姉姫突貫す
洞察力が鈍っていた,そう悔やむクーラを尻目に,異変は,大魔道ルマールの渾身の罠はその牙を剝いた。
居並ぶ巨像たちのほとんどが一斉に動き出し,連合へと襲い掛かったのだ。
広場の四方を固める像たちも,赤心将軍のそれを除いて動き出す。むしろそれがもっともその可能性が高いと踏んだクーラの予想はそこでも外れたわけだが,もはやそんな事を気にしている場合ではなかった。連合はまんまと,敵の懐深く誘い込まれてしまったのだ。
「く…っ!」
後手を踏んだクーラではあったが,だからといって鈍重な像の攻撃をただ待ち受けるなどという愚は犯さない。
むしろすぐに片づけて前後の援護に回らなければならないのだ。
「四時方向は”風”で対処を!」
そう叫ぶと,十時方向の像へ例の捕獲網投擲弾を投げる。
「少佐殿!そちらは頼みます!」
「わかった!」
しかしこれは,しばらく時間を稼いでくれればいいという程度の策だ。覚醒以前からオーガーと渡り合えていたエリィですら,打撃を得手とする彼女ですら,五倍以上の身長差を持つ石像を相手取るのは容易な事ではないはずだ。ほとんど全員が帯剣しているエリティア兵や帰還者ではなおのことだ。攻撃するのも受けるのも困難なただの巨大な質量,それが巨像兵士の凶悪さだ。
だからまず,そのエリィと解呪の使えるノーブルで確実に一方を,最低でも足止めする。もう一方は絡めとって動きを封じ,時間を稼ぐ。その間に最後の一方を自分が倒して順次…。
「!?」
しかし。そんなクーラの目論見は初手からひっくり返された。
目指す一体へと,ひらりと馬を降りたユーリエがひとり駆けていく。
「ユ,ユーリエ殿っ!?」
状況に置いて行かれそうなところを必死に踏みとどまろうとするクリミアが,クーラの叫びでいくらか冷静さを取り戻したのもつかの間,彼の気持ちを代弁するかのような叫びを上げる。
(これが…双子姫か…!)
世界がぐらりと揺れるのを二度三度と頭を振って止め,後を追うクーラ。
(!…しまった…)
そこでまたも,己の認識が間違っていたことを彼は悟る。
当面は三体かも知れないが,連合は敵中へ深々と入り込んでいる。前線はともかくとして,連合をやり過ごした格好の石像たちが同様に動き出し,こちらへと群がってこないわけがない。一体を倒してそれで終わりというわけではないのだ。
「く…」
となれば確かに,性格的なものかと思われたユーリエの選択は理屈の上でも正しくはある。軍団全体の指揮をこちらに委ねて,自分は最後尾を守って最低でも時間を稼ぐのが上策なのだ。
しかし,対人戦での実力はエリィにひけを取らないと言っても,彼女には決め手がない。彼女の得物は漆黒将軍に仕込まれたという二刀で効果が薄く,魔法の才はこちらもエリィと遜色がないから,解呪の魔力を自前で上乗せすることは無理だろう。ノーブルから解呪投擲弾をいくつか持たされているはずだが,彼女の持つ二刀に魔法剣の性能を期待するのも酷というものだ。それになによりガーゴイルあたりとは質量が決定的に違う。うまくいって一体二体を崩せる程度だろう。
(姉姫に囮役を任せてこちらが仕留めるしかないか…)
それもそれでいかがなものかではあるが,背に腹を代えられる状況でもない。舌打ちしてクーラは,騎士の剣ではなく自分の剣を出す。壊れかけではあるが何とかもたせるしかない。
「…っ!?」
しかしそこで,またも斜め上が起こった。
動き出した石像は,石の剣,といってもそれはなかば石の柱とでもいうべき質量と強度を持っているはずなのだが,それを帰還者たちへと向けて薙いだ。まともに考えれば,彼らはそれをかわすだけなら何とかなったはずだ。しかしそこで突如速度を上げたユーリエが,彼らを庇うようにその斬撃の範囲内へと飛び込んだのだ。
