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シーン 8

この世界に来てからというもの、気付けば自身と向き合う時間が多くなっていた。

それというのも、何も考えず没頭できる趣味や娯楽が少ないという事情が関係している。

元の世界なら、家に居たとしてもテレビを見たり本を読んだりと、何かに熱中して時間を潰すことができた。

しかし、この世界ではそんな常識が通用しない。

時間を見つけては自問自答に耽ることを覚えた今、答えの出ない問答を延々と繰り返している。

時にはそれが原因で自己嫌悪に陥ることもしばしばだ。

どちらかといえば精神的にまだ未成熟な部分が多分にあり、自分でもそれを良く理解している。

今では必要以上に自問自答を繰り返したおかげから自己分析には自信があった。

まぁ、それがわかったところでこの日常が劇的に変わることはないのだが。


今日は仕事の予定が入っていない。

つまり、束の間のオフを満喫できるのだ。

そうと分かれば宿舎に詰めているだけで損をした気分になる。

今朝は朝から雲一つない快晴なので、こんな日は外に出て羽を伸ばすのにうってつけだ。

目的もなくただ町を歩くだけでも何かと新しい発見があり、部屋で閉じこもっているよりも遥かに有益な時間になる。

しかし、欲を言えば何か目標をもって行動する方が効率的だ。

とはいえ、外に出たとしてもそれほど目的地が多いわけでもない。

よく行くのは、懇意にしている鍛冶屋かパブロが経営する酒場か町の情報が一手に集まる興信所くらいだ。

ちなみに、この世界の興信所は元の世界とは違い、探偵業だけではなく要人の暗殺まで行っている。

そのため、あまり表立った活動することはない。

それでも、興信所を頼る人は少なくなく、ビジネスとしてそれなりに繁盛しているようだ。

興信所の依頼者は大概チンピラ紛いの輩が多いが、中には良家の貴族も含まれている。

理由は様々だが身分に関係なく悩みの種は尽きないようだ。


町の雑踏を抜けて興信所に足を運んだ。

建物の入り口には看板が掲げられていないばかりか特定の呼び名もない。

しかし、ここの責任者が“オーブ”という名前の男なので、僕はそのまま彼の名前で呼んでいる。

まぁ、裏の仕事を生業にしているような人物なので、本名は別にあるように思うが。


「オーブ、居るか?」

「…ユウジか。相変わらず突然来るヤツだな、お前は」


窓のない部屋の奥に目的の人物が座っていた。

ロウソクの炎に照らされた姿は闇に怪しく浮かんでいる。

年齢は四十前後だと思われるが、自身のことを話したがらないため詳細は不明だ。

つり上がった目と手入れがされた顎髭が特徴的で、この辺りでは珍しい銀髪も目を引いた。

服装は小綺麗だがよそ行き用に着飾っているほどではない。

頭には麻でできた黒色の中折れハットを被り、首元のネクタイは気だるそうに緩められている。

何故室内で帽子を被っているのかは不明だが、おそらく彼のポリシーか何かなのだろう。

そんな格好をしているため、初めて会った時の感想はベテランのホスト風だった。

おまけに頭の回転が早く博識で口もうまい。

おそらく女性の扱いも手馴れているのだろう。


「アポなんて必要ないだろ?そんなことしたら嫌がるじゃないか」

「だな。俺は何人にも縛られたくはない。それが例えこの世界の神であったとしてもだ!」


オーブは拳を握りしめて高らかに宣言した。

まるで街頭で有権者に訴える政治家のようだ。

しかし、この話を聞いたのは今回が初めてではない。

そのため、驚くことはなく代わりに呆れて冷たい視線を送った。


