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異説 太平洋戦記  作者: 水谷祐介
第一五章 帝国、次なる決戦へ
95/113

九五 新旧艦上戦闘機対決

 艦上戦闘機“烈風”。

 架空戦記においてあまりに有名過ぎる機体であり、一方で実戦投入される前に終戦を迎え、試験データも微妙なものであるためか、作品毎に実に多種多様な姿を見せる機体でもあります。

 ある作品では史実通りの姿でその全力を発揮したり、ある作品では明らかにふざけた性能を発揮したり……

 さて、第八七話の最後にちょっと出てきただけで、その後……作者の脱線により……沈黙? していた拙作の烈風ですが、ようやく烈風を主役に据えた話を書くことが出来ました。

 読者の皆様は、拙作の烈風からどのような印象を持たれるのか。不安ではありますが、大変興味深いところです。


 雲一つ無い、どこまでも澄み渡る青い大空。

 太陽の光は何物にも妨げられることなく、爽やかに大地に降り注いでいる。

 西の方角に視線を転じれば、滑らかに形成された山肌に真っ白な雪を纏い、実際の様子はともかくとして遠目に見る者を魅了する帝国の霊峰、富士山の姿が飛び込んでくる。

 ただし、季節は冬である。

 シベリア方面を発生源とし、北陸地方で水分を絞り落とした冷たく乾いた季節風は、何の遠慮も無しに容赦無く吹き抜けてゆく。


 一九四三年二月一日、午前一〇時過ぎ。

 神奈川県高座郡大和村及び渋谷村、綾瀬村にまたがり、決して厚木町とは関係があるわけでは無いにも関わらず“厚木”を名乗っている“帝国海軍厚木飛行場”の司令部庁舎の屋上に、軍服の上に厚手の外套を纏い、襟を立てつつ頭上を見上げる一団がいた。

 「……どうやら、見る限り期待通りの性能のようだね」

 「えぇ、とりあえずは安心ですな」

 帝国海軍第二艦隊司令長官の小澤治三郎海軍中将がつぶやくように言うと、彼の隣に立つ第一一航空艦隊司令長官の山口多聞海軍中将は必要以上に白い吐息を吐きながらそう応えた。

 「南東方艦を通じての一航艦の報告書を読む限り、少なくとも一一型は初期不良を補って余りある戦果をあげているようだが、この分だと二一型も初期不良を割り引いても、特に問題無いということか」

 第六艦隊司令長官の角田覚治海軍中将がその報告書を手にしながら言うと、彼等の背後に控えていた帝国総合航空本部の部員が唐突に口を開いた。

 「ただいまより模擬空戦に入ります」

 この言葉を受けるやいなや、居並ぶ海軍士官達は半ば反射的に双眼鏡を掴んで、これを覗き込みつつ上空に向ける。

 いくつものレンズの先には、彼等が良く見慣れた単発の戦闘機が一機と、それに似ているが微妙に機体形状の異なる単発の戦闘機が四機ずつ大空を舞っているが、その中の二機がエンジンのスロットルをフルに開いたのか、それぞれ華麗かつ俊敏な機動で戦闘態勢に入っていった。



 「落ち着け。平常心だ」

 艦載航空隊の編成変更にともない、第六四一海軍航空隊先任飛行隊長の任に就いた志賀淑雄海軍少佐は、正面から迫って来る小さな点を分厚い風防越しに見つめつつ、左耳に掛けられた近距離無線機用マイクを頭上に押し上げながらそう言った。

 次いで志賀は、完成して間もない帝国海軍の新鋭艦上戦闘機である“烈風”の、艦上機としての先行量産型である“二一型”の真新しい操縦席にズラリと並ぶ計器類に、サッと目を通して異常が無いことを確認する。

 そうこうする間に、見るからにスマートな機影を持つ帝国海軍の主力艦上戦闘機、“零式艦上戦闘機”の最終量産型となる“五二型乙”の姿が目の前に迫り、志賀は咄嗟にエンジン出力を絞って操縦桿を左に思いっきり倒した。

 間髪入れずに機体は鋭く進行方向半時計回りに横転を始め、丁度背面飛行になったところでその真上、志賀から見れば足下を零戦が勢い良く駆け抜けて行く。

 零戦とすれ違った後も機体はそのまま横転を続け、主翼の右端が真下を向いたところで志賀は操縦桿を手前に引いた。

 横転を止めた機体は流れるように垂直旋回を始め、進行方向が一八〇度逆を向いたところで志賀は機体を水平に戻すと共にスロットルレバーを押し込み、機首の“誉一一型”エンジンに離昇出力一九〇〇馬力の咆哮を雄々しく上げさせた。

 (やっぱり新型エンジンに上質な油は勢いが違うな)

 バリクパパンやパレンバンといった南方の油田地帯と、日本本土との間を行き来するタンカーは、合衆国海軍の潜水艦に最も狙われやすい船の一つだが、現状では帝国海軍第二護衛艦隊の活躍もあって被害はほとんど出ていない。

