迫る刻限
「ノーブル…ちょっと,いい?」
思いつめた表情でエリィが口を開いたのは,夕食を終えた連合が休息に入ってすぐの事だった。
「姫?…どうか,なさいましたか?」
状況から即座に事情を察し,ごく自然に声を落とすノーブル。
「うん…あのね,実は…」
「場所を変えましょう,姫」
気まずそうにあたりを見回すエリィ。それで推測が正しいことを悟ったノーブルは,言いながら歩き始める。
「あ,うん…」
「ドワーフ殿と大男殿には,魔法の秘密特訓でもすることにしておきましょうか」
「うん…」
(いよいよ待ったなしのようですね)
暗い気持ちになるノーブル。いつもの彼女なら,そしてごくごく普通の相談事なら,この一方的にすら見える展開に驚くところだ。
それが無いとは,つまりは相手がそれを把握しているという前提で,他にどんな解決策をも見いだせず,最終手段として相談を決意したという事だ。
そんな案件など一つしかない。もっと正確に言えば,彼女が一人で持ち込んでくるその手の案件など一つしかないのだ。
「して…どのようなお悩みですか?」
それなりに距離を置き,周囲に気配がないことを確認してから,ノーブルは口を開く。
「あのね…シャルルの…大尉の…ことなの」
「…どうか,なさいましたか?」
やはりな,と思いながらノーブルは問う。
「時々…ひどく苦しそうにしていない?」
「しかもそれを隠して,何食わぬ顔をしていると…」
「そう!そうなのよ!やっぱりあなたも気づいていたのね!?」
思い違いではない,そんな安堵がエリィの顔に僅かにのぞく。
「いえ,私のはただの推測ですよ,姫…」
「え…」
「流星殿にせよ大尉にせよ,随分と私を警戒しているようでしてね。そんな素振りは微塵もありません。まぁその隙の無さがかえって怪しさを醸し出しているのですが」
苦笑するノーブル。
「…それでどうして怪しいと解るのよ…」
「タネは…先日のあれでして」
「あれ…?」
ちょっと考えたエリィはハッとする。
「まさか,あれ…!?」
「ええ。あれです」
その頬が見る間に紅くなるのを見て,ノーブルは頷く。
「うぅ…そ,それで!どうしてあれと結びつけると怪しいのよ…」
むくれながらエリィは言う。
「タネあかしをする前に…姫,ひとつお尋ねしてもよろしいでしょうか?」
「え?」
「姫は…流星殿と大尉,どちらと添い遂げたいですか?」
「!?」
目を丸くするエリィ。
「ちょ…ま…ノーブル!?ど,どういう…」
「言葉通りの意味ですが?」
「ふ…ふざけないでよ!そんないつものお約束ではぐらかして…」
涙目で抗議するエリィ。
「…って,え…?」
しかし,そこで彼女は違和感を抱いた。いつも通りなら,この魔法使いは軽やかに,涼やかに,ある時は斜め上を重ね,またある時はあらぬ方向へととめどなく流れていくはずだ。しかし今,彼はただ静かにこちらを見つめている。口元にこそ微笑が浮かんでいるものの,目が笑っていないのだ。
「残念ながら姫,冗談のつもりは全くありません」
しばしの静寂の後,口元の笑みの方を消して,ノーブルは静かに言う。
「私の不徳の致すところです。このような最悪の状況を招いてしまい,何とお詫び申し上げてよろしいやら…」
「最悪…?」
「このままでは,流星殿も大尉も,もろともに消滅してしまうかも知れません」
「!?」
今度は目が点になるエリィ。
「な…なんでっ…」
「誤算ががすべて悪い方へと向いてしまったのです」
神妙な面持ちでノーブルは語り始める。
「本来ならば,流星殿は刻限ギリギリまで己を鍛え上げ,姫のもとへと戻る予定でした」
「う,うん…」
「ところが,連合の非人道的な作戦で,本来的には流星殿の弱点を補うためだけの人格と思われる大尉が,姫と行動をともにすることになってしまいました」
「うん…」
「ここで大尉の性格付けが悪い方向へと働いてしまいました。本来的には姫への思いはすべて研鑽の原動力となるはずでしたが…」
そこで言葉を切り,ひとつ溜息をついてノーブルは続ける。
「直に姫に逢い,その生ける屍とも言える姿に心を痛めた大尉は,その元凶である流星殿を,自分自身と知らずに嫌いはじめてしまったのです」
「…っ!」