「…はいはい、その話は何度も聞いたよ。ってか、毎回同じこと言ってるぞ?」

「ふふん、そんなことを気にするなんてまだまだ青いな」


オーブは不敵な笑みを浮かべた。

これもいつものことだが、彼はよく薄ら笑いを浮かべる。

まぁ、本人がこんな性格なのでそれほど意識していないだろうが。

おかげで表情から本心を読み取るのが難しい。


「…で、何か新しい情報は入ってないか?」


一呼吸置いて本題に入った。

興信所という場所は裏の情報が集まりやすい。

中には組織では扱わないようなものもあり、情報源としての有用度はかなりのものだ。


「そうだな、ダーシェ派に関する直接的な情報は今のところゼロだ。ただ、こんな話を耳にした。お前、ヘイムの町に行ったことはあるか?」


ヘイムは大陸の西側に位置している。

しかし、大陸を横断するバッカーナ街道には接しておらず、特別目立った名産品もない小さな町だ。

ただし、町を上げて麦の生産に力を入れているため、いずれは一大穀倉地帯として発展を夢見ている。

問題は働き手の確保だが、ヘイムの麦が有名になればおのずと近隣から労働者も集まってくるだろう。

直近の課題は知名度アップだが、情報網が未発達なこの世界ではなかなかな難しい問題だ。

それでも、麦の生産量が随一のベルトンがクローラーの被害を受け、供給量が減ったことを考えれば今後の展開次第ではその夢も実現するかもしれない。


「いや、ヘイムには仕事の時に一度だけ近くを通っただけだ。中には入ったことはないよ」

「そうか。それならヘイムで起きてる失踪事件も知らないわけだな」

「失踪事件?」

「あぁ、何でも嫁入り前の若い娘が忽然と姿を消してるって話だ。今のところ町に戻ってきた失踪者は誰もいないらしい」


確かにダーシェ派とは直接関係なさそうだが、気になる事案ではある。

それにこの話をしたということは、彼にも何か考えがあってのことだろう。


「それで、俺にどうして欲しい?」


回りくどいことは好かないため直接答えを要求した。

オーブの性格上、自身が不利益になるようなことはしない。

そのため、何かしら彼に利益があると考えるのが普通だ。

下手をすれば面倒事を押し付けられる可能性もあるため、対応は大胆かつ慎重に行う必要がある。


「そう警戒するな。お前にとっても悪い話じゃないさ。俺の掴んだ情報では、少なからずダーシェ派の影が見え隠れしている。うまくすればヤツらの尻尾を掴めるかもしれないぜ?」

「その話、本当だろうな?」

「おいおい、俺は情報屋でもあるんだぜ?間違った情報なんて流したらおまんま食い上げになっちまうよ」


オーブの言い分には一理ある。

彼の商売は客との信頼が何よりも優先されるからだ。

特に、この世界は法的拘束力が存在しないため、契約が不履行になっても全て自己責任になってしまう。

そのため、一度でも信頼を失えば客は離れていき、最終的に商売が成り立たなくなる。

つまり、彼が嘘をついて損をすることはあっても得をすることはない。

そう考えれば彼の言葉にも信憑性が感じられるようになる。


「で、お前にはどんな得があるんだ?」

「特に何も。まぁ、強いていえばいつも世話になってる礼だ」

「へぇ…」


冷たい目で見つめると、いつも薄ら笑いを浮かべた。

やはり何か裏があるらしい。

しかし、この空気に耐えられなくなったのか、それとも回りくどいと感じたのか、オーブは小さくため息をついて口を開いた。


「…わかったよ。この案件な、情報が少なすぎて俺の手には負えんのだ。あと、他にも案件がいくつか請け負っているからな。わざわざ現地に直接赴いて調査する時間がないのさ」

