそう言うな大尉。賽は投げられたのだ」

 また溜息をつくクリミア。

「それでだな…」

「お断りします」

「まだ何も言っていないが…」

「仰らなくても分かります。それも今に始まった事ではないでしょう?」

 やり返すかのように溜息をつくクーラ。クリミアが言おうとしているのは,昇進の話だ。

「しかしだな。私とラルスを除けば間違いなく…いや,除かなくても遜色ない程に大尉は戦果を挙げているのだ。それに見合った昇進をさせねば…他の者にも示しがつかんだろう?」

「それは作戦が限定的だったに過ぎません。たまたま私が当たったというだけの話で,さして難しいものでもありません」

 即座に反論するクーラ。現実問題としてここしばらくは小競り合いもご無沙汰だ。難民流入作戦くらいしか軍事行動がないのだから,それを指揮しなければ戦果らしい戦果など挙がるはずもない。

「だがな大尉」

「お言葉ですが大佐。エリティアの軍人でもなければ分からぬ作戦の,本来公にはしない筈の戦果です。その作戦に従事している兼ね合いで表に出ていない私が昇進など,逆に他の者を差し置いた格好になるでしょう」

「しかしだな…」

「お断りします」

 しばらく静寂が辺りを包む。

「大尉…これも今に始まった事ではないが,本来任官拒否は…」

 うんざりしたようにクリミアは言う。だがこれには理由があった。

 本来的には,任官拒否は重罪である。そして国民皆兵のエリティアでは,それは不名誉な事だというのが一般的な認識である。

 その認識のゆえに,逆に自分が官位に見合わないと言い出す者が続出しているのは事実だが,それを打診されている事じたいは名誉な事という認識に変わりはない。

 ところが,そうではない認識の者がここに居る。表立っては決して言うわけには行かないが,クリミアは目の前のクーラがまさにそういう者だと知っているのだ。

「仰りたいことは分かりますが,私にも譲れないものがあります」

 任官を後ろ向きな理由で拒否したなどという情報がちらとでも外へ漏れれば,おそらく世論が黙っていない。場合によってはまともに表を歩けなくなるだろう。

 だがクーラにとってはそれはどうでも良い事だ。そもそもが,それらの価値観と大きくかけ離れた目的で軍籍に居るのだ。これ以上昇進して身動きが取れなくなってしまう事を何よりも嫌っている。

「…」

 苦虫をかみつぶしたような表情をするクリミア。

 しかしそれは,この人材難の状況にあって志を持たぬが有能な部下を処分できない苦悩といった類のものでは無い。彼女はクーラがそう主張する理由もそれなりに詳しく知っている。そして個人的にはむしろ同情的で共感的なのだ。だからこの表情は,公私の狭間で揺れていると言った方が正しい。

「ならば,代案を出そう」

 またしばらく室内を包んだ静寂を破り,溜息交じりにクリミアは言う。

「…代案…ですか?」

「そうだ。どうしても貴官が昇進を拒否するというならばやむを得ん,そこはこちらが譲ろう。だがそれに見合った任務はこなしてもらうぞ」

「…」

 これは,断るに断れない無理難題が降ってくる。クーラはそう思った。

 少佐に昇進するという事は。少なくとも別動隊,普通に考えて一軍,最悪では攻撃軍全軍の指揮を執る可能性があるという事だ。ラルスが中佐に上がれば最悪は無くなるかも知れないが,仮にマイシャを抜き帝国領に深々と侵攻すれば,展開次第で第三勢力を交えた三つ巴,すなわち二正面作戦になる可能性もある。

 そこで指揮を執る事を拒否している自分に対し,代案と言うからには,戦局を左右する任務になるのは見えている。

「最終確認だ,大尉。どうしても,昇進は拒否するのだな?」

「…拒否します」

 逃げ道を塞ぎに来たか。クリミアの物言いにどうしてもそんな雰囲気を感じてしまう。だがそれがあくまでこちらの心情的なもので,合理的には精いっぱいの譲歩だという事も分かっているつもりだ。

「分かった…」

 また溜息をついて,クリミアはしかし意を決して言葉を繋ぐ。

「ではガイナット=クーラ大尉,貴官に特務を命ずる」

「…特務?」

「詳細はこうだ。貴官も兼ねて主張していた通り,現状で我らが行動を起こすのを躊躇った理由の一つは絶対的エースの不在にある。緒戦に於いて驚異的な戦果を挙げた”純白の舞姫”も最近はまったく見る影も無い。だが,戦況はもはや予断を許さない」

「…」

「そこで貴官には,速やかに”風”と合流。この”純白の舞姫”を可及的速やかに,戦力として計算できる状態まで回復させてもらう」

「なっ…!」

 耳を疑うクーラ。

「要求水準は,緒戦に於ける”純白の舞姫”のそれとする。…ただしこれはあくまで,その水準のエースを一人分確保しろというものだ。彼女単体をそこまで回復させるのがもちろん理想だが,貴官が彼女を援護し総体としてそれを満たしても構わないし…極論,貴官が単独でそれだけの働きをしても構わない」

「…それは…」

 無理難題だ。ぐらり,と世界が回るような感覚に襲われてクーラは二度三度と頭を振る。

 エリティア第三の都市トルサの攻防戦で彼女が挙げた戦果は,聞く限りでは鬼神のそれだ。到底自分が及ぶ域ではない。

「聞くところによれば…」

 クリミアは淡々と言う。そこに何の感情も入らぬように気を遣っているのは明白だ。

「”純白の舞姫”の不調には,失踪した”紅き流星”が少なからず関係しているようでもある。となれば…決して簡単な任務ではないが,貴官ならば見事この重責を果たしてくれるだろう」

