シーン 16
ミーナとの相談の結果、まずは犯人の行動パターンを調べることになった。
といっても、普段は酒場のある建物の中に居るため、外から見ただけでは詳しいことがわからない。
今までの犯行は夜に起きることがほとんどなので、容疑者であるフェスラが深夜に動きを見せる時にだけ注意することになる。
このことを町長に相談したところ、出入口の見張りに最適な民家を紹介してくれた。
民家の二階の窓からはしっかりと店の入口が見える。
しかし、酒場の裏手にも入口があるため、そちらも監視しなければならない。
僕らは二手にわかれ、ミーナは民家の二階から、僕は裏庭の木の上に待機して見張りをすることにした。
時間は以前犯行が起きた時刻にさしかかろうとしている。
「…ミーナのやつ、大丈夫だろうな?」
思わず言葉が漏れた。
お互いに別のところで張り込みをしているため、それぞれの状況がわかり辛い。
そして、この配置ではどちらか一人が犯人の相手をすることになる。
安全面を考えると出来れば二人で取り押さえたいところだが、逃がしてしまっては元も子もないためこの方法を取らざるを得なかった。
木の上は安定感が悪く、長い時間の張り込みには向いていない。
しかし、幸いなことに、幹から伸びた太い枝にはある程度の厚みがあるため、腰を据えても予想していたより快適だった。
それでも不自由な体勢には違いないため、この状態での見張りは二時間くらいが限界だろう。
問題は今晩も犯人が外に出るか否かだ。
何の保証もないためひたすら待つしかない。
闇の中に目を凝らし周囲の気配に全神経を尖らせた。
この状況はまるで海で釣りをしているような気分だ。
釣れるかわからない獲物を待ち続けるにはそれなりの忍耐力が必要になる。
しばらく気配を消して建物の中を見張っていると、二階の人影に動きがあった。
その直後、部屋の明かりが消えると北側の窓が開け放たれ、そこから飛び去る人影が見えた。
月明かりに照らされたシルエットからおそらく女性だろう。
背中まで伸ばした後ろ髪が風になびいている。
むしろ、あの部屋は容疑者であるフェスラが使っている所なので、彼女だろうと容易に想像がつく。
「おいおい、マジかよ!?」
思わず弱音が漏れた。
二階から地上までは四メートルほどの高さがある。
そのため、出入りは一階の出入口だろうと決め付けていたのが裏目に出てしまった。
人影は建物を囲む壁を軽々と飛び越え、そのまま路地に消えていった。
僕は慌てて後を追い、背後の壁を飛び越えたが、すでに人影は走り去った後だった。
「…マジかよ。あそこからここまで飛ぶか、普通?」
今居る位置から二階の窓を見た。
直線距離ならそれほどでもないが、高さがあるだけに常人では尻込みをするだろう。
下手をすれば着地の際に怪我をする可能性もある。
しかし、下から見ていた限りでは人影は飛び出す際に躊躇をした様子はない。
今回ばかりは相手の方が一枚上手だった。
「…はぁ、クソッ」
壁に向かって蹴りを入れ、苛立ちを発散した。
しかし、今はふてくされている時ではない。
走り去った方向はわからないが、犯人はこれからまた犯行に及ぶはずだ。
そのため、被害が広がる前に何とかして見つけなければならない。
まずはミーナと合流するのが先だ。
表に周り込みミーナの居る民家の二階に手を振る。
彼女はしっかりと見張りを続けていたため、入口の前にいる僕に気が付いて魔法を使った。
「…君がここにいるということは逃げられたか」
一瞬にして目の前に現れたミーナはがっかりした様子だった。
「すまん…二階の窓から飛び降りて裏の路地に消えちまったんだ」
「窓から…。そうか、どうやら相手を甘く見過ぎていたらしい。見積もりを誤ったな」
「ミーナ、今は時間がない。次の被害者が出る何とかしてあいつを探し出そう」
「わかった。それと、こうなった以上、“アレ”を使わせてもらうよ。約束だからな」
「わかった…無茶はするなよ」
ミーナのいうアレとは町娘に変装する衣装のことだ。
これは万が一に備えて町長から借りていた物で、衣装の持ち主は彼女と背格好が似ている町長の娘の物。
