25 交錯
「―――――ふぅ…」
湯に浸かった気持ちの良さに思わず溜め息が漏れる。
昼間あれだけ眠ったにも関わらず、夕食を済ませるとシュシュは盛大な欠伸をして目蓋を擦り、幾らも経たないうちに舟を漕ぎ始めた。
ぐっすりと寝入ったところで寝室に運び、自分は後回しになっていた湯殿に直行した。
現在住んでいる貸部屋にも火炎石を利用したボイラーが設置されていて、部屋ごとにシャワーが備え付けられているけど、たっぷりと湯を張られた浴槽の魅力はまた格別のものだ。
「あー…極楽……。あれ…“ゴクラク”…て何だっけ?」
困った事に、あのリアル過ぎる『私』の夢のせいで時折記憶が混濁してしまう時がある。
知らない言葉、奇妙な風習、有り得ない道具や知識。
僕自信が学んだわけでも体験したわけでも無いのに、それらはいつも不意打ちで押し寄せて『僕』に混乱をもたらす。
これに意味があるのか無いのかなんて、考えて悩んだ時期はとっくに過ぎてて。
単に僕の頭がおかしいだけだとしても誰に迷惑を掛けてるわけじゃなし。
うん。問題なし。
そもそも自分で言うのもなんだけど、『私』も『僕』も“超”の付く現実主義者で、妄想癖とか夢見がちとかいう言葉から最も遠い性格なような気がするんだけど。
それでなんで?って感じ。
こういうのって考えても無駄だよね。答えなんか出ないし。
それにしても、と鏡を見る度に思う。
どうせ男に生まれるんだったら、もっとこう男臭い凄味のある顔付きに生まれたかった。
母親譲りの美貌とやらのお陰でどれだけ辛酸を舐めさせられて来たことか。
騎士学校時代に同性から妙な秋波を送られるに始まって、要らぬ女性トラブルには捲き込まれる、仲間からは恨まれる。
おまけに苦労して得た騎士の称号も変態上司がトチ狂ったお陰で投げ捨てる羽目になった。
別に騎士にはさほど固執して無かったから今更そこに返り咲きたいとも思わないけど、それまでの僕の努力を返せと言いたい。
湯上がりの身体にガウン一枚を引っ掛けてテラスへ移動すると、丁度双子の月が夜空の中天に架かる頃合いで、手燭の灯りが必要ないくらいに辺りを煌々と照らし出していた。
離れの周囲には手入れの行き届いた庭木が立ち並び、昼であればその木立の合間に透明な水を湛えた湖を見ることが出来る。
明日になったらシュシュを連れて辺りを散策するのも良いかもしれない。
久々の静けさにぼんやりと浸かりながら、とりとめの無いことを考えていたら、室内からパタパタと走り回るような軽い足音が近付いて来るのが聞こえた。
足音は忙しなくあちこちを行ったり来たりしながら、何かを探し回っているようだった。
「―――――シュシュ?」
「――――――…っ」
呼び声に気が付いて駆け寄ってきたシュシュは、そのまま僕の腕の中に飛び込むとぎゅうぎゅうとしがみつき、か細い悲鳴のような声を上げて啼きだした。
震える身体、冷たい指先。喘ぐような呼吸の合間に紡がれる切れ切れの叫び。
今この瞬間、例え一瞬でもシュシュから目を離した自分を呪いたくなった。
「―――――――ごめん、シュシュ…!ごめんね……。ここにいる、傍にいるよ」
だから、もう ナカナイデ。




