仲間意識
そのあと半日ほどかかって,帰還者たちの処遇は決まった。
といっても,ほとんどの時間はヒュームを丸め込むのに費やされたと言って良い。
ある意味でもっとも帰還者たちを頑なにさせていたもの,それは敗北後の処遇であって,彼らが恐れていた通りのことをヒュームは主張したのだ。
すなわち,彼から言わせれば簒奪者である帰還者の指導的立場にあった者たち,言わば実行犯とも言える者たちを悉く処刑することで見せしめにしようとしたのだ。
すっかり気が滅入ってしまって,すっかり投げやりにもなっていたシャルルは,全権を任されて一騎打ちに臨んだ以上は全ての処遇も自分が決める,と直に言っただけで始末を丸投げした。いや,正確にはいかなる反論も許さないという圧を放った。
ソファにかけていたためにそれと見破られなかっただけで,姫将軍と呼ばれ戦場を駆け抜けてきたクリミアですらひそかに腰が抜けてしまったほどのものだから,心得の無いヒュームには苦痛とも言えるほどの重圧がいささかの容赦もなくかけられたことになる。
そこをノーブルがうまく丸め込んだ。もしシャルルの心に余裕が残っていれば,この流れは純粋な台本として上演されていた事だろう。修羅場にも術策にも慣れたノーブルにとっては,その程度の事でしかなかったのだ。ある意味シャルル自身も,それが解っていたから始末を投げたと言える。
しかしやはりノーブルはノーブルであって,シャルルはやはり,できるならば人任せにすべきではなかったのだろう。帰還者はその術策によって,エリィの私兵という扱いとなったのだ。
帰順によって判明した帰還者の実情は,最も武闘派である強硬派がほぼ黒軍と同数程度。それよりはやや落ちるがいざとなれば矢面に立つこともできる穏健派がやはり同数程度,あとはほぼ普通の人と変わらない非戦闘員たちだった。
ノーブルはまず,非戦闘員を二組に分けて,帝国白軍の投降者たちと同様グラントとジェラルドに預けることにした。そして,穏健派の面々をその護衛的な意味合いでやはり二つに分けてそれぞれにつけたのだ。これは非戦闘員たちの不安を払拭する意味でもあり,また同時に,多少なりとも彼らを治安維持に参画させる意味でもあった。
より現実的なことを言えば,白廉将軍の施政のおかげで妖魔の活動範囲は最小限に抑えられており,帰還者が敵性勢力でなくなったことで治安維持の必要はほぼ無くなったと言える。しかしノーブルは,帰還者を悉く連合に組み入れることも,また逆に悉く両名預かりとすることもリスクが高いとヒュームに説いた。彼は最も武闘派の組だけを連合に組み入れ,お互いをお互いの人質とする構図を提案して打算的なヒュームを丸め込んだのだ。
とはいえ,捨て駒同然に最前線へ配するのでは不信も募るし,指揮権をヒュームに与えたのではその危険は飛躍的に増す。かといって接点のないエリティアに預けるわけにも,アリシアにいきなり組み込むわけにもいかない。指揮系統としても混乱する。そこでノーブルは彼らをエリィの私兵という扱いにし,本陣から後詰の位置に配することにしたのだ。それによって,従来そこに充てられていた戦力をすべて前方へ回すことが可能となる。
軍の編成として最も近い位置になるのは,ギルバート率いるアリシア第三軍だ。現在のアリシアを彼らに見せるという意味でも,彼らは適任である。また女王ユーリエが帰還者を遠ざけず敢えてそれに背中を晒すことでも,アリシアの姿勢は見せることができるだろう。ユーリエがエリィ並みの武道家で,その周囲には父祖の加護が集中的に展開,ひそかに黒軍の腕利きが護衛までしている現状では,万一帰還者が反逆したとしてもほぼ問題はあるまい。
理屈で考えればおおよそそういうことになり,確かにそれは一方の最適解だという思いもシャルルにはある。だが一方では,彼はやはり釈然としないものを感じてもいた。ノーブルはやはり二人の姫の後見人で,やはりアリシアの人間なのだという思いだ。
さまざまな紆余曲折の賜物とはいえ,姉姫であるユーリエは,伝説級の龍戦士である漆黒将軍と,龍戦士の子孫たちで構成された世界最強クラスの部隊である黒軍を,私兵という性格で持つに至った。一方の妹姫エリィには伝説を背負わされることになった自分がいるわけだが,黒軍にあたるものは存在していない。ノーブルはもしかしたらその不足分を埋めようとしたのではないだろうか,そんな思いがどうしても頭をもたげてしまうのだ。
その先にあるものはあるいは姉妹間の役割交代であるかもしれない。仮にそうでなかったとしてもエリィが一介の冒険者を続ける余地はいよいよ狭まるように思える。荒唐無稽な想像としては,たとえば旗頭に祭り上げられてルトリアの版図を切り取ることになったりはしないだろうか。そんな不安がむくむくとわいてくるのだ。もちろんノーブルが初めからそれを狙うことはあり得ない。だが逆に,彼はどう転んでも何とでもなる仕込みを狙う男だ。だからそれを完全に排除して考えることもあり得ないのだ。