 その恩恵を受ける形で、中島飛行機が開発したこの小型高出力エンジンを、スペック通り快調に動かすために必須となるハイオクガソリンと高級オイルに、事欠かないが故の素晴らしい加速に堪えながら、志賀は前を行く零戦の後を追う。

 そして照準器の中心に零戦を捉え、これを有効射程内に収めるべくひたすら距離を詰め、安全装置が入っている発射把柄に軽く指をかけ……ようとしたとき、まるで撃たれることを察知したかのように、まさに的確なタイミングで零戦は左の水平旋回をかけ、瞬時に照準器の環の中から姿を消してしまった。

 「流石はシゲさん。分かってらっしゃる」

 左のフットバーを踏み込むと同時に操縦桿を左に倒し、寸でのところで回避行動に移った零戦を追いかけながら、志賀は思わずそうつぶやいた。


 零戦の後継機として、後の泰山である一三試陸上攻撃機や一〇〇式司令部偵察機の開発担当者を除いた、三菱重工業が抱えるほぼ全ての航空技師を動員し、堀越二郎技師を責任者に据えて開発された烈風であるが、その開発の過程には様々な苦労や意想外の出来事が多発していた。

 ……当初は一五試艦上戦闘機と呼ばれていた烈風の開発命令が、三菱に下った昭和一五年、すなわち一九四〇年の二月という時期は、ちょうど零戦が満中戦争に於いて実戦デビューを果たした時期と重なったため、堀越以下三菱の技師達は烈風の開発をしつつ、零戦の初期不良の改善と戦訓を基にした改造型の開発もしなければならないという悲劇に直面した。

 そんな明らかな人手不足に悩もうとしていた三菱に、救いの手を差し伸べたのが、当時はまだ存在していた帝国陸軍航空本部であった。

 前述のように、限りある予算の節約に忙しかった帝国陸軍は、満中戦争の戦訓をも参考に帝国海軍との機種の統合を決定したのだが、陸海軍のパワーバランスの問題から、“海軍機を陸軍仕様に改める”という形式をとらざるを得なかった。

 そのため、あまり帝国海軍と縁の無い川崎航空機や立川航空機に、軍用機の開発命令が下る可能性がかなり減ることになった。

 そして、この事実に気付いた当時の陸軍航空本部長の山下奉文陸軍中将の鶴の一声により、キ45やキ60の開発中止で手持ちぶさたになった土井武夫以下川崎航空機の技師の一部を、帝国陸軍は強引に一時的だが三菱へ出向させたのである。

 山下にすれば、人手不足解消のために良かれと思ってやったのであろうが、突然押し付けられた現場からすればただのありがた迷惑でしかなかった。

 頭数を揃えたところで作業が早まるとは限らないし、設計思想の違いから最悪の場合効率が悪化するかもしれないのである。

 しかし結論を言えば、大方の予想を裏切ってこの陸軍航空本部の独断は上手くいった。

 その主な要因を挙げるなら、堀越が己の“作品”である零戦にある意味絶対の自信を持っていたことと、堀越と土井が東京帝国大学工学部航空工学科の同期生であったため、お互いの設計思想をある程度理解していたことだろう。


 さて、軍用機の場合は特にそうであろうが、“後継機”という言葉の裏の意味の一つには“先代よりも優れた機体”というものがある。

 だが堀越は零戦に絶対の自信を持っていたが故に、零戦のセールスポイントである格闘戦で、零戦に勝てる戦闘機を設計する自信を持てずにいた。

 しかもこの直後、中島飛行機製で当時はまだ一三試局地戦闘機と呼ばれていた後の局地戦闘機“雷電”(一式単座戦闘機“鍾馗”)との模擬空戦に於いて、相手が一撃離脱戦法に固執した場合、零戦は一三試局戦に勝てないという報告がなされ、堀越の自信はさらに揺らいでしまった。……ちなみに、川西航空機と城北航空機の共同開発機で、格闘戦にもある程度対応可能な紫電との模擬空戦に於いては、水平面での格闘戦に持ち込まない限り勝つのは困難。搭乗員の技量によっては水平面での格闘戦でも負ける。との報告まで挙っている。

 “零戦一一型と一三試局戦の模擬空戦の報告書”と“満中戦争に於ける戦訓”を手元にした堀越は、機体に速力と上昇力に優れた機動性を持たせるために、防御力や急降下性能に直結する機体強度を犠牲にした自信作を、自信作のままに留めておくために、格闘戦専門機として作った零戦の改良型、つまり一撃離脱戦法にもある程度耐えられるように、機体を強化したタイプを早急に完成させる必要に迫られた。

 結果的に、太平洋戦争勃発時に実戦配備されていた“零式艦上戦闘機五二型甲”及び“一〇〇式戦闘機隼三型”は、急降下制限速度が時速七二〇キロとされた機体強度と、七,七ミリ機銃弾なら何とかなる装甲板や防弾ガラス、防弾燃料タンクを備え、一方で機動性の低下を最小限に抑えたため、他機の追随を許さない運動性能と微妙な硬さから“太平洋戦争の緒戦における最強の戦闘機”の称号を戦後になってから受けることになる。

