マイシャ奪還戦
エリィとクーラが偶像となったその日。連合は日没を待ち闇に紛れてトルサを出撃した。
先手中央には攻城兵器を囲むようにして意気軒昂のアリシア騎士団。その後方には総司令官のギルバートを先頭に第三軍が控える。後詰にラルス率いるエリティアの本軍が布陣し,ユーリエ役のエリィと龍戦士役のクーラ,そして総大将のクリミアはちょうどアリシア軍とエリティア軍の間に,エリティアの親衛隊に囲まれて収まるという布陣だ。
そして両翼にはそれぞれ大尉に昇進したビルとローダーが部隊を率いて配置していた。
(まぁ…彼らの為には良かったのだろうな…)
エリィの駆る白馬の隣に,自らの駆る黒鹿毛の馬を歩ませながらクーラは思う。
クリミアの手前ああは言ったものの,内心この二人が昇進しない事にはやや心苦しさを感じていた。おそらくはクリミアが,大尉は大尉でも特務大尉,この作戦が終われば昇進は間違いないのだからと説き伏せたのだろう。だがこちらはこちらで,これからは後顧の憂いも無く拒否する事ができる。
「何か良からぬことを考えているようだな,大尉?」
エリィの向こう側からクリミアが声をかけてくる。俗に女の勘とでも言うべきなのだろうか,たまに彼女は絶妙なタイミングでこちらの機先を制してくる。
「…帝国の出方を思案していただけですよ」
しかしそれは織り込み済みでもある。素知らぬふうを装って答えるクーラ。
「そろそろ偵察が戻ってくる頃だ。…いくら妖魔が夜行性と言っても,今回の連合の動きは気取られていないはずだ」
クリミアは前方を見やる。
すでにかなりの時間行軍し,マイシャはもはや目と鼻の先だ。空もうっすらと明るくなり始めている。
「だと良いのですが…」
問題は難民流入作戦からまだそれほど時間が過ぎていないという事だ。マイシャを守備する青軍のレヤーネンは,一言で言えば小物。恐怖に駆られて防衛を固めている可能性が高い。
(攻城兵器が破壊されなければ良いが…)
かつて連合がマイシャを攻略しようとした際には,左右と上空から現れた伏兵に半包囲される形となって攻城兵器を破壊され,勢いを止められたと聞く。できれば不意を打って城門を先に破壊してしまいたい。
と,その時。偵察が隊列をかき分けてやってきた。
「報告!帝国軍,マイシャ城門前に展開しています!」
「なに!?」
驚くクリミア。その報告を聞きつけた周囲からもざわめきが起こる。
「大尉の懸念が当たったか…」
しかしすぐにぼりぼりと後ろ頭を掻いて意識を切り替え,クリミアは溜息をついて苦笑する。
余談だが,そのしぐさがあまりにもそっくりな事も,この指揮官がノエルに惹かれている事を分かり易くしている要因である。だが当の本人はどうやらそれに気づいていないようだ。
「となれば,休養を取って万全の態勢で当たるしかなさそうですな」
苦笑しそうになり,それを苦労して封じ込めながらクーラは言う。
「そうだな…全軍に通達,現在地点で停止,休養を取り日の出を待って総攻撃にかかる!」
すかさずクリミア指示を出し,連合軍はその場で進軍を停止した。
「さ…ユーリエ様,下馬してしばしお休みください。大佐も…」
「あ,はい,ありがとうございます」
妙にかしこまったエリィが馬を下りるのを微笑みに見せかけた苦笑で見守り,クーラは馬首を巡らせる。
「大尉?貴君も休んでおけ」
「その前に,ビルとローダーを激励に行ってきます」
クリミアにそう答えて馬の腹を蹴り,クーラはそれを駆けさせる。
(さすがに値踏みはされているか…)
それとなく向けられたアリシア兵の視線をひしひしと感じ,また苦笑するクーラ。できれば無理をせずに彼らを騙しおおせるだけの,手ごろな活躍の機会が欲しい所ではある。
アリシア軍とエリティア軍の境界を真っ直ぐにつっきり,クーラは右翼部隊へとたどり着いた。
「あ…クーラ大尉」
馬を下りて部下たちに指示を出していたビルが敬礼をする。
「昇進おめでとう,ビル大尉。これで立派な部隊長だな」
