外野の密談
「やること?」
「ああ。俺らはそろそろ,大尉をどうするか決めておかなきゃなんねぇ」
「む?黒メガネを,か?」
きょとんとするハーディ。ノエルは頷いて言葉を繋ぐ。
「大尉の出方と状況によっちゃあ,”風”もお嬢ちゃんも再起不能になるかも知れんからな」
「な,な,何ぃ!?」
「ええ!?」
驚くハーディとフレイア。
「と,盗賊の!それはどういう事じゃい!?」
「順を追って説明するとだな…」
ノエルはおもむろに口を開く。
「まず,お嬢ちゃんの状態をどう見る?大尉が現れる前と今とで,良くなってると思うか?」
「む?それは…良くなってるじゃろう。黒メガネを認めるのは面白うないが,嬢ちゃんが元気になった事だけは認めねばならん」
憮然としながら渋々といった様子でハーディは言う。
「俺はそうは思ってねぇんだ。見かけ上は確かにそうかも知れんが,むしろお嬢ちゃんの状態は悪くなってると思う」
「何じゃと?」
「そもそも,お嬢ちゃんが落ちて行った原因は間違いなくあの野郎だ。だからお嬢ちゃんが野郎の事を完全に吹っ切りでもしない限りは,野郎がお嬢ちゃんの心に開けちまった穴は拡がり続ける」
「む…っ」
「お嬢ちゃんは相変わらず肝心な所を教えてくれねぇが…様子から見て俺は,期限は二年だと思ってる。まぁおそらくお嬢ちゃんの二十歳の誕生日が最終日だろう」
「あー…言われてみればそんな感じね」
腕組みしながらフレイアが言う。
「で…それに応急処置をしたのが大尉だ。前にも言ったが,お嬢ちゃんを怒らせる事で…そうだな,ちょうどでかい穴の口に蓋をかぶせたようなもんだ」
先ほど給仕が運んできたグラスの中身を飲み干して空にすると,それにコースターをかぶせて見せながらノエルは言う。
「で…怒ったお嬢ちゃんはその蓋の上に飛び乗った格好で,今一時的に精神状態は元に戻ってる。だが…」
「流星君が戻ってきていない以上,穴は無くなってないって事か…」
「そういうこった。しかもここで問題なのは…怒りなんてのはしょせん一時的な劇薬で。いずれなくなっちまう」
コースターを指でちょいちょいと押しながら,溜息をつくノエル。
「お主の言っとる事が本当なら…蓋がなくなれば嬢ちゃんは落ちてしまうではないか」
「ああ。しかも…徐々に沈み込んであそこまで行ったのとはわけが違う。より深く大きくなった穴に,突然落っこちる羽目になる」
「何を悠長な事を言っとるんじゃ盗賊の!これは由々しき事態じゃぞ!?」
「早まるなよお父さん。ここまでは仕掛けた大尉も良く分かってるんだ」
肩をすくめてノエルは言う。
「だからもう,次の手を打ってきてる」
「次の手…?」
フレイアが聞き返す。
「お嬢ちゃんの怒りが収まる…つまりは,この蓋が縮んじまってお嬢ちゃんが足を踏み外す前に,よりしっかりした足場の所へ誘導しちまおうって魂胆だな」
「もしかして…」
「そ。要はアリシア女王と伝説の龍戦士…演じなきゃなんねぇ役柄の関係を延長して,お嬢ちゃんの良い人までも演じちまおうって作戦だ」
「何…じゃとぉ!?」
愕然とするハーディ。
「おのれあの黒メガネっ…調子に乗りおってからに…」
「まぁ待てよお父さん…この件に関しては,大尉だけを責めるわけにもいかん」
「何ぃ!?」
「こないだも言ったが,俺らにゃ他のどんな代案も無かったんだ。それに,現実問題もっとも手っ取り早いのはそれだってのも妥当な判断だ。加えて…」
「まだ何かあるんか」
「そこまで見切った上で,後押し気味に口実を与えたんだろ?」
