38 凶悪ハニー
翌朝になっても中庭の運動場に、でん!と構える黒い獣の姿を見た警備隊の面々は皆揃って頭を抱えた。
幸いにも御大のご機嫌はそう悪くも無さそうで、雷雲を発生させる事もなければ電撃の雨を降らせる事もなく、いまのところ好き勝手にそこらを闊歩するだけに留まっている。
「………いたよ…」
「………いるねぇ」
一夜明ければ平穏な日常が戻るかも、という僕の淡い希望が脆くも崩れ去った瞬間だ。
ライディーンは僕の顔を見つけるとその巨躯に似合わぬ素早さを発揮して、ブワリと羽ばたきひとつですぐ側に降り立ち、その鼻面をグイグイと僕の身体に押し付け始めた。
「…なんか要求されてないか?スォード」
「……………はぁ」
「もしかして腹が空いてるとか。馬用の餌で良いなら厩舎に行けばあるよな」
「ノッティ。どちらかと言えば“馬”の方がライディーンの餌になるから」
「………!」
「多分そっちの心配は要らないと思うよ。飛天は夜行性だから夜のうちに近場で狩りを済ませてるはずだし」
ライディーンそっちのけで相棒と会話をしていたら、段々痺れを切らしたようにドスドスと小突かれ、仕舞いにはギラリと牙が並んだ口を見せ付けられて威嚇される。
「ライディーン」
ここで少し気を引き締めるように声を落とす。
言うことはきちんと言わないと。
「そんなにふうに堪え性の無い奴にシュシュは会わせられないよ。あの子はとても怖がりだし、君がちょっと雑に扱うだけでも大怪我をしかねないくらい弱い。ちゃんと手加減出来ないなら面会は禁止だ」
黒くて大きな獣がビシイッ!と彫像のように固まった。
振り上げた前肢もそのままに制止。
「特にその爪と牙は引っ込めて」
ショボリ。
黒い獣は項垂れて翅をだらりと垂らし、半日中庭で彫像と化した。
一方その日のシュシュは。
前日迄の遠出の疲れが出たのか午前中ずっと眠り通し、漸く目を覚ましたのは正午近くになっての事だった。
「はぁい、お姫様がやっとお目覚めよん~」
昼の休憩時間。
いつもの代わり映えしない面子で食堂のテーブルを囲んでいると、女性隊員に抱えられたシュシュがやって来た。
「今日はモーが非番だったんだ」
「ウフフ、そぉなの~。念願のお姫様独り占めよぅ。あーんなコトやこーんなコトも出来ちゃうんだからっ!」
ウキウキしたその口調はお喋り好きな女性そのもの。
例え柔らかなふくらみの代わりに固い胸板が有ろうとも。いずれは身も心も女になる予定!……のおネェ隊員。
お世辞抜きで女性にしか見えない美人だけど、そのドスの効いた声が全てを台無しにしている。
「お早うシュシュ。よく休めたかい?帰って来た途端あの騒ぎだったから余計に疲れただろう」
嬉しそうな表情で此方に手を伸ばすシュシュをモーから受け取って隣に座らせると、周りの隊員達がこぞってシュシュの前に飴だの焼き菓子だのを並べ始めた。
…いつのまにこんなものを用意していたんだお前ら。
しかも女の子が好きそうな包装までしてある。
「あらー、スゴいわねェお姫様。貢ぎ物がたっくさん」
突如テーブルの上に現れた菓子の山。
シュシュが目を真ん丸にしてどうすればいいのかと僕の顔を見上げてくる。
嬉しいのと困ったのがまぜこぜになったような顔だ。
言葉でお礼を言うことが出来ないから、オロオロしながら皆の顔を上目遣いにチラリと覗いたりして。
「シュシュ」
呼ばれて振り向いた口の中に砂糖菓子をひとつ放り込む。
「!」
するとシュシュの表情がみるみる蕩けてうっとりするような笑みを見せ、無邪気に次をねだる仕草で小さく口を開いた。
ナニこのこの凶悪な“おねだり顔”!!
そうそう、その顔が見たかったんだよ!と一斉に鼻の下を伸ばす男共を見て、僕は奴等を端から殴り倒してやりたい衝動に駆られた。
「あん、食事の前に甘い物あげ過ぎたら駄目よぅ!はい、没収~」
すっかり母親(?)化したモーが一旦菓子の山を目の前から遠ざけると、シュシュはちょっぴり恨めしそうにしながらも、新たに運ばれて来た料理の皿と向かい合った。
油っこい物や肉の塊が苦手なシュシュの為に、料理長が毎日用意している特別メニューだ。
野菜を柔らかく煮込んだ具沢山のスープと小さな白パン、それからデザートにポムの果実。
「それっぽちで足りるのか?もっと食わせないと育たないんじゃ…」
誰もが同じような感想を抱いたらしく、皆が善意から自分達の皿の料理を勧めてくれる。
「あらヤダ!皆優しいのねぇ。でもウチの子は胃腸が弱くてガッツリ系のメニューは無理なのよ~」
働き盛りの成人男子が摂る事を規準にしたこの食堂のメニューの多くは、揚げる、炒める、炙るが中心の調理法でメインは殆どが肉。
どれもシュシュには厳しい。
「ちゃんと医師に相談しながら食事させてるから大丈夫だよ。一度にたくさん食べられないだけで、小分けにしてお茶の時とかに軽く食べさせてるし」
そういうものか?と尚も心配そうな男達。
彼等から見たら本当に小鳥ほどの量しか食べていないように感じるんだろう。
気持ちはわかるけど体格差を考えろ?




