対消滅理論
「ちょ…なん,何とかならないの!?」
「ですからお尋ねしたのですよ,姫…どちらと添い遂げたいのかと」
言葉はいつものお約束,しかしいつもとはまるで違う,悄然とした様子のノーブル。
「流星殿と大尉がお互いを拒絶してしまっている以上…和解は無理とみて間違いありますまい」
「そ,そもそも!大尉はともかくシャルルは…」
「残念ながら…」
ノーブルはエリィを遮って言葉を続ける。
「先日のあれで,流星殿も大尉を受け入れがたくなってしまったと考えられます」
「あれってどれよ!」
「ミリア殿ですよ,姫」
「!?」
ハッとするエリィ。
「あの帰還者への口上…確かに姫の安全を保障しようという目的で行われたものですが,それはそれとして,流星殿はミリア殿を斬ったことにかなりの苦痛を感じていたとみるべきでしょう」
「う…」
あの奇妙な感覚を体験したエリィにとって,それは間違いのない事実だった。シャルルの苦悶の表情が,鮮やかに脳裏に蘇る。
「いえ…もしかすると,ミリア殿を斬ったのは大尉かも知れませんね」
しかし唐突に,斜め上へと切りあがるノーブル。
「!?」
「私は素人ですから断言はできませんが…あの時,流星殿の腕は何の予備動作もなしに突然ミリア殿を斬ったと見えました」
「あ…」
言われてみれば確かにそうだ,とエリィはその時の様子を思い返す。もちろん自分も呆気に取られていたから断言はできない。しかしあの時シャルルの気配は,はじめから最後まで完全に虚を突かれてまったくの無防備だった。にもかかわらずミリアを斬ったとは,つまりは腕だけが勝手に動いたという事だ。
そんなことが起こり得るのかどうかはもちろん判らないが,確かに言われてみればそれには一定の説得力があった。
「同胞として…特に,設定上近しい者を名乗るような相手に親近感を持つのは当然の事でしょう。そんなミリア殿を斬った大尉を,理屈ではその必然を十分に理解できたところで,感情が素直にそれについていくとは考えにくい…」
そこで溜息をついたノーブルは,しかし,と言葉を繋ぐ。
「流星殿は,その先も大尉とは正反対なのかも知れません。おそらく流星殿は,そんな煮え切らない,煮え切れない自分を嫌悪しているでしょう。大尉が姫への思いを抽出してできた人格だと誰よりも解っている流星殿は,余計なしがらみに囚われる自分よりも大尉のほうが相応しい,などと考えてますます腰が引けてしまうのかも知れません」
「!」
「もしかしたらあの時のあれも,すでに現在のこの状況を悟っていたのかも知れません。より直接的には,大尉に何らかの気後れを感じていたからと考えることもできましょう…」
「…っ」
複雑な思いが去来するエリィ。
「強引な仕掛けであったことは認めます。流星殿に絞ってしうとは,つまり大尉を切り捨てるという事でもあるのですから。しかし別の見方をすれば,流星殿はそんななし崩しを嫌ったとも言えましょう。大尉としての記憶も内包する彼は真摯に…私の要請に応えて…姫の自由意思による選択に委ねようとしていたのかも知れません」
「…!」
「私の落ち度という意味がお分かりいただけましたでしょうか…」
予言されていた運命とは言え意地の悪い,とノーブルはつぶやく。
しかし自分の考えに没頭していたエリィはそれを聞き逃した。
「ノーブル…」
「…はい?何でしょう,姫」
心のどこかに,それを聞き逃すはずはないという思いもあったのだろう。いささか虚を衝かれた格好でノーブルは答える。
だがやはり,それに反応する余裕はエリィにはなかった。
「その…シャルルと大尉は…二人とも,私の選択を待っているって事なの…?」
「ある意味,その結論だけが二人の共通点でしょうな」
溜息をつくノーブル。
「先に申し上げた通り…流星殿は,しがらみに囚われない大尉の方がよりふさわしいのではないかという思いを持っているでしょう。なればこそ,姫が自分を選んでくれるならともかく,そうでないのに自分が踏み込むことを良しとしていません。…単純に言えば,腰が引けたままです」
