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異説 太平洋戦記  作者: 水谷祐介
第一五章 帝国、次なる決戦へ
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九六 南太平洋に方策無し


 南太平洋上の戦略の要衝であるトラック諸島は、大洋の真っ只中にあるにも関わらず、周囲を無数の珊瑚礁や岩礁に周囲を取り囲まれているため、頭上に強大な雨雲でも無い限り常に穏やかな姿を見せる天然の良港である。

 同時に、帝国海軍が保有する全艦艇を片っ端から浮かべても、それを脇に見ながら大型艦が全速運転出来る程の、あまりに巨大かつ使い勝手の良い天然の軍港でもあるのだが、泊地に投錨している大型艦はほんの数隻しかいない。

 その大型艦にしても、夏島錨地に投錨している信濃型戦艦四姉妹の「信濃」「三河」「出雲」「越前」の四隻だけであり、しかも彼女達は訓練航海の途上で立ち寄ったに過ぎず、決して常駐の艦というわけではない。

 帝国海軍が誇る大根拠地に停泊している大型艦が、ほとんどいない理由は至極単純であり、停泊している意味が無いからだ。

 なぜなら“合衆国海軍太平洋艦隊に、大型艦が存在しない”からである。


 「失礼いたします」

 一九四三年二月二五日、午前一一時前。

 いわゆる四季諸島と呼ばれる島々の、またトラック諸島全体の中でも、中心的な地位を占める夏島にその庁舎を構える帝国海軍南東方面艦隊司令部の作戦室に、控え目だがよく通った声がドアをノックする音と共に響いた。

 「宮野少佐、大谷大尉、入ります」

 そう言って作戦室に入室してきた二人の海軍士官……「伊号第三六一潜水艦」艦長の宮野正巳海軍少佐と、横須賀鎮守府第一〇一特別陸戦隊隊長の大谷光彦海軍大尉は、作戦室の一番奥に座っている司令長官の草賀仁一海軍中将に敬礼すると、それぞれ用意された椅子に腰かけた。


 「早速だが大谷大尉。まずニューギニア島の状況について報告を頼む」

 会議の開会を宣言した草賀の発言を受け、席に座ったばかりの大谷が立ち上がり、陸戦隊用被服に包まれ“野生的”という表現が一番似合う見た目からは、およそ想像出来ない程の丁寧な口調をもって説明を始めた。

 「昭和一八年二月一七日現在、ニューギニア島のビスマーク及びオーエンスタンレー山脈以北に於いて、敵軍の拠点が確認されているのは、ウェワーク、マダン、キアリ、シオ、フィンシュハーフェン、ラエ、ブロロ、ワウの各地点であり、敵軍の陸上兵力の総量は、米国陸軍一個師団、豪州陸軍一個師団、米国海兵隊が一個連隊程度とみられます」

 大谷の妙に詳細な報告に感心したのか、南東方面艦隊の管轄地域の水上部隊と陸戦隊を統括する、第三艦隊司令長官の小林仁海軍中将が口を開いた。

 「敵の拠点はともかく、よく人数まで把握出来たな」

 「はい、危険を冒して敵軍陣地に接近したこともありますが、中にはニューギニア島の原住民からの情報もあります。彼等が狩りや採集にでかける際、ついでに敵軍陣地も観察するよう頼んでありますので。それに我々が山中に設けた拠点も、集落の近くに位置しています。彼等の信頼を得るのには多少の苦労がありましたが、彼等は実に協力的です。もっともその代償として、敵軍に我々の陣容を察知されてしまったようです」

 「存在がばれるのはむしろ望むべきことだが……それ以上のことに気付かれたということか?」

 「はい、私がニューギニア島を離れる二日前にも、ラエの北西約一二〇キロに拠点を築いていた呉一〇三部隊の第二小隊との連絡が途絶えました。単に無線機か発電機が壊れただけかも……しれませんが」

 「ふむ……後者であることを望むが、我々帝国海軍が彼の地に特殊部隊を送り込んでいることを敵が知っているなら、最悪掃討作戦をやられるかもしれんな」

 この草賀のどこか弱気な発言に、南東方面艦隊参謀長の中原正義海軍少将が間髪入れずに食い付いた。

 「お言葉ですが、敵が掃討作戦を行う可能性は低いと思われます。一見すれば敵に比べた我が方の戦力は微小ですが、山中に拠点を張る小部隊を余すこと無く潰すのには余程の労力を要します。むしろ我々が危惧すべきは、補給路の遮断です。何しろ米軍や豪軍にすれば、ニューギニア島沿岸の哨戒網を強化するだけで良いのですから」

