仮面vs仮面・前編
「取り敢えず,マイシャ内の帝国兵の駆逐は完了しました」
入室してきたクリミアが言う。
作戦成功の功労者である”風”の面々は,執務室で一足早く休憩をとっていた。このあとギルバートの合流を待って,今後の計画を協議する予定になっている。
多数の妖魔が駐屯していたこのマイシャでは,人が落ち着いて過ごせる場所を確保するのにそれなりの労力を必要とする。さしあたり司令官のレヤーネンが使用していた部屋ならば人間側だろうという判断でこの部屋が選ばれたわけだが,口には出さないもののみな内心では彼の趣味の悪さに辟易していた。
「あ,お疲れ様です」
「あぁ,そうかしこまらず」
やはり豪奢な椅子から立ち上がりかけたエリィを,苦笑交じりにクリミアは制する。
「今回のマイシャ奪還は皆さんのおかげですから。せめてこのくらいはさせて下さい」
「ですが…」
ちらりと壁際を見るエリィ。そこには壁にもたれて立っているクーラ。
「大尉…」
呆れたように溜息をつくクリミア。まだ仕事中だとでも言わんばかりの様子,これではエリィ達がくつろげるわけがない。
「お気遣いは無用です。私は私の仕事をしただけですからな」
「ほぅ…?」
意地悪く言うクリミア。
「では何か,大尉?貴官は,あの大立ち回りがごく普通だとでも言うつもりか?」
「…少々仕込みに時間がかかってはいますが,それほど大した事ではありませんよ」
「そのあたり,少々詳しくお聞かせ願ってもよろしいですか?」
そこでノーブルが割り込んで来る。いつもならノエルかフレイアが口を挟んで来るところを,その隙さえ与えないほどの素早さだ。
「ノーブル殿?…何か,腑に落ちない点でも?」
クーラの警戒レベルが一気に跳ね上がる。さっきの物言いといい,この魔法使いは何に引っかかっているのだろう。
「先ほどは大尉が魔法戦士だという事を知って大いに驚いたわけですが…」
魔法戦士はその特性上,比較的希少な部類である。ごく一般的には体術か魔法,どちらかの適性に偏るのが普通だからだ。その場合,偏らなかった他方はほとんど使い物にならないレベルに留まる。
「なるべく奥の手は見せないのが王道ですからな。特に他国の方には」
クーラは苦笑交じりに言う。勿論それはクリミアにも向けられたものだ。ほいほいこんな事ができると見せてしまった日には,立て続けの無理難題と昇進がもれなくついて来る。
「魔法戦士としても,大尉の実力は常軌を逸脱していますよ」
ノーブルは言葉を継ぐ。
「通常,体術と魔法の双方に適性があったとしても,それはせいぜい器用貧乏レベルか片方が申し訳程度の事が多い。大尉の体術の腕前はかなりのものですから,普通ならば魔法はせいぜいそれを補助する程度のはず」
「…その認識で間違いありませんが?私の魔法を買い被ってもらっては困ります」
しかし体術についても余計な事は言うなよ?とクーラは心の中で思う。”純白の舞姫”との決闘を制したなどと知れればろくな結末にならない。
「ご謙遜を」
しかし。フッと小さく笑ってノーブルは言う。
「大尉の見せた空中浮遊は,こと魔法の一般常識から言えばかなり難易度の高いものです。それを操れるのは高位魔法使いに限られていますし,ましてあれだけ自由自在に空を飛び回るなど至難の業ですよ」
「そうなんか?」
ハーディがぼそぼそとフレイアに尋ね,彼女は頷いて見せる。
「それこそ,龍戦士級の実力を持っていなければ容易になし得ないはず…」
「ははは,それこそが私の演じる役割でしょう?」
笑い飛ばすクーラ。
「ノーブル殿をして,私を龍戦士級と誤認させる程の成果を上げられたのならばまずは一安心ですな」
「誤認…?では何らかの仕掛けがあるだけで,誰にでもできる事だと仰るのですか?」
訝し気に言うノーブル。
「勿論ですとも。軍機にあたりますゆえ明かすことはできま…」
「私も知りたいぞ」
そこでクリミアが割り込む。
「…大佐…」
溜息をつくクーラ。
「他国の関係者ならばともかく,ここに居るのは”風”だ。秘密は厳守してもらえるさ」
それにこの機会を逃したら,また適当な事を言ってはぐらかされるに決まっているからな,と付け加えてクリミアはニヤリと笑う。
「…やむを得ませんな」
苦虫を噛み潰したような顔でクーラは言う。しかし転ばされてただで起きるわけには行かない。
「簡単に言うと,あれは二つのタネがあるのですよ。一つは…ハーディ殿ならお分かりいただけると思いますがね」
「儂が?」
目を丸くするハーディと,一方でぴくりと小さく身を震わせるノーブル。
(…?)
