叔父のさだめ
「…え?」
耳を疑うエリィ。
「最悪の状況に対して万全の備えをするのであれば,姫には巻き込まれない位置まで退いていただくのが得策」
「ちょ…ちょ…」
「無論,姫に限った話ではありません。ユーリエ様にも事情を説明して退避して頂きます。システムの加護があるとはいえ,伝説の龍戦士の対消滅に耐えられる保証はありません」
「ま…ちょ…」
うろたえるエリィを尻目にノーブルは続ける。
「そのために配置されているとはいえ,護衛のお二方にその盾となれと言うのもあまりに絶望的。ユーリエ様もそれを良しとはなさらぬでしょう」
「な…ちょ…待って…」
ノーブルを押しとどめようとするエリィ。
しかし彼はそんなエリィをまっすぐ見て,苦笑しながら言う。
「選べっこない…でしょう?」
必ず対消滅が起こると決まったわけでもなし,そのような状況ならばなおの事選べますまい,とノーブルは続ける。
「う…で,でも!それじゃ世界が…」
「世界のすべてが消え去るわけではありません」
「…!?」
笑みを消して冷たく言い放つノーブル。その表情にエリィは気圧される。
「先日ご覧になりましたでしょう?私が炎の魔人を抑え込んだのを。あれは本来的には龍戦士を…その力の暴走を抑え込むために作り上げた魔法です」
「なっ…」
なぜそんなものを作る必要があるのか。伝説の龍戦士はアリシアの敵ではないはずだ。
「…あ…」
いや,とエリィは自分の認識を修正する。敵味方問わず暴走するから恐ろしいのだ。しかもそれは,予言を成就すればなくなるというような代物でもない。
そんな龍戦士の特性もハイアムの故事も熟知するノーブルが,その災禍を過小評価すること,準備を怠ることなどあり得ないのだ。
「私がその時のために準備していた魔力をすべてつぎ込めば…大きく見積もっても帝都が完全消滅する程度で収まってくれるはずです」
「で…でも連合が…」
「そこは諦めて頂くしかないでしょう」
「!?」
立て続けに飛び出す冷徹な言葉に目を丸くするエリィ。
「帝国との最終決戦です。まさか流星殿だけに戦わせて連合全てが退避するわけには参りますまい。それで彼が力を使い切ってしまえば,それこそ災禍を招いてしまいます。お世辞にも万全とは言い切れない今の彼は,いつもより力に頼らざるを得ない状況と考えるのが妥当でありましょうからな」
「うっ…」
それは確かにその通りだ。起こるのか起こらないのかも判らない対消滅を恐れてそれでは本末転倒だ。
「幸いなことに,それで遠征軍が全滅したとて他国は致命的な損害とはなりません」
「…え?」
「エリティアはクルム王が後ろに控えています。クリミア殿が戦死なさったとて,国が亡ぶわけではない」
もっともそれは影武者になるのかも知れませんが,とノーブルは心の中で付け加える。
真偽は定かでないが,エリティアの封印は既に解かれてしまった可能性があるのだ。それはつまりクルム王が既にこの世の人ではないという事を意味する。
「ルトリアはもともと全滅していますし,民にとってヒューム殿は,むしろいなくなってくれた方がありがたい存在です」
「う…そ…れは…」
グラントとの会見を思い出すエリィ。ルトリアの民草にとって,もっとも国が乱れそうな状況とはつまり彼が王位に就いた時を指す。
「サナリアはまったくの無関係ですね。盗賊殿がこの場に居れば影響もあったのでしょうが…」
「…で,でもそれじゃ…!」
ノエルを思い出してしゅんとしたエリィは,しかし気を取り直して抗議しようとする。それではクリミアだけが完全に貧乏くじだ。
「それが責任ということです,姫」
しかしノーブルはまたしても先回りする。
「!?」
「気になっているのは,クリミア殿…でしょう?姫がアリシア女王として負担を軽減していたとはいえ,実は補佐していたのは同じ四王家のエルノアール殿下であったとはいえ…実質的に王族は自分一人と思ってその重責を果たしてきた彼女があまりにも不憫だと,そういう事でしょう?」
「う,うん…」
「だからこそ,ですよ」
「えっ…?」
目を丸くするエリィ。
「つまり…今回の流星殿の危機は一連の作戦の,寄せに寄せられたしわ寄せなのです」
「!」
ますますエリィの目が見開かれる。
「総責任者は誰だ?責任を取るべき者は誰だ?そう考えた時に,それは立案をしたヒューム殿ではありません。札束で横面を殴られていても,決断を下したクリミア殿が最も重い責任を持つのです」
「…っ」
「あとは…」
それを了承したギルバート殿ですね,とノーブルは付け加える。
「あ…っ」
「きっちり責任を取っていただく…とはつまりそういう事です。むろん…状況は当時の予測のはるかに斜め上ですがね」
苦笑するノーブル。
「ノーブル…」
そこまで言ってエリィは言葉を飲み込む。