 「……宮野少佐。君は事実上、その補給部隊の長だが、中原参謀長の言われたことについて何か意見はあるかね?」

 南東方面艦隊の航海参謀、浅村一生海軍中佐の問いに、中原の言う哨戒網を突破して大谷をトラックに連れてきた宮野は静かに口を開いた。

 「確かに、年が改まった頃より、ニューギニア島周辺の哨戒網が強化されたようで、同海域は潜水艦にとって文字通り危険地帯と化しつつあります。お互いに現状のままであるなら何とかなりますが、正直今以上に哨戒が厳しくなりますと、それなりの犠牲は確実に発生するでしょう……だからと言って、任務は任務ですが」

 「長官、作戦立案時からの懸念事項ではありますが、この調子ですとニューブリテン島への潜入はかなり厳しいことになります。いかがいたしますか?」

 中原の問いを受けた草賀は、居並ぶ自身の参謀達や小林以下第三艦隊の参謀達、そして実働部隊を預かる宮野と大谷の視線を一身に受けたまま、しばらく身動き一つ起こさなかった。

 「……とりあえず、結論から言おう」

 どれほどの時間がたったのだろうか。誰一人として声を発しないまま、ただ熱気だけが作戦室に充満していくなか、草賀はめまぐるしく動き回っていた自身の脳細胞がある一点に行き着いたことを悟り、おもむろに口を開いた。

 「現時点において、ろ号作戦を続行することに変わりは無い」

 「……つまり、ニューブリテン島への潜入作戦は予定通り行う、ということでしょうか?」

 「その通りだ。宮野、大谷両名、そして君達の部下にかける負担は筆舌し難いものがあるが、帝国海軍としてはこの戦争に負けぬため、避けては通れぬ路なのだ」

 草賀がそう重々しく宣言した瞬間、作戦室の空気ががらりと一変した。

 「皆も知っての通り、私は先日所用で内地へ飛んだ。その時に連合艦隊司令長官と話す機会があったのだが、話の途中で私はこのろ号作戦の危険性についてそれとなく触れたのだが、それに気付かれた長官はただ一言、こうおっしゃった。『いかに危ない橋でも、他に路がないなら渡る以外選択肢は無い』とな」


 そもそも、帝国海軍が“ろ号作戦”のもとニューギニア島に特別訓練を施した陸戦隊を投入している理由は、まず米軍にとっての最前線である同地での情報収集が第一であるが、第二の理由として、ニューギニア島に配備されている豪州陸軍の“沿岸監視員”の“掃討”等により、ゲリラ部隊として彼等に得体の知れぬ圧力を加える……というものがある。

 そしてこの第二の理由の目的を一言で言うと“米軍の現状維持”である。

 帝国海軍にとって見れば、ニューブリテン島のラバウルに合衆国陸軍航空軍の巨大な根拠地があることだけでも、相当厄介なことであるが、万が一ニューギニア島の西にある……例えばソロン等に同じ様な航空基地を造られようものなら、それこそ手に負えなくなってしまう。

 なぜなら、ソロンにB17やB24といった四発重爆が配備された場合、パラオ諸島やフィリピン南部、インドネシア東部がその空襲圏内に入るのだが、何より問題なのはソロンからフィリピン南部の大都市ダバオまで、直線距離にして約一〇〇〇キロ程しか無いということだ。

 地理的な位置関係から、フィリピンが奪回されるということは、南方資源地帯と日本本土の連絡が遮断されることと同義であり、この戦争に日本が敗れることとも同義である。

 もし再建なった太平洋艦隊と重爆の大群が協同でこのルート……一例として、ミンダナオ島のダバオ上陸を皮切りにフィリピン奪回を図ったなら、帝国海軍は持てる水上部隊と基地航空隊を総動員して迎撃しなければならないし、そのためには周辺根拠地の飛行場の拡張及び要塞化が必須となる。

 しかし、である。

 いささか身分不相応の大海軍を所持し、太平洋艦隊が中部太平洋を進撃してくるとの想定に基づいた迎撃作戦を練り、同方面の基地機能の向上に忙しい大日本帝国には、そのような余力など最早残されていない。

