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異説 太平洋戦記  作者: 水谷祐介
第一五章 帝国、次なる決戦へ
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九四 帝国陸軍・一九四三


 「……参謀本部を廃止する、だと?」

 一九四三年一月二〇日、午後一〇時。

 永田町に建つ陸軍省の大臣公室で、二日後に招集される衆議院本会議に備え、来年度予算案に関する資料を一人で整理していた陸軍大臣の畑俊六陸軍大将は、突然訪ねてきた参謀総長の多田駿陸軍大将の話を聞くなり、懐疑的な声色でそう言った。

 「どこからの情報だ?」

 「参謀本部総務課に勤務する某大尉からの情報です……一応、事実かどうか判別不能ですので本人の希望通り氏名は伏せさせて頂きます」

 「そんなことはどうでも良い。とにかく詳しく説明してみい」

 「はぁ……その大尉の幼なじみの一人に、立憲政友会所属の衆議院議員の秘書を務めている男がいるそうなのですが、その秘書曰く、軍部の効率化のために参謀本部及び軍令部を潰し、軍令機能を作戦本部に集約し実戦部隊の発言力を高める。といった話が影で進められているようです」

 「ほぉ……政友会も迂闊だなぁ。よりによって議員秘書から陸軍に洩れるとは」

 「閣下……お言葉ですが、議論すべきはその点ではないかと」

 物騒な事を考えている割に脇の甘いどこかの議員を笑った畑に対し、多田は少し拍子抜けしたように言った。

 「あぁ、すまん。だが参謀総長。もしその法案が帝国議会に提案されたところで、我々にはどうしようにもあるまい。政権転覆を二度も企てた我が陸軍に、議会や政府の意向に逆らう力は無いからなぁ」

 「海軍が反対すれば……どうでしょう?」

 「海軍か……これはあくまでもわしの個人的な見解として聞いてもらいたいのだが、おそらく海軍は反対せんだろう。なぜなら、堀総理は軍事関連の事柄については、どうも軍令部と仲の悪い山本代理に一任しておるからな」

 「つまり、山本代理が廃止に賛成すれば、総理はそれに反対なさらないと?」

 「うむ……少なくともさらなる権限縮小は避けられんな。廃止されずとも、今のようにわしと梅津や永田の間に君が挟まっている体制は打破されるかもしれんな……とにかくこの件、事実の真偽如何に関わらず絶対に洩らしてはいかんぞ」

 「分かっております。これ以上陸軍内に波風をたてるのは、賢明ではありませんからね」

 「そう。ただでさえこの予算案だからな」

 畑はそう言うと、手元の書類に視線を落として自嘲的な笑みを浮かべた。

 「あまり多くは貰えないとは思っておりましたがこれは……」

 「……何しろ、歩兵師団の増設要求が消え去ってしまっておるからな」

 「歩兵中心の混成旅団の新規編成もお蔵入りですからね……」

 「ああ……しかし現状では、確かに歩兵の増員は必要無い」

 「それで連中、おとなしく納得しますかね?」

 「するのならわしも君も、よっぽどついているということになるな。やれやれ、頭が痛いわい」


 畑と多田が当初のある意味どうでも良い話題を忘れ、来年度予算案について頭を抱えている最大の理由は、早い話が陸軍予算の減額にある。

 もっとも、“五・一五事件”という派手な汚点の存在から、陸軍航空隊がなす術もなく海軍に吸収されたため、その分の予算が無くなることは折り込み済みだ。

 やっかいなことは歩兵師団の増設案が、作戦本部の予算策定委員会において「不要不急である」とされ、あっさりと却下されたことなのだが、問題はそれだけにとどまらない。

 つまり、機械化に要する予算はともかく歩兵師団の数は現状維持であるにも関わらず、一方で機甲師団や高射砲師団、独立の砲兵部隊や工兵部隊、輜重兵部隊の新設や増員は全てではないものの認められ、彼等の装備品を揃えるための予算から新兵器開発の予算まで認められているのだ。


