道化のお仕事
(これでは道化だよ…)
クーラは心の中で溜息をついた。
一週間後。
ノーブルの奸計によって伝説の龍戦士に仕立て上げられてしまった彼は,テラスで,女王に化けた隣のエリィともどもアリシア将兵の歓喜の嵐に晒されていた。
あの後聞いた情報によれば,伝説の龍戦士はアリシアに伝わる騎士の剣を佩き帝国の野望を打倒,さらに困った事には姫君と結ばれるらしい。
「大尉,もっと彼らに応えてあげて下さい」
後ろに控えるクマルー卿,のふりをしたノーブルが小声で注文をつける。
「…」
うんざりしながら,作り笑いを浮かべて手を上げるクーラ。
一番の問題は,誰のふりをもせずこの場に居る事だ。他の二人はいずれ本物と入れ替われば良い。だがこちらは素のままなのだ。
そのあたりは後でどうとでもなる,とノーブルは意味ありげに笑った。
確かに最後までギルバートを騙し通したあの実力は認めざるを得ないし,諸々の事情から贅沢を言える立場でも無い。だがなし崩しに最悪の結末へ追い込まれる危険もあるだろう。このノーブルという男そのものの得体の知れなさも含め常に警戒しておかなければならない。
(退役して隠遁生活,もあり得るか…)
こんな所へ立ってしまったからには,エリティアの方もどうにかしてもらわねばならない。ならなければもはや,現状維持で当たり障りなく過ごすなど不可能だ。
(おそらくは策なのだろうが…)
エリィから注意を逸らして発覚を防ぐ為のノーブルと,ギルバートはそう言ったが。同様に考えれば伝説の龍戦士は,そのノーブルからも注意を逸らして発覚を防ぐ為の格好の存在であるという事だ。
モデルが無いから不審など抱きようが無いし,伝説なのだから期待も注目も,明らかに女王やその後見人の比ではない。だから理屈としては良く解る。
しかしそれはそれとして。クーラは,そこにノーブルの意趣返しのような思惑を感じてしまうのだ。
(“仮面の賢者”の二つ名は伊達ではないという事か…)
そこまで考えて,クーラはそれを中断する。式典という名の見せ物が佳境に近づき,クリミアが近づいてきたためだ。
「エリィ殿,今回はお引き受け頂いてありがとうございます」
エリィの手をとりながらクリミアが言う。無論それは下の将兵には聞こえない。きっと何か歴史的な会話でもしているのだろうと彼らは勝手に想像して歓声を上げる。
「我々も最大限の援助を致します。何かあればこちらのクーラに遠慮なくお申しつけ下さい」
「あはは…」
困ったような笑みを浮かべるエリィ。それはおよそ雇用主と労働者の会話とはかけ離れたものだし,実際のクーラとの関係,彼の命令に絶対服従というそれとも対極にある。
クリミアは次にクーラの手をとりながら言う。
「大尉,まさか貴君があの伝説の龍戦士だったとはな。なるほどこの日の為に…ゆくゆくはアリシアへと行かねばならぬ身の上ゆえに,昇進を固辞し続けていたわけだ。今までの非礼を詫びたい」
「面白がっていますね?大佐…」
「自業自得だと言っているのだよ,大尉」
ここぞと満面の笑みを湛えるクリミア。
「まぁこれ以上は言うまい。今回のこの軍功が加われば,貴君を昇進させぬ理由も無くなる」
「…」
おそらくクリミアの頭の中には,本物が現れるまで身代わりを演じきり,現れて後はお役御免,輝かしい軍功をひっさげてエリティア軍を率いる立場へという筋書きが出来ているのだろう。
「大尉,笑顔笑顔」
思わず口をへの字に曲げてしまいそうになったところで,再びノーブルの注文。エリティアの内情を垣間見たエリィが曖昧な笑みを浮かべる。
「…そうそう上手くは行きませんよ,大佐」
ほとんど強がりの類だが,クーラはそう言ってニヤリと笑う。