ちらりとノーブルの方を見ながら言うノエル。
「!?」
驚愕するハーディ。
「ええまぁ…」
それだけを言うノーブル。
「ど…どういう事じゃ魔法男っ!?あんな黒メガネに嬢ちゃんを売り渡すような真似を…」
「まぁノーブルには後でその真意を問いただすとしてだ…俺もまぁ条件次第でありっちゃありだとは思ってる」
ノエルが苦笑する。
「ど…どういう事よ?」
フレイアがそれを聞きとがめ,口をとがらせながら言う。
「俺は最悪の場合…つまりは野郎が期限までに帰らず,極限まで拡がりきった穴にお嬢ちゃんが真っ逆さま,って場合を心配してるんだよ」
「む…っ」
「さすがに最終日にゃ,他のどんな誤魔化しも効かねぇと考えるのが妥当だろ?となりゃ,それまでの間に大尉が野郎の肩代わりをできる存在になってくれるほうが有難ぇ」
「でも…」
「言いたいことは分かるぜ,お二人さん?」
苦笑するノエル。
「俺だって,全くの打算で大尉のやり口を黙過するのは良心がとがめる」
「なら何で…!」
「だが…逆にそれが,打算でなくなるなら問題ないってこった」
「む…?」
またきょとんとするハーディ。
「俺の立場はこうだ。大尉が全くの打算でお嬢ちゃんを使い捨てにするってんなら,すぐにでも契約を反故にしてこの件から手を引き,距離を置く」
ノエルは指をちょいちょいと振りながら言う。
「なぜなら,それはつまり作戦を遂行するためだけの手管だからな。いきおい作戦が終わればハイサヨウナラって事になる危険があって…最悪,お嬢ちゃんが野郎にも大尉にも捨てられるって状況が起こり得る」
「!」
「そ…れは…」
「そうなってみろよ,お嬢ちゃんも”風”も再起不能になるかも知れねぇだろ?それに比べりゃ,契約を反故にするほうがマシだってのが俺の考えだ」
ところがだ,と言ってノエルは溜息をつく。
「大尉の行動には,腑に落ちねぇ部分がある。…全くの打算かってぇと,どうも違うんじゃねぇかと思っちまうんだな」
「えっ?じゃぁ…」
「そこがちょっと自信がねぇ。どこまでが建前でどこからが本音なのか,どれが演技でどれが素なのか…ノーブルの与えた口実をこれ幸いと利用したのは間違いねぇが,それが打算オンリーだとも違うとも,現時点では断言できねぇんだ」
ぼりぼりと頭をかくノエル。
「そこを見極めるまで待つかどうかってのも決めとかなきゃならんが。仮に大尉にその気があるってんなら…後は当人同士の問題で,お嬢ちゃん次第だろ?野郎が戻ってきた時に修羅場になる可能性は高いが,まぁ選択権がお嬢ちゃんにあるわけだからそこは目をつぶっても良い,と思ってんのさ」
「ふぅむ…」
腕組みをするハーディ。
「なかなかの辣腕ねぇ…」
苦笑するフレイア。
「そいつぁ言いがかりだぜフレイア?」
ちっちっと指を左右に振りながらノエルが反論する。
「こいつは,なかなか戻って来やがらねぇ野郎が当然負うべきリスクさ。お嬢ちゃんほどの女を簡単に確保しておけるなんざ,考えが甘ぇ。それにお嬢ちゃんが壊れたら野郎も困るだろ?これは野郎の為にも必要な事なのさ」
「間男をけしかけて,そんな事言っちゃうわけ?」
「それも違うな。俺はあくまで,現状を慎重に分析して,導き出される可能性に応じた話をしてるだけに過ぎねぇ。けしかけようとしてるのは,むしろノーブルだろうがよ」
「あ…」
そこでハッと我に返るフレイア。
「さてそろそろ聞かせてもらおうか,ノーブル?俺らの知らねぇ大尉の情報を知ってるのか?それで,口実を与えても良いと思ったのか?」
涼し気な顔の魔法使いに視線が集まる。
