シーン 5
ハイマンを出てから半日が過ぎた。
太陽はちょうど真上にあり、元居た世界ならそろそろ昼時という時間だ。
目の前には目的地であるベルトンが管理する農園が見えている。
一見した広さは、サッカーのフィールド換算で三面分と同程度だろうか。
しかし、これはほんの一部で、クローラーの被害を受けているのは別の場所だ。
これだけの農地を百人程度の労働者で管理している。
もちろん、この世界にはトラクターなどの専門的な機械はないため、全て手作業というから驚きだ。
水まき一つとっても、近くを流れる川からギリギリまで水路を引き、一旦溜め池に溜めてから桶で一杯ずつ運んでいるらしい。
除草作業も農薬を使わない昔ながらの方法なので、その苦労は経験していなくても大変だとわかる。
村の中に入ると厩舎に馬車を預け、その足で村長の家に向かった。
家は石材が使われ堅牢な印象を受ける。
他の家よりも頑丈に作られているのは、外敵からの襲撃を恐れてのことだろう。
玄関先で侍女に事情を説明すると応接室に案内された。
しばらくすると、仕立てのいい絹の衣装を着た老人が現れた。
胸まで伸びた白い髭が特徴的で、如何にも年長者といった雰囲気がある。
杖を手にしているところを見ると、高齢のため足腰が弱っているのだろう。
「遠路はるばるようこそお越しくださいました。お待ちしておりましたぞ」
「いえ、これも仕事ですのでお気にならさず。それで、クローラーの被害と聞いておりますが、具体的にどんな?」
レオはさっそく仕事の話に入った。
ここはリーダーに任せておけば安心だ。
心配はないと思うが、気になることがあれば横から口を挟めばいい。
「そうですな。具体的にと申しましても、依頼の際に報告させていただいたものでほぼ全てです。ですが、あれから被害が増えているのも事実です。村の者によれば、以前より数が増えていると…」
「やはり…。クローラーは食べ物さえあれば爆発的に増える魔物だといわれております。どうやら、豊富な餌を使って仲間を増やしているのでしょう。一刻も早めの対処が必要です」
「是非ともお願いします。このままでは村の者にも被害が出るやもしれません…」
「わかりました。では、さっそく仕事にかかります。それにはまず正確な数を把握しなければなりません。どこか農園を見渡せるところがあれば…」
村の周囲は農地に適した平原で、視界を遮るような小高い山や鬱蒼とした森などはない。
そのため、少し目線を高くできれば周りを一望することができる。
それを聞いて村長は何かを思いついた。
「でしたら礼拝堂の鐘楼をお使いください。村で一番高いところにございます」
村長の案内で村の西部にある礼拝堂を目指した。
ここはゼロル神を信仰する村人たちの憩いの場にもなっている。
しかし、今は礼拝の時間ではないため村人の姿はなかった。
厳重に管理されているらしく、入口には鍵がかけられている。
内部はヨーロッパのゴシック建築を思わせる造りで、太陽光を利用したステンドグラスのモザイク画が床に照らし出されている。
幻想的な雰囲気が漂う中、鐘楼に通じる階段を登った。
定期的に掃除がされているらしく、階段はもちろん手摺りに至までホコリ一つ見当たらない。
それだけこの礼拝堂が大切にされているということだろう。
「こちらです」
鐘楼には人がすっぽり収まる巨大な鐘が天井から下がっていた。
この鐘は村人たちに礼拝の時間を伝える目的で設置されている。
また、火災など有事の際には警報として使われることもあるそうだ。
月並みではあるが、村のシンボルといったところか。
素材は銅が使われているらしく、長い年月をかけて風化した表面はトルコ石のような鮮やかな色をしている。
鐘楼の高さはビルの四階ほどあり、周りに視界を遮る建物はない。
予想していた通りの見晴らしで周囲を一望できた。
「ほう…これはなかなか」
「確かに眺めは素晴らしい…だが…」
「えぇ、あちらが被害を受けている農地でございます」
村長は村の西側を指差した。
そこには麦畑だった農地が広がっている。
こう表現したのは、農地の大半がクローラーに食い荒らされていたからだ。
本来なら整然と麦が並ぶ畑だったらしいが、今はクローラーが這い回り、麦がなぎ倒されている。
まるで麦畑の中を自動車が縦横無尽に走り回ったようだ。
目を凝らすと麦の穂の中に蠢くクローラーの姿が見えた。
これでは収穫はおろか、戦闘経験のない農民が容易に立ち入ることもできない。
レオは腰に提げていた単眼鏡を取り出すと、クローラーの数を一匹ずつ数え始めた。
そして、最後にもう一度全体を見渡すと、口を真一文字に結び眉間に深いシワを刻んだ。
