仮面の計略・後編
「す…すみませんエリィ殿,誤解していたとは言え無礼な真似を…お許しください」
「いえその…こちらこそすみません…」
ひとしきりエリィに謝っていたギルバートは,しかしそこでハッと我に返った。
「し,しかし卿…」
「今日の件,本題はここからです」
しかしすぐさま,言いかけたギルバートを制し,真面目な顔を作ってノーブルは続ける。
「貴方の推察の通り連合はもはや背に腹は代えられない状態です。このような…アリシアを踏みにじるような作戦が降りて来る事からも窺えましょう」
(よく言う…)
降ろした側である自分はとりあえず棚に上げ,内心呆れるクーラ。それを言うなら,この場そのものがアリシアを踏みにじっているのではないだろうか。女王だけではなくクマルー卿もダシにしてその説得力を増すというのも,そのままギルバートを説得にかかるのも,すべてノーブルの発案である。
ギルバートが激高しないよう二段階に分けて正体を明かすのも,女王の身代わり作戦があたかもクマルー卿の了解の下で行われているように錯覚させて怒りの矛先をかわすという,細部までいやらしく計算されたものなのだ。
仕事でなければさっさとこの場を辞したいところだ。クーラはそう思って溜息をつく。
「しかし…連合の中にあってさらに,アリシアが背に腹の代えられない立場にいるのも事実。この状況下でアリシアがどう進んでいくべきなのか,それを貴方に決めて頂きたいという事なのです」
「私が…ですか?」
目を丸くするギルバート。
「しかし,卿を差し置いて…」
「では尋ねますがギルバート殿」
再びそれを制し,ノーブルは言う。
「貴方の知るクマルー卿とは,不老不死,不死身の男なのですか?」
「はい…い,いえ!…さすがにそれは…」
肯定しかけたギルバートは呆れ果てたノーブルの視線に射すくめられて慌ててそれを撤回する。
「良いですか?いつまでも他に頼っている場合では無いのです。貴方もご存知の通り,アリシア王家に生まれた直系の男子は,女王が成人するまで後見するのがその務め。以降は一線を退く事になります」
「は,はい…」
「ところが私の役目が終われば,直系の男子は皆無となります。つまり,次世代の女王とアリシアを導く役割は貴方に回ってくるのです,ギルバート殿」
厳粛な,と言っても居合わせた他の二人にはしたり顔にしか見えないわけだが,ともかくそんな表情でノーブルは言う。
「このように話せる機会がもう二度と訪れない,という可能性もあります。…先般のアリシア陥落の時のように間に合わない事もあるでしょう」
「う…」
アリシア陥落を引き合いに出され,ギルバートの表情が苦痛に歪む。
「そのような時の為に,今ここで,貴方が自分の結論を持つことが重要なのです」
「はい…」
「さてそれでは」
ひょいと声の調子を変えて,軽々とノーブルは言葉を繋ぐ。
「貴方ならばどう采配致しますか?ギルバート殿?」
「私ならば…」
むむ…と唸って,ギルバートは口を開く。
「エリィ殿には申し訳ないですが,このままユーリエ様になりきって頂いて,正体を明かさぬまま先頭に立っていただくしか無いでしょう…」
「え…」
エリィが短く驚きの声を上げる。
「明かせばそれは,アリシア将兵の態度となって現れます。作戦の成否で考えるならば,帝国にこちらが偽物と思われる材料はなるべく少ない方が良いと思います」
寂しそうに笑いながらギルバートは言う。
「で,でもそれじゃ,いつばれるか…」
「大丈夫です。私も不覚を取りましたから,そう簡単にはばれないでしょう。それに…」
ちらりとノーブルを見て続ける。
「多少の不自然は,クマルー卿が側に居れば何とでもなります」
「おや…」
ちょっと驚いたように言うノーブル。
「もうどこへも行くな,と?」
「当然です。実質ユーリエ様の側付きができない以上,ここへ留まって将兵を鼓舞して頂かなくては困ります」
「…作戦にかこつけて,首に縄をつけておこうという魂胆ですか」
「卿!そもそもそんなだから,アリシアをむざむざ帝国に奪われてしまったのです!卿さえいらっしゃればおいそれと奴らに王城を踏み荒らされる事など…!」
