64 遠くへ
あたしの中に“自分の記憶”と呼べるほどのものは殆ど何も無い。
ある日突然この世に放り出されたみたいに、中身が空っぽのまま気が付いたらそこにいた。
だけどあたしの中には、もう一人分の『あたし』の記憶が残ってる。
最初はただの都合の良い夢だと思ってた。
彼が話す“言葉”を聞くまでは。
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あたしがどれだけ蘇芳ちゃんに護られていたのか、あたし自身ちっともよく解ってやしなかった。
ふたつ年上の頼りになる幼馴染み。
姉御肌と言うには少々男前過ぎて、道で擦れ違う女子は皆顔を赤らめて蘇芳ちゃんを二度見してた。
本人は不本意だったみたいだけど、そこいらの男子よりずっと格好良かったから人気も凄かった。
女子校に進んでからは出待ち入待ちが当たり前の光景で、「様」付けで崇められた時、蘇芳ちゃんは密かにダメージを受けてたもよう。
彼女が実は普通の可愛いもの好きの女子だって知ってるのはごく一部の人だけ。
声も低めで女言葉を使わないから余計にイメージが捏造(?)されて、気が付いたら周りが『大奥』状態だったり。
蘇芳ちゃんを追っかけて入った女子校での日々が、『あたし』の一番幸せな記憶。
だけどその幸せな日々は唐突に終りを告げた。
蘇芳ちゃんがあたしの世界から消えてしまった。
独りになったあたしの周りには、気持ちの悪い笑顔を浮かべた男達が次々と付きまとって、訳の分からない事を捲し立てた。
『寂シインダロウ?慰メテアゲヨウカ』
『邪魔ナ奴ガヨウヤクイナクナッタ』
『―――――――サア、コレデ君ハ自由ダ』
やめて!こっちに来ないで!!
――――――――あたしに触らないで!!
逃げても逃げてもそれは追い掛けて来る。
獲物が怯えて逃げ惑うほど面白がって、そして。
笑いながら引き裂いた。
蘇芳ちゃんが護ってくれた『あたし』をあたしは守れなかった。
――――――消えて無くなりたい―――――
息を潜めて、声を殺して。
誰もあたしを見付けられない場所へ隠れていよう。
あの人があたしを見つけてくれるまで。
―――――――『向こう側』の世界であたしが最期に見たものは、高い橋の上からの夕暮れ間近の薄蒼の空。