それに敬礼を返すクーラ。
「大尉を差し置いて部隊を率いるなど気が引けるところでありますが。特務という事であれば致し方ありません」
そう言って笑うビルにまたも苦笑するクーラ。
「分かっているとは思うが,川には気をつけろ」
しかしすぐに表情を引き締めて言葉を継ぐ。
「…ですね」
過去の作戦記録は熟知している。帝国は今もリザードマン部隊を抱えているはずだ。彼らは夜行性ではなく難民流入作戦の際はほとんど脅威とならなかったが,今回は出て来るに違いない。
「蟹が出たらあれを使え」
「ハッ」
再び敬礼するビルに,無理はするなよと声をかけてクーラは再び馬を走らせる。
ぐるりとアリシア軍の周囲を回るようにして左翼のローダーにも同様の指示を出し,元の場所へと戻る。そこにはギルバートとラルスも集まってきていた。
「あ…お帰りなさい大尉」
エリィが,微笑をたたえて言う。
「…戻りました」
その雰囲気になぜかどきりとさせられるクーラ。
「さ…休憩なさって下さい」
「お気遣い,痛み入ります…」
人はここまで変われるものなのか。それとも,このエリィに演技の才能が備わっていたのか。当初,随所に現れるであろう綻びをうまく隠さねばならないと覚悟していたクーラは,あまりの落差に調子を狂わされる。
「ねーねー大尉さん?」
しかし下馬したところで,つつつ,とフレイアが寄ってきて耳打ちする。
「きっとどこかで禁断症状が出るから,その時はよろしくね?」
「…なるほど」
ふっ,と笑みがこぼれる。要は何か迂闊な事をしてしまいそうで限界まで自粛しているエリィが,偶然にも思慮深く聡明という噂の女王の気品に近いものを醸し出しているらしい。
遠巻きに感じる視線は一つや二つではない。必死に武芸を修練したという情報はそれとなくギルバートが広めてくれているはずだが,それを披露するまでは既存の印象をぶち壊すわけには行かない。
「心得ました」
できればそれなりの活躍の場が欲しい。それによって女王のイメージとエリィとの摺り合わせが行われ,随分と彼女は楽になるはずだ。
だが意気上がるアリシア軍がその出番を作ってくれるとは到底思えない。逆にこの状況で出番が来るとは,つまり帝国が何らかの手段でこちらを圧倒するという事を意味する。
(さすがに,それだけの為に余計な損害を出したくは無いな)
マイシャを取り戻せたら,しばらくは息抜きを兼ねた組手をアリシア将兵に公開するか。クーラはそんな事を考えた。
◇
「撃てっ!」
ギルバートの号令で,妖魔へ向けて無数の矢が放たれる。
「始まりましたな…」
「ええ…」
妖魔からの矢の大部分を第三軍が空中で逸らし,残りを防ぎ切った騎士団が突撃を開始する。
「まぁ順当に行きゃあ押し負ける事はねぇだろうがな」
「何たって,反攻を夢見て訓練を積んで来た正規兵だもんね。」
頭の後ろで手を組みながらノエルが言うと,フレイアが相づちを打つ。
傭兵軍はエリティア軍とともに後方に控えているため,”風”も今回は出番が無い。もちろんそれは実際的にはエリィとノーブルがここに居るためであるが,表向きその両名は極秘任務に就いている事になっていて,ここに居る理由もノエルが参謀的な役割を期待されての事という格好だ。
アリシア軍はじりじりと妖魔を押し込んでいく。装備も連携もばらばらの傭兵軍とは違い,揃いの重装甲に身を包んだ前衛が隊列を乱さずに進んでいく様は壮観だ。
「…さて,問題はこっからだが…」
ノエルがしかめっ面で言う。ここまでは前回と同じ流れだ。帝国としてはここで伏兵を出さなければ,野戦を選択した意味が無い。
「むっ…来たぞ!」
クリミアが短く叫ぶ。マイシャの城塞内から次々と飛び立つ影。
視線を移せば,下流側,ビルの部隊の方には川から次々と上陸したリザードマンの部隊と数体の蟹。一方のローダーの部隊の方にはライカンスロープの部隊とオーガーが十数。
「上空は第三軍に任すとして…両翼は大丈夫なんだな?」
