陰鬱の帝都
帝都,ア=オバク。
かつてサナリアの王都セダイであったそこは,帝国の建国後もなおセダイのままであった。
それは魔大帝ラズールが,実は世直しのために立った義勇の徒であり,不遇な最期を遂げたサナリア最後の王ルフトルールを慮ったがゆえの事であったらしい。
しかし,帝国の建国二周年を機にそれは今の名へと改められた。
帰還者との緒戦にして最大規模の戦闘で逝った,建国以前からの生え抜きにして将来を嘱望された将クラルフに”赤心将軍”の称号が追贈されたのもこの時であるから,これは国威発揚のため,というのがもっとも妥当な見方であった。
ところがこの頃から,帝国の施政は大きく様変わりした。徴用は志願制から義務へと変わり,賦課の額も跳ね上がった。
もともと決して国力が豊かでなく,さらには長年にわたる腐敗で疲弊しきっていたサナリアが,十分に回復する間も与えられずに対連合と対帰還者の二正面作戦へと叩きこまれたのだから,それは必然と言えた。しかしそれで帝国は自らの存在基盤を切り崩していくこととなってしまったのだ。
マイシャ陥落からこっち,日を追うごとに悪くなる戦況に反比例するように,圧政の色は濃くなっていった。
(と,諜報部の報告では結論付けられていたが…)
聞きしにまさる陰鬱ぶりだ,とクーラは溜息をつく。
連合は,大した抵抗も受けずにア=オバクの市街へと進入し,城へとまっすぐに伸びる道を警戒しながら進んでいた。
その道幅はあり得ないほど広い。比較的間を空けて隊伍を組むアリシア重装兵の先陣が,にも関わらず道の中央三割程度しか占めていないのだ。
戦時にあっては悪い冗談としか思えない城下町の作り方だ。これでは騎兵隊が一直線に城へ突撃できてしまう。防衛戦を見越すならば攻め手を小勢に分断して,効果的にそれを漸減すべく,狭い桝形道路を随所に設けるべきなのだ。
それがラズールの理想にして覚悟だったのだろう,とクーラは思う。異邦人の記憶を手に入れた彼には,それが防衛拠点としてではなく経済の要衝としての役割を期待されて作られたものであると理解できるのだ。帝国の思惑通りに事が進んでいれば,今頃ここは活気に満ちた町として賑わっていたのだろう。
しかし,今は重苦しい空気が周囲を支配していた。家々はひっそりと静まり返り,赤軍の戦没者たちを追悼する目的で造られたという大きな石像群が,道の両側に立ち並んで圧迫感の醸成に大きく貢献している。
「…エリィ殿?どうしました?」
そこでクーラは,エリィが心配そうにこちらの様子を窺っている気配を察知した。
「あ,その…」
もちろんエリィは,ノーブルに聞かされた話を引きずっていた。黙したままのクーラが密かに苦痛に耐えているのではないかと憶測して,気取られぬように注意しながら様子を窺っていたのだ。
「あの二人を心配しているのかな,と…」
あらかじめ用意していた答えで誤魔化すエリィ。しかし決して,単なる言い訳というだけの話でもない。
あの二人,エルとレミーは,連合が市街へと進入するタイミングでこれを離脱した。当初の目的通り白廉将軍バナドルスの安否を確認し,存命ならばこれを救出すべく単独行動に移ったのだ。
「おそらく大丈夫ですよ」
冷たいようですがね,と付け加えてクーラは苦笑する。
「彼女たちは無理押しせず,こちらの動きでできた隙を衝くつもりでしょう。各々が手練れの龍戦士ですし,この戦いの趨勢など完全無視で動く彼女たちにまでじゅうぶんな戦力を割く余裕は,もはや帝国にはないでしょう」
目的の白廉将軍そのものに罠を仕掛けているのでない限りはね,とこちらは心の中でだけ付け加えるクーラ。
「そう…そうね」
確かに場慣れはしている,とエリィは納得する。
「むしろ,問題はこちらですよ」
クーラはそう言って,周囲の状況を確認する。
「えっ…?」
「ここは守るに不向きな造りをしているのです。普通ならば郊外の野戦を選択していておかしくない。だというのに敢えてこちらが侵入するに任せているのですから…」
「何か罠がある…」
「ええ。それがどんなものかは判りかねますがね」
もちろん,事前に偵察は放っている。それが何もないと報告してきた以上は,進軍するしかないのだ。
(ん…?)
その時。DWACが反応した。
いや,正確には反応が増えた,と言った方が良いだろう。覚醒した二人の姫とその叔父,アラウド,そして帰還者たちと姿を消して付き従う黒軍の二人。それらにはもともと反応していたのだ。
しかし,新しい反応はそれらとはまったく別方向,つまりは進行方向から範囲内へと入ってきた。
(動いてはいない…単独…)
角度からみて,敵が屋根の後ろにでも隠れているのだろうか。しかしもしかしたら,何らかの思惑を持つ第三者が様子を窺っているだけなのかも知れない。
だがいずれにしても,何かで物理的に濾過されたかのような反応だ。これがたとえば,魔法か何かで意図的に隠蔽しようとしたのなら,たとえば黒軍の二人のような,もう少しはっきりとした輪郭になるはずだ。またたとえば,アリシア王家の者たちや帰還者たちの反応のような,妙に馴染んだ,こなれた反応とも違う。
(…)
あれこれと分析してみて,クーラはかえって訳が分からなくなった。
感覚としては,アラウドから感じるようになったそれに似ている。しかし,防衛システムのそれにもどことなく似ているような気がするのだ。
「エ…」
しかしいずれにしても,注意はしておいて損はないだろう。ややあってそう結論したクーラは,傍らのエリィに向かって口を開く。
「あれっ?」
だがエリィの声がそれを遮る。
「…どうしました?エリィ殿?」
状況にも,彼女の気配にも緊急性は無い。そう判断したクーラはそちらを優先する。
「あの像…一つだけ,形が違うのよ」
「ああ…それはおそらく,”赤心将軍”を追贈されたクラルフ将軍の像でしょう」
連合の本陣は,大きな広場へとさしかかっていた。周囲の音響からそう判断したクーラは,諜報部から報告を受けていた情報と考え併せて推論する。
確か広場の四方を囲むようにして,将軍と主要な副官三名の像が配されていたはずだ。よく見れば副官の像も一般のそれとは微妙に異なる作りになっているらしいのだが,ぱっと見では気づかない。一つだけとエリィが言うのも頷ける。
「そう…連合が理解を示していたら,もしかしたら避けられた犠牲なのかも知れないのにね…」
複雑な表情になるエリィ。おそらくは初戦で彼らを倒した者たちが,今自分たちの後方に控えているのだ。
(…!)
その時不意に,嫌な予感がクーラを襲う。
「エリィ殿!その,赤心将軍の像は!どちらの方向へ立っているのですか!?」
「えっ?…あっ…その,二時の方向…」
「…!」
それがDWACの反応と重なっている事を悟り,歯噛みするクーラ。
「いけません!それは…」
注意を喚起しようとする彼だが,その機先を制して異変は起こった。