「大佐」

 そこでクーラはクリミアの言葉を遮る。

「それはつまり…彼女を戦力として使い物に…極端な話,帝国を打倒するまでもたせさえすれば良いという事ですか?そのための手段は問わないと…」

 いざとなったら切り札を使え。クリミアは暗にそう言っている。甚だ迷惑な話だが確かにそれは切り札たり得る。しかしそれを使うにはかなり後味の悪さを覚悟しなければならない。

「そうだ」

「それで良いのですか?そんな事をすれば”風”は…大佐は…」

「言うな」

 クーラを真っ直ぐに見据えてクリミアは言う。

「あくまで帝国打倒のための最短最良の方策を求めねばならぬのだ。私情を挟んでいる場合では無い」

 誰もことさらそれに言及はしないが,クリミアが”風”のノエルとかなり親密な関係にある事はなかば公然の秘密で,それに異論をはさむ者も居ない。

 エリティア軍の全てがその双肩にのしかかったクリミアを,主に精神面で支えてきたのがノエルだった。軽口を叩いて決して雰囲気が重苦しくならぬようにしながら,その卓越した戦術眼と的確な助言で幾度もエリティア軍の苦境を救ってきた。エリティアとしても彼には頭が上がらないわけだし,クリミアが彼に惹かれていったのも当然の事と言えた。

 だが今回の作戦は,展開によってはその恩を仇で返す事にもなりかねない。

「しかし…」

「大尉。これは世界の命運に関わるのだ。私はエリティアの元首として,大局を見据えねばならん」

「…大佐?」

 その言葉を聞きとがめる。

「…これは軍機だ。他言はするなよ大尉」

 クリミアは声を落として言う。

「兄上は…元帥閣下は,先日亡くなられた…」

「!?」

 クーラは再び耳を疑う。

「正確には…何者かの襲撃を受けて命を落とされたのだ」

「陛下が?…ですが,しかし…」

「それにしては静かすぎると言いたいのだろう?」

 小さく溜息をついてクリミアは続ける。

「だが事実だ。この状況でそれを公表するのは連合にとって致命的…そういう判断で,伏せてあるのだ」

「では…まさか…」

「その通りだ。すでにエリティアの封印は帝国によって解かれてしまっている」

「…っ」

 ごくり,と唾を飲むクーラ。この世界にあった四つの王国,そのそれぞれが護ってきた邪神の封印のうち三つまでが解かれてしまったという事だ。しかも残りの一つ,アリシアのそれはかなり前から風前の灯火の状態だ。

「もはや一刻の猶予も無い。我々はすぐに反攻作戦を開始し,帝国を押し返さねばならん。今は影武者を立ててこれ以上の悪影響が出ぬようしのぎつつ,速やかに行動を起こす必要があるのだ」

「…では,それまでに”純白の舞姫”を何とかしろと…」

「そういう事だ。実際問題として敵のエースと対峙するまでの猶予はある。だが,いつそれが来るかは分からないのだ」

「…」

 反抗の手始めとなるマイシャの奪還戦に漆黒将軍が出て来れば,すなわちそこがリミットという事だ。

「手段を選んでいる暇は無い」

 自分にも言い聞かせるように,クリミアはそう締めくくる。

「…やむを得ませんな」

 溜息を一つついて,クーラは言う。

「どれだけの事ができるか分かりませんが,善処しましょう」

「…余計な事は考えなくていいぞ?」

 そこで胡乱な目を向けながらクリミアが付け加え,思わずクーラは吹き出す。

「失礼いたしました。しかし…余計な事,とは?」

 そうは言うものの,クーラにはクリミアの言いたい事など百も承知だ。何のかんのと言って彼女は,自分の私情が作戦に影響を与えるかもしれない事を良く分かっている。下世話な言い方をすれば,律儀な部下が上官の恋路を潰してしまわぬようにと気遣って作戦の難易度を上げてしまう事を心配しているのだ。彼女は目の前に居る部下が,そういう奴だという事も熟知しているのだ。

「分からぬのならば良い。そのまま気づくな。貴官はただ己の任務に邁進してくれれば良いのだ」

 多少顔を赤くしながらクリミアが言う。口に出す事には随分と躊躇いもあったろう。逆にそれを期待していると受け取られはしないか,そんな迷いがあったはずだ。

「…ハッ。善処いたします」

 踵を揃え,直立して敬礼する。

「では…大尉」

 気まずそうな表情で敬礼を返したあと,コホン,と一つ咳ばらいをして。意識を切り替えたクリミアは言葉を繋ぐ。

「本日ただ今を以て貴官を,対帝国戦の特務大尉に任命する」

「!?」

 思わずあんぐりと口を開いてしまうクーラ。

「…当然だろう?ただの大尉の権限で遂行するには明らかに大きな任務なのだ」

 しれっと言うクリミア。

 特務官は,その遂行する特務に関わる部分に於いては二階級上と同等の権限を付与される。したがって特務大尉は,二つ上である中佐と同等の権限を有する事になるのだ。しかも対帝国戦のなどと言われたからには,少佐であるラルスすら飛び越えて,実質エリティア軍でクリミアに次ぐ権限を与えられたに等しい。

「…それだけの権限を与えて頂いたからには,粉骨砕身,八方丸く収まるように尽力いたします」

 精いっぱいの皮肉で返すクーラ。だがさすがに,これも拒否するわけには行かない。

(…やれやれだな…)

 すぐに動かねばなるまい。まずは現状の把握だ。そもそも”純白の舞姫”は本当に回復可能なのか。だが回復してもらわねば自分にお鉢が回ってくる。

 いくら苦しい台所事情と言っても運頼みのいい加減な作戦にも程がある,などと思っていても口にできるはずもない。作戦計画を受領して敬礼し,執務室を後にしたクーラは前途を思って溜息をついた。

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