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対消滅の果てに

(うっ…)

 思わず眉間に皺を寄せる漆黒将軍ヴァニティ

 伝説級の斬れ味を誇る蛟龍から,およそ斬ったとは思えない,斬ることからはかけ離れた手ごたえが感じられたからだ。

 まるで蠢く軟体動物の表面を指で撫でるような,柔らかく生温かく吸いつくような感覚が伝わってくる。龍戦士の暴走した力の感覚とはこのようなものか。少なくとも斬るという行為では,二度と体験したくない感覚だ。

 だが彼はそれを幸いと割り切った。できるなら避けたかった感覚だが,一方で,義妹の思い人を斬るなどという感覚も永久に知りたくはない。確かに刃は流星の身体をも捉えたはずではあるが,その感覚が阻害されたのは幸運であったと彼は結論付けた。

 自分にできることはやりきった。エリィの位置まで飛び退り,二刀を鞘へ落とし込んで彼はふぅっと息を吐く。

「…」

 固唾を飲んで成り行きを見守るエリィ。

 奔流となってあふれ出ていたシャルルの圧は,斜めに両断されたところでぴたりと止まっていた。その切断面とも言える部分は光の加減のせいなのか,黒々とした底無しの裂け目を連想させる。

 まるでそこだけ時間が止まったかのような錯覚に陥るほど,本人にもその力にも何の動きも感じられない。

「斬った…のよ…ね…?」

 恐る恐る疑問を口にするエリィ。

「…ああ。斬った」

「!」

 しかし,まるでその言葉を契機としたかのように,それは動き出した。

 ぴたりと止まっていた力が,まるで切断面に吸い込まれていくかのように動き始めたのだ。そろそろと,初めは僅かずつ。しかし次第にその動きは激しくなっていく。

(…っ)

 次元の裂け目が生じ,全てがそこへ落ち込んでいくかのようなイメージが湧いて,漆黒将軍の背筋を凍らせる。アリシア王城を急襲してきた大魔道が放った魔法にも通じるその感覚は,別世界への入り口を容易に連想させる。龍戦士にとっては逃れられぬ最悪の最期だ。

(…だめか?)