やはり性格的なものなのか。予想だにしなかった最悪をすら思い描いて絶望するクーラを,しかし一笑に付すかのように,ユーリエは胸のあたりを通過する剣を身を沈めてかわし,のみならずその腹へと,身体のばねを使って背中で体当たりした。ガインッ!という,金属と石のぶつかり合う音とともに剣は跳ね上げられる。
不幸な犠牲者を力任せに薙ぎ払おうとしたその力は行き所を失い,のみならず全く予想もしなかった方向へと力を加えられて巨像兵士の体が崩れる。
それを支えようとして踏み出された巨像兵士の足の甲をユーリエは踏み抜き,間髪入れずに,その膝あたりへとまたも背中で体当たりを食らわせた。
乾いた,しかし決して軽くはない音とともに,巨像兵士の下肢は膝と足首のあたりで砕けて弾け飛ぶ。
そのままユーリエは勢いを殺さずに駆け,支えを失って倒れる巨像兵士の下をくぐり抜ける。しかもその最中にひょいと例の解呪投擲弾を数個肩越しに投げ上げ,落ちてきた巨像兵士の二の腕へと命中させたのだ。その部分が崩れて腕は胴から離れ,ちょうど巨像兵士は同じ側の手足を失った格好になって倒れる。
「あとは頼みます!」
後も振り返らずにそう叫ぶと,ユーリエはそのまま次の相手へと駆けていく。
「な゛…」
あんぐりと口を開いたまま固まるクリミア。だがその驚きは当然のことだ。末端の兵たちとは違い,彼女はアリシア女王が影武者だったことを知っているし,武道を修めたのがただの嘘に過ぎないことも良く分かっていたのだ。彼女の認識では,本物の女王は深窓の令嬢のままのはずだったのだ。
いや,それどころではない。エリティア王族の彼女も,国民皆兵の必須教養としていささかの武道の心得はあるのだ。だからこそ,あれだけの相手を何もさせずに無力化してしまうのがどれだけ斜め上かもよく判るのだ。
(…なんと…)
その斜め上を起こすタネを推測できるクーラも,しかし別の次元で完全に度肝を抜かれていた。
姉姫の周囲には,アリシアの防衛システムの力場が集中展開している。だからこそ余程の事が無ければ姉姫の安全そのものには全く問題ないと思っていたクーラだったが,姉姫はその防御力そのものを直接相手にぶつけたのだ。
しかしそれは,理屈では考えが及んでも決して容易にできる事ではない。
少なくとも,防衛システムに対する絶対的な信頼とともに,それを彼女の周囲に集めた技術,さらには仕込まれた技に対する絶対的な信頼も無ければならない。後の二つはつまるところ,漆黒将軍への絶対的な信頼だ。
(…)
なるほど漆黒将軍が姉姫の記憶を消すことを考えるだけの事はある,二人の結びつきは強固にして揺るぎない。
だがそれは見方をかえれば,彼にその気はなくとも長い時間をかけてこちらの逃げ道を念入りに潰されていたという事でもあるのだ。
しかしすぐに,クーラは気持ちを切り替えた。今はそれをどうこう言ったところでどうにもならない。ならばまずは目下晒されている脅威を回避するほうが先だろう。
くるりと踵を返すクーラ。
本人の実力的にはエリィと遜色ないと踏んだユーリエは,どうやら火力では大きくエリィを上回っているらしい。システムは龍戦士の力を何らかの形で取り込んでいるわけだから,ほぼ龍戦士の力と言ってよく,言わば彼女はその力を身に纏っているようなものなのだ。
また現時点での安定度もエリィは遠く及ばない。それは魔法王国の総帥としての積み重ねが培った戦略的思考によるものだ。最小限の手数で最大限の効果を上げる,実に合理的で全く危なげの無い組み立てだ。この分なら護衛の出番もないだろう。
となればこちらは速やかに本陣の安全を確保して,おそらくは混乱しているはずの前線へ応援に行くべきだ。
クーラは走り出した。