潤んだ目を一杯に見開いて訴えるギルバート。
「…これは手厳しい。そこまで買い被られるほどの甲斐性はありませんよ」
(…)
いよいよ目も当てられなくなってきた。頭を押さえながらクーラは思う。
これは見方によっては,ノーブルがアリシアの内紛を煽っているようなものではないか。
「ちょ…ノ…」
いよいよ居たたまれなくなったエリィが口を開くが,ノーブルはそれを制する。
「ではギルバート殿。一つだけ尋ねましょう」
「…何です?」
まるで対峙しているかのような緊張感を持ってギルバートは言う。確かに彼の敬愛するクマルー卿のやりようは,少なくとも彼の知る限りは常に予想外の方向から正解へとたどり着いてきた。
だがそれはそれとして。その神出鬼没な行動と容易に真意をうかがい知る事の出来ない言動によって常日頃から何度も肩透かしを食いけむに巻かれてきたのも事実である。
明日のアリシアをと言われたからにはここで一方的にやられるわけには行かない,という強固な決意で身構えるギルバート。
「基本線としてはそれで良いでしょうが…万一,帝国がユーリエ様を偽物と判断して殺害するような事になったら,どうします?」
「!」
「あるいは…先ほど貴方も言った通り,すでに帝国の拷問によってアリシアの命脈が途絶えていたとしたら…」
「うっ…」
「いえ…状況としては変わらないかも知れませんね。命脈を断たれてしまったユーリエ様が生き永らえようなどとは…」
「…最悪の場合は,アリシアに幕を引きましょう」
「!?」
ギルバートの言葉に耳を疑うエリィ。
「状況としては,我々の知らないところですでにそうなっている可能性もあります。感情論以前に,常に最悪の場合も想定はしておかねばなりません」
そしてギルバートは,エリィの方を見て精いっぱいの笑顔を見せる。
「御心配には及びませんエリィ殿…貴女に一生身代わりをやらせる事だけは避けます。これは…我らアリシアの問題。我らで決着は付けます」
「ギルバート殿…」
「…では,それがアリシアを任された貴方の決断という事でよろしいですね?ギルバート殿?」
しれっと,とクーラには感じられたが,そんな口調でノーブルは念を押す。
「ええ。私には他にどんな代案も出すことができませんから…」
「分かりました。では…これで決定といたします。貴方の想いを蔑ろにするような俗物ではないと思いますが,もし反対されてもくじけないで下さいね?」
「え…?」
そこでまた,きょとんとするギルバート。
「まぁ今度は可どころか否でしたが…」
悪党,と心の中で毒づくクーラを他所に,ノーブルは懐から仮面を取り出すとそれを装着した。
「なっ!?」
目が点になるギルバート。
「あの…ごめんなさい,こういう事なのです…」
やっと言えた,エリィの言葉にはそんな安堵の響きが混じる。
しかしギルバートの口から発せられたのは,予想のはるか斜め上を行く言葉だった。
「そ,そ…それでは!”仮面の賢者”は,卿が世を忍ぶ仮の姿だったのですか!?」
「…」
脱力したエリィは絨毯の上にぺたりと座り込み,壁に寄りかかっていたクーラもずるずるとずり落ちる。
「落ち着いて,よく考えて下さいね?ギルバート殿?」
さしものノーブルもがっくりと肩を落としている。
「え…?あ,つまり…ノーブル殿がクマルー卿になりすましていた,と?」
「まぁ,ごく当たり前に考えればそうでしょうね」
苦笑するノーブル。
「しかし,そんな…あまりに似すぎている…」
「アリシア魔法学院十か条,第一条二項」
「…ハッ!第一条二項!現出するあらゆる事象を疑いつねに真実を探求する眼を持つべし!」
また暗唱するギルバート。
「とまぁ,そういう事ですよ。姫をユーリエ様に仕立て上げたのも,私がクマルー卿になりすましたのも」
「む,むむ…」
「あまり褒められたやり方では無かったですがね,万全を期す為のやむを得ない手段だったとご容赦願いたいところなのですが…」
(無茶な…)
ようやく元の体勢に戻ったクーラは内心でまた呆れる。あれだけの無礼を働いて許せるわけがない。
「いえ…許すどころか感謝するところです」
しかしまたもギルバートは意外な事を言い出した。
(な…に…?)