 彼は出そうになったそれを飲み込む。出してしまったらいよいよそれが実現してしまいそうに思えたからだ。

「…」

 漆黒将軍は背中に,エリィは握った拳の中に嫌な汗をかきながら,成り行きを見守る。

 と言ってもそれは,待つ身の二人にはなかば龍戦士の力が発動したような錯覚に囚われるほど永くとも,客観的にはごく僅かの時間に過ぎない。

 吸い込まれるように収束していく圧。

「!」

 余すところなく全てが吸い込まれたかというまさにその瞬間に,唐突にそれは弾けた。

 暴風のような圧が襲ってきて,思わず顔を背けてしまうエリィ。

「…シャルル!」

 しかし次の瞬間,彼女はきっとそちらを睨む。

 圧は僅か一瞬ばかりのものだった。切断面も力の奔流も全く影も形もなくなって,その場にはただシャルルが遺されている。

「え…」

 抜け殻。そう表現するのが相応しいその様子に,エリィの背筋を悪寒が駆け上る。

 あれほど強烈に感じていた力はすっかり失われ,今は何の力も感じない。それどころか,生命活動すらしていないのではないかと思えるほど何の変化も見られない。

「あ…っ!」

 しかしそれで自分の身体を支えられるわけがなかった。糸の切れた操り人形のように,シャルルの膝が折れ,彼はばったりと大地に倒れ伏した。

「シャルル!」

 ばたばたとそれに駆け寄ると,エリィはシャルルを抱き起す。

「…終わったか」

 さしあたり脅威は去ったようだ。ふぅっと大きく息を吐く漆黒将軍。

「将軍…」

 そこへユーリエが駆け寄る。しかし大体の事情を察した彼女は,二の句を継げない。

「…この戦いは終わった。終わったのだ…」

「!…はい」

 それで彼女は自分の役割を認識する。

「卿!」

「はい」

 ノーブルが頷き,二言三言つぶやいて杖をユーリエへと向ける。魔法を使って彼女の声を連合の将兵全体に聞かせるためだ。

「連合の将兵たちよ!」

 前を向き,すぅっ,と大きく息を吸って,彼女は声を張る。

「帝国の指導者たちは斃れました!我々の勝利です!」

 おお,と周囲から声が上がる。

「妖魔は統制を失っています!もうひと頑張りです!残敵を掃討するのです!」

 ユーリエはノーブルを振り返る。頷いて魔法を止めるノーブル。

「卿!前線でギルバート殿の援護を!」

「承知。ドワーフ殿,お手数ですが護衛を頼みます」

「うむ」

 二人は駆け出す。

「クリミア殿!ここはお任せします!」

「あ,わ,分かりました」

 心配そうにシャルルの方を見やっていたクリミアが,それでハッとする。

「ラルスへ伝令!左翼を任せる!残りは私に続け!右翼へ加勢する!」

 即座に意識を切り替え,クリミアは駆けてゆく。

「では将軍…二人を頼みます」

「…ああ」

 漆黒将軍が頷いたのに笑って頷き返し,ユーリエは帰還者のもとへと,元来た道を引き返した。

「…さて」

 その後ろ姿をしばし見送ってから,漆黒将軍はシャルルたちのもとへと近寄る。

「…エリィ,どうだ?」

「そ,それが…全然目を覚ましてくれないの…」

 涙目で振り返るエリィ。

「…」

「ね,ねぇ…どうしたら…」

「…困った男だな」

「え…?」

「…おい,さっさと目を覚ませ。いつまでエリィを泣かせるつもりだ」

「ちょ…」

「う…む…」

 そこでシャルルが身じろぎをする。

「!?」

 目を丸くして,二人を交互に見るエリィ。こちらはいいから,と苦笑交じりに手振りする漆黒将軍。

「…ここは…」

「て…帝都よ!戦いは終わったの!勝ったのよ!」

「帝都…?戦い…?」

 ぼんやりとした表情で周囲を眺めるシャルル。

「そうよっ!えーと…」

 状況を説明しようとして,しかし言葉に詰まるエリィ。

 もしかしたら一時的に混乱しているだけはなく,決定的な瞬間の記憶が欠落している可能性もある。だとすれば,敢えて本人が気に病むような事は伝えなくともいいのではないか。そんな考えが脳裏をよぎったのだ。

 しかし先に爆弾を投げたのはシャルルだった。

「なんでそんなことに…?」

「えっ…?」

「どうして俺はこんなとこに…?」

「…ちょっと…?」

 エリィの胸中に違和感が膨らんでいく。

「ちょっと!しっかりしてよシャルル!」

「わ…」

 二度三度とシャルルを揺さぶるエリィ。

「やめてくれよ…痛いじゃないか」

 抗議するシャルル。しかしその表情はおよそ抗議の表情には見えず,言葉にも抑揚が無い。

「え…あ…ごめんなさい」

「ところで…」

 ぼんやりとエリィを見つめたまま,シャルルはさらに爆弾を投げた。

「その…シャルルというのは,俺のことなのか?」

「!?」

 目が点になるエリィ。

「え…え?な,何言ってるのよシャルル…」

「そういう君は…誰なんだ?」

「え…」

 エリィの顔から血の気が引いていく。

「じょ…冗談,よね?シャルル…そんな…」

「痛いなぁ…放してくれよ」

「!」

 肩を掴んだ手に力が入ってしまっていた。思わずそれを放してしまうエリィだが,支えを失ったシャルルの身体は地面へ落ち,鈍い音とともに彼は頭を石畳にぶつける。

「!!」

 愕然とするエリィ。その無防備さはおよそ武道を嗜んだ者の有様とは思えない。 

「い…つ…」

 あるいはその衝撃で,との彼女の次善の期待も裏切られ,シャルルは頭を押さえてごろごろと転がる。

「ちょ…これ…これは…!」

 ハッと思い至って,エリィは漆黒将軍の方を振り返る。

「…エリィ」

 視線をシャルルから逸らさず,漆黒将軍は口を開く。

「…この結末は,お前の望んだものか?」

「!?なっ…何馬鹿な事言ってるのよっ!そんなわけないじゃない!」

「…そうか」

「なっ…何よ,どういういう意味よ…」

「…私はお前の意に添うと決めたから,なるべく私自身の主観が入り込まぬよう,気を遣ったつもりだ。しかし…仮にそれが入り込んでしまったとしても,こうはならない。私自身,この結末を容認はしていない」

 はずだ,としかし心の中で付け加える漆黒将軍。許容したくはないが,可能性としては起こり得る。そう考えたのも事実ではあるのだ。

「じゃ,じゃぁこれはどういう事なのよっ!…うっ…」

 あれを見なさい,とばかりに叫びながら後ろを振り返ったエリィは言葉を呑む。

 大自然の中で暮らしていた自分が初めて大都会へと出た時のような,そんな形容がぴったりと当てはまるような光景がそこにはあったのだ。

 危機感も警戒感もかけらもない,目に入るものが全て物珍しいかのような,そんな様子でふらふらと彷徨うシャルル。

 いや,それだけならまだいい。彼の言っていた事に嘘がないとして普通なら,石畳に頭を叩きつけられた見ず知らずの自分に抗議の一つもしていいところなのだ。

 明らかに何かがおかしい。どこか決定的なところが欠落していなければこうはならないはずだ。

「…お前にも私にも許容できぬ結末を,その意を汲んだ蛟龍が招き寄せるとも思えぬ。となれば…」

「となれば…?」

 ぎくりとして,聞き返すエリィ。

 一つ溜息をついて,漆黒将軍は言った。

「…考えられる事は一つしか無い。この結末は…流星やつ自身が望んだものということだ」

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