「…」
「一方の大尉は大尉で…今の自分が決定的な弱点を持っていることを知ってしまいました」
「え…?」
目を丸くしたエリィだが,すぐにその言葉の真意にたどりつく。
「あ…龍戦士の…」
「直接的にはそれです」
頷きながら,しかしノーブルは注釈を加える。
「しかしより根源的には…今自分の存在意義と言って差し支えのない姫への思いが,流星殿から切り離された思いに過ぎないと知ってしまったことです」
「…?」
過ぎないと言ってしまっては語弊があるのかも知れませんが,と前置きして言葉を繋ぐノーブル。
「自分の思いが強ければ強いほど,それは流星殿の思いがそうであったということです。となれば,そこを以て自分が流星殿に退場を求めることは無理というもの…」
「…!」
「しがらみに囚われない自分は確かに流星殿より相応しいかも知れない。しかしその性格付けすら,流星殿の姫への思いから生じたものなのです。そこはやはり,作られた人格の弱みとも言うべきなのでしょう」
「ちょ…そ,そのへん何とかならないの!?」
「当人同士で解決できるのならば,この状況にはなっていないと考えられます」
死刑宣告にも等しい言葉を吐くノーブル。
「いえ…結局のところは,姫の意思がすべてに優先すると思っているから手を打たないと言った方が良いのでしょうか。物理的な期限が延ばせるのならばすでにそうしているはずでしょうし,ぎりぎりまで選択の幅を広いまま保っておこうと…」
「うう…そんなこと言ったって…」
頭を抱えるエリィ。しかしノーブルは重い口を開く。
「さらに問題なのは…」
「ま,まだ何かあるの!?」
「対消滅理論によれば,相反する二者がお互いの存在を打ち消しあう際に黙示録的なエネルギーが発生するようなのです」
「え…エネルギー…?もくし…え?」
当然のごとく,それは何の説明もなしにエリィの理解が及ぶレベルの話ではない。
「黙示録です。むろん,検証されたわけではないのですが。文献の記述から察するに,ハイアムのシャルルが…」
「!?」
みるみるエリィの顔から血の気が引く。
「…両軍を悉く巻き込んで消滅したのと似た状況になるのではないかと考えられます」
「ちょ,ちょっと待って…それじゃ,連合が…」
「ええ。最悪,すべて消滅してしまうかも知れません」
「ま…待って…シャルルは,大尉は,それを知っているの…?」
「判りません…」
首を横に振ってノーブルは続ける。
「だからこそ最悪に備えておく必要があります。ここでの最悪とは,すなわち彼らもそれを知らないままに対消滅が起こってしまうこと」
「…え…?」
ひっかかるエリィ。ノーブルの言葉は裏を返せば,それを知っていれば対消滅が起こっても最悪とはならないということだ。
「知っていれば,最低限姫は安全ですからね」
しかし彼女の期待とは全く逆の方向へとノーブルは言葉を繋ぐ。
「ちょ…」
「今更…今更でしょう?姫。彼らは今まで散々,世界などどうでもいいと言葉で,態度で示し続けてきたのですから…」
他の何を犠牲にしたとて,姫の身の安全を捨てるわけがありません,と断言するノーブル。
「…」
がっくりと肩を落とすエリィ。しかしこのあり得ない思考回路が龍の血のなせる業なのかをあれこれ空想している暇はないし,まして気落ちしている場合ではまったくない。
「で…どうやって…」
最悪を回避するつもりなの,と言いかけたエリィは言葉に詰まる。要は自分がどちらかを選ぶ,いや,どちらかを切り捨てるのが最も安全で確実な手段なのだ。
「姫さえよろしければ…」
「…っ」
ノーブルの返答がそこへ行きつくように思われ,身を強張らせるエリィ。
しかしノーブルの答えはやはり,いつも通りに,斜め上であった。
「安全な位置まで退避していていただきましょう」