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異説 太平洋戦記  作者: 水谷祐介
第一五章 帝国、次なる決戦へ
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九九 帝国陸軍満州駐剳軍


 「やはりここでしたか」

 一九四三年三月二八日。満州帝国の帝都新京の郊外にある、戦車部隊用の広大な演習場の一角。

 満州帝国陸軍近衛師団長の孫燕景陸軍中将は、大日本帝国陸軍満州駐剳軍司令官の酒井鎬次陸軍中将に声をかけた。

 即席の指揮所として使われている天幕の中で、何やら書類とにらめっこをしていた酒井は、ゆっくり立ち上がると自身の幕僚達と共に敬礼を送る。

 同じように連れて来た幕僚共々答礼を返すと、孫は酒井のもとに歩み寄って彼の持つ演習結果の書かれた書類を覗き込んだ。

 「ほう。相変わらず研究熱心ですなぁ司令官閣下は」

 とりあえずの社交辞令的な言葉を発した孫は、天幕の外に出て二人だけで話そうと酒井を目で誘った。

 決してただ褒めに来たわけではない。それ相応の用件というものがある。

 「聞きましたか? 一昨日、帝国海軍が臨検したソ連の輸送船団の話は」

 孫の出自を辿れば、生まれは満州の貧しい農家であり、成人後は地方軍閥の一部隊長として過ごしていた。

 だが、満州帝国の建国と共に同陸軍に入隊し、帝国陸軍の士官学校に留学するなど次第に頭角を現し始め、連隊長として戦った満中戦争時の戦功も手伝って、今では近衛師団長を任された優秀な軍人である。

 当然、抑揚に多少問題があるものの日本語を流暢に喋る能力の持ち主であり、専門は酒井と同じ“機甲”であった。

 「えぇ、しかもなぜか米軍の護衛がついていて海軍と一戦交えたとか。まぁそれはともかく、積み荷は確か戦車以外の陸戦兵器全般に食糧と燃料でしたな」

 「帝国海軍の……第五艦隊でしたか。その司令部からの報告によれば、船団の行き先はニコライエフスク。物資の行き先はハバロフスクですかな?」

 「まぁ、とりあえずはそうでしょうな」

 ハバロフスクという街は規模的には大したことのないのだが、その立地は戦略的に非常な価値を持っている。

 すなわち、沿海州に於ける陸上交通の要なのだ。ウラジオストックやナホトカ、ニコライエフスク等の港に陸揚げされた物資はまずハバロフスクに集められ、その後何処かへと運ばれて行く。

 「問題はその物資の最終目的地です。シベリア鉄道に載せてヨーロッパの最前線に送るのか、それともこのまま極東に留め置いておくのか」

 「前者ならいいんですよ。後者の場合、不気味ですな」

 「……欧州方面の損失の穴埋めのため、ソ連による越境攻撃も有り得ると?」

 「完全に否定は出来ません」

 いわゆる“ヨーロッパ・ロシア”が大変なことになっている状況下で、その分を補おうと極東方面に於いて新たな戦線を作るなど、何の所持品も無しに樹海をさ迷いながら将来の希望を語るようなものだ。

 客観的に見て、まず有り得ない。だが、それを証明することもまた困難だ。

 「永田閣下はどうお考えでしょうね?」

 「……東寧の独立混成第三旅団に対し、国境警備のさらなる強化を命じるよう言われましたが、正直なところ総軍司令部は総じて楽観的ですな」

 一九四三年初旬の時点で、帝国陸軍は二つの“総軍”を持っている。

 その内の一方である北方総軍……帝国陸軍統制派の首領でありながら、士官学校の後輩にあたる東絛英機陸軍大将との権力闘争に敗れて大陸に左遷され、結果的に“五・一五事件”では完璧に茅の外に置かれたがために、今度は逆に左遷を免れた永田鉄山陸軍大将が総司令官を務める部隊は、その名の如く対ソ連戦を想定して設置されている。

 総司令部は新京に置かれ、傘下部隊としていわゆる在満日本軍である満州駐剳軍、在韓日本軍である韓国駐剳軍、在支日本軍である天津駐剳軍、北海道や樺太、千島列島の防衛を担当する北東方面軍を抱えているが、それほど規模は大きくない。