「…これほどの数は今までに経験したことがない。まさかこれほどとは…」
ため息混じりの感想は状況がよくないことを表していた。
数々の死線を生き延びたレオでさえ驚くのだから、今回の依頼は決して楽なものではないとわかる。
「リーダー?」
「あ、あぁ、すまん…私としたことが取り乱してしまったようだな。村長、クローラーに襲われている農地はあそこだけですかな?」
「えぇ、村の者にも確認させましたので間違いございません」
「なるほど…。西の農地を占拠するクローラーの数についてですが、実に百を僅かに超えています。しかも、その大半が成体、もしくは産卵可能時期を間もなく迎える予備軍です」
「なんと…それはまことですか!」
「えぇ、頭に独特の模様が浮かび上がっています。あれは繁殖期に見られる模様で、繁殖紋と呼ばれています」
レオは沈痛な面持ちでそう答えた。
この説明でわかるのはクローラーの生態についてだ。
元の世界では、芋虫は成長の過程で繭を作り時間をかけて蝶など成体に変化する。
しかし、クローラーはこの形態がすでに成体なので、これ以上変態することはない。
また、卵から孵化するまでの期間が非常に短く、天候や気温などの条件が整えば数日と掛からないという話しも聞く。
つまり、このまま放置すればねずみ算式に数が増えてしまうことを意味していた。
そうして数が膨れ上がり、今ある作物を食べ尽くせば人的被害に繋がる可能性がある。
「な、何とかなりませんでしょうか。あなた方のお力なら…」
「もちろん全力は尽くします。ですが、我々の戦力は三名。数で不利なのは明確です。一朝一夕でどうにかなるようなものではないでしょう。どれだけ早く処理しても丸一日は要するでしょう。ですが、その間に逃げ出すクローラーも居るはずです。それらが逃れた先がもし村の中なら…その後に何が起こるのか、想像は容易でしょう」
それを聞いて村長は肩を落とした。
その顔には絶望感さえ漂っている。
しかし、後ろで黙って話を聞いていたアーヴィンだけは違っていた。
何か妙案を思い付いたらしい。
「クローラーは火に弱い。可能なら西の農園を丸ごと焼いてしまえば済む話では?」
彼の提案はいつになく大胆なものだった。
確かに焼いてしまえば話は早いのだが、そこまで大胆に行動できれば村長は僕らに助けを求めなかっただろう。
依頼達成の際に組織が要求する金額は、簡単に支払うことが出来ないものだと聞いている。
もちろん、依頼の内容次第ではあるが、今回の場合は一筋縄でいく話ではない。
しかし、事態が長引けば麦の流通に悪影響を及ぼす恐れがあるため、なるべく穏便に済ませたいと考えたのだろう。
「…農園は村全体で共有する財産です。焼いてしまえば来年もまた同じように収穫が出来るかどうか…」
「しかし、成体のクローラーは倒せてもすでに産みつけられた卵を全て人の手で絶つのは容易ではない。しかもあれほどの数だ。卵を放っておけば数日中に孵化して再び作物を食い尽くすだろう。その後に待つのは…」
アーヴィンは決して大袈裟にいっているわけではない。
むしろ、ありのままの事実を伝えている。
それが村を代表する村長にとってどれほどの意味を持つのか、この村の出身でなくとも少し考えればわかることだ。
最悪の場合、村が地図から消えるかもしれない。
そんな閉ざされた未来など誰が望むだろうか。
破滅を望むダーシェ派の者なら話は別だが、この村にいる住民はゼロル神を信仰している
「…あぁ、ゼロル様、どうか我らをお救いください」
村長は天を仰いで沈痛な面持ちになった。
村を代表する者として、決断すべき重責に押しつぶされそうになっている。
神の名を口にしたところを見ると、藁にもすがる思いなのだろう。
しかし、もはや答えは一つに絞られているといっても過言ではない。
農園を焼いてしまわなければ今以上に被害が広がるばかりか、生命や財産も失う危険性があった。
ただ、自らが携わり手塩にかけた作物を焼いてしまうのは心が引き裂かれる思いだろう。
それを理解した上で、残酷な決断を迫るのは心苦しい気持ちになる。
「…レオ、どうするつもりだ?」
小声でレオに確認を取った。
彼としても焼くしかないと答えは決まっているはずだ。
問題はそれをどうやって説得するかにある。
「うむ…しばらく様子を見よう。数は多いが、まだ手遅れになる状況ではないからな。だが、いざとなれば反対を押し切ってでも焼却を実行する」
「わかった。それまで辛抱強く待ちましょう」
まずは村に腰を落ち着けなければならない。
村長に村で唯一という宿屋に案内してもらい、今晩の寝床を確保した。