 とは言え、こんなことをしながら果たして烈風の開発が出来るのか。といえば、無理である。

 無論、烈風の設計責任者は堀越であるから、時折そちらの方に顔を出すことはあったが、基本的に零戦のことで手一杯だったため手を出すことは滅多に無く、責任だけは自分がとるという形で設計の実務は代理の人間にほとんど任せていた。

 そしてその代理の人間は、誰あろう土井武夫であった。


 「自動空戦フラップか。格闘戦にそこまでこだわる理由が分からんが、ともかく厄介だな」

 零戦を操って志賀の操る烈風と模擬空戦を繰り広げながら、その零戦に乗っている板谷茂海軍少佐は、バックミラーに存外早く写った烈風の姿を見るとそうつぶやいた。

 ちなみに板谷は、今月中に進水式が行われる予定の帝国海軍の新鋭大型航空母艦……『神鷹』『海鷹』……の艦載航空隊として、第一一航空艦隊隷下に新編された第六二七海軍航空隊の先任飛行隊長であり、新人や陸軍出身者も多い六二七空を第一線で戦える部隊に育成するうえでの、実質的な責任者であり当分は教官としての側面の方がいくらか大きい。

 だが海軍兵学校第五七期を首席で卒業し、一方で海軍大学校には進まず現場の戦闘機乗りでいることを選んだ板谷は、満中戦争で初陣を飾り、太平洋戦争では自身が参加した全ての海戦において、第一次攻撃隊制空隊長として先頭を切って敵艦隊の直衛戦闘機に挑んできた経歴を持つ。

 「まったく、山口長官も人が悪い。よりにもよって俺と志賀を選ぶとは」

 そして慣れ親しんだ零戦の機体は、自らの手足のように思った通りに動かせる自信がある。

 何より、相手の志賀も板谷に劣らぬ戦歴を誇る戦闘機乗りであり、南太平洋海戦における活躍ぶりは特筆に値すると言われ、お互いに異動するまでは“二艦隊の板谷、六艦隊の志賀”と呼ばれていたまさにライバルでもある。

 最初の内は、新鋭機である烈風を、従来機である零戦で負かすことに何となく気が引けていたが、こうなってはもう関係が無い。

 地上で観ている士官や技師達には悪いが、この勝負、勝ちにいかせてもらう。

 再び距離を詰めてきた烈風を零戦得意の左の急旋回でかわしながら、板谷はまったく唐突に、しかし強く決心していた。

 「……問題は、奴が妙にすばしっこいことだな」


 帝国陸軍の思いつきで、一時的に三菱重工業の航空技師となり、事実上の烈風の設計責任者になってしまった土井であったが、堀越はそんな彼に設計を任せつつ、一つだけ注文をつけていた。

 曰く「格闘戦で零戦に勝てなくとも、総合能力で一四試局戦に勝てる機体にしてくれ」

 ……もっとも、実際の所これは堀越の意向というより三菱重工業という会社の意向だった。

 まだ太平洋戦争は始まっていないが、欧州ではすでに大戦が勃発し、日本も満中戦争に参戦した過程で総力戦体制……もどき……に国家の舵を切っていた時期だ。

 軍需会社としては、不謹慎ながらまさにチャンス。軍用機の大量受注はそのまま会社の発展に繋がるからだ。

 しかしである。陸軍航空隊と海軍航空隊の機種共有化により、開発機種数は単純計算で半分となり、おまけに資源の効率使用の名目のもと、複数社による競合開発方式から一社による単独開発方式に移行したため、一社あたりの開発機種はさらに減少することになった。

 もっともこれは、軍の要求を満たせばほぼ確実に採用されるということを意味していたが、烈風に関しては例外的に、“一四試局地戦闘機”という競合機種がいたのである。

 具体的に、一九四〇年三月時点における主な試作機とその開発担当会社を並べてみると、以下のようになる。

 ・一五試艦上戦闘機(艦上戦闘機“烈風”)……三菱重工業。

 ・一三試局地戦闘機(局地戦闘機“雷電”及び一式単座戦闘機“鍾馗”)……中島飛行機。

 ・一四試局地戦闘機(局地戦闘機“紫電”)……川西航空機及び城北航空機の共同開発。

 ・一二試双発陸上戦闘機(双発陸上戦闘機“月光”及び一式複座戦闘機“屠龍”)……城北航空機。

 ・一五試双発陸上戦闘機(陸上戦闘爆撃機“天風”)……中島飛行機。

 ・一四試水上戦闘機(水上戦闘機“強風”)……川西航空機。

 ・一三試艦上爆撃機(艦上爆撃機“彗星”及び一式襲撃機“海龍”)……帝国海軍航空技術廠。

 ・一五試艦上爆撃機(艦上爆撃機“流星”)……愛知航空機。

 ・一三試陸上攻撃機(陸上攻撃機“泰山”及び一式重爆撃機“呑龍”)……三菱重工業。

 ・一二試三座水上偵察機(零式水上偵察機)……愛知航空機。

 ・一三試大型飛行艇(一式大型飛行艇)……川西航空機。

 ……一見する限り、烈風の対抗馬の姿は見当たらないが、それでも三菱が一四試局地戦闘機を対抗馬と認識した理由は、彼等がどこからか入手した開発指示書とその開発時期であった。