「さらには,伝説の龍戦士を演じなければならないという負担,そこへ次々と降りかかる災難,苦境の数々…それらは大尉にとってはすべて,元凶である流星殿によってもたらされたものなのです。次第次第に,流星殿への嫌悪が募っていくのも無理からぬことでしょう」
「そ…そんな…」
そんな様子も素振りも全くなかった,と言いかけるエリィを先回りしてノーブルは続ける。
「いつ切れてもおかしくないほど張りつめていた姫の精神を繋ぎ留めておくためには,いつも余裕のあるふりをしていなければなりません」
「う…」
「いざとなれば封印が解ける,などというのは結果論にすぎません。大尉は危うい綱渡りを続けてきたのです。いえ,流星殿の不始末のツケでそれをさせられてきたのです」
そこで大きく溜息をつき,がっくりと肩を落とすノーブル。
「まぁ…それを助長してしまったのが私なのですが…」
「!?」
またしても目が点になるエリィ。
だがさすがに,今度は経験の後押しでその真意を推し量る。
「まさかあなた…」
「ええ。結果として,大尉を焚きつける格好になってしまいました」
「う…っ」
いつものお約束だ。しかし,抗議する事は今のエリィにはできない。
ただの親バカではなかったのだ。いつものお約束の体で秘匿されていた,国を,世界の命運すら左右するほどの舵取りだったのだ。結果の是非はともかくとして,およそ目の前の叔父以上に深い洞察と思慮を以て事に当たれる者が存在したとも思えない。
「親バカですよ…ただの,ね」
そんな彼女の思考すら全て読み切ったかのように苦笑するノーブル。
「姫をたぶらかして捨てるなんて許さない。選ぶ権利は姫に与えて欲しい。本気でなければ舞台を降りて欲しい…それだけの話です」
「うう…」
「しかし過去を知らぬ大尉にとって,それは流星殿と争えと言っているのと同じです。それである意味,大尉の姿勢が固まってしまったとも言えます」
「で…でも,それでどうして二人とも消滅するのよ!?」
「…アリシアの古い文献に,対消滅理論というのがあります」
ノーブルは言葉を続ける。
「これは,簡単に言うと相反する二者が互いに打ち消しあってもろともに消えてしまうという考え方でして…」
「つまりシャルルと大尉が,その,相反する二者って事!?でもそれじゃ…」
もともとのシャルルの計画が無茶だったという事ではないか。
「いえ,流星殿は…対消滅理論を知っているかどうかはともかくとして,そうならないと踏んでいたのだと思います」
また溜息をついてノーブルは言葉を繋ぐ。
「おそらくは,期限に向けて徐々に再統合が進んでいくような計画だったのだろうと思います。二つの人格は平均され,よりバランスの取れた,弱点だけが克服された一個のそれとして構築される予定だったのでしょう」
「…」
「ところが…連合が非人道的作戦を採用して大尉が姫に出逢ってしまったという誤算,大尉という腕利きが護衛についたことでより無茶な作戦が降りかかってきたという誤算…それが姫の生命の危機を招いたという見方もできましょう」
そして,とノーブルは続ける。
「それによって起こった誤算,すなわち…本来ならば破滅的な結末として,その悪影響をすべて無視できたはずの急激な覚醒が,破滅を回避するために起こってしまったという誤算。姫の命が今もここにあるという点においては確かに望ましい誤算ではありましたが…」
「じゃぁ二人のあれは…その,悪影響って事?」
そう考えるのが自然でしょう,と頷くノーブル。
「おそらくは今…本来の計画に従って二人の人格の統合が進んでいるのだと考えられます。」
「…どうして,そうだと解るの?」
おそるおそるエリィは尋ねる。
「アリシアは,ユーリエ様の成人の儀がおよそひと月後に迫っていますよね?」
しかしそこで,ひょいと話題を変えるノーブル。
「え?う,うん…」
「ユーリエ様の誕生日が,つまり姫の誕生日だという事はよろしいですか?」
「あ…」
言われてみれば確かにそうだ。ここのところの急展開でまったく忘れていたが確かに自分の誕生日もひと月後だ。
そう思ったエリィはしかし,そこで決定的な事実に思い至る。
「!…ということは,つまり…」
ええ,と頷いて,ノーブルはしかし苦い表情で言葉を絞り出した。
「そうです。流星殿が設定した期限がここ数日に迫っているがゆえの現象と…つまりはそういう事です」