これに着替えて犯人にわざと捕まるという“おとり作戦”だ。
しかし、僕はその決断に快く応えることはできなかった。
自らの身を危険にさらし無事に済む保証はないのだから。
そんな彼女は、僕の気持ちを知ってか知らずか、再び先ほどの民家に戻って着替えを済ませた。
変装のため、携帯できる武器の種類は短剣までだ。
つまり、彼女が愛用しているサーベルは僕が預かるしかない。
僕は彼女からサーベルを預かり変わりに護身用のナイフを手渡した。
「使え。予備にはちょうどいいだろ?」
「ふふッ、君は心配性だな。だが、ありがたく受け取っておくよ」
ミーナは見た目にわからないよう太ももの外側にナイフの鞘を固定した。
ちなみに、彼女が元から持っているもう一本のナイフは反対側の太ももに装着されている。
これなら咄嗟の対処にも問題はないだろう。
彼女自身、普段着としては絶対に着用しないロングスカート姿で、髪を下ろして自然体を演出している。
見慣れない姿のため、思わず息を呑んだ。
元々の素材がいいため、どんな格好をしても似合ってしまうのが羨ましい。
「その…何だ、あまり見られると恥ずかしいんだが?」
「す、すまん…」
思わずみとれてしまい意識が遠くなっていた。
ミーナも意識的に見られるのは気持ちが落ち着かないらしい。
彼女は一つ咳払いをして続けた。
「それより、君の手筈はわかっているだろうな?」
「あぁ、打ち合わせた通りでいいんだろ。任せろ。必ず守ってやる」
「頼もしいな。じゃあ、遠慮なく背中を預けさせてもらうよ」
ミーナは事前にこうなることも予測していた。
相手が僕らの裏を突くようなことがあれば、正攻法での対処は難しい。
そのため、当初からおとり作戦の重要性を主張していた。
僕としても理屈は理解しているつもりだ。
しかし、それ以上に極力危険なことは避けたいと考えているが、今回は僕以上に強い意志を持つ彼女の要望を尊重することにした。
一度決めたことなので、やるからには必ず成功させるしかない。
彼女の実力を考えても決して分が悪い相手とはいえないが慢心は容易に足元をすくう。
こういう時は心配しすぎなくらいでちょうどいい。
僕の役割は少し離れた場所に待機して彼女の身を守ることだ。
その気になれば百メートルを世界記録の半分以下で走ることが出来る。
それが可能なのもこの星の環境によるものだ。
この世界にもオリンピックがあれば僕は間違いなくメダリストになる自信があった。
この作戦は一定の場所に釣り糸を垂らすようなものではない。
いってみればカジキマグロを釣るトローリング方式だ。
おとり役であるミーナが不自然にならないよう町の中を歩き、犯人を誘い出して僕ら二人で確保する。
しかし、この作戦を実行したところで必ず犯人が見つかるという保証はない。
それでもどこかに止まって網を張るよりはいくらかマシだろう。
おとり役のミーナと一定の距離を保ちながら町の中を進んだ。
物陰に隠れながら気配を消すのは楽ではないが、文句はいっていられない。
時刻は深夜なので町の中を歩く人影は少なかった。
犯人は若い女性だけを狙うため、犯人にしてみればミーナは恰好の獲物だろう。
彼女も家路を急ぐ町娘を演じるため、このために小道具まで用意する気合いの入れようだ。
小脇に抱えた籐製のバスケットを揺らし颯爽と歩いている。
僕自身、一見すれば町娘に見間違うような変装ぶりだ。
おとり作戦を開始してどれくらい経っただろうか。
先ほどまで頭上にあった月が西に傾いているのを見ると、少なくとも一時間ほど経過していることがわかる。
しかし、今のところ犯人の姿は見られない。
もしかすると、すでに犯人は別のところで犯行に及んでいる恐れもある。
もしくはミーナの変装を見破って避けている可能性もあり、現時点ではどちらの可能性も否定できない。
ミーナはチラリと振り向いて僕にアイコンタクトを送った。
作戦に対して自信を持っていただけに不安の色が見える。
普段から常に余裕を見せる彼女にしては珍しい。
そんな時だった。
一瞬辺りの空気が張り詰め、突然ミーナの背後に人影が現れた。
