ただの人として
「な…!?」
「え…!?」
「ば…!?」
先陣を務めていたアリシア騎士たちの口から驚愕の,ろくに言葉すらなさない叫びが発せられる。
だがそれは無理もない事だった。詳細を,とまではいかなくとも,彼らは魔操兵戦争の伝承を熟知している。
魔法王国であるアリシアの根幹に関わる戒め。欲に囚われた力が招く悲劇としてそれを教わってきている彼らは,しかしまさか,その魔操兵が敵となって襲ってくるなどとは考えもしなかったのだ。それはおおいに,アリシアこそが魔道において世界の最高峰であるとの自負が影響していたのだ。
あり得ない事が眼前で起こっている。完全に虚を衝かれてしまったアリシア騎士は,動き出した巨像兵士の初撃をまともに食らってしまった。
「ぐ!」
「が!」
「げふ!」
今度は叫びですらなく,ただ単に肺から絞り出された空気が彼らの口を衝いて出る。瞬時に肉の塊となった直撃組が弾き飛ばされ,その重装備が仇となって,それに巻き込まれた者も少なくない損害を被る。
その点においては,第三軍はやや幸運だった。魔法学院の必修教養科目で比較的詳しく学んでいる彼らは,突き詰めれば巨像兵士も魔法生物の一種であることを理解していたし,それらへの対策として有効な解呪の修得も必須となっていた。
だから,その業がアリシア以外の手によって再現されている事に対する驚きはあっても,比較的すぐに立ち直り,軽装の利点を生かして初撃を回避,比較的損害を抑えることに成功したのだ。
「く…っ!」
ハイアムの故事の詳細を知るギルバートの対処はさらに素早かった。
〈報恩忠国第四四頁展開!【属性付加円陣】!同第二五頁展開!【解呪】!〉
前方に形成されたうっすらと揺らめく円形の力場に,そこを通過した攻撃に付加する属性を設定するギルバート。
〈同一三頁展開!【魔弾の射手】〉
彼の右手に魔力が凝集する。基本はこちらも学院の必修卒業要件となっている魔法弾であるが,対象の部位をより精確に狙えるように改良されている。
「行けぇっ!」
突き出された右手から放たれた魔法弾は,力場を通過して解呪の効果を付与され,振りかぶられる巨像兵士の剣の柄,つまりは持ち手のあたりに着弾する。
ぼろぼろとその指が崩れ,支えを失った剣が振りかぶられた勢いそのままにあらぬ方向へと飛んでいく。
(通じる…!)
手ごたえをつかむギルバート。圧倒的な質量に対する絶対的な魔力不足を心配して末端の部位を狙ったわけだが,取り敢えず効果があることだけは証明された。となればあとは物量で押し切ればいい。
「第三軍!散開!囮の役割を担って騎士団の立て直しの時間を稼ぎつつ,解呪で巨像兵士を削れ!」
すでに戦況は混乱しているが,彼の叫びは魔法によって第三軍各員の耳に確実に届けられる。
かつては非力で脆弱な集団だった第三軍もまた,この二年ほどの間に見違えるほど逞しくなっていた。もっとも若い世代の兵たちが数人ずつに分かれて各々の相手へと走ると,火球を放って注意を引き付ける。彼らは地を転がってその剣を避けつつ,解呪を放って自分が脅威であることを巨像に見せつけ,囮の役割を果たす。
その隙に,比較的若い世代の者たちが騎士団の方へ,致命傷に至っていない者たちの回復へと走る。熟練の者たちは比較的安全な後方から威力と精度を高めた解呪を放って巨像の戦力を削る役割だ。
かつては前衛を騎士団に任せ後衛に徹していた第三軍だが,数々の戦場を経て知見を蓄えたギルバートによって,単独でも柔軟に動けるように改編されたのだ。
次々と解呪が着弾し,巨像兵士の頭といい腕といい,表面がその度に剥がれ落ちる。
(よし!)
個々の威力はギルバートに及ばないが,結局のところ戦いは数だ。効果を蓄積していけばいずれは沈黙する。
「騎士団!今のうちに立て直せ!巨像兵士は第三軍に任せて第二波に備えろ!」
第二射を放って,ギルバートは今度は騎士団へ叫ぶ。
ここは最終決戦の場なのだ。帝国には次などない。巨像兵士の攻撃が大雑把すぎるから同時には投入できないというだけで,必ず他の部隊が居る。次が来る。
「投擲弾は温存を!」
その程度の事は実戦慣れしていれば容易に想像がつく。アリシア部隊の混乱にもかかわらず事態を静観しているエリティア部隊へと,ギルバートは念押しする。
「解った!」
それだけを答えるビル。ある意味でそれはアリシアへの信頼だ。不意の一撃は食らってしまったとはいえ,この程度の相手に壊滅するような彼らではないと熟知している。
おそらくは巨人や魔獣も居るだろう。ここで対象としては少々大きすぎる巨像兵士に浪費してしまうのは得策ではない。
「はっ!」
ギルバートの第三射が囮に気を取られ背後を晒していた巨像兵士の膝裏へと着弾し,脆くなっていたそこは崩壊する。支えを失ったそれはぐらりと大きく傾き,沿道の家屋へと倒れ込む。
それへ集中する第三軍の解呪。まるで業火に焼かれているかのごとく,ぼろぼろと表面から崩れてい巨像兵士。
「…っ!」
敵のものとはいえ,さまざまな思いが去来したギルバートは思わず視線を逸らす。
「…!?」
だが逸らした先で彼は敵の第二波が現れたことを視認した。
ふわりと空へ舞い上がる多数の影。大部分はハーピーだが,決して少なくない数の魔法生物も含まれている。
(まずい…!)