 一般に一四試局戦の開発命令が下った理由は、艦隊決戦時の制空権確保のために帝国海軍が川西航空機に開発を指示した、一四試水上戦闘機の陸上機化を川西が逆提案したことによる。

 そして海軍がそれに興味を示しつつも、一四試水戦の開発遅延を懸念し城北航空機との共同開発を条件に認めた。ということになっている。

 要するに、事実には違いないが、別に理由が存在するわけだ。

 一つは、水上機メーカーというイメージを払拭し、大量受注が望める局地戦闘機の開発に成功すれば、社の興隆に繋がるという川西の打算。

 一つは、帝国海軍が最重要機種と認識していた艦上戦闘機である一五試艦上戦闘機の、開発失敗に備えてのバックアップ機の確保。である。

 とは言え、本来は部外者である土井にすれば、三菱のお偉方の過剰反応にしか見えなかったのだが、一時期に似たような機種を並行開発するのはやはり妙であるし、一四試局戦の開発指示書に“艦上機化も考慮すること”との文句がある以上、嘘ではないことは確かだった。

 そこで土井は、いまいち正体のはっきりしないライバルに勝つため、部外者ならではの返答を堀越に返した。

 「俺の名誉にかけて、一四試局戦にも勝てる最良の戦闘機を設計しよう。ただし、一つ条件がある。城北航空機が開発した自動空戦フラップ。あれをな、こっちでも使えるよう手配してくれ」

 まったく無遠慮にそう言った土井の顔を、絶句した堀越はしばらく凝視していたが、やがてゆっくりと、めまぐるしく活動していた脳細胞のそれとは対照的に、ぎこちなくうなづいたという。

 ……当たり前だが、「ライバル機を作っている会社の特許技術を利用したい」という堀越の報告を受けた三菱のお偉方は、この注文を撥ね付け、全力で無視しようとした。

 そして実際に、無視を決め込んだ。

 が、無視する範囲が無駄に広すぎた。

 ばつの悪そうな顔付きの堀越に上層部の方針を伝えられると、そこは部外者。土井は堀越には何も言わず、そのまま単身陸軍航空本部長公室に出向き、山下に直訴するという荒業に打って出たのである。

 陸軍航空本部長とは言え、航空力学などさっぱり分からない山下は、そうと知りながら自動空戦フラップの必要性を、航空力学の観点からのみ捲し立てるように説明する土井の勢いに完全に呑まれてしまい、ふと気が付くと土井と共に海軍航空本部を訪れていた。

 当時、というより最後の海軍航空本部長となる豊田貞次郎海軍中将は、この突然の訪問に面喰らった様を呈していたが、結局彼もまた、複雑な力学や高等数学の知識を要する砲弾の弾道計算は出来ても航空力学は専門外であり、土井の主張は三菱のお偉方が目を逸らしている内に軍の方針となり、彼等がはたと気が付いたときには、逆らうことの許されない“命令”が下っていたのだった。


 「いつまでも急旋回でかわせるかと思ったら大間違いですぜ、シゲさん」

 志賀の操る烈風が板谷の操る零戦の後方から迫り、烈風が両翼に四挺装備した二式二〇ミリ機銃の射程に零戦を収める寸前に、左の急旋回をかけた零戦が際どいタイミングでこれをかわす。という機動は、模擬空戦が始まって以来三回も続けられており、今四回目を行うべく零戦が機体を左に傾け、流れるように速度を殺しながら急旋回を始める。

 しかし何分、四回目である。

 板谷の操縦術は名人の域に充分達しているが、彼と同じく名人の域に達している志賀にすれば、目に焼き付けた相手の機動の先回りをすることなど造作も無い。

 板谷が左の急旋回をかけるのとまったく同時に、志賀もまた左の急旋回をかけて零戦を追いかけ続ける。

 対一二,七ミリ弾用の防弾フロントガラスに背面防弾板を操縦席に配し、操縦席の下の部分やエンジン周辺部、燃料タンクにも適度な装甲板を張り付け、さらには自動消火装置まで取り付けた烈風の機体は、優れた強度や防御力と共に重量をも背負ってしまったが、軍命令で取り付けられた自動空戦フラップは、その状況に応じて最適な角度でフラップを引き出し、機体はその性能表からは想像もつかない軌跡を描いていく。