「…別に特別な事を知っているわけではありませんよ」
やや間を置いて,おもむろに口を開くノーブル。
「じゃぁどうしてよ?打算だけで動くような人なら,百害あって一利なしじゃないの?」
「要は…選択権を姫の側におければ良いのでしょう?」
「…は?」
ぽかんとするフレイア。
「つまり…姫だけがその気ならば選択権は大尉の側となってしまいますが…大尉もその気なら,それは姫の側へと移ります」
淡々と言うノーブルはしかし,そこでニヤリと笑って言葉を繋ぐ。
「現状が打算であろうとなかろうと,将来的にその気になってしまえば良いわけです。極端に言えば…その気にさせてしまえば良いわけですよ」
「おま…っ」
さしものノエルも呆気にとられる。
「まぁそこだけ聞けばかなり悪辣な奸計という事になるでしょうが…そもそも論で言うなら,姫の魅力に抗える男などよほどの木石か壊れでしょうからな?ささやかな働きかけさえしてやれば,さして難しい事でもないと思いますよ」
「それはまぁそうじゃが…しかしあの黒メガネが嬢ちゃんに相応しいのかというと…」
「それを決めるのは姫ですよ,ドワーフ殿。そのための選択権です」
うーむと唸るハーディに,にっこり笑って言うノーブル。
「避けるべき最悪は…大尉が姫に似つかわしくない二束三文だったとして,それに姫が捨てられるという局面だけですからな。主導権を姫の側から動かさないようにして,姫が安物買いに走らないようにさえ気を付けていれば良いだけです」
「おお…なるほど」
感心したように言うハーディ。
「…親バカ?」
「それも超ド級の,だな…」
顔を見合わせて溜息をつくフレイアとノエル。
「…まぁ,良い」
しかしすぐさま気を取り直し,ノエルは言う。
「ここまでをまとめると。ともかくしばらくは様子見って事で良さそうだな。さすがに俺個人は焚きつけるのは遠慮するが,大尉がその気になるなら現状維持って所は共通してる」
「うむ」
「また何か状況の変化が現れたらそこで相談することにして…とりあえず今はもうしばらく大尉を泳がせる。後押しするかどうかは各人の判断に任せるが,少なくともぶっ壊すような真似は控える。それで良いな?」
「おう」
「いいわ」
「異存はありません」
「で…」
面々を見回して返答を聞き終わると,ノエルは言葉を繋ぐ。
「もしお嬢ちゃんが大尉を選ぶとなると…展開によっちゃ大尉を”風”に引きずり込む必要が出るかも知れねぇ。あからさまにやるわけにゃいかねぇが,もっと大尉の情報を集めておく必要があるだろうな」
「そうね…でもまぁその展開だと,ノエルにはあまり関係なくなると思うけど?」
悪戯っぽい笑みを浮かべるフレイア。
「…どういう意味だ?」
「だって…大尉が抜けたらエリティア軍は大打撃でしょう?普通に考えたら人的補償しないと」
「なるほど。大尉を”風”に迎え入れる代わりに盗賊殿をエリティア軍へ進呈するわけですな?」
にこにこしながらノーブルが言う。
「ちょ…おま…」
「おおなるほど。確かに一方的に引き抜くと向こうの姫さんが気の毒じゃな」
ポン,と膝を打つハーディ。
「だー!いい加減にしろ!俺の意思はどうなる!」
「という具合に…男側に選択権があると女側が泣くわけですよ。だから絶対に大尉をその気にさせねばなりません」
すまし顔でしれっと念押しするノーブル。
「あーハイハイ分かりました。邪魔はしませんので好きにやって下さい」
ぼりぼりと頭をかくノエル。
「…どっかで足掬われなきゃ良いけどな…」
しかし彼は,小さくポツリとつぶやいた。