「それは楽しみだ」
にっこり笑うクリミア。三者三様の笑顔を見,内情を知らない将兵からひときわ大きな歓声が上がった。
式典はその後,盟主であるクリミアが演説,エリィが原稿を読み上げて終わった。だがもはや我慢の限界を超えたクーラは意識を外界から切り離し,半ば置き物と化してそれをやり過ごした。
◇
「二人とも,お疲れ様でした」
控え室に戻ると,ノーブルがしれっとねぎらいの言葉を発する。
「ちょっと予想外だったわ,冷静な印象のアリシア将兵があそこまで熱狂するなんて…」
ふぅ,と息を吐くエリィ。
「よほど抑圧されていたのでしょうな」
淡々と言うクーラ。
「それが,女王の奪回どころか伝説の英雄まで登場ともなれば…否が応にも期待は膨らむというもの」
「…怖い,かも…」
ぶるっと身震いするエリィ。
「…大丈夫,そこはノーブル殿の責任です」
ささやかな意趣返しの意味も込め,しれっと言うクーラ。
「だからそれは無責任だって…」
「それは人の上に立つ者が心すべき事ですよ,エリィ殿」
言い返すエリィに笑って見せるクーラ。
「そこまで役に入り込めばきっと名演になるでしょう。が…それで潰れてしまっては本末転倒です」
「それはそうだけど…」
「貴女の優しさと責任感は素晴らしい。しかし,そんな貴女が倒れる事は多くの者に深刻な影響を及ぼす」
微笑みながらクーラは続ける。
「それはきっと貴女に戻ってきて心の痛みになるでしょう…悪循環ですよ」
「う…」
エリィの顔が曇る。それはこの男が現れて全てをぶち壊す前の,自分と“風”にも言えた事だ。
「だから預けてしまえと言っているのです。…大丈夫,少なくとも”風”は皆かなりの修羅場を潜った大人たちと見受けられます」
「…」
目を丸くするエリィ。
「それに,貴女を全力で支えようとしている人たちだ。安心して頼って良いと思います…よ?」
それはあくまでエリィの話であって,自分は切り捨てられる立場の者だがな,という思いが無意識に間となって出てしまい,クーラは苦笑する。
「…」
「…どうしました?」
そこでエリィがぽかんとしている事に気づくクーラ。
「あ,いえ…あの…」
ちょっとむくれたような,気まずいような表情を浮かべてエリィは言葉を継ぐ。
「…どちらの大尉が本当なのか…」
「あぁ,貴女を怒らせた私と,今の私とのどちらが,という事ですか」
クーラはまた苦笑する。
「どちらも本当ですよ」
「え?」
「あの時は,貴女を怒らせて心の奥底から揺さぶる必要があった。だからそうしたという事です。そして今は,貴女を心の底から愛し,労り支える必要がある」
「え!?あ,あ…!?」
うろたえるエリィ。
「何せ…ノーブル殿の奸計で,私は伝説の龍戦士役を演じねばなりませんからな…女王陛下と良い仲でなければならぬのでしょう?」
「あ,あー…」
「奸計とは失敬な」
口を挟むノーブル。クーラはそんなノーブルの方へ苦い顔を見せる。
「そうせねばならぬ必然があるとはいえ,あまり趣味の良い脚本では無いでしょう?つい先日まで憎まれ役敵役を演じていた私に,今度は最愛の人を演じろと言う。…何より,エリィ殿が自分の感情に折り合いをつけるのが難しいでしょうに」
「そこは大尉の手腕を見込んでのゆえですよ。脚本が名作となるのも駄作に終わるのも,名優あっての事ですからな」
しれっと言うノーブル。
「…道化には過ぎたるお言葉ですな」
肩をすくめて溜息をつくクーラ。
「…なんか,ごめんなさい…」
「貴女が必要以上に気に病む必要はないですよ,エリィ殿?」
苦笑しながらエリィに向き直るクーラ。