その瞬間、人影が彼女の首に目掛けて手刀を放った。
手刀は正確無比に首筋を襲った。
あわや万事休すと思い、思わず目を背けそうになる。
その時だった。
彼女の身体が視界から消えた。
いや、彼女を襲おうとした人影にはそう見えただろう。
僕の位置からは彼女が身を屈める様子がはっきりと見えた。
「…ようやく掛かったか」
ミーナは背後の人影に一瞥すると足払いを放った。
人影はそのまま体勢を崩して尻餅をついた。
「ミーナッ!」
駆け寄るとそこにはフェスラが倒れていた。
顔を黒いメッシュのベールで覆われている。
「ようやく尻尾を出したな。誘い出すのに苦労したよ」
「…貴様、ただ者ではないな。その身のこなし…アサシンだな!」
「ふふッ、元アサシンだよ。さて、大人しく捕まってくれよ。さすがに二人相手はキツいだろ?」
「甘く…見るなッ!」
フェスラは銀色に輝く刃物を取り出し襲いかかってきた。
しかし、ミーナは太ももから素早く短剣を取り出して刃を受け止めた。
「!?」
「驚くことはないだろ。お前ごとき、私一人で十分だ」
ミーナは受けている刃を払うと、フェスラは再び体勢を崩した。
そこへミーナは腹に前蹴りを食らわせ、そのまま後方へ吹き飛ばした。
フェスラの身体は数メートル先まで吹き飛び、口から胃液が逆流している。
下手をすれば内臓に深刻なダメージが出るような一撃だ。
一見したところ手加減した様子はない。
「き…さま…」
フェスラは何とか喉の奥から言葉を吐き出し、ミーナを睨みつけている。
しかし、身体に力が入らないのか、立ち上がることができない。
どうやら僕の出番はなさそうだ。
「諦めろ。いくら足掻いても私には勝てないよ。諦めて投降しろ。でなければ殺す」
ミーナは出来る限りの殺意を込めてフェスラを見下ろした。
こんな彼女を見るのは初めてだが、これが本来の姿なのかもしれない。
元々、一人で行動するアサシン部隊に居たことを考えれば納得できる部分もある。
「諦めろ…だと?アサシン無勢が…ずいぶん甘いことを…」
「だからいってるだろ、元アサシンだよ。いっておくが、お前の実力はオークにも劣る。まぁ、素早さだけはそれ以上だがな」
確かにミーナのいう通りだ。
フェスラの身のこなしは彼女が評価するだけあって目を見張るものがある。
しかし、力は一般的な女性と大差はない。
そのため、ミーナが手を抜いた状態でも十分に制圧が可能だ。
おそらく僕が相手をしても同じ事が可能だろう。
「化け物が…」
「おいおい、人を化け物扱いとは酷いじゃないか。あぁ、そうだ。ユウジ、私の剣を返してくれないか。あれがないと落ち着かなくてな」
「あぁ、ほらよ」
ミーナに剣を手渡すと彼女はニヤリと口元を歪め、僕の目の前から消えた。
彼女が現れたのはフェスラの背後だった。
フェスラは彼女に気が付く間もなく、首筋に手刀を受けて意識を失った。
「まさか…殺したのか?」
よく見るとフェスラは白眼を剥いて倒れている。
「いやいや、これ以上騒がれると面倒だったんで気絶させたんだよ。あとは奥歯を抜くだけさ」
「奥歯を?」
「あぁ、こいつらは奥歯に自殺用の毒を仕込んでるからな。まぁ、守秘義務ってやつさ」
ミーナはペンチのような道具を取り出すと、慣れた様子でフェスラの口に道具を突っ込み毒が仕込んである奥歯を抜き取った。
まるで魚に掛かった釣り針を抜く漁師のような手際の良さだ。
フェスラは一瞬痛みで身体が痙攣したが、目を覚ますことはなかった。
「お前…何者だよ?」
「ん?私はミーナ。君の相棒だよ」
「いやいやいや…そんなことが聞きたいわけじゃないから。お前、わかっていってるだろ?」
「ふふッ、その質問は些末な問題だよ。私が何者だろうと、君との関係は変わらないよ」
ミーナは話をはぐらかした。
とりあえず、フェスラのいった通りただ者ではないことは確かだ。
ミーナはフェスラが目を覚まして舌を噛み切らないよう、持っていた布を口に押し込んで猿ぐつわをし、逃げられないよう手足をロープで縛った。
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