完璧な王様のほしいもの
昔々あるところに一つの国がありました。そして、その国には一人の王様がいました。
その王様は『完璧』という言葉がとても似合う人でした。
麗しい顔にすらりと伸びた手足。
涼やかな声と美しい仕草。
国中の誰よりも賢く、どんな敵も打ち倒してしまえる力。
何より、正しいことを正しく行える意思。
国に暮らす人々は王様を称え、敬い、頼りました。
そうすればするほど、王様はより完璧な王になりました。
しかし、そんな王様にも一つの欠点がありました。
それは表情を変わらなかったことです。
花を見て微笑むこともありません。
美味しい料理を食べても、その頬は緩みません。
仕事を間違えた臣下を怒る時も無表情です。
美しい目も赤い唇もいつも変わりません。それが顔の美しさを更に引き立てているのですから、周りはあまり気にしません。
美しいものが美しいのは良いことでしたから。
王様自身はというと、自分の顔そのものに興味がなかったので、無表情だということにも気付いていませんでした。
ただ、他の人を見て、よく顔が変わるなと思うぐらいです。
そんなどこか抜けている王様は、人々から『完璧な王様』と呼ばれて、慕われていました。
ある日、王様は森で狼に襲われていた一人の少女を助けました。
その少女はどこにでもいそうな格好をして、平凡な顔立ちをしていました。
ただ、王様を見ても、特に反応するわけではなく、普通の態度だったことはかなりおかしなことではありました。
大抵の人は王様を見ると、『ははっー』と言って平伏するか、呆気に取られてから慌てて頭を下げて王様を見ないようにするのです。
平凡そうに見えて、変なところがとてつもなく図太い少女は王様にお礼を言ってから、こう聞きました。
「お礼をさせてください。何かほしいものはありませんか?」
「遠慮する。私にほしいものはない」
そう返された少女は王様をじっと見つめました。
「…なんだ」
「王様、それはほしいものがないというのではありません。ほしいものが分からないというのです」
力強い断言でした。
しかし、少女の言う通りではありました。
王様は生まれてから今まで何かをほしいと思ったことがありません。
必要なものは何か言う前に用意されていましたし、特別何かをほしいと思ったこともないのです。
ですが、王様はそれをおかしいと思ったことがありませんでした。
「それがどうした」
と王様は言いました。
「私はそれで満足している」
この言葉を聞いた少女は思いっきりしかめっ面を作りました。
目の前の、無表情で朴念仁で唐変木で鈍感な王様をどうしてやろうかと考えているような顔です。
そうやって考えた後、怖いもの知らずで変な方向にぶっ飛んでいる少女は何の迷いもなく、とんでもないことを言い出しました。
「分かりました。王様のほしいものを私が探して、見つけたものを差し上げましょう」
「いらない」
「そうと決まれば話は簡単。さあ、お城に帰りましょうか。早くしないと日が暮れます」
「話を聞け」
「夕ご飯はなんでしょうね?あ、お相伴させてください」
「…………」
さっさと歩き出した少女の後ろで、王様はため息をついて諦めました。
城にやってきた少女はくるくると栗鼠のように動きました。
「王様、出来ました!」
仕事を手伝ったり、
「すいません…、お茶をこぼして…」
失敗したり、
「これが城下町で流行っているパンですよ!一緒に食べましょう!」
何かを持ってきたり、
「お忍びで行きますから、その無駄に美形な顔を隠しましょうか」
王様を街に連れ出したり、
少女は様々なことを王様と一緒にして、王様と一緒に暮らしました。
王様は少女と一緒に暮らしながらも、特に変わった様子はありません。いつもと同じように『完璧な王様』でした。
ただ、ほんの少しだけ表情が変わるようになりました。
大抵はどこか呆れたような表情でしたが、それでも変わっていることに違いはありません。
その顔を見る度、少女は嬉しそうに笑いました。
そんなことが何年か続いたある日、少女が病に倒れてしまいました。
「元々、長くはないとお医者様には言われていたので、そう驚きはありませんけど」
倒れた本人は至極あっさりしていましたし、王様もそうか、と言って至極冷静に少女の病を受け止めました。
「死ぬのか」
「死にますね。さすがにこれは無理です」
「そうか」
「王様、何かほしいものはありますか?」
初めて出会った時と同じ問いでした。
違うのは少女が死にかけていることでしょう。森で狼から助けた時のようなことはもうできないのです。
王様はもう一度、自分の中でその答えを考えました。
考えて、考えて、考えて…。
「ほしいものはない」
まっすぐな目でそう答えました。