「そこも預けてしまえという事です。…特に今回は,我々演者が脚本を選べない状況なのですから。自分の役を演じ切る程度の責任感だけに留めて,後は本来その責任を取るべき者へ返してしまわねばなりません」
「大尉…」
「なので…釈然としないのももっともで申し訳ありませんが。せめて上演中だけでも,この道化と仲良くしていただければと思います」
そこでクーラは入口へ注意を向けた。間を置かずに扉がノックされて開き,”風”のメンバーが入ってきた。
「ちょ!ハ,ハーディ!?」
エリィが思わず叫ぶ。育ての父を自負するドワーフが涙の大洪水になっていたからだ。
「うおぉ…わ,儂は…嬉しいッ!嬢ちゃんが,あんな…あんなッ!」
「困ったお父さんねー?」
その面倒を見ながらやれやれといった表情でフレイアが言う。
「おいおいお父さん,作戦開始までには慣れとけよ?アリシアと関係のないアンタがそれじゃばれちまうんだからな?」
肩をすくめるノエル。
「分かります,…分かりますともドワーフ殿。まさか姫がアリシア将兵の歓呼に応えて…ううっ」
取り出した布でそっと目頭を押さえるノーブル。
(…)
この変わり身の早さ。どちらかと言えばこのノーブルこそ名優と呼ぶに相応しい男なのではないか,とうんざりしながらクーラは思う。
「ほんと親バカよねーあんたら…」
「まぁ…」
口を開きかけたノエルが,ん?と背後の扉に注意を向ける。再びノックされて開かれたそこから,今度はクリミアとラルスが入ってきた。敬礼するクーラ。
「お疲れ様でした,エリィ殿」
クリミアが口を開く。
「慣れない所へ出るのは予想外に疲れるものです。わずかな時間となりますがゆっくりお休み頂いて,英気を養ってください」
「あ,は,はい…」
「そういや姫さん,作戦はマイシャ総がかりで良かったんだよな?」
ノエルが訊ねると,クリミアはそれに頷いて見せる。
「ええ。我が方には余裕がありません。この勢いに乗ってマイシャを落とす。まずはそこでしょう」
「ふむ…しかしマヒロが空になるんじゃろ?王都まで攻め上られる危険はどうなんじゃ?」
ようやく落ち着いたハーディが言う。
「その心配を無くすための今回の作戦でもあります。アリシアに駐屯している黒騎団は,かなりの手練れではありますが同時にかなりの小勢。これまでこちらへ攻めてきた事も無ければこれから攻めてくる気も無い,と判断しています」
そう言ってクリミアは笑う。
「増派が無ければこちらへは来れない,となれば増派の唯一の経路であるマイシャを落としてしまえば,安全は確保できるという事です」
(…)
クーラは無感動にその説明を聞く。
実際の所,もはやエリティア王都には何の価値も無い。王が居ないのだから,王都が落ちたところで何処へでも落ち延びた事にして影武者を立てれば良いだけだ。
いくら黒騎団が一騎当千の強者揃いでも,アリシア王城を守りながらエリティア王都を押さえるにはマヒロを空にしなければなるまいし,トルサを押さえるには王都も空にしなければなるまい。
「アリシア王城,マヒロ,そしてエリティア王都を同時に押さえるには,さすがに数が足りないでしょう。マイシャをこちらが押さえていれば,それが牽制となって,彼らはアリシアで守りを固めるしかない筈です」
結局戦いは数なのだ。だからこそこの道化役を自分は演じなければならない。クリミアの説明を聞き流しながらクーラは内心で溜息をつく。
「首尾よくルトリアあたりまで押さえて勢力バランスを逆転させてから,無血開城でもやり返すって寸法か」
ノエルが皮肉めいた笑みを浮かべる。
「そうなりますね」
苦笑するクリミアは,しかしすぐに表情を引き締めて言葉を繋いだ。
「出撃はかねての計画通り日没後。明朝日の出とともに総攻撃を開始します」