「じゃあ、そんな依頼受けるなよ…」

「いや、正確には依頼を受けたわけじゃない。とりあえず依頼主には保留にしてあるんだ」

「それ、大丈夫なのか?」

「大丈夫も何も、話を受けてからちょうど二日経ったからな。また被害者が出ていなければいいが…」


オーブはまるで他人ごとのような口ぶりだ。

それに、何故かチラチラと僕に視線を送っている。

やはり確信犯か。


「…じゃあ聞くが、情報元はどこからだ?」


間を空けてこんな質問を投げかけた。

しかし、この質問に対してオーブは苦い顔をした。


「悪いな。情報元との約束で教えられないんだ。俺がここで名前をいえばその時点でアウトだからな」

「そうか…」


もっともな答えだったためそう答えるしかなかった。

オーブも満足そうな顔をしているため、こうなることは想定の範囲内といったところか。


「心配ない。ウチからお前に仕事を振る。それでいいだろ」

「あぁ、それなら問題ない。じゃあ、早速ウチに依頼状を出してくれ。受理されれば明日には俺のところに話が回ってくる」

「わかった」


オーブはこの後予定があるらしく、忙しそうに準備を始めた。

顔が広いだけに仕事の幅も多岐に渡る。

去り際に聞いた話では、ある貴族の浮気調査が今回の仕事らしい。

どこの世界でも男女の問題はつき物のようだ。


「…で、どうすんだよ、この後の予定は?」


別に誰かに語りかけたわけではない。

不意に口をついて出たのがこの言葉だった。

元々、行き先に困ってここまで来たので、この後の予定は決まっていない。

いろいろ思案した結果、今後のことを見越して鍛冶屋に太刀の整備を依頼することにした。


「ふむ…これはまた随分使い込んだな」


鍛冶屋の店主である“カルネル”は、太刀に視線を落としながら眉間にシワを寄せた。

彼はレオより少し年上で、剃り上げた頭にバンダナを巻いている。

元々色黒なのか、ほどよく日焼けした色の肌をしている。


「そんなに酷いのか?」

「いや、刃こぼれはない。なんてったって高純度のダマスカス鋼だからな。見ろ、この黒光りした美しい表面を」

「あぁ、その説明は前にも聞いたよ。けど、前の世界とは違うんだよな。あっちのはこう、木目みたいな色合いだったと思うんだ」

「お前、そりゃ、純度が低い証拠だ。俺も勉強不足だからアレだがな、こう、熱していくうちにコークスの煤を練り込んでいくんだ。そうすると冷えたときに硬い金属に変わるのさ」

「煤を?じゃあ、炭素か何かを取り込んでいるのか。へぇ、知らなかったな」


自然界で最も硬いダイヤモンドも炭素の同素体の一つなので、このダマスカス鋼もその親戚か何かなのだろう。

もちろん、そっち関係の知識は学校の授業でかじった程度なので詳しいことはわからない。

とにかく、激しく鉄の武器と打ち合っても刃こぼれ一つしない高度があるのは確かのようだ。


「俺はまだお前さんの住んでいた世界のことは良く知らない。だが、お前さんが教えてくれたこの太刀という剣は良い。これほど切れ味の鋭い剣は今までに見たことがないぞ」

「この世界の剣は突いたり叩いたりが主力だから、こんな使い方は考えもしなかったんだろうな。太刀にもまだ種類があって用途も違うんだ」

「ふむ。それはまた是非とも教えてもらいたいものだ」


一人の職人として新しい知識に興味が湧いたらしい。

そもそも、カルネルがここまで熱心だったからこそ、太刀の製作に協力してくれたのだ。

それでも、当初は半信半疑なところもあり、完成するまでは信じていなかったらしいが。


「その話はまた今度な。それより、話を戻すが、何か不具合でもあるのか?」

「あぁ、そうだったな。見ろ、ここに返り血が残ってる。いくらダマスカス鋼とはいえ、手入れが悪いのは感心せんな。大切な商売道具なんだろ?」

「あ…あぁ、すまん」

「今度からは気をつけるんだぞ。あとな、他に気になるところはないが、強いていうなら柄の革は消耗品だ。時間がある時でいいから巻き直しに来い」

「わかった。その時はよろしく頼む」


他にも店に置いてあった自慢の武具を見せてもらった。

しかし、今の僕に一番合っている装備はすでに整っている。

それに、置いてある物は万人に向けたものなので、そのまますぐに使える保証はない。

場合によっては仕立て直す必要があるため、余裕があれば初めから特注品を注文した方がいいだろう。

カルネルは仕事に誇りをもっているため、無理な注文も笑顔で引き受けてくれる。

ハイマンの中でも頼りになる存在の一人だ。

ご意見・ご感想・誤字脱字の指摘等があればよろしくお願いします。

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