仮面vs仮面・後編
「私に…ですか?」
ノーブルが目を丸くする。
「ええ。仕込みあってこそ実現可能な私のあれと違って,ノーブル殿のあの呪文こそ明らかに常軌を逸脱しているでしょう?」
「あれですか?あれはクマルー卿のふりをするために必要な…」
「…どうやらまたとない証言者が来たようですな」
ノーブルの言葉を遮るクーラ。ややあって扉がノックされ,ギルバートが入ってくる。
「ギルバート殿が?何を証言するの?」
意外そうに言うエリィ。
「エリィ殿?私がどうかしましたか?」
それを聞いてきょとんとするギルバート。
「いえね…ちょうど,先ほどノーブル殿が使った呪文の話をしていたのですよ」
「!」
クーラの言葉を聞いて,ギルバートはハッとする。
「そ…そうだ!その話を真っ先にしなければならなかったのです」
「おや?何か腑に落ちない点でも?」
しれっと言うノーブルだが,ギルバートはそれを見据えて叫んだ。
「いい加減にして下さい,クマルー卿っ!」
「!?」
驚く一同。
「何の事です?私は”風”のノーブル。それ以上でもそれ以下でもありませんが…」
「もうその手は食いませんよ!その言い回しだって出典があって,気に入って使っていると仰っていたではありませんかっ!」
「ちょ…ちょっと待って下さい,ギルバート殿…」
エリィが頭を押さえながら割り込む。
「いくら何でも,そんな無茶な…」
「証拠はあの呪文ですよ,エリィ殿」
ギルバートはしかし,ノーブルを見据えたまま言う。
「あの十二神光雷砲は,クマルー卿の独自呪文なんです」
「!?」
再び驚く一同。
「おいおい,マジかよそれ…?」
半信半疑といった様子でノエルが言う。
「ええ。クマルー卿から直接それを聞いていますから,間違いありません」
「クマルー卿に騙されているんじゃないんですか?ギルバート殿?」
苦笑するノーブル。
「ええ。見事に騙されていましたよクマルー卿。まさか貴方が…いつの間にかノーブル殿になりすましてここへ紛れ込んでいたとは!」
「ちょ…それはいくら何でも…」
「そう考えなければあの呪文が説明つきませんよ,エリィ殿。学院で広く教えている呪文とは違い,独自呪文は各々の魔法使いがその独創性を存分に発揮して開発するものなのです。ですから余人にはその仕組みから効果から何から何まで秘密となっていて,真似などできるはずがないのですよ…」
「そうなんか?」
ハーディがフレイアに尋ねると,フレイアは頷く。
「…随分と斜め上の展開になってしまいましたが…」
そこでクーラが割り込む。
「もしギルバート殿の言葉に間違いが無いのならば,貴方はクマルー卿という事になりますね。逆にもしノーブル殿だというのなら,なぜクマルー卿の独自呪文であるはずのあれを使えるのか,説明をして頂きたいものです」
「まぁやむを得ませんね」
コリコリと頬骨をかきながら苦笑して,ノーブルは言葉を繋ぐ。
「基本線としては。ユーリエ様の役を演じなくてはならない姫と同様,私もクマルー卿の役を演じなくてはなりません。これはある意味デタラメさを演出できさえすれば誰の真似をする必要も無い大尉とは大きく異なります」
「…」
「で。クマルー卿らしさをアリシア将兵に見せつける為には,彼の独自呪文を使って見せるのが手っ取り早いというわけですよ」
「おいおい待てよ,他人にゃ使えねぇから独自呪文なんだろ?それオカシイだろが」
ノエルが言う。
「実はですね…あれは,厳密に言えばクマルー卿の独自呪文ではないのですよ」
しかしノーブルはしれっとそれを否定する。
「そんな嘘には騙されませんよ!クマルー卿っ!」
「まぁまぁ落ち着いて下さいギルバート殿。実はあの十二神光雷砲は,禁呪と呼ばれるものなのです」
「!?」
ノーブルの口走ったそれが余程予想外だったと見えて,目を丸くするギルバート。
「禁呪…ですって?」
「ええそうです。私の言いたいことが何となくお分かりいただけましたか?」
「むむ…」
「おーい?こっちにゃ何のことか分かんねぇぞ?」
胡散臭そうな表情でノエルが言う。
「簡単に言うとですね。禁呪とはアリシアの過去数千年に及ぶ魔導書の蓄積の中で,ある特定の基準で使用が危険と判断され封印された呪文の事なのです」
「な…!?」
「それってつまり…」
フレイアが考え込むようにしながら言う。
