仕置き
「え…?」
何か近寄りがたい雰囲気を感じて,それでも離れてしまったらそのままどこかへ去ってしまうような不安に駆られて,エリィはつかず離れずの間を保ってシャルルの後に続いていた。しかし彼女は,シャルルの口から発せられた言葉に耳を疑う。
それは帰還者たちも同様で,決して小さくない驚きのざわめきが起こる。
彼らにとって,この結末はミリアから提示されたものだ。一騎打ちでシャルルが勝利した場合は命をかけて安寧を約束させる,それがミリアの決断だった。
だがそれがまさに文字通りであったことを知る者はほとんどいない。一様に驚き困惑する彼らの中にあってただ二人,悲痛な表情を浮かべるエルとレミーの二人だけが,ミリアの力がほとんど枯渇していたことを知っていたのだろう。
「許さない…」
そう確信したシャルルは,しかし決して譲らぬという意思をみなぎらせて繰り返す。
「お前たちがミーネを…ミリアを追い詰めたのだ。そうせざるを得ぬ途へと彼女を追いこんだのだ。そして…お前たちは彼女の命で俺たちを,エリィを縛ろうとした…」
帰還者のうちに疑念が渦巻く。この男は自分たちを根絶やしにするつもりなのか,それでは自分たちの指導者は無駄死にではないか。
「う…うう…」
彼らの視線がエルとレミーに集まる。目の前にいる男は龍戦士だ。それも,自分たちの指導者を倒せるだけの実力者だ。自分たちが敵うわけがない。その可能性があるのは同じく龍戦士の二人だけだ。そんな絶望感が当の二人に無遠慮にのしかかる。
〈動くな〉
帰還者たちに怒りの目を向けながら,しかしその状況を作り出したシャルルは二人を一瞥して言う。
「え…っ?」
シャルルの目論見通り上位古代語を理解した二人は,しかしその真意を測りかねた。
龍戦士が便利使いされてしまうことを避けるためにそう言ったのか。二の舞を踏むことをさせまいとしたのか。そんなことを考える二人。
しかし何をどう誤解されようと,今のシャルルはとりあえず二人が行動を控えさえすれば良かったのだ。だから,その言葉が魔法の扱いになって二人の動きを強制的に止めたかも知れないということもどうでも良かった。
「う…ぐ…」
二人が動かないことを恐怖のゆえと誤解した帰還者たちは,いよいよ追い詰められた。そしてそこへ,追い打ち気味に圧をかけるシャルル。
「う…うわ,うわぁぁぁ!」
半ば自棄になったかのように,男が剣を抜いてシャルルへ斬りかかった。
しかしそれでどうにかなるわけもない。シャルルは膝でその柄を蹴って剣を空中に舞わせると,即座にそこから足払いへと変化して男を地に這わせる。
「!?」
くるくると回転しながら落ちてきた剣がすぐ目の前の地面に突き刺さり,息を呑む男。
「何の真似だ?まさか今更,自力で何とかしようと思ったのか?」
慌てて割って入ろうとするエリィを手で制し,二人は念押しするように目で制して,シャルルは容赦のない言葉を浴びせかける。
「ぐ…くそっ…」
あからさまな敵意を向ける男。
「なぜそれを,もっと早くやらなかった!」
しかしシャルルはさらに言葉を叩きつける。
「な…?」
「いいか!ミリアは俺に敗れた!だがそれは,彼女が蝕まれていたからだ!本来ならば彼女は,少なくとも俺と互角のはずだったんだ!」
男は目を丸くする。帰還者たちもまた一様に驚いている。
ミリアはおそらくこちらを伝説の龍戦士として多少なりとも持ち上げていただろう。こちらがシャルルを名乗っているのだからそこにはいくらかの必要も含まれる。だが間違いなく彼女は,自分や漆黒将軍と同等の存在なのだ。候補者だったはずなのだ。シャルルの中にやり場のない怒りが渦巻く。
「彼女の力を奪ってしまったのは,お前たちの!その!甘えなんだよ!」
「…っ」
エルが苦悶の表情で唇を噛む。おそらくそれは秘密だったのだろう。ミリアが墓場まで持っていくつもりで,口止めもしていたのだろう。
だがこちらはそれにまで付き合うつもりなどないと,シャルルはさらに言葉を繋ぐ。
「お前たちはそうやってミリアを半ば奴隷のように扱い,挙句の果てにはその命まで差し出させた!」
「お…お前に何がわかる!」
男が猛然と反論する。
「やはりお前は同じ名というだけの別人なのだ!我らの苦しみなど…」
「そんなものは認めん」
しかしそれを遮って,シャルルは冷たく言い放つ。
「なっ…」