そういう状況を重荷と,苦痛と感じている自分がいる。何かを期待されること,何かを強制されること,それに反発する自分がいる。もちろん,それを直接迫られるのはエリィである。自分はただその剣たらんとするだけで,その思いそのものは微塵も揺らいでいない。だが,こんな自分の心情が先方へそれと知れれば,それは彼女の重荷となるのではないだろうか。有能な剣とはつまりただの剣で,そこに自我など必要ない。
その意味で,ミリアを手にかけることを最後までためらった自分よりも,ただエリィを守ろうとしたクーラの方がより優れた剣なのは間違いない。自分で思っていた以上に元の世界への郷愁めいたものを感じていたと気づいてしまった今は,それが足を引っ張ると思い知らされた今は,それをすっぱりと棄ててしまうほうが良いのではないか…。
「お,に,い,さ,まっ」
「!」
いつの間にかすぐ背後に立たれていたようだ。再編成を急ぐ連合から離れ,一人物思いにふけっていたシャルルはハッとして意識を現実に戻す。
「エルか…どうした?」
振り返らずに言うシャルル。今更どれほどの意味がそれにあるかは判らないが,気づいていてわざと好きにさせていたというふうを装う。
「私たちも,ご一緒させて頂くことにしました」
屈託のない笑みを浮かべながら,シャルルの腕にまとわりつくエル。
「…それで,いいのか?」
エルとレミーの二人は,ミリアの遺志もあり,帰還者と行動を共にするのも袂を分かつのも好きにして良いということになっていた。
「ええ。特にこれがやりたいとか,これをやらなきゃというものがあるわけでもありませんし…」
「そうか…」
「あの…」
そこで表情を曇らせるエル。
「ご迷惑ですか?」
「いや…そういうわけではない」
自己嫌悪に陥っていただけだ,とシャルルは思う。今の投げやりな自分が,帰還者たちにはそれを容赦なく非難しておきながら,厄介ごとを彼女たちにたらい回したい心境に僅かばかりも駆られてしまったと,そう気づいてますます落ち込んだだけだ。
「よかったぁ…」
それを聞いたエルの表情がほころぶ。
「ん…?」
なぜ?どうしてそこで喜ぶ?内心で首をかしげるシャルルだが,返ってきた言葉にハッとする。
「正直…私たちだけじゃ心細いんです。お兄様が近くにいらしてくれるだけで助かります」
「!」
確かにそれはそうかも知れない。彼女たちにとっての拠り所はミリアそのものだったのだろう。彼女たちにとって,カイニを越えて来た此処は名実ともに客地でしかない。帰還者と行動を共にするかどうかの選択とはつまり,そこを拠り所とするかどうかの選択で,ミリアを追い詰めた彼らを積極的に拠り所とするには抵抗がある。
「そう…だな。悪かった。真っ先にそこに気づくべきだったな」
苦笑めいた微笑が浮かぶ。なるほど,たらい回しにしたい気持ちの中には,確かに彼女たちを頼れるという思いも混じっていたわけだ。何だかんだと言ってやはり同郷であることに仲間意識のようなものを感じているわけだ。
「ありがとうございます!お兄様!」
満面の笑みでぎゅっと腕に抱きついてくるエル。
「あ,いやしかし,俺はエリィの…」
「そちらにはもう許可は取ってあるよ」
剣に過ぎないからそちらへ訊いてくれ,と言いかけるシャルルを,エルとは反対側から別の声が制した。
「複雑なのはシャルルの方だから,そっちに訊いてくれ,とさ」
レミーがすぐ近くに姿を現す。エルが現れた時からそれは予想の範疇で,意識さえ向けていれば姿を隠されようとも捕捉は容易い。
「そうか…」
ふっ,と笑みが浮かぶ。
「だが…」
しかし,僅かに芽生えた不安に反発して言葉を繋ぐシャルル。
これで図式としては,ますますエリィがユーリエのそれに近くなった格好だ。妹姫のそばにいる腕利きが二人。護衛として姉姫のそばに控える黒軍の腕利きもやはり二人。運命の嫌がらせを疑ってしまうほどにはそれに痛めつけられているという自負もある。
「そのへんは心配しなくていいよ」
しかしそれを手で遮って,エルがにやっと笑う。
「…?」
「別にずっと一緒とは限らないし,一緒に戦うってわけでもないから。とりあえず私らは,私らのやり残しを片付けておきたいんだ」
「やり残し…?」
「私たちはとりあえず,髭のおじ様を助けに行こうと決めたんです」
「あの白廉将軍には借りがあるからね。生きているならキッチリ返しておかないと」
口々に言う二人。
「なるほど…」
また笑みが浮かぶ。これなら手を出すなと言う必要も,思わずあてにしてしまうことも。逆に必要以上に拠り所たらんと気負って疲弊することもなさそうだ。
「わかった。ではしばらくの間,よろしくな」
随分と気は楽になったようだ。内心で感謝しながらシャルルはそう言った。