「クマルー卿はそれを使っているのが自分だけだから独自呪文と言っていたけれども,実はここにもう一人,こそっとそれを使える人がいたって事?」
「いえ…それはさすがにおかしいでしょう」
しかし,考えをまとめたらしいギルバートがそれを否定する。
「仮にあれが禁呪だとしても。禁呪に関する蔵書の閲覧はごくごく限られた者のみにしか許されません。先代女王の弟君であるクマルー卿ならばあり得る事ですが,ノーブル殿がいくら稀代の魔導士であっても…」
「許されたかどうかはともかく,ノーブルならこっそり見ちゃうくらいはやりそうだけどねぇ…?」
そこで意味深な笑みを見せるフレイア。
(あ…そう言えば)
そこでエリィは,ノーブルが以前学院の教官をやっていたと言っていた事を思い出す。
だがそれは公にはできない。フレイアの言葉にはそのあたりの含みがあるのだろう。
「それもあり得ませんよ」
しかしギルバートがそれも否定する。
「禁呪の蔵書は最高機密の部類で,たとえば学院の教官クラスと言えどおいそれと見る事を許されるものではありません。逆にノーブル殿がその閲覧を許されているとするなら,今までアリシアにその名が知られていないわけが…悪く言えば,その挙動をアリシアが押さえていないわけがないのです」
(…この男なら何らかの手で誤魔化すくらいはやっていそうだが…)
クーラは心の中で溜息をつく。だがその程度の事を魔法王国のアリシアが見逃すのも不自然で,常人には計り知れない何かがそこにはあるのかも知れない。
「ま…そこが今回の最大のタネなんですがね…」
くすっと笑うノーブル。
「まぁともかく,まずはこれを見て頂きましょう」
そう言って,懐から何やら取り出すノーブル。小さめのマグカップくらいの,楕円形の何か。
「…?」
胡散臭そうにそれをみるギルバート。
「これを,こうします。すると…」
言いながら,ノーブルはそれを無造作にほいと床へ放る。
「!?」
それが接地した瞬間,目もくらむばかりのまばゆい閃光が室内を白く染めた。成り行きを見守っていた一同はただ一人の例外を除いて視覚を奪われる。
(…やはり…)
混乱する室内を他所に,ノーブルはそれで仮説の検証を終えてひとり納得する。
「な,な,何じゃこりゃっ!魔法男っ!」
目をこすりながらハーディが抗議の声を上げる。
「大尉なら,これが何を意味するかお分かりでしょう?」
にやりと笑いながら,ノーブルは動じなかったただ一人の例外へと問いかける。
「…ノーブル殿が…いや,クマルー卿なのかどうかまだ分かりませんが…どのみちかなり人を食ったお方だという事だけは良く分かりましたよ」
溜息をつきながらクーラは言う。
「おや…お気に召しませんでしたか?大尉にこそ真っ先に驚いて頂きたかったのですが…」
「あいにく…前情報のおかげでかなり警戒しておりましたから」
「どういう事よ,ノーブル…」
まだ完全に視覚が回復していないエリィが,薄目で顔をしかめながら言う。
「ではタネ明かしといきましょうか。先ほどのあれ,どこかで似たような物を見ませんでしたか?」
「え…?」
「似たようなと言われりゃ,さっきのアレだろ?」
目を押さえながらノエルが言う。
「ほれ,エリティア兵が蟹やらに投げてたアレだよ」
「あ…あー!」
「正解です盗賊殿」
にっこり笑うノーブル。
「正解つったって…いろいろとオカシイじゃねぇか。さっきのアレに詰まってたのは網やら電撃やら棘やらだろ?それに,あんな斬新な,しかも仕組みは秘密だって代物をどうやって…」
「それを可能にするのが私の独自呪文,【そっくり仮装大賞】なのですよ」
「…そっくり…仮装…?」
まだ完全には回復していない視覚で,それでも胡散臭そうにノーブルを見ながら言うギルバート。
「まぁ簡単に言うとですね。見たものを複製できる呪文なのです」
「!?」
耳を疑う一同。
「ちょ…ノーブル,それってサラッと言える次元の話なの!?」
「それは秘密ですねぇ。真似されては独自呪文のありがたみが無くなってしまいますから」
にこにこしながら言うノーブル。
(…)
危機感を募らせるクーラ。もしこの魔法使いの言っている事に間違いが無ければ,世のあらゆる機密は機密でなくなってしまう。ハーディのそれや剣のそれといった,古代王国のものと言っても差し支えない技術を見まねで再現した自分だからこそその難しさは良く分かっているのだ。それを易々と複製してしまうこの男は,間違いなく世界でもトップレベルの魔法の実力と危険さを兼ね備えている。