作戦に同意したアリシアの責任者はギルバートだけにとどまらない。おそらく本人の性格からいっても立場から言っても,クマルー卿,すなわち眼前のこの男は当然のこととして死を覚悟している。そう思ったのだ。
「あ,ちなみに私は死にませんよ?」
しかし当の本人はひょいとそれを否定する。
「…は?」
死なない方が良いに決まっている。頭ではそう理解できても,感情が,脊髄が言葉を発してしまうエリィ。
「まぁ…そうですね。死にませんと言うよりかは,死ねませんと言った方が良いかも知れませんが…」
それに苦笑しながら,しかしますます意味不明の言葉を重ねてエリィを混乱させるノーブル。
「ど,どんな自信よ!?システムの加護のあるユーリエ様でも安全を保障できない,伝説の龍戦士の対消滅なんでしょ!?」
「私には予言があるのです」
「…予言…?」
己の素性を明かされてすら頑なに譲歩を拒むエリィの感情が,その表情をますます胡乱げなものにする。
「アリシアの王位継承権を持つ姫君たちの中には予言の力を発現する方もよくいらっしゃいましてね…」
苦笑しながら解説を加えるノーブル。
「ギルバート殿の母君に…」
「…」
エリィの眉間にしわが寄る。確か,先々代女王には三人の子が居て,その長兄がギルバートの父だったはずだ。母は関係ないはずだ。
「つまりは,父君や私や先代フローネ様の叔祖母にあたるアイリス様に視ていただいた事があるのですよ」
しかしノーブルは,これまたひょいとその疑念を打ち砕く。
「…!」
「近しい者へ娶わせて能力を保つ…驚くことのほどでもないでしょう?竜騎兵団から競走馬や家畜に至るまで手広く行われている事ですから」
家畜までも引き合いに出したノーブルには,あるいは自虐があったのかも知れない。しかし今のエリィには当然そんなところに気を回す余裕などありはしなかった。
「そ…それで…どういう…」
「いたって単純でしてね…『姪のためにその生涯を尽くすことになる。死ぬより辛い道のりとなる』のだそうです」
クマルー卿が双子姫の後見をする者に与えられる名である以上,当然と言えば当然なのだと覚悟はしていましたがね,とさらりと言ってのけて,苦笑するノーブル。
「正直,アリシアが陥落し,ユーリエ様が虜囚となったのはかなり斜め上でした。ですがそちらは,ふたを開けてみればただの杞憂でしたからね」
「う…っ」
「となれば…ここが正念場なのかもっと先なのかは知りませんが,少なくともここで簡単に消滅して終わりなどということはありますまい」
自虐的というか破滅的というか,そんなことまでもひょいと言ってのけるノーブル。
「うぅ…」
「…姫。もしこの不肖の叔父を思い遣ってくださるのなら…安全圏まで退避して頂きたい」
複雑な表情のエリィに苦笑して,ノーブルは言う。
「えっ…あ…」
その言わんとするところに思い至って,より一層複雑な表情になるエリィ。
予言が正しいとして,何がこの叔父を苦しめるのかを考えればそれは明白だ。自分が死んでしまうこと,それこそが癒されることのない苦痛を上乗せするのだ。
「いえ…対消滅の可能性にさえ思い至れば,彼らも同じことを言うはず…ですね」
「…」
「と.まぁ常識で言えばそういう事なのでしょうが」
そこで肩をすくめて,調子を変えるノーブル。
「運命などというものは意地の悪いものだと婿殿が仰っていましたからね。龍戦士ですら翻弄される相手に凡人が読み勝つなど不可能」
「…ごめんなさい」
それが自分を,何がどうあっても結論の変えたくない姪を慮っての発言であると察して,エリィはうつむく。
「…」
一方のノーブルも,漆黒将軍を引き合いに出してうやむやにしてしまおうという当てが外れてコリコリと頬をかく。
「…まぁ,こうなってしまっては退くという選択肢もありますまいが…ともかく現状で考えられる最悪だけは避けて頂く方向で…」
「最悪…?」
「おそらく,彼らの限界が先に来たとして,彼らは姫を巻き込むことを良しとはしません。となればありとあらゆる手段を使って姫の安全だけは守ろうとするはず」
姫が生存しさえすれば私にとっての最悪はありません,とノーブルは苦笑しながら付け加える。
「…ちょ…」
エリィの眉間にしわが寄る。それで連合が消滅しようがひとつの国が灰燼に帰そうが構わない,ノーブルはそう繰り返したに等しいのだ。
「ですが逆に考えれば,」
しかしノーブルはすぐさま笑みを消し,間髪を入れずに続ける。
「姫が先に命を落としてしまえば,その時は間違いなく対消滅が起こるのです」
「!」
ハッとするエリィ。
「理想の形は姫も彼らも無事,対消滅も起こらず予言だけが成就するという格好です。ですがそれを為すには,まず姫の無事が前提としてそこにあるのです」
それが現状でできる最善手です,とノーブルは念を押す。
「くれぐれも,無茶な真似はなさらぬようにお願いいたします」
「う,うん…」
ごくりと唾を飲み込んで,エリィは頷いた。