あまり豪華な部屋ではないが、贅沢はいっていられない。
そうはいっても、室内にはシングルベッドが置かれているだけなので、本当に必要最低限の設備だ。
ベッドの他に家具らしいものはなく、極めてシンプルな造りになっている。
その代わりに、宿泊料はかなりリーズナブルな設定のようだ。
宿泊料に食事代は含まれていないが、ハイマンの相場の半分以下らしい。
ちなみに、食事は宿屋の一階に併設された酒場で食べるようになっているため、そちらを利用すればいい。
「…それにしてもリーダー、クローラーってあんなにウジャウジャ沸くもんなんですか?」
酒場で夕食を食べながらアーヴィンは疑問を口にした。
昼間、レオもいっていたが、今回のように大量のクローラーが出現したのは前例がない。
最近、依頼が増えているのと何か関係があるのだろうか。
「うーん…今のところは何ともいえないな。ただ、クローラーは通常、これほどまでの群れになるのは珍しい。まぁ、ここまで大きな群れになる前に我々が処理している場合がほとんどだが、それにしても今回は例外だ」
「じゃあ、こう考えたどうだ?ある程度の数になるまで連絡しなかった、と」
『…え?』
僕の仮説に二人は息を呑んだ。
むしろ、そこまで常識外れな仮説ではないとは思うが、仮にそうだったとすればそこにどんなメリットがあるのか。
仮説とはいっても、裏付けがなければただの戯れ言だ。
しかし、僕には一つ思い当たることがあった。
「これはあくまでも仮の話だ。聞き流してくれても構わない。まず、クローラーの発生で得られるメリットが必要だよな。で、思い付いたんだ。仮に陰謀説って呼ぶことにするけど、この村の実権を握ろうとしてるヤツが居るんじゃないか?」
「実権?どうやって?」
「この村で一番権力を持ってるは村長だろ。だから、村長を失脚させたいヤツがいるって考え方さ」
それを聞いて二人は食事の手を止めた。
そして、それぞれに思いを巡らせ、何かに気が付いたようだ。
「待てよ。それなら、そう考えてるヤツが村の中にいるってことになるよな?」
先に口を開いたのはアーヴィンだった。
その隣に座るレオもそうだという表情で頷いている。
「そうなるな。まぁ、あくまでも仮説だからその通りとは言えないだろうけど」
「…ふむ。だが、あながち間違いではないかもしれん。実はな、先日、ハイマンの酒場で妙な噂を耳にしたんだ。近々麦の価格が高騰する…とな」
「高騰?それは本当か?」
「あくまでも噂だ。だが、この現状と照らし合わせれば、当たらずとも遠からずではないか?」
レオの話が確かなら、これは何者かが麦の市場価格を操作しようと画策したのではないかという仮説が浮上する。
麦の生産量が落ちれば価格が高騰するのは当然のことで、それを事前に知っていれば大きな利益を得ることも可能だ。
他にも在庫隠しと呼ばれる手法を使えば同じことが可能になるが、こちらは大量の資本とそれを隠す場所、それに関係者同士の秘密厳重が必要になる。
そのため、強制的に価格を高騰させることが目的なら、前者の方が安価で効率的だ。
「…仮にだ。それをして誰にメリットがある?」
「そこだよな。俺が思うに、メリットがあるのは一人ではなく、ある程度まとまった集団だと思うんだ。むしろ、仮に村長の失脚を望むヤツが居たとして、そいつを裏で操っているヤツがいても不思議じゃない」
「黒幕の黒幕説か。もしかするとこの依頼、私たちの手に余るかもしれないな…」
レオは難しい顔をして腕を組んだ。
おそらく、いつものように簡単な依頼だったなら、こうした考えは生まれなかっただろう。
半日ほどで仕事を済ませ、明日の朝にはハイマンに帰っていたはずだ。
しかし、今回はどこかきな臭い雰囲気までも漂わせている。
ただ、ここで議論したところで何も解決しないため、無意味な堂々巡りになってしまうのも事実だ。
今はこの予感が間違いであって欲しいと願うことしかできない。
考えすぎなら後で笑い話にすればいいのだから。
結局、後味の悪い夕食になってしまったが、それぞれが気にした様子を見せず各自の部屋に戻っていった。
夕食からしばらくして部屋で休んでいると、村長の使者がやってきた。
どうやら火を放つ決断ができたようだ。
この時間まで結論がでなかったのは、村人たちの意見をまとめるのに手間取ったからで、そこに至る苦労が汲み取れる。
しかし、作戦を実行するにも、今日はもう時間が時間なので決行は翌朝に決め、今夜は身体を休めることに務めた。
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