「戸浦さんのこと」
「戸浦さんのこと」
以前、新聞のラテ欄(ラジオ・テレビ欄)を作る会社で働いていた。
テレビ局から送られてくる、ラテ欄の原稿をひたすらフォーマットに沿って打ち込む仕事だ。
自分はTBSとその系列のローカル局のテレビ欄を担当する部署で働いていた。キー局であるTBSのテレビ欄は主に正社員が受け持ち、ローカル局は契約社員が受け持っていた。自分はローカル局担当として、契約社員で働いていた。大学を出てすぐの頃のことだ。
ローカル局を担当する人間の中に、戸浦さんという37歳くらいの男性がいた。細かい年齢を出した割に「くらい」とつけたのは、誰も戸浦さんの確かな年齢を知らなかったからだ。戸浦さんはどちらかというと童顔であった為、実際は40過ぎだとの噂もあった。誰もその正確な年齢は知らなかったが、20代が多い部署の中で、戸浦さんは年齢的にも、勤めている長さ的にもローカル局担当者の中でまとめ役的な存在であった。
20歳そこそこの自分から見ると、戸浦さんは随分年上に見えたし、もう少し本音を言うと、(その歳にもなって、契約社員で働いているのはなんだかな)という思いもあった。この感想は今になってみると随分不遜というか、的外れに聞こえるかもしれないが、あの頃と今では経済や雇用の状況が違ったし、何より自分自身まだ若く、将来に対して楽観というか、あまり何も考えていなかったせいもある。
戸浦さんはこの会社で働く前は、冬はスキー場で住み込みのバイトをし(仕事の合間にスキーを楽しみたいから)、夏は避暑地のバンガローの管理人や案内人を、これまた住み込みでする(遊びにきたねーちゃんとあわよくばスキーとは違う意味で楽しみたいから)、といった、不純というか健全というか、とにかくそういうジプシーみたいな生活を長らくしていたらしい。
今は、契約社員とはいえ「定職」に就いてはいるが、彼には、そういうジプシー的な自由な雰囲気があった。それも彼の年齢を実際より若く見せていた。
その為、自分のさっきの本音のさらに先を言えば、(なんだかな、とは思うが、楽しそうな人生だな)とも思っていた。
彼は、長らくそうした短期の仕事を繰り返していたが、その中でしっかりと歳相応の社会常識や仕事に対する責任感は身に付けていた。その上で、生来の当たりの柔らかさも相まって、部署の皆から親しまれていた。人の入れ替わりが多い職場であったが、新人の面倒見も良く、自分も入社したての頃、真っ先に声をかけてもらい、色々と助けてもらった。戸浦さんにはそういう、誰とでもすぐ打ち解けられる、押し付けがましくない、自然な優しさがあった。そのほがらかな雰囲気と、しっかりした仕事ぶりから、あの大野さん(拙作「大野さんのこと」参照)ですら、彼にはやや、心を開いており、時に、読み合わせの時など、二人で談笑する姿が見られた。それがどれだけ貴重なことか。イリオモテヤマネコが人里で見られた、くらいの衝撃が少なくとも自分の部署内ではあった。
そんな心優しい戸浦さんではあったが、厳しい一面を見せることもあった。普段が優しい分、叱責された者は驚きと共に戸浦さんの「怖い面」を知り、それまでにも増して、一目置くようになった。
戸浦さんの叱責というか、怒りのスイッチは仕事に関わること以外にも及び、しかも突然入ることが常だった為、ニコニコと雑談をしていても周りの人は(地雷を踏みはしないか)と、内心緊張していた。自分も昼休み、戸浦さんにお昼に誘われて一緒に歩いている時、突然「ところで何で俺に対して君はため口なわけ?そういうところ、みんな君のこと、むかついてるよ」と、直前まで話していた、「昨夜カレー作り過ぎちゃって、今日の夜もカレーだよ、だから昼はカレー以外ね」と、全く同じトーンで言われ、しどろもどろで謝ることしかできなかった。そのあと、彼と何を食べ、何を話したのか、記憶にない。カレーで無かったことだけは、確かだと思うが。この一件以来、自分は戸浦さんと2人で昼飯に行くのを慎重に避けるようになった。