普通なら逆の筈だが,とクーラは違和感を覚える。しかし誰もそれ以上何の反応も見せないので,気を取り直して言葉を繋ぐ。
「一つめのタネとはつまり。ハーディ殿が我らエリティアに卸している武具,それに用いられている技術を応用しているのですよ」
「!?」
驚く一同。特に先読みしていたノーブル以外の”風”の驚きは大きかった。それもそのはず,もともと”紅き流星”の発案したその技術は,世界のバランスを容易に崩す危険性を秘めていると判断されて秘密にされていたはずのものだからだ。
「どういう事だ,大尉?」
何も知らないがゆえに,一番驚きの少なかったクリミアが尋ねる。
「あの武具の高性能は,古代語魔法の力に裏打ちされているのですよ」
「なに…?」
「簡単に言うと,相手から与えられた打撃の力を反発力に転換して相殺する,という仕組みなのです。ですから,防具は通常のそれと比べて少ない労力で大きな打撃に耐えられますし,剣は殺傷力を高められるのです」
「むむ…」
唸るハーディ。
「…明かして欲しくはなかったのでしょう?ちょっとやそっとではそれと分からぬよう細工が施してありましたからな」
苦笑するクーラ。
「どういう事だ,大尉?」
「我々(エリティア)に知られて量産でもされてしまえば,第二の帝国が誕生するかもしれない…そんな事を危惧したくなるほどの技術だという事です」
「…」
気まずい沈黙が流れる。
「ですが現実問題としては,量産してもあまり効果は上がらない技術ですがね」
しかし苦笑しながらそれを破るクーラ。
「なに?」
「詳細は省きますが…無茶をすればするほど,疲労が早くなるのです。ですから己の限界を弁えた熟練者にしか使いこなせない。未熟者が使えばあっという間に戦闘不能となりますよ」
「待て,それでは辻褄が合わないだろう」
クリミアが言う。
「聞けば聞くほど,誰にでもできる事ではないではないか。アレにしても,どう応用しているのかは分からんが,空を走るなどおよそ尋常ではないぞ」
「そこでもう一つのタネです」
「もう一つの?」
「ええ。先ほど申し上げた通り,この技術単体では,大きな力を得ようとすればするほど大きな負担がかかります」
「…なるほど,そういう事ですか…」
そこでノーブルがつぶやく。
「何じゃ何じゃ魔法男,一人だけ解ったような事を言いおって…」
「先ほどの戦場で見た,あの投擲弾ですよ。特に…蟹を仕留めたあの電撃の…」
「さすがは”仮面の賢者”ノーブル殿」
にやりと笑いながら,しかし内心ではさらに警戒を強めながらクーラは言う。
「詳細は明かせませんが,それがもう一つのタネです。短時間に大きな負担がかかれば潰れてしまいますが,時間をかけて均せばそれなりの負担で済む。つまりはそういう事です」
「ええい!難しい事ばかり言うでない!解るように説明せんか!」
声を荒げるハーディ。
「有事に備えて予め,魔力を蓄積しておいたと言う事ですよ,ドワーフ殿」
まぁまぁとなだめながらノーブルが説明を加える。
「何じゃと?」
「特に魔力を使う必要のない平時に少しずつそれを蓄積しておくことによって,いざという時に負担なくそれを使う事ができる,というわけです」
「そ,そんな事ができるのか,大尉?」
クリミアが目を丸くして言う。
「ええ,まぁ…」
素っ気なく答えるクーラ。
その様子を見て,ノーブルはこの技術がエリティアの機密などではなく,この大尉個人の秘密であると確信する。
「…」
考え込む仕草をみせるクリミア。
余計な事まで考えられると面倒だ,そう考えたクーラはやむなく口を開く。
「とはいえ,そうほいほいできるものでもないのですよ。いざという時の切り札に用意していたのも確かではありますが…あの魔獣のおかげで,三か月分の仕込みが吹っ飛んでしまいました」
「三か月!」
またも目を丸くするクリミア。
「ですからしばらくは,またやれと言われても無理ですからね?…まったく。あの魔獣さえ出てこなければ,切り札のままとっておけたと言うのに…」
ぶつぶつと愚痴を言うクーラ。しかし内心では,これで最も面倒な追及は回避できたはずだと冷静に計算している。
「…まったく,毎度毎度驚かせてくれるな大尉は」
