第八話 試験開始
翌日、試験の日が遂にきた。
朝、レセルたちは試験の開催地である、トレントの森を訪れていた。
ファレス魔術学院のある、ブランクの街から徒歩二十分。
鬱蒼と背の高い樹が生い茂る、誰も近寄りたがらない不気味な森だ。
森の入り口を背に、担任教師であるネオンが諸注意をおこなっている。
今回の試験は、初の野外実習で危険もある。
そのため、ネオンの他に中年の女性教師と、若い男性教師も引率していた。
二人とも、教科担当の先生なので馴染みある。
普段そろうことがない三人の教師を前に、生徒たちはいずれも真剣な面持ちでネオンの話に耳を傾けている。
「――ですから、危なくなった場合は無理せず逃げましょう。逃げたからといって評価が下がることはありません」
ネオンが説明をつづけるなか、レセルは別のことに意識をやっていた。
(この森……間違いない)
レセルも最初こそネオンの話をきいていたが、それよりも別のことが気になって気になってそれどころではなかった。
この、トレントの森は約一年前、記憶を失くした自分が目覚めた場所だからである。
樹木が鬱蒼と生い茂り、一つの迷宮を構成するかの如く木々が乱立している。
どこの森でもそう変わらない景色だが不思議とわかる。
ここは間違いなく、自分の記憶の出発点なのだと。
そんな場所を前にしたせいだろうか、忘れていた……いや、気にしないでいた感情が首をもたげる。
〝本当の自分〟とはなんだろう?
自分が何者なのかわからない。そんな恐怖に苛まれたのは昔の話だ。
ジタンという友人を得たから、彼と共に能天気に日々を過ごすのは本当に楽しい。
魔術は使えないが、不満はない。充実している。
だがやはり、気にならないわけがない。
今こうしている自分は、別人なのだ。
本当の自分は、どういう人間なのだろうか。
(森の中へ入ったら……なにか思いだせるかな)
「それでは、出発前に決めたペアの人と組んでください」
ネオンが手を叩き、指示を出す。
思考を中断し、レセルはジタンの隣へ移動する。
周りを見るも、親しい友人といる方が落ち着くのか、大半の生徒が友人同士で組んでいるようだ。
「試験を始めます」
ネオンは開催の言葉を口にする。
さぁ、いよいよ試験だとレセルは勇んで進もうとしたが、
「先生、待ってください」
声をあげたのは、おさげ髪の女子だった。たしか、彼女はよくリセアと一緒にいる女子だ。
「どうしました?」
「リセアが、調子悪いそうなんです」
「だ、大丈夫よ……」
リセアが、かぼそい声をあげる。見れば顔面は蒼白で、普段の快活さはすっかり影をひそめていた。
彼女は、立っているのもしんどいのか、おさげ髪の女子の隣に座りこんでいる。
「何言ってるの!熱あるんでしょ」
「でも……試験が……」
「リセアさん、無理は禁物です。今日は家に帰って休んでください」
ネオンの言葉に、リセアは頭をふった。
「そんな!私、今日のためにあんなに頑張って……!」
「今は体調の方が優先です。棄権しましょう」
「これぐらい平気です!棄権なんか……」
リセアはすっと立ち上がるが、よろめく。ネオンは支え、
「ほらみなさい。どう考えても試験を受けさせるわけにはいきません。いいですね」
有無を言わさない口調で告げる。
あれ程張り切っていたのだ。リセアは悔しさに涙を浮かべる。
「そんな……」
彼女はなにか抗議しようとしていたが、体がいうことをきかないのだろう。
それをわかってか、悔しさに押し黙っていた。
「ネオン先生、彼女は私が自宅まで送り届けます」
「お願いします」
ネオンは、引率を申しでた中年女性教師にリセアを預けた。
その後、リセアのペアである、おさげ髪の女子を見る。
「あなたは他のペアにいれてもらいなさい」
「はい」
「じゃぁ私たちと一緒に行こう」
すぐに、女子の一人が声をあげ、おさげ髪の女子は彼女のもとへ移動する。
一組だけ三人なのは、少々ずるい気がしたが事情が事情なので不満の声はあがらなかった。
「貴方たちは気にせず試験に集中しなさい。もう始まっていますよ」
ネオンの叱声が飛び、レセルたちは慌てて森の中へ進んだ。
森の中は、外から見る以上に不気味だった。
まだ昼にもなっていないのに、夜かと思うほど薄暗い。
背のたかい樹が多く、見通しも悪い。
ある程度は覚悟していたが、想像以上に迷いそうだなとレセルは表情を硬くする。
入ってみて確信した。やはり自分はこの森をきたことがある。
森の中なんてどこも似たようなものだろうが、なんとなく、だが確実に「この森にきたことがある」と言える。
矛盾した、意味不明な気もちだがそう感じるのだ。
だが、それだけだ。
自分が何者なのか、どういう経緯でここに居たのか……肝心なことはわからずじまいだ。
(やっぱ、そう都合よくいかないか……)
レセルがおもむろにため息をつくと、隣を歩くジタンが声かけてきた。
「どうした?」
「あぁ、まぁ記憶、やっぱ戻らないなぁって……」
「……あんま気にすんなよ」
「気にしてないけど、気になるっていうか……」
「どっちだよ」
「ごめん、自分でも言ってて意味わかんない。でも、ま!おちこんでも仕方ないよな!とにかく今は試験に集中、集中」
嫌な気分をふりはらうように、レセルは拳を空にむかってつきだす。
昼か夜かもわからないような薄暗さが、どんよりとした心を表しているようで、なんとも気分が悪い。
だが、もう気にしないようにしよう。昔も大事だが、レセルにとっては今のほうが大切だ。
「……なぁ」
ふいに、ジタンが呟く。
「出発前から気になってたけど……その剣どうしたんだ?」
「これ?昨日、学院の帰りに武器屋で買ったんだ」
レセルは、腰にさした皮袋から剣をひきぬく。
いくら危ないことがあればネオンに助けてもらうとはいえ、なんの準備もしないのはどうだろうと思う。
武器の一つぐらいは携帯してもいいんじゃないか、そう考え購入した。
まぁ、武器というよりは飾り物にちかい無駄に装飾された剣なわけだが。
そもそも、平和すぎる東大陸において殺傷を目的とした武器などめったにないし、少なくとも民間人が買えない――というか、買おうとも思わないため、必然的に子供向けのおもちゃの剣か、コレクション用の装飾剣の二択になる。
決して安い出費ではなかったが、一応刃物には違いないし、狼がきても多分大丈夫……だと思いたい。いや、思っておこう。
「ふーん……」
ジタンの、かわいそうなものを見る目に腹がたった。
「なんだよ」
「別に。そんなものなくたって大丈夫だ」
「なんでさ」
レセルが、まだ口をとがらせて言うと、ジタンはなにげないように言った。
「お前のことは俺が守ってやるから」
「……かっこいい台詞だと思うけどさ。俺、男の子!そういうことは女の子に言おう!」
「ここには俺とお前だけだろうが」
ジタンのいうとおり、数十人の生徒が森の中にはいったというのに、他のペアの姿は見えなかった。
想像以上にこの森は広いのかもしれない。
「そうだけどさぁ、なんかどう反応していいかわかんないよ」
「気にすんな」
「きゃぁぁぁああ!」
そんなやり取りは、耳をつんざくような女子生徒の悲鳴でかき消された。