真面目で嘘がつけない王様なのです。
少女もその答えが分かっていたのか、「そうですよねえ」と横になったまま、呟きました。
その声はいつもと変わらないものでしたが、王様はどこか申し訳ない気分になって、痩せた様子の少女に自分から問いを投げました。
「お前には何かほしいものはないのか?」
「それはありますけど。人間、生きていれば欲がありますし」
「なんだ?出来る限りのことはする」
それを聞いた少女がにやりと笑いました。
とてもあくどいそれは、普通の少女が浮かべるようなものではありませんでしたが、横たわったままの少女には何故かよく似合っていました。
王様は思わず無表情の下で冷や汗をかきました。何かとんでもないことを言ってしまったような気がします。
「では、お願いします。王様、これから先、友達を見つけてください。対等に話せて、喧嘩をして、一緒にお酒を飲めるような友達です。それから、奥さんも見つけてくださいね。王様と一緒に笑って、王様を愛してくれて、王様も愛せる人と結ばれてください。それから、自分の子どもです。守って、愛して、育てて、見送る。そんな子を持ってください。そして、最期に笑って、死んでください。自分は幸せだって、そう思いながら死んでください」
長々と喋った少女は、ふうと息をつきました。
「これが私のほしいものです。いいですか、言ったからにはちゃんとくださいよ。破ったら、化けて出てやりますから」
ここまで王様は何の返事もしていません。それなのに少女の中では完結してしまったようです。
「おい」
「あ、返答はいりませんから。台無しです」
「待て」
「そんなことは約束できないとか、そういう野暮はいりませんからね。ここは『分かった』の一言でいいんです」
「…………」
「返事は?」
「……………分かった」
二人の力関係が分かる会話です。
王様の返事を聞き届けた少女は満足げに目を閉じました。
「それじゃあ、王様。おやすみなさい」
「………ああ」
その眠りから少女が目を覚ますことはありませんでした。
王様は少女の亡骸を城の片隅に葬り、またいつもの日々に戻りました。
「…久し振りだな」
苔生した墓標の前に一人の老人が座りました。
木々がさやさやと鳴り、小鳥たちが楽しげに歌っています。
木漏れ日を受けた石碑は、静かに老人の声を受け止めました。
「お前が亡くなってすぐだった。私に友ができたのは。暑苦しいぐらいまっすぐな男で、私とはまったく違う性格だったが、妙に気が合った」
優しい声が響きます。
「一緒に酒を飲んで、話して、喧嘩をした。…生まれて初めて殴られた」
老人は「痛かったぞ」と言いながら、左頬をさすりました
「それから少し経って、今度はある女性に出会った。一瞬で『この人だ』と思い、すぐに求婚した。その時にかなり怖がらせてしまって、そこからが大変だった」
春の野花が微かな香りを放ちました。
「何度も会って、気持ちを伝えて、結婚した。あの時のことは今でも鮮明に覚えている」
「子どももできた。四人だ。男と女、それぞれ二人ずつ。初めて自分の子を抱いた時、思わず泣いてしまった」
穏やかな風が一人と一つの間をゆっくりと抜けていきます。
「皆元気に育ってくれた。今では、自分の子を持っている。私は祖父になった」
老人はかつて完璧な王と呼ばれた人でした。
つい先程息子に王位を譲って、ただの老人になったのです。
「お前が最期に願ったことは叶えてやれそうだ」
王だった人は息を吐いて、青い空を見上げました。
「あの時の私はお前には、とてもつまらなそうに見えたのだろうな。昔の私は自分のことがまったく分かっていなかった」
老人は微笑みながら、墓石に触れました。
優しい手つきで撫でてから、手を放します。
「お前のおかげだ。お前の願いが私に友や妻を作らせてくれた」
あの言葉がなければ、今も王様は一人だったでしょう。
でも、今は違います。
たくさんの家族に囲まれています。
「ありがとう」
王様は目を閉じました。
柔らかな日差しを感じながら、ゆっくりと息を吐きます。
「わたしは…」
小さな囁きが落ちました。
「しあわせだ…」
その唇には確かに微笑が浮かんでいました。
『あ、王様!長生きしましたね。うん、文句なしです』
『お前か…』
『なんですか、その第一声は!失礼ですよ』
『お前の願いは叶えた。これ以上何が望みだ』
『言ったじゃないですか。しかも、二回』
『?』
『まったく…。じゃあ三回目です。今度は忘れないでくださいね。王様、何かほしいものはありますか?』
『…………』
『え、なんですか。その無言の間は』
『………いや、そうだな。ほしいものならあるぞ』
『本当ですか!それは良かった。で、なんですか?』
『ああ、私がほしいものは…』