戸浦さんの怒りスイッチというか、他人を糾弾するスイッチには2パターンあり、自分が喰らったような、静かに突然爆弾を落す「サイレント型」と、口調を荒げ、大声を出し、激昂する「炸裂型」があった。前述の大野さん退職後、後任で入った水野君などは、お調子者でムードメーカーではあったがミスが多かったので、ラテ欄チェック時など、よく戸浦さんの「炸裂型」を喰らっていた。一度スイッチが入ると戸浦さんは、その時、問題になっていることに留まらず、普段の相手の生活態度や、過去の言動にまで遡って、怒りを吐き出し続けた。それは異様な迫力で、戸浦さん自身、自分で止める術を知らないようだった。水野君に対しても、最初は入力ミスの多さを指摘していたのが、次第にそれ以外のことにも広がっていった。そんな時、部署内の誰もが、(もういいじゃないか)と感じてはいたが、とばっちりをを恐れて、黙っていた。戸浦さんはそんな周りの沈黙を自分への同意と受け取って、むしろ、皆を代表してお前に物申している、といった、ある種の義務感、もしくは正義感のようなものさえ感じられた。その光景は、いささか閉口するものだった。
しかし、嵐のような怒りの時間が過ぎると一転、戸浦さんは怒っていたこと自体忘れたかのように、親しげに話しかけてくるので、相手はその落差についていけず、そこでも戸惑うこととなった。その為彼は、突如怒ることもだが、その後の感情の落差もセットで、付き合いが長い人には、優しいけど、どこか怖い人、という印象を抱かれていた。
ところでラテ欄編集部というのは年末が忙しい。年末は締め切りが早まる上に、特番が続くので、いつもよりラテ欄作成に時間が掛かる為だ。戸浦さんはベテランだった為、ローカル局だけでなく、CS番組のラテ欄も担当しており、その時期になると毎日遅くまで残業が続いた。周りも手伝ったが、担当の戸浦さんでないと分からないところもあり、結局休み返上で働くことも多かった。
ある年の年末、例年と同じように、戸浦さんは残業や休日出勤を繰り返していたが、数日前よりマスクをし、空咳をしていた。心配した周りが声を掛けると、その時だけは、大丈夫大丈夫と笑ってみせたが、キーボードを打ち込むその顔は青ざめており、見るからに辛そうであった。それでも、代われる仕事は他の人に代わってもらい、ほとんど意地のような低空飛行の出社を続けていたが、そんな状態が1週間ほど続いたある日、ついに休んでしまった。しかも即入院、という重症だった。その時点ではまだ、部署のメンバーに詳しい病名は知らされていなかったが、上司より、長期入院になる可能性が高く、復帰は春先になるとの話があった。部署内に動揺が広がった。誰もが彼の身を案じたが、それ以上に、戸浦さんを欠いた大晦日までの日々は、激務であった。彼が抜けた穴をカバーする為、上司を含め部署の全員が必死だった。そんな中で良くも悪くも空気を読まない水野君だけが「今日はサッカーのユーロ決勝があるので帰りまーす」など言い、むしろその編成を作るのがお前の仕事だ!と誰もが心の中で突っ込んだが、実際に言うだけの余裕さえなく、結局、部署リーダーの藤田さんに睨まれ、すごすご仕事に戻ったりしていた。
大晦日までの怒涛の日々を乗り越え、正月休みを迎えると、改めて戸浦さんのことが気に掛かった。部署内でも、正月休みに入ったらお見舞いに行く、という人が何人かいた。自分もそう考えていた。
部署内の仲の良いメンバーは連れ立ってお見舞いに行くようなことを話していたが、自分は彼らとは別に、一人で行くことにしていた。単純に日程が合わなかったというのもあるが、自分は彼と1年以上も共に仕事をし、それなりに仲も良かったが、それでも彼という人間のことが分からない、もっと有体に言えば、どこかで恐れてもいた。それは彼が隠し持ち、突如引き抜くことのある怒り刃の元がどこにあるのか、そしてそれをなぜ普段はああも完璧に隠せるのか、隠さなきゃならないのか、それが分からなかった為だ。大げさかもしれないが、彼という人間が作られていった過程の片鱗みたいなものを知りたかった。それが分かれば、自分が彼に抱く恐れも多少、減じる気がしていた。
相手が弱っている機会に乗じるものどうかとは思ったが、そういう機会だからこそ、普段は隠されている、彼の本音に触れられる気がしていた。今思えば、とてもお見舞いに行く者の態度ではなかったかもしれない。けれどそれは、自分の中の彼への疑問を解決したいという思いからだけでなく、いや、そういう思い、それ自体が自分にとっては相手、つまり戸浦さんへの親しみや興味の現われでもあった。まだ若く、自身、屈託を抱えていた自分は正面きって、他者の懐へ飛び込んでいくことが出来ない若者だった。それは結局、いまだに苦手なままだが、しかしそれはまた、別の話だ。