 「……ただし、あまり多用も出来ない、ようだな」

 零戦に迫る旋回半径を烈風に与える過程で、自動空戦フラップは機体の速度を殺してしまい、機体に余計な負荷をかける。

 比較的低速で格闘戦を演じているならともかく、敵機が上にいる状況で不用意に使おうものなら即撃墜されるだろう。

 「つまるところ、アメちゃんが零戦並の機動性を持つ機体を作らんことには、緊急回避以外に使い道はなさそうだな」

 もっとも、今回は別だがな。志賀は最後にそう小声でつぶやくと、死んでしまった速度を生き返らせるべく、スロットルレバーを押し込んだ。


 ……そもそも、キ60といった一撃離脱に適した戦闘機を設計していた土井が自動空戦フラップの導入を主張した理由は、“一四試局戦に……”という自分達の事を第一に考えた三菱の注文と、どこか零戦を引きずっているのか格闘戦にこだわりがちな堀越の信頼に応えるために他ならない。

 つまりそんなことを言われない限り、こんなものを付ける気は一切無かったのである。

 ただ単に零戦のような小さな旋回半径を得たいなら、機体を軽くして主翼面積を大きくする、すなわち翼面荷重……弾薬や燃料分等を含めた機体の総重量を主翼面積で割った値。単位はキログラム毎平方メートル……を小さくして揚力を受けやすくしてしまえば済む話だが、それでは“零戦の改良型”で終わってしまう。

 土井が目指した戦闘機は、どことなくキ60の流れを汲んだ高速重武装重防御の重戦闘機なのである。水平面に於ける格闘性能、少なくとも旋回半径の長短など彼に言わせれば二の次でしかなかったのだ。


 「奴に勝つことを優先するなら、水平面の格闘戦に持ち込むのが最良だと思っていたが、よくよく考えると無意味だな」

 自身の動きをほぼ完全に予測されたことを、バックミラーに写る烈風の機動を見つめながら認めた板谷は、当初考えていた作戦が通用しそうもないことをひしひしと感じていた。

 模擬空戦前に見た烈風の性能表によれば、烈風二一型の翼面荷重値はおよそ一六八キログラム毎平方メートル。零戦五二型乙の一三七キログラム毎平方メートルのそれに比べ遥かに大きな値であり、もし帝国海軍が空母用カタパルトを開発していなかったら、滑走距離の短い小型空母での烈風の運用は、揚力不足からかなり難しいものになったであろう。

 ところが、烈風に取り付けられた自動空戦フラップは、翼面荷重値の違いからくる旋回半径の大きさを、まったく同じとまではいかなくともかなり近いものとしている。

 それに、たとえ水平面の格闘戦を制して烈風の背後をとったとしても、零戦は烈風より低速であり急降下性能でも劣っている。容易に振り切られることは自明の理である。

 「とりあえず、俺の後ろから離れてもらおうか」

 板谷はバックミラーに写る烈風に一声かけると、操縦桿を目一杯手前に引いた。

 水平尾翼の後縁にある昇降舵が瞬時に跳ね上がり、零戦は機首を上向けて急上昇に移った。

 とは言え、ただでさえ烈風は零戦の倍近いエンジン出力を持っているうえに、機体を小型化することによって軽量化に努めた機体であるから、上昇性能でも零戦の上をいく。

 もちろん板谷も承知のことであり、F4Fワイルドキャット相手には通用するこの方法で、後ろの烈風を引き離せるとは思っていない。

 あたかも宙返りに入るような軌跡を描きながら、板谷は限界まで機首を持ち上つつ上昇を続け、バックミラー内の烈風が似たような軌跡を描いていることを確認するやいなや、スロットルレバーを手前に引いて操縦桿を左に倒し、次いで右のフットバーをゆっくり踏み込んだ。

 すでに零戦は失速を起こしかけて主翼が振動していたが、エンジン出力が落とされたことによって完全に失速し、揚力を失って機体姿勢を大きく崩した。

 板谷はしかし、慌てることなく操縦桿とフットバーを巧みに操作して失速した機体の機首を綺麗に真下に向け、迫り来る烈風の機首が目の前にきた瞬間、操縦桿とスロットルレバーを押し込むと、栄三二型エンジンが離昇出力一一九〇馬力の咆哮を上げ、失速反転の結果真下を向いた機体は勢い良く急降下を始めた。

 そのまま烈風とすれ違い、速度計の目盛りが毎時七〇〇キロメートルを指した途端、板谷は機体を水平にするべくエンジン出力を絞って引き起こしをかけた。

 急降下制限速度目前の機体は悲鳴のような不気味な軋みを生じ、板谷の身体をこれでもかと操縦席に押し付ける。

 猛烈なGに堪えながら、機体を水平にした板谷は高度計の目盛りが一五〇〇メートルを指していることを確認すると、反射的に後方に視線を走らせて烈風の姿を探した。

 「……奴の高度はこっちより、一〇〇〇メートルは上だな。距離は五〇〇、針路は同じ」

 そして左後ろ上方に素早く烈風を見つけ出すと、板谷は新たな作戦を練るべく頭を回し始めた。

 回しながらも、身体は無意識に機体の速度を上げて高度を稼ぐべく動いている。

 「……とにかく奴の隙をつくしかないな。願わくば、せめて同高度になるまで仕掛けないでくれることかな」

 結局、海兵五七期首席卒業の頭脳をもってしても、明確な対処法を思い付けなかった板谷は、とりあえず距離を置いたまま高度をとることに専念した。

 彼にとってはある意味幸運なことに、そして一般的に見れば不審なことに、烈風が仕掛けてくることはなぜかなく、板谷は右上方を凝視しながら穏やかに高度を上げることに成功しつつあった。

