53 譲れない一線
街道沿いに置かれている駅舎の馬を乗り替えながら、王都から7日でエムローザに到着した。
国営の駅でしかも利用者が騎士。
特一級の軍馬を使って最短でもそれだけの時間がかかった。
もし空が飛べたら。
夢のような話さ。
行く手を遮る森や山河をものともせず、人の足ではけして越えられない死の砂漠さえ難なく踏破出来る。
―――――到底実現不可能な夢物語とされるそれに、近年一部の間では妙な期待が高まっていた。
城に飛天が棲みついていたからだ。
馬鹿な連中。
あれが人間の思い通りになる生き物だとでも?
そしてそこに予想外の存在が加わる事で、そいつらは益々見当違いの期待を抱くようになった。
スォード・リンツ・ディアマント。
伯爵家の嫡男で当時騎士として城詰めの白狼騎士団に所属していたあいつだ。
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「嘘だろー…」
翌日早朝。
警備隊の早番組が中庭で肩慣らしの準備運動を兼ねた訓練を行うその横で、殿下が呆然とした呟きを漏らした。
驚いてるのは訓練の内容にではなく、そのすぐ脇に見えているものにある。
真っ黒い四つ足の獣が実に上機嫌で背中に天翅の少女を乗せている。
南支部では最早見慣れた光景だ。
このところシュシュの体調不良で中庭デートのお預けを喰らっていたから、今朝は人間だったら絶対鼻唄のひとつも聴こえて来そうな上機嫌で、足取りも軽くぐるるーと喉を鳴らしまくっている。
「オマエ~~~!騎手候補達の扱いと随分違うじゃないか―――!!」
3年前ならうわぁんと泣きべそをかいてるんじゃないかと思う。
そのくらい情けない訴え方だった。
ふんふんふ~ん。
「ロード。頭の中がお花畑の畜生に何を言っても無駄だ」
「小鳥ちゃん乗せるの久々だから舞い上がってるなぁ…。つか、飛んでるし!」
「うえぇ!?」
高くは飛び上がらないものの、背中のシュシュが喜ぶ気配を察して、ふわりふわりと中庭をゆるく旋回しながら遊んでいる。
「―――――ライディーン、そろそろ降りて。あんまりその子を疲れさせるんじゃないよ。また熱が振り返したらどうするんだ」
ぐるぅ、ぐぁううう。
少し不満げにしながらもライディーンはどうにか聞き分けて地面に降りた。
背中では手綱代わりに鬣を掴んでいたシュシュが手をこちらに向けて差し出している。
「楽しかったかい?陽射しが強くなる前に部屋にお入り」
ぽすん、と僕の腕に収まったシュシュはライディーンの極悪な面構えをものともせず、小さく笑ってその鼻面にキスを落とした。
喜びの余りぶんぶんと振り回される尻尾に、近くにいた殿下が弾き飛ばされたのは、狙った訳じゃない……と思う。
「なんかもう……色々と手遅れっぽい感じ?どう見たってあいつ城に戻る気無いだろー」
「―――そっスね」
はああ、と深い溜め息をついてしゃがみこむ殿下に即答で返すノッティ。
ライディーンのシュシュに対するあの入れ込み様は、誰が見ても不治の病ということだ。
「――――飛天だけじゃないんだよ」
「…何が?」
「あの子に惹かれて寄って来るのはライディーンだけじゃないって話。これは僕の予想に過ぎないけど、多分『天翅』は翼のある生き物と相性が良いんだと思う」
「なるほどー…」
殿下は何かを考え込むようにして口をつぐんだ。
よっぽどの馬鹿でも気付くだろう。
“飛天を動かせる可能性が生まれた”と。
ライディーンがあれだけの執着を見せる少女。
巧く囲い込んで身柄の保護と引き換えに飛天を従わせればいい。
そんな事を思い付く阿呆が出ないとも限らない。
幸か不幸か飛天は意思の疏通が可能な獣だ。
それも一瞬にして都市一つを灰塵に帰する能力を持った、狂暴な獣。
――――それでいて人間は愚かにもどこかで飛天を“たかが畜生”と侮るのを止めない。
君はどっちかな、殿下。
それと知りつつ逆鱗に触れる代償はいったい誰が払うつもりなのか。
ひとしきりの沈黙の後、殿下がおもむろに訊ねた。
「なぁ、スォード。俺とあの子で何が違うと思う?奴の態度にえらい違いがあるんだけど」
あくまで気になるのはそこなのか。
「……普通、野郎に乗っかられて喜ぶ雄はいないと思うよ」
「―――――そういう問題なわけ!?」
「僕としてはわりと納得出来る理由だけど?今度騎手を女性騎士に変更してみたらどうだい?」
因みに僕がライディーンに乗る気にならない理由もそこ。