 ただ、南方総軍との釣り合いを考え、「帝国は大陸にも関心を持ち続ける」とのアピールのようなものを狙うために、名前だけ大きくなってしまったというのが実状だ。

 事実、酒井が預かる満州駐剳軍を見れば良く分かる。

 機甲第一師団という帝国陸軍の最精鋭部隊に、二個戦車連隊を中核とする独立混成旅団が二個含まれている時点で、酒井曰く何か裏があるとつい思ってしまう程に恵まれているのだが、陸戦の主力を担う肝心の歩兵部隊……歩兵第一一師団と歩兵第一五師団に大きな問題がある。

 すなわち、“平時編成”なのである。

 「つまり、日本本土に動員令が発せられ、司令官閣下指揮下の二個歩兵師団が戦時編成に移行するということはまずない。ということですか」

 「動員令を発したくても予算がありませんからな。今日辺り本国の貴族院を通過する来年度予算案、色々と揉めて存外に時間がかかりましたが、とにかく陸軍予算の少ないこと。海軍は新たに戦艦と空母を二隻ずつ建造するらしいというのに」

 「しかし戦車開発費は満額承認。まったく削られなかったのでしょう? 閣下のお立場は守られたわけです」

 良かったではありませんか。と、孫は陸軍国家の陸軍軍人には無縁とも言える悩みを抱えた、海軍国家の陸軍軍人である酒井を慰める。

 「はぁ。とは言っても、それも海軍のおかげですからな」

 そうぼやくように答えた酒井は来月の一日付けで、陸軍大将への昇進と“帝国総合機甲本部”の本部長への異動が決まっている。

 “帝国総合”の名が示すように、事実上の帝国陸軍最高司令官である陸軍大臣の指揮下から外れ、制度上の帝国陸海軍最高司令官である帝国総合作戦本部長(内閣総理大臣)の指揮下の陸軍系組織であるため、その指導範囲は海軍陸戦隊をも含んでいる。

 これを肯定的に捉えれば“海軍陸戦隊の戦闘車両に関する諸々の事柄は、帝国陸軍が握ったも同然だ”ということになるが、否定的に見れば“帝国陸軍の戦闘車両に関する諸々の事柄に、帝国海軍の干渉が入ってしまう”ということにもなる。そして当たり前だが、肯定的に捉えているおめでたい人間は、もはや帝国陸軍内に存在しない。

 しかしこれでも、“陸海軍における類似組織の統合による効率化”を合言葉に、完璧に存在意義を失って無くなってしまった“陸軍航空本部”や、実質的に“海軍運輸部”に吸収合併されて海軍系の“総合運輸本部”になった“陸軍運輸部”等に比べれば、“海軍施設本部”を吸収して陸軍系の“総合築城本部”になった“陸軍築城部”や海軍組織との合併を免れた“陸軍兵器本部”等と同様にましな方なのである。

 「帝国海軍が、陸戦隊の機械化を図ろうとしているというのですか?」

 「さあて、どうでしょうかねえ。効率化を叫ぶ海軍が、我が陸軍の上陸作戦用部隊である海上機動旅団と、類似した部隊をわざわざ作るなどとは思えませんが」

 などと適当にはぐらかしつつ、酒井は口に出す気にはなれない一つの解答に行き着いていた。

 基本的に帝国海軍というのは領土的野心に乏しい組織であるが、そんな帝国海軍が欲して止まない地域が地球上に一つだけある。

 日本列島とユーラシア大陸に挟まれた日本海。

 それを文字通り、完全に日本の内海とするためには不可欠の土地……ソ連領沿海州である。

 沿海州さえ日本の勢力下に入れば、その瞬間諸外国の海上戦力は、帝国陸軍の強大な要塞に守られた対馬、津軽、宗谷、間宮の四海峡のいずれかを突破しなければ日本海に手を出せないし、航空戦力も日本海の上空に達するまでに相当な妨害を受ける羽目になる。

 何しろ、あまり流布してはいない事実として、当時の原敬内閣が「チェコ・スロヴァキア軍の引き揚げも終わり、アレクサンダー・コルチャークの反ボリシェヴィキ政権が崩壊したことで出兵の大義名分は失われた」と、列強に先駆けて“シベリア撤兵宣言”を発しながら、協定に違反して進出したハバロフスクはともかく、ウラジオストックからの撤兵が列強中で最後……一九二〇年の三月になってしまった理由の一つは、「外務省と帝国陸海軍の一部が、東シベリアに防共傀儡政権を樹立することにこだわったから」とされている。