 だが、零戦の高度が二五〇〇メートルに迫った辺りで事態は動いた。

 零戦より少しばかり上方を、水平面での直線距離にして二〇〇メートル離れて平行に飛んでいた烈風が、突然機体を傾けて左旋回を始めたのである。

 「行く手を塞ぐ気か?」

 烈風の目的をそのように読んだ板谷は、回避するタイミングを見極めべく、より強く烈風を見つめ操縦桿を握った……が。

 「何っ!?」

 板谷が予測した烈風の動き。それは高速を利して左横やや後方を飛ぶ零戦の未来位置に機首を向け、零戦が烈風の放つ火箭に自ら飛び込むように仕組む……というものだった。

 ところが、烈風の軌跡は板谷の予測通りであったが、機動は予測を遥かに越えた俊敏なものであり、彼は必死で操縦桿を右に倒し、右の横転で回避を試みたが、烈風の主翼の付け根に取り付けられた写真銃に、見事激写された可能性大であった。

 「やられたか? ……それにしても想像以上の速さだな」

 烈風が速いことはすでに分かっている。

 しかしその旋回率、すなわち旋回に要する時間を板谷は完全に読み違えていたのである。

 「翼幅荷重を抑えるように設計された戦闘機か……やるじゃないか」

 搭乗員の技量が拮抗している以上、機体性能で劣る零戦の不利は動かない。

 しかし、地上から何か言われるか燃料が切れない限り、諦めはしない。

 不敵な笑みを浮かべながらそう決心した板谷は、操縦桿をゆっくりと倒した。


 翼幅荷重。すなわち、機体の総重量を主翼の横幅の長さで割った値……単位はキログラム毎メートル……は、基本的に低い程、言い換えれば機体が軽く翼幅が大きい程その機体の旋回率を高めると言われている。

 その理由を簡単に説明すると、翼幅が長い分だけ機体を横転させる際に使うエルロン……フラップの外側にある主翼後縁の動翼……を機体の重心から離すことが出来、モーメントの原理からその分エルロンの効きが良くなる。

 と言うことは、エルロンの効きが良い分だけその面積を小さくすることが出来、その結果エルロンが生んでしまう空気抵抗を抑えることが出来る。

 航空機が旋回する際、垂直尾翼後縁の動翼であるラダーを左右に動かすだけでは旋回出来ず……進行方向に向かって斜めになるだけ。もっとも僅かに旋回するにはする……旋回したい側に機体を傾ける必要がある。

 そうすると必然的に展開されるエルロンは空気抵抗を発生させるが、これを小さくすれば旋回時の空気抵抗は抑えられる。

 つまり、低速時における格闘性能を追求した零戦と異なり、烈風はあくまでも高速の重戦闘機として開発されたため、エルロンの面積を零戦に比べて小さくとることにより、低速時の機動性の多少の低下と引き換えに、高速での旋回を可能としているのだ。

 零戦の場合、エルロンを大きめに作ったため低速時の反応は抜群であったが、高速時にはその大きさ故に強烈な風圧を受けてしまい、搭乗員の腕力によっては操縦桿を渾身の力で押しても、エルロンがピクリともしないという事態が平気で発生していたのだが、低速時の格闘性能に大して興味の無い土井は、高い横転性能と速い旋回速度を第一に烈風を設計したというわけだ。

 ……そのため烈風は、油圧によって主翼を折り畳むとその全幅は七,六メートルになるが、主翼を展開すると艦上戦闘機のくせして一四,三メートルにも達する。

 とは言え、主翼を大きくして重くなっては元も子もないため、烈風の主翼は零戦と比べ変に細長い。

 栄エンジンとほぼ同サイズの誉エンジンを積み、また零戦に準じた胴体設計を採用し軽量化のため全長は約九,三メートルに抑えられているせいで、真横から見ると零戦そっくりなのだが、真上から見ると零戦とは似ても似つかぬ姿を露呈するのだ。


 「さてさて、どうしますかシゲさん?」

 当初は、自動空戦フラップを駆使して零戦の動きに追従していた志賀であったが、零戦との距離が開いた時点で方針を転換。烈風の長所を彼なりに最大限生かした戦い方を選択した。