唖然とするクーラ。
「厳しいご指導…きっとクマルー卿がいらしたら同じ事を言ったに違いありません。さすがは”仮面の賢者”ノーブル殿です」
「…そ,そうですか。クマルー卿と同列に扱って頂いて光栄ですね…」
コリコリと頬骨の辺りを掻くノーブル。
(あ…そういえば…)
立ち上がろうという気力も起こらないまま成り行きをぼんやり見守っていたエリィは,その言葉を聞いて,ギルバートがクマルー卿と同等にノーブルを尊敬していたことを思い出した。
「ともかく…」
コホン,と咳ばらいをして気を取り直したノーブルは言う。
「何とか格好がつきそうだという事は証明されましたな,大尉?」
「…ですね。アリシア側の了解も得られた事ですし,これでいきましょう」
クーラは溜息をつきながらそう言うと,座ったままのエリィのところへ歩み寄って,手を差し出した。
「…え?」
警戒もあらわにクーラを見上げるエリィ。
「あらためてよろしくお願いいたしますよ,エリィ殿。この作戦,貴女の負担が一番大きいのですから」
「何?気味が悪いわね…何か裏があるの?」
言いながらもその手を握り,立ち上がるエリィ。
「あった,と言うべきでしょうな。残念ながら」
苦笑しながらクーラは言う。
「…?」
「先日の話を憶えておいでですか?この作戦の遂行にあたり,わがエリティアは”風”を全力で支援することをお約束いたしましたが」
「そういえば…でも,どうして今それを?」
「その支援と言うのがですね…四六時中脅威に晒されるエリィ殿に護衛をつける,という内容なのですよ」
「…まさか…」
「ええ。つまりは私が,エリィ殿につきっきりで護衛をするという事なのです」
「…」
絶句するエリィ。そこでノーブルが口を挟む。
「まぁ順当に考えてそうでしょうな。姫の護衛に腕利きをつけるのは当然の事」
「ちょ!?ノーブル!?知っていたんなら何で教えてくんないのよ!?」
我に返り抗議するエリィ。
「おや?そうと知ったら引き受けなかったと?」
「…う…それは…」
「むしろギリギリまで秘しておいた方が姫の精神衛生上よろしいかと思った次第ですが」
「…正解ですな」
溜息をつきながらクーラは言う。
「まぁ,これからは少しでもエリィ殿の御心を安んじるよう心がけますので,今までのご無礼は平にご容赦願います」
「え…?」
目を丸くするエリィ。
「先日までのあれは,姫の状態を回復させるための策だったのですよ」
苦笑しながらノーブルが解説する。
「ちょ…な,何よそれ!じゃああれは演技だったって言うの!?」
「まぁ…半分は」
何となく気まずさを感じ,明後日の方を向いてクーラは言う。
「まぁまぁ姫,そこは女王様のように広い心で水に流しましょう」
くってかかろうとしたエリィを,すかさずノーブルが止める。
「あなたどっちの味方なのよノーブル…!」
「もちろん姫ですとも。ですからその姫を元の元気な姫に戻した大尉の手腕は,称賛されてしかるべきものなのです。我々にはついぞできなかった事をやってのけたのですからな」
「う…裏切り者ぉ…」
泣きそうな顔で言うエリィ。
「それに,大尉にはこれからその手腕を見込んで,更に重要な役割を担って頂かなければなりません」
しかしそれには構わず,意味ありげな笑みをクーラへ向けるノーブル。
「…重要な?」
何となく身の危険を感じて尋ねるクーラ。
「ええ。この策を確固たるものにするためにはもうひと押し必要なのです。ユーリエ様を本物と思わせる為に,使えるものは何でも使いませんとな」
「…ほう」
急激に増してくる危機感にクーラは思わず腰が引ける。背筋を襲う寒気は,ノーブルが発案者を楽に死なせはしないと言った時のそれに匹敵する。
「実はアリシアにはある予言が伝わっておりましてな」
にやり,と笑うノーブル。
「その英雄…伝説の龍戦士役を,大尉にお願いいたしたいのですよ」