「苦しみ?知るか。自分たちは弱者だと声高に喚きたて,手を差し伸べた者のその手をつかんで引きずり落とし,その善意の上に胡坐をかくような輩など…ただの圧政者よりよほど悪質だ。無力な被害者を装い,決して自分たちが手を汚すことなく他者だけを犠牲にする…姑息にして非道な輩よ」
「なんだと!?聞き捨てならん!」
「当たり前だ。捨てさせるものかよ」
じろり,と男をにらみつけてシャルルは続ける。
「お前たちは彼女を止めたのか?命を投げ出そうとするミリアを思いとどまらせようとしたのか?」
「…っ,そ…」
言葉に詰まる男。
「卑怯者がいっぱしの口を叩くな。それにさっきも,お前たちは新たな身代わりを立てようとしたではないか」
「ぐ…」
「ちょっと,シャルル,さすがに…」
さすがにそれは踏んだり蹴ったりではないか。力が枯渇していたことに気づけないままでミリアが命を棄てる前提の決断をしたとどうして気づけるのだろうか。そんなことを思って口を挟むエリィ。
「知らなかったからで済まされる話ではない」
しかしシャルルは止まらない。
「つまりそれは,お前たちが分不相応に高望みをしていたということだ。ミリアを最後まで別次元の存在として扱い,自分たちの力ではどうにもならない別次元の成果を望んでいたということだ。自分たちの苦しみだけ解れと威圧して,ミリアの苦しみなど解ってやろうともしなかったのだ」
「…」
沈黙する男。だがそれは帰還者たちすべてに言えることだ。ざわざわとざわめいていた彼らは,今はすっかり静まり返っている。
(やはりな…)
しかしそれでも,反応はきれいに二分していた。真摯に受け止めてしおれている者が半分。そしてもう半分は,男と同様に反発している。
だからこそここで釘を刺しておく必要があるのだ。
「彼女は…元の世界では俺の恋人だった」
「!?」
驚愕する男。
思わず目を見開いて叫びそうになったエリィが,それが設定上の話である事をすんでで思い出し,何とか口だけは押さえて踏みとどまる。
「本来ならば俺は…彼女と共にあるはずだった。…だが!」
口を挟ませないように強い口調で言いきって,シャルルは続ける。
「彼女はお前たちに引きずられてしまった。弱者の際限の無い高望みに振り回されて疲弊し…引き返せなくなってしまった」
畳みかけるように何度も何度も同じことを繰り返す。相手が承服しなかろうが反発しようがそんな身勝手にこちらが譲る必要はない。ただ間違いのない事実を淡々と示して,彼らを正当化させなければ良いのだ。
「俺は後悔している。こんなことならはじめから彼女とお前たちを引き離し,底無しの泥沼から引っ張り上げておくべきだったとな。彼女の思いを尊重してしまったがために,最悪の結末を招いてしまったとな」
「…」
何も言えなくなり,といってもどちらかといえばそれは威圧されたことによる不本意な状態だが,男はただシャルルをにらむ。
「だから,俺はお前たちを決して許さない。本来ならば今すぐにお前たちを殲滅したいところだが…」
ざわっ,と動揺のざわめきが帰還者の間に起こる。しかしシャルルは間髪を入れずに続ける。
「それでは彼女の思いが無駄になる。今回だけは見逃す事にする」
今度は安堵の溜息が起こる。
「だがいいか!二度は無い!」
すかさず言葉を継ぐシャルル。
「ミリアの遺志でもある。もう一度だけそれを尊重する。…それで,いいのだな?エリィ?」
「え?…うん,それでいい]
ちょっとだけ考えるような素振りを見せたエリィだが,答えは初めから判りきっている。彼女はきっぱりと言い切って力強く頷く。
「だが!」
おぉ,と歓声が上がりかけたタイミングで,しかしそれを制するシャルル。
「お前たちが再び同じことを繰り返すようなら。ミリアと同様に…あの時も言ったが,エリィまで奴隷にしようというなら…その時は俺が容赦しない。それだけは覚えておけ」
「シャルル…」
「どんな未来も,自分たちの努力でつかみ取るものだ。それだけは忘れるな…」
あたりが静まり返る。
だがどれだけ言葉を重ねたところで,現状の彼らが本心から納得することなどあり得ない。シャルルにはそんな悲しい現実がひしひしと伝わってきていた。
「…では,これより後は具体的な詰めだな…ノーブル!頼む!」
これ以上何を言ったところで状況は好転しない。シャルルはそこでその話を切り上げた。