 この決断は図に当たり、烈風の高い旋回率に意表を衝かれ回避行動の遅れた零戦を、志賀は過たず右の主翼の付け根に固定された写真銃で撮影したという自信を持っていた。

 これがもし実戦なら、零戦は面前に放たれた四本の火箭に飛び込み、炸薬が仕込まれた直径二〇ミリの弾丸によって粉砕されていたであろう。

 しかし、地上からの指令は何も無い。

 上空を見上げる形で空戦を見ている長官方には、烈風が零戦を確実に撃墜出来る位置をとったようには見えなかったのもしれないが、続けろと言うなら断る理由はどこにも無い。

 このまま空戦を続け、今度は左の主翼の付け根に固定された写真銃で零戦を撮影するのみだ。

 志賀はエンジン出力を絞ると操縦桿を前に押し込み、機体が垂直降下の姿勢に入ってからも押し込み続け、背面になったところで左横転をかけて機体の姿勢を水平に戻した。

 自機よりも低高度を、自機と反対方向に飛ぶ敵機を追うための空中機動、いわゆるスプリットSである。

 志賀は反射的に視線を走らせて零戦の所在を突き止めると、素早く自機との位置関係を数値化して弾き出す。

 「距離六〇〇メートル。高度針路とも同一」

 本来なら、速力差を生かして後ろに食い付くところだが、一対一という都合上、しかも相手が水平面の旋回性能に優れた零戦である以上、そのような正攻法はあまり有効でないことはすでに試して分かっている。

 空戦の基本は、相手を回避不能の状況に追い込か不意を衝くことだ。……相手がこちらを撃てない状態での話であるが。

 そこで志賀はとりあえず、位置エネルギーを稼ぐべく上昇に移った。

 おそらくは回避されるであろうが、上空からの一撃という基本形に立ち返ろうというわけだ。

 すると、彼我の直線距離が二〇〇メートルを切ったあたりで、零戦が突然機首を上向けて急上昇に入った。

 零戦は烈風に上昇性能においても劣っているから、板谷の目論見は急上昇による離脱でも、垂直面における格闘戦でも無いことは明白だ。

 「……また失速反転か? シゲさんが同じ事を繰り返すとは思えんが」

 志賀は零戦の動きに疑問を抱きつつも、無視するわけにもいかないので慎重にその後を追ったが、あえて加速して零戦を射程に収めようとはしなかった。

 例えそうしても、相手から見れば見えすいた動きであるから容易く回避されるだろうし、豊富な実戦経験に裏打ちされた志賀の第六感は、不用意に仕掛けることを危険と判断していたのだ。

 ……結局、と言うか何と言うか、日の丸を主翼と胴体に描いた二機の戦闘機は、お互いの距離を保ったまま三分間に渡って上昇を続けた。

 この不可解な動きに、地上で観戦している者達はもちろんのこと、当事者の一人である志賀までもが何とも言えぬ違和感を覚えた頃、一定値を保っていた二機間の距離が不意に縮まった。

 その原因は、事態の打開を図るため、前を行く零戦に合わせていた上昇速度を、志賀が上げた訳ではない。

 零戦が自分から速度を落としたのである。

 ここで志賀は……後々何度も思い出しては悔しがったが……つい距離を維持するため、スロットルレバーを無造作に引いてしまった。それも上昇中に、である。

 当然のことながら烈風の速度は急激に低下し、志賀がはたと気が付いたときには、速度計の目盛りが失速限界速度を越えようとしていた。

 このままいけば、機体は揚力を失って墜落する。しかも烈風は零戦より翼面荷重値が高いため、先に一人だけで、である。

 慌てた志賀は……後々何度も思い出しては、なぜ操縦桿を押さなかったのかと後悔したが……速度を回復するためスロットルレバーを押し込んだ。

 いくぶん大人しくなっていた機首の誉一一型エンジンが再び咆哮を上げ、機体を力強く加速させていく。

 ところがその瞬間、志賀の視界から零戦がかき消えた。

 そして目の前での出来事に、志賀の思考回路が結論を出す余裕を与えるより先に、零戦は再び彼の目の前に飛び込んできた。

 ただし、目の前は目の前でも、機体の目の前ではなかった。

 「しまったっ!」

 志賀が全てを悟ってそう呻いたとき、失速寸前の状態で巧みに烈風の真下を潜り抜けた零戦は、早くも機体を翻して、烈風のバックミラーから優雅にその姿を消していた。

 無論、左右どちらの写真銃でもって、上昇及び加速中の烈風を撮影したうえでだ。

 「模擬空戦止め。両機とも着陸せよ」

 間髪入れずに、志賀の左耳に地上からの指令が響き、彼は得体の知れぬ脱力感を味わいながら、機体を水平に戻して機首を厚木飛行場に向けた。

 「参ったよ、シゲさん。あんたの勝ちだ」



 厚木飛行場の滑走路に、連続して着陸した板谷の零戦と志賀の烈風は、誘導に従って駐機場に機体を停められ、それぞれの搭乗員は風防を上げて機体から飛び降り、間髪入れずに踵を鳴らして敬礼した。