 さらには、その後の北樺太の獲得に最も積極的だったのも帝国海軍である。

 そんな“前科”のある彼等が、強力な独裁政権の崩壊とナチス・ドイツの侵入によって弱体化したソ連の状況を見て、封印していた野望を再び甦らせたとしても不思議ではないし、“その時”に備えて時間のかかる戦車開発に、相応の予算を投下しようと考えるかもしれない。

 戦車の専門家として、戦車開発の総指揮を執ることになり、陸軍大臣の席も夢ではない酒井にすれば、内実はともかく悪い話ではない。

 しかしそれを孫に話すのは少し躊躇われた。

 なぜなら、清朝の後継を自認する満州帝国の悲願の一つに、“一八六〇年の北京条約で奪われた沿海州の奪取”というものがあるからだ。「アロー戦争の終結に協力したのだから、その見返りに」という、それはそれはふざけた名目で奪われただけに、世間に洩れればいらぬ混乱を招くだけだ。

 酒井は別に孫のことを信用していないわけではないが、不確かで余計、かつ不気味な裏を持つ話は、“その時”が来るまでしないほうがよいだろう。

 「ところで閣下。一つ伺いたいことがあるのですが」

 酒井がそう一人で頭を回していると、歩き続けていた二人は演習場が一望、とまではいかないが、それなりに見渡せるちょっとした高台に達しており、ここにきて孫はおもむろに口を開き、本来の用件をようやく喋り始めた。

 「なんでしょうか?」

 「新型戦車のことです。閣下が機甲本部を取り仕切るようになることは願っても無いことではありますが、状況が状況だけに時間が惜しいのです」

 酒井は思わず返事に詰まった。孫の言いたいことが束の間理解出来なかったのだ。

 「今日現在帝国陸軍の最新式戦車であり、我が満州陸軍部隊にも装備が始まっている一式中戦車は、走攻守の均等に割り振られた良い戦車とは思いますが、世界水準から見ればまだまだ大したことありません」

 あまりに真剣になり過ぎたのか、どことなく助詞の使い方が怪しいものになっていたが、孫の言わんとするところは正確に酒井を苦笑させていた。

 「師団長閣下。つまり一式中戦車ではご不満ということでしょうか?」

 あえてづけづけと返事を返した酒井に対し、孫は困ったような笑みを浮かべながらも、それを否定はせず話をさらに進展させた。

 「閣下は飛躍が過ぎると思われるかもしれませんが、先程も申しましたように、私にはあの輸送船団が不気味に思えてならないのです……もちろん確証などありません。しかしソ連と米国が同盟関係にある以上、米国が貴国の背後を脅かすために、という仮説は充分成立します」

 満州帝国の仮想敵国第一位は、満中戦争の頃までは中華民国、そして現在は無論ソビエト連邦だが、孫の態度は満州帝国軍人の常識である“ソ連驚異論”の範疇を明らかに逸脱している。

 酒井にはそれが、帝国を内部から崩しかねないと共産主義の流入を忌み嫌う日本政府による、いわゆる“反共防波堤構想”の産物なのかとも感じられたが、しかしそれだけではやはり説明がつきそうにない。

 もっとも、この際無視すべき話なのかもしれない。そう自分勝手に割り切った酒井は痒くもない自分の頭を意味も無く掻くと、やや不気味にも思える陽性の声色をもってして、表向き孫の懸念を解消すべく口を開いた。

 「師団長閣下には釈迦に説法かと思いますが、今から二月程前、我が陸軍と三菱、それに日産と川崎の技術者達が共同して、例の“英国の忘れ物”の実用化に成功しました。量産化にはまだ時間がかかりますが、次の戦車や砲戦車の足回りの性能は飛躍的に向上するでしょうな」

 「それはそうですが……しかし戦車砲の開発や装甲板の強度向上は途上では? これらの金のかかる開発に、帝国海軍がどこまで好意的かは不透明ですぞ」

 どこか遠慮が無くなっている孫に対し、酒井は己の腹案をここぞとばかりに披露した。

 「おっしゃる通り、開発予算に海軍の横槍が入ってしまうことは否めませんが、一方で彼等の装甲技術は世界の最高水準を満たしていますし、八センチ程度の高射砲の技術蓄積も我が陸軍よりは遥かにありますからね。いざとなれば、頭を下げるまでですよ」



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