ふぅ,と溜息をついてクリミアは苦笑する。
「少々お尋ねしてもよろしいでしょうか?大尉」
しかしそこでノーブルが口を挟む。
「…何でしょう?」
面倒な。しかしそんな内心をおくびにも出さずクーラは言う。
「貴殿は,どこで魔法を学んだのですか?」
「…」
そこで生まれたしばしの間が,その質問が何か触れてはならない所へ踏み込んだ事によるものだと一同には感じられる。
「…仰りたいことは分かります」
しかしクーラは苦笑しながら再びその沈黙を破る。
「私個人は,アリシアの魔法学院とは全く接点がありませんからな」
「では,どなたかに個人的に手ほどきを受けたと?しかし…私の知る限り,大尉の見せたこの技術に明るい者など…」
ノーブルがさらに踏み込んで来る。
「…ノーブル殿は,随分と学院についてお詳しいのですね」
切り返すクーラ。好き勝手に攻め込ませるわけにも行かないし,この得体の知れない魔法使いについて,少しでも情報を集めておきたい。
「ええまぁ」
素っ気なくそれだけを答えるノーブル。またしばしの間。
「まぁその辺りはギルバート殿がいらしてからゆっくりお聞かせ願う事にして…」
そう言って,クーラは言葉を継ぐ。
「タネはこの剣でしてね」
「ほぅ?」
「そういや…魔獣の炎を吸収してたな」
思い出すようなしぐさを見せながらノエルが言う。
「ええ。実はこの剣,最も深き迷宮の深部で見つかったものなのです」
「な,何ぃ!?」
「ちょ…!?」
「えええ!?」
「何じゃと!?」
クーラの発したその言葉が”風”に与えた影響は絶大だった。それもそのはず,冒険者にとってその場所は最大にして最高の目標と言っても過言ではない。
ノエル,フレイア,エリィ,ハーディの口から反射的に声が漏れる。
「大尉,貴殿は…?」
「と言っても,真偽は定かではないですよ?あくまでそういう触れ込みで,行商がこれを私に売りつけたのですから」
しかしクーラはしれっと言葉を繋ぎ,面々はずるずると椅子から滑り落ちる。
「お…おいおい,この場面でそういう冗談はやめようぜ?」
手すりにつかまって身体を支えたノエルが,真っ先に立ち直って言う。
「ですが,あながち嘘とも言い切れないでしょう?実際この剣の能力は恐るべきものです」
苦笑するクーラ。
「…まぁ…それはそうだがよ…」
「経緯はこうです。元々私は,ハーディ殿が打った剣を使っていました。ところが任務中,それを折ってしまったのです」
「む…」
やや不満げなハーディ。
「何とかそれを修復できないかという試みの中で偶然その仕掛けに気づいたのはまた別の話ですが。ともかく任務を遂行するために,最低限その間だけでも使える剣を入手する必要がありました」
そこで溜息をつくクーラ。
「行商人はそんな,背に腹の代えられない私につけ込みました。今はこれ一本しかない,これは良いものだと…通常の剣ならば二十本買ってもお釣りが来そうな額でこれを私に売りつけたのです」
「…」
「まぁ普通に考えてぼったくりですね。それでもどうしようもない私はやむなくこれを買い求めたわけですが…実はこの剣には封印がかかっていたのですよ」
「紛い物のつもりが,実は本物だったという事ですか…」
ノーブルが考える仕草を見せながら言う。
「最も深き迷宮の産物かどうかは分かりませんがね。少なくとも行商人が大損と悔しがるほどの物ではあったという事です」
苦笑するクーラ。
「能力は見ての通り。炎なら炎,雷なら雷を蓄積して,それを放出する事ができる…。それを見よう見まねで再現したのが,アレという事です。とはいえ…蓄積できるようにできたのは魔力だけですし,効率もかなり悪いですがね…」
「なるほど…」
口ではそう言うノーブル。しかし内心では納得していない。理屈としては確かにそうだが,それを実際に再現するとなると一筋縄では行かないはずだからだ。
「というわけで。切り札を使ってしまった事は残念ですが,まぁそれで伝説の龍戦士らしく見せる事ができたのならば良しとしましょう。そう割り切る事にします」
クーラはそう言って言葉を繋ぐ。
「が…あり得ないほどの大きな力という意味では,むしろ私よりもノーブル殿にこそ納得のいく説明をして頂きたいものですな」