「他にはたとえば…こんなこともできますよ?」
「…?」
そこでクーラは,すぐ隣に何者かの気配を感じる。何の前触れもなく突然そこに発生した,と表現するのが正しいそれは,もちろん現実的にはあり得ないはずの気配だ。
エリィが,二人に増えた。そう表現して差し支えないほど,その気配はエリィのそれに酷似していた。
「ユ…ユーリエ様っ!?」
「!?」
しかし次のギルバートの言葉が,クーラを驚かせた。
おそらくは虚像を作り出しているのだろう。だがギルバートの目には主君と映るそれが,自分にはエリィと実感されているのだ。
「やっと大尉に驚いてもらえましたねぇ」
にっこり笑って言うノーブルが一言つぶやくと,また何の前触れもなくそのユーリエはかき消すようにいなくなる。
「これでお分かり頂けましたでしょうか?原理は秘密ですが,これを使えば姫をユーリエ様に,私をクマルー卿に誤認させる事なども容易いと,そういうわけなのです」
さっきのアレはさしづめ閃光投擲弾とでも名付けましょうか,そう言って笑うノーブル。
「でもよ」
そこでノエルが割り込む。
「それなら別にお嬢ちゃんを姫様に仕立て上げる必要ねぇんじゃねぇか?さっきのアレが作れるんなら,それで十分じゃねぇか」
「…まぁそこはあまり触れてほしくなかったのですが,実はこの呪文には泣き所が二つありましてね」
「泣き所…?」
「ええ。一つは,簡単に言うと長持ちしないのです」
苦笑しながらノーブルは言う。
「さっきの身代わりですがね,あれを維持しておこうとすると,結構な魔力を定期的に補充する必要が出てくるのです。一般の魔法使いならそれだけで他に何もできなくなります」
「ふぅん…もう一つは?」
「もう一つは,こちらはまぁ当然と言えば当然ですが…私の力に余るものは再現しきれません。ですから,たとえば龍戦士がその力を使って発現させているものは,見た目はともかくとしてその中身まで完全に同じというわけにはいかないのです」
「おい待てよ…じゃぁあの破壊力は,どれくらい再現できてるんだ?」
「さぁ…良く分かりませんね」
しれっと言うノーブル。
「おい…何だよそのいい加減な…」
「複製してみて分かったのですが…どうも十二神光雷砲は,魔力をつぎ込めばつぎ込んだだけ威力が出るらしいのです。もしこれが,過去の龍戦士が使用していたという理由で禁呪に指定されていたとするならば…」
「…」
ぞくり。背筋が凍る。
「まぁ逆に言えば,我々が使ったところで我々の力量分しか威力は出ないという事ですね。龍戦士の手に渡ると危険でしょうから,門外不出にしておいた方が良いのは間違いないですが」
しかしすぐに調子を変えて言うノーブル。
「力量分で,アレ…?」
眉をひそめてエリィが言う。
「クマルー卿の真似をしないといけないしぶっつけだったしで,ちょっと奮発しちゃいましたからね。結構疲れてますよ?これでも」
しかしノーブルは全く調子を変えずに苦笑しながら言う。
「それを使うクマルー卿も,複製するお主も,どっちもデタラメじゃのぅ…」
やれやれ,と肩をすくめるハーディ。
「問題は彼と遜色ないレベルを再現できたかでしょうが…」
「さすがです!」
こちらも肩をすくめて言うノーブルだったが,しかしそこで興奮気味にギルバートが割り込む。
「さすがは”仮面の賢者”ノーブル殿!まさかここまで完璧にクマルー卿を演じられるとは!」
「…クマルー卿と同列に扱って頂けて光栄ですね…」
崇拝する教祖にでも向けるかのような真っ直ぐな眼差しを受け,コリコリと頬骨をかくノーブル。
苦笑するエリィ。むしろノーブルとしては,クマルー卿の実力などたかが知れていると言いたいのだろう。
「ま,まぁそういうわけで…」
気を取り直してノーブルは言う。
「納得していただけましたかな?大尉?」
「…つくづく,底が知れませんなぁ…」
やれやれと肩をすくめながら言うクーラ。
「私と違って,ノーブル殿にはまだまだ引き出しがありそうなご様子。あてにさせてもらいますよ?」
「ご謙遜を。大尉の方こそ,まだまだ奥の手を隠していらっしゃるでしょう?頼りにしておりますよ,伝説の龍戦士殿?」
「…」
油断のならない相手だ。クーラは心の中で溜息をついた。