年が開け、正月ムードも過ぎた1月の半ば、平日に休暇をもらい、自分は戸浦さんのお見舞いに行った。年始の休みは予定が立て込み、結局、行けなかったし、部署の他の人が皆行ってから、少し間を空けて、落ち着いてから行こうという思いもあった。
普段、降りることのない、彼の地元の駅まで行き、駅前からバスに揺られること20分、着いたのは周囲を畑に囲まれた、大きな総合病院だった。
風が強い日で、風に巻き上げられた畑の細かい砂が舞い、降り立った病院の駐車場は景色がくすんで見えた。
寂しい場所だな、そう思った。
どこかの砂漠の中に場違いに建てられて、白壁の病院、それ自体が、戸惑っているかのように。
もちろん、現実にはそんなことはなく、少し行けばコンビニだってあるような何の変哲もない郊外の病院だったわけだが。
その頃には体調もだいぶ良くなっていた彼は、大部屋の病室の窓びわのベッドの背を起こし、文庫本を読んでいた。
声を掛けると、いつもの人懐こそうな笑顔を浮かべ、少し照れたように
「わざわざ悪いね」
と言った。元気そうではあったが、腕にはまだ、点滴の針が刺さっていた。
見舞いの品を渡し、体調を尋ねると、ストレスと過労で胃を悪くしていたが、今ではもうだいぶ良い、とのことだった。
一通りの世間話も尽きて、話のネタにも困り始めた頃、
「ちょっと、出ようか」
と彼は言い、ベッドから降りると点滴のポールを押しながら、先に立って歩き出した。予想外の展開に戸惑いながらも付いていくと、彼は下りのエレベーターのボタンを押しながら
「この病院の良い所は、案外、綺麗な看護師さんが多いところで、嫌なところは、喫煙所が病院内にないことだな」
と笑った。どうやら、煙草を吸いたいようだった。
入院中で、しかもまだ点滴もはずれないのに煙草を吸っていいのかと、喫煙経験のない自分は驚いたし、心配にもなったが、今思うと、その方が彼にとっては自然に話せたのだろう。つまり、彼も、自分と2人だけで話すことに多少、緊張していたのだろう。
簡単な仕切りがあるだけの、病院外の喫煙スペースは容赦なく風が吹き込み、彼は火をつけるのに難儀していた。顔を傾け、背中で風をガードしながら、ようやく火をつけた煙草をくわえると、
「あの会社で働きだしてどのくらい経った?」
と尋ねてきた。1年と少しだと答えると、軽く頷いて、もうベテランだと笑った。そして
「みんな、契約社員は2年くらいで辞めていくからね。長居する場所じゃない」と付け加えた。実際、その通りだった。契約社員は2年で契約更新の時期が来るが、更新する人はあまりいなかった。最初の2年間は昇給が定期的にあるが、その後はそれが見込めない、という理由が大きかった。昇給もないまま、延々と代わり映えのない、ラテ欄を打ち込み続けるモチベーションを保てる人は少ないということだろう、何か、特別の理由がある人を除いては。戸浦さんは、その会社でもう、6年働いていた。
「いやいや、自分なんて、戸浦さんに比べたら」
そう言って謙遜したが、彼は嬉しくなさそうに苦笑し、長く煙を吐き出した。
「自慢にならないよ、そんなことは」
その声にはいつもの戸浦さんの明るさはなく、乾いた諦めが滲んでいた。
「なんか、理由があるんですか?」
戸浦さんはしばらく黙って喫煙スペースの外の駐車場の方を眺めていた。
「ところで、彼女とかはいるの?」
あっけなく、はぐらかされてしまった。
その頃、自分には付き合っている人がいたので、そう答えると、どんな人か重ねて尋ねてきた。そんな話がしたいわけではなかったし、彼も本気で知りたいわけではなさそうだった。そんな、当たり障りのない会話が進んでいった。
彼は、煙草を吸い切り、灰皿に開いた穴に、吸殻を落すと
「じゃあ、俺は戻るよ。ありがとね、わざわざ来てくれて」
と、最初と同じことを言った。
結局何も聞けないままだったなと、自分も挨拶を返すと、
「正直、君が見舞いに来ると思わなかったよ、だって君、本当は俺のこと、嫌いだろ?」
そう言って笑うと、軽く手を上げて病院の入り口の方へとゆっくり、歩いていった。何も、言い返せず、その背中を見送った。
病院前の、バス停まで歩くと、バスが来るまで、まだ、だいぶ時間があった。振り返っても、2階にある彼の病室は、病院の塀に沿って植えられた桜の木にさえぎられ、見えなかった(終)