ノエルが言う。
「…」
「あれならば大丈夫です」
エース頼りだった前回を知るクリミアはさすがに不安を感じているようだが,それに代わってクーラが答える。
「おっ…?」
右翼を見たノエルが驚きの声を上げる。
「…網?」
いつの間にか,先頭の蟹が網のようなものに絡めとられてもがいている。
「捕獲網投擲弾と呼んでいます。詳細は明かせませんが,ご覧の通りです」
そこへ突撃したビルが何かを投げつけると,次の瞬間その網に沿って電光がほとばしり,蟹は動きを止めた。
「あれは網の代わりに電撃を詰めていますね」
「へぇ…いつの間にかとんでもねぇ物を開発していたんだな,エリティア軍は…」
「…」
感心するノエルと対照的に,ノーブルはじっと無言でそれを見つめる。
あれだけの大きさの蟹を絡めとってしまうほどの網を,あんな小さな投擲弾の中へ入れておくことは物理的に不可能だ。となればそこには何らかの魔法が絡んでいる。
電撃にしても,状況から見てかなり強力なものが詰め込まれていると推察できる。それなのに網の上だけを伝わって,周囲にまったく放電していない。指向性の魔法にするかあるいは針を突き刺して伝導させるか,それに類するような何らかの仕掛けがあるという事だ。
(正直,信じられませんね…)
現在,世界最高峰と称される魔法使い達はみなその来歴のどこかにアリシアの学院が絡んでいるはずだ,とノーブルは思っている。だからこれほどの魔法を操る者がエリティアに居るならば,それをアリシアが把握していないわけがないというのが彼の持論であり,それは真理でもあるはずだった。
しかしそれは眼前の事実によって覆された。残る蟹も次々と絡めとられ,なすすべもなく電撃の直撃を受けて沈黙する。
「とはいえ…」
クーラは苦笑しながら続ける。
「局地戦用の切り札で,量産も利きませんがね」
「まぁそれもそうか…陸上移動の鈍重で大型な相手ぐらいにしか使い道は無ぇな」
蟹を止めてしまえばリザードマンに後れを取るビル隊ではない。彼我の士気の変化も手伝って,優勢に押し進めている。
「左翼はどうだ?」
そちらへ視線を移したノエルは,また意外なものを見て頓狂な声を上げる。
「何だありゃ?」
ライカンスロープの部隊はそのほとんどが地面を転げまわり,まともにエリティアと対峙できていない。
「古典的な手ですがね…」
また苦笑するクーラ。
「金属製の棘を無数にばらまいているのですよ。オーガーと連携されると厄介な素早さですが,要は足を止めてしまえば良いだけですからな」
ローダー隊はその脅威に晒される事なく戦力をオーガーに集中し,一体,また一体と仕留めていく。
「はは…斬新だな。頭の固ぇ貴族様じゃ全く考え付きもしねぇ戦術だ」
「背に腹は代えられないですからな。きれい汚いを言っている暇はありません」
上空からの敵は第三軍が次々と撃ち落とし,各個撃破された帝国軍は戦線が崩壊寸前となっている。
「こうなってくると,妖魔とはいえさすがにくるもんがあるな…」
ぽつりと言うノエル。
敵将レヤーネンの臆病な性格は良く知られている。味方の撤退に乗じて連合になだれ込まれれば総崩れとなって自分の身も危ないわけだから,絶対に城門を開くことは無いだろう。妖魔たちは絶望的な戦場で最後の一兵まで戦い続けることになる。
サナリアやルトリアが健在だったころ,それは傭兵に対して行われていた扱いなのだ。加えてこのマイシャは適当なところで逃げ出してしまえるような立地でもない。
まして妖魔には投降という選択肢も無い。道連れを一人でも多くするかどうかの違いでしかないのだ。そんな極限状態だからこそ,普通ならとっくに崩壊していておかしくない戦線がまだ持ちこたえているのだ。
「へっ…敵に同情なんざらしくねぇらしくねぇ!このノエル様が…」
頭を二度三度振って肩をすくめ,天を仰いで言うノエルだが,その言葉が途中で止まる。
「お,おい!…あれは…!」