 いつの間にか駐機場に集合していた、連合艦隊司令長官の南雲忠一海軍大将……本日付けで昇進……以下、司令長官クラスの将官達がおうように答礼を返す。

 「模擬空戦、ご苦労だった。詳しい分析は後に回すとして、どうだね、烈風の感想は?」

 そんななか、まず口火を切ったのは航空機には疎いともっぱらの評判にされている南雲だった。

 「は、全てを把握出来たわけではありませんが、それでも素晴らしい戦闘機です。ほとんどの面において、太平洋で無敵を誇る零戦の、さらに上の性能を発揮出来ますし、安定性も横方向に微妙にぶれますが問題無いでしょう」

 まさかあんたに聞かれるとは思わなかった。という本心を胸の奥底にしまったうえで、志賀はハキハキとそう言った。

 「ふむ。連合艦隊司令長官としては、早速二一型を量産することを希望するが、その点はどうなっているかな?」

 志賀の簡潔な報告を聞き終えた南雲は、次いで後ろに立っている帝国総合航空本部長の井上成美海軍中将に声をかけた。

 「お言葉ですが、当面烈風の量産は三二型を重点的に行い、二一型は二〇〇機程度の生産に留めるというのが航本の方針です」

 井上から見れば、南雲は海軍兵学校の一期先輩にあたり、階級も一つ異なっている。

 一般的には敬うべき対称なのだが、わざとか無意識かはともかく井上は素っ気なく答えた。

 「失礼、まだお伝えしておりませんでした。理由をご説明申し上げますと、当分対機動部隊の戦闘が起こり得ない状況である以上、“敵のいない”機動部隊用の機体を作るより、“敵のいる”基地航空隊用の機体を作った方が効率が良いというわけです」

 “そんな話は聞いておらんぞ、どういうことだ”との文字が南雲の顔面に浮かんだのを見てとった井上は、今度はあからさまに、妙に恭しくそう言った。

 ちなみに“烈風三二型”とは、先行量産型として一〇〇機余りが生産された“烈風一一型”の改良型であり、航空母艦に搭載することは考慮されていない基地航空隊向けの機体だ。

 一月程前に、一個飛行隊の使用機種をこの一一型に切り換えて実戦投入された、第二一一海軍航空隊と第二五一海軍航空隊からの報告を元に機体の細部を手直しし、合わせてエンジンを離昇出力二〇〇〇馬力の“誉二一型”に換装。というのが主な変更点である。

 「そうかね……しかし残りの艦戦の更新はいつやるのかね?」

 航空本部は制度上、帝国総合作戦本部の外局としての立場であるため、実戦部隊に対する命令権こそ無いが、格の面では連合艦隊のそれよりも高く、方針についての報告義務も無い。

 だが南雲にすれば、不愉快なことこの上ない。

 「とりあえず、六〇一空と六四一空の零戦を烈風二一型に置き換え、データ収集に努めます。その他の母艦航空隊につきましては、データに基づいて改良したもの……例えば四二型とでも呼ばれる機体が完成し次第置き換る。ということになるかと思います」

 「ほう。そこまで決まっているなら私の出番はなさそうだな。新鋭艦爆の流星の観閲飛行を見たら、日吉に帰るとするか。なぁ参謀長」

 「……おい志賀、一体ありゃ何だ?」

 「そんな……知るわけないでしょう」

 「だよなぁ。しかし、お偉方も色々と大変だな」

 幸か不幸か、上官達の不気味な会話を目の当たりにした板谷と志賀は、回りに聞こえないようひそひそと言葉をかわしていた。

 いかにエースパイロットと言えども、一介の少佐に過ぎない二人に将官達の葛藤は分からない。

 だが、彼等は帝国海軍が抱えるある問題をこの時知った。

 要するに、“連合艦隊司令長官は海軍内で浮いている”ということである。

 「志賀少佐」

 「はッ、何でしょうか?」

 「模擬空戦前に、君に見せた烈風二一型の性能表の数値と、実際に君が測定した数値に、何か差異はあったかね?」

 何か別の話題が欲しかったのか、南雲は知らなかった航空本部の方針を、その表情からして知っていたであろう山口がおもむろに口を開く。

 「は、はい。六〇〇〇メートルまでの所要時間は六分一二秒、同高度における最大速度は六三四キロでした」

 「ふむ。公称数値とほとんど変わらんか。最前線でもそうあるよう、整備体制もよりいっそう整えねばなりませんな」

 「……我々が決めることではないだろうに」

 声色からして、明らかに不機嫌な南雲。

 それに対し、素知らぬふりをする井上。

 バツの悪そうな、そして戸惑った表情を浮かべる小澤以下艦隊司令長官達。

 困惑し、井上を気持ち睨んでいる連合艦隊の参謀達。

どうしたら良いのか分からずおろおろする航空本部の部員や艦隊の参謀達。

 「流星隊、離陸開始します」

 そんななか、場を支配する空気に戸惑いながら、航空本部の部員が新鋭艦上爆撃機の“流星一一型”が観閲飛行に入ったことを告げた。

 しかし板谷と志賀には、滑走路を走る流星の発する誉エンジンの爆音が、妙に虚しく聞こえて仕方がなかった。


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