一見してかなりの数だ。ちらりと地上に目を移せば,今までどこにこれだけの数が潜んでいたのかと思わせるほどの数が突撃してくる。
どこから崩されるかわからない以上,そこへ全軍を投入することは難しい。となれば,気が遠くなるようなあり得なさを無視すれば随所に同数が潜んでいると考える方が無難だ。
こちらはようやく一体を倒しただけに過ぎない。立て直す暇もなく順次突撃を食らえば,絶望的な全滅が待っているだけだ。
(どうする…どうすれば…!)
必死に考えをまとめようとするギルバート。エリティアだけで持ちこたえられる今のうちに,何とか対応策を考え出さねばならない。
「!」
しかしその時,彼の視界を円盤が横切った。
(これは…っ!)
そちらを,円盤が向かった巨像兵士の方を見るギルバート。それで彼は,決定的瞬間をその目に焼き付けることができた。
「…!」
巨像兵士の近くに静止した円盤が,放たれた光雷を反射してその肘を撃ち抜く。するとそれを斜線上に待機していた別の円盤が反射し,その右膝を撃ち抜く。さらにまた別の円盤がそれを反射して左肩を撃ち抜くと,最後の円盤がそれを反射して右脚の付け根を撃ち抜く。それが,三か所でほぼ同時に起こる。
一瞬にして四肢を悉く破壊された巨像兵士たちは,ただの無力な岩塊と化してその場へ地響きとともに崩れ落ちた。
だが円盤たちはそんな岩塊になど構わず,それぞれ次の獲物へと飛んでいた。あっけにとられるアリシア兵たちの前で次々と無力化されていく巨像兵士たち。
(これが…龍戦士!)
ギルバートの背筋が震える。
一見,これは反射形式だ。しかし威力のないはずのその一射で巨像兵士の四肢がああも簡単に砕けるわけがない。
おそらくあれは連射形式なのだ。目で追えないほどの高速連射だから,あたかもそれが一本の太い光雷のように見えているだけなのだろう。だから実際には,巨像兵士の関節部が蜂の巣にされていると言った方がいいのだろう。
だからあり得ないのだ。蜂の巣ということは反射角が変わっている。つまりは,はじめに反射するほうか再反射するほうか,少なくともどちらか一方の円盤もまた高速移動してその振れ幅に対応していなければ不可能なのだ。
そんな芸当を報恩忠国でやろうとしたら,他のすべてを白紙に戻したとて圧倒的に頁が足りない。
(く…っ!)
しかしそれで,戦況が予想以上に思わしくない事を悟るギルバート。
これはおそらく龍戦士にとっても無茶の部類だろう。先陣だけでなく本陣も後陣も同様の襲撃を受けており,いずれもがそれを退けていなかったのだろう。それでなければ円盤だけが来るはずがない。
「第三軍!対空迎撃だ!第二波,魔法生物が来るぞ!」
ギルバートはすぐに気持ちを切り替えて叫ぶ。龍戦士がこれだけのことをやっても対応を急ぐという事は,それだけの事が起こるからと考えておくのが最も堅実だからだ。先ほどあり得なさを飲み込んで予想した局面が,いよいよ現実味を帯びてきたという事だ。
彼のやっていることにまったく助力できない以上は,それ以外を受け持つしかない。
「騎士団!再編急げ!岩塊の隙間を固めればいい!」
側面はエリティアが受け持ってくれる。となればこちらは前方を防ぎきればいい。おそらくだが彼は敵の一斉突撃を防ぐ目的で,敢えて巨像兵士を粉砕せず岩塊の域までの破壊に留めているのだろう。かつて”風”が,”純白の舞姫”が使っていた策だ。
後方は大丈夫だ。深窓の令嬢だった姉姫はもう居ない。今は,実は妹姫だった”純白の舞姫”に比肩する一騎当千の武道家が,しかも血脈の中に眠っていた力を多少なりとも目覚めさせた,人外の域へと僅かばかりも踏み込んだ強者がそこに居るのだ。
(…)
複雑な思いを抱くギルバート。しかし今はそれに拘泥している場合ではない。
とにかくここを死守する。前線を支えきることが彼女たちの安全を確保する最良の方策でもあるのだ。
そう割り切って,ギルバートは状況の把握に全精力を傾けた。