 つまり、中部太平洋に来てくれないと困るのだ。

 そして、日本が望む中部太平洋侵攻作戦を主張しているのは主に合衆国海軍であり、日本が望まぬフィリピン奪回作戦を主張しているのは主に合衆国陸軍である。

 その点から見ると、ニューブリテン島やニューギニア島で陸戦隊が頑張れば頑張る程、これを掃討出来ない合衆国陸軍の立場は弱くなり、フィリピン奪回作戦が実行される確率も低くなる。

 無論、どの程度の効果があるのかは分からない。

 しかし、やれる事は全てやっておかねばならないのである。


 「……危ない橋でも、渡らなければ今立っている所が崩れるということですか?」

 「そう。虫の良い話かもしれんが、状況的にこの戦争を敗れることなく切り抜けるには、とにかく米国の目を中部太平洋に向けさせ続けねばならん。我が国の国力がもっと強大であれば、君達の手を煩わせるまでもないのだがね」

 口を開いた宮野と、見じろきもしない大谷の方に視線を向け、草賀は司令長官の割には妙に申し訳なさそうに言った。

 ……要するに、ニューブリテン島にしろニューニギニア島にしろ、普通に占領してしまえば別に悩むこともないし、しようと思えば出来なくもない。

 ところが、占領した後にそれを維持出来るのかと言えば、迎撃第一である軍の体質的に甚だ疑問である。というのが、帝国陸海軍上層部の共通認識であった。

 それに、例えばラバウルを占領してトラックが空襲の脅威から脱しても、その代わりにラバウルが空襲の脅威に脅かされるだけで、何の意味も無いのである。

 「結局のところ、今日現在において我が帝国海軍は、戦局を何か打開する方策を何一つ持ってはおらん。米国に関する限り、彼等が太平洋艦隊を再建して攻めてきてくれない限り、どうしようも無いからな」

 「我が帝国海軍は根本的に、敵地へ侵攻する力を持ってはおらん。あくまでも、迎撃が第一という思想だからな。米国という大国を相手にする以上、迎撃重視は一見合理的な戦略に見えるが、同時にこちらのあてが外れた場合には、我が帝国海軍は何も出来ないということでもある。これより先、受け身一辺倒になる帝国海軍の中で、唯一能動的な部隊が君達だ。君達の活躍には大いに期待しているぞ」

 草賀と中原の対照的な発言……消極的な意見と積極的な意見を続けて聞かされた宮野と大谷は、二人の微妙な相性と自らの将来に淡い不安を覚えつつ、ただ黙って敬礼する他になかった。

 逆らうことなど、出来るはずが無いのである。


 広大な戦域の中で文字通り最も前線らしいトラックには、必然的に帝国海軍の精鋭が集められている。

 対重爆撃機戦闘の中心的存在である帝国海軍の主力局地戦闘機“紫電二一型”。

 紫電が要撃機としての任務に集中出来るよう、戦闘空域の制空を担当する零式艦上戦闘機六三型及び新鋭艦上戦闘機の“烈風一一型”。

 機動力は低いが、良好な高高度性能と大火力が自慢の双発陸上戦闘機“月光三二型”。

 月光の後継機になるつもりは無かったのだが、改造によりそうなりつつある陸上戦闘爆撃機“天風二一型”。

 夜間空襲迎撃専門の夜間戦闘機“月光二二型”。

 さらには、“烈風三二型”といった新鋭機も来月中には配備される予定であり、紫電の後継機の開発も順調に進んでいるという。

 ラバウルからの攻撃に対するトラックの防空体制は、戦闘機の充実により非常に強固なものとなっている。

 しかし、戦闘機による迎撃は所詮対症療法に過ぎない。

 米軍のトラックに対する爆撃も、相手がそれ相応の迎撃能力を持ち続けている以上、それだけで勝敗がつくことはありえない。

 また、大日本帝国はこれ以上先に侵攻する能力を持っていないし、アメリカ合衆国はその手段を持っていない。

 つまるところ、“太平洋艦隊の再建”と“侵攻ルートの変更”という、戦局を大きく打開する鍵を握っているのは米軍であり、日本に出来ることはあまりない。

 そして米軍もまた、その鍵で扉を開ける段階にはきておらず、太平洋戦線は正に硬直の様相を呈していた。



 第四一話から第四三話まで加筆訂正です。

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