 さて、この“帝国陸軍歩兵科いじめ”というふうにとれなくもない予算案が策定された主因は、先の大戦以来大日本帝国が“海洋帝国”の道を歩んでいることにあるだろう。

 すなわち、欧州の列強が目の前の戦いで手一杯の隙をつく形で帝国が好景気に沸いた際、政府や大企業の上層部は以下の事実を悟ったのである。

 「帝国を囲む広大な海を最大限に使って貿易に励めば、反日勢力を討伐しながら大陸開発に励むよりよっぽど儲かる。しかし大戦が終結し、欧米列強が再び平時体制に復すれば貿易額は急減する」

 そして、ある程度の減少はともかく急減を防ぎ将来の増大の布石とするために、時の内閣総理大臣、立憲政友会総裁原敬は、時の大蔵大臣高橋是清と語らい、当時八八艦隊計画のために増大しつつあった海軍予算、ついでに陸軍予算もぶんどって、民間に対する“技術開発援助費”の設置や公共事業の増加を計画したのだ。

 「帝国発展の要は、欧米列強に勝る技術力を得ることにある」

 一九一六年一二月の帝国議会衆議院本会議の所信表明演説において、原が吐いたこの文句は後に日本史の教科書にも載る名台詞となるが、予算を削られると知った軍部の反対は当然のごとく沸き起こった。


 ちなみに、この物語の世界に“第三次桂太郎内閣”“寺内正毅内閣”“山本権兵衛内閣”といったものは存在しない。

 一九一一年に懸案の条約改正を成し遂げた“第二次桂太郎内閣”が総辞職し、後釜に“第二次西園寺公望内閣”が組織されたのだが、ここでいわゆる“二個師団増設問題”が発生した。

 ところが日露戦争の英雄、児玉源太郎が死の直前に発した「戦後不況から脱却するまで陸軍は拡大すべきではない」という半ば遺言を、同じく英雄の大山巌、奥保鞏といった面々が前面に出して陸軍を抑えたため、この増設要求は幻となった。

 が、これを快く思わない陸軍の真の実力者、山縣有朋は文字通り強引に陸軍大臣の上原勇作に辞表を提出させて“軍部大臣現役武官制”を盾に内閣を崩壊させ、自らに都合の良い内閣を組織しようと画策した。

 しかし、反山縣派が新聞社に流した上記の事実が憲法を得て二〇数年が経った民衆を激昂させ、“憲政擁護運動”と呼ばれる一大運動を巻き起こしたのだ。

 結果的に山縣は自らの政治生命を断ち切られ、不幸なことに崩壊してしまった“第二次西園寺公望内閣”の後は徳川一族の反対を押し切って成立した“徳川家達内閣”が継ぎ、そしてついに、一九一六年一〇月九日に日本の憲政史上初であり、戦時内閣である“米内光政内閣”成立まで二五年間続く政党内閣の先陣を切って、“原敬内閣”が成立したのである。……閑話休題。


 好景気につけこんで軍備増強を図る軍部に対し、それを阻止するために原内閣が打った手は、それぞれの実力者を取り込むという実に単純なものだった。

 まず陸軍に対しては、政治家転向の野望を胸に秘めていた陸軍大臣の田中義一をその方面から取り込み、さらに山縣の影響力が無くなり“陸軍長州閥”の首領とも言える立場にある田中をもってして、参謀総長になっていた上原を首領とする“陸軍九州閥”の厚遇を、予算に対する反意を収めることと引き換えに約すという荒業を実行させた。

 海軍に対しては、高橋がかつて英語教師だった時分の教え子の一人である秋山真之を、わざわざ視察先の欧州から呼び戻し、彼をもってして軍神と化していた東郷平八郎を説得させ、その根拠は無いが反抗不能の権威で反対派を押し込んだのである。

 原としては膨大な予算を喰う八八艦隊計画そのものを潰したかったのだが、自ら四大政綱の一つとして“国防の拡充”を明言してしまった手前そういうわけにもいかず、“欧州に於ける海戦の戦訓を取り入れる”ために計画実施時期を延期するだけで……その後、海軍内で計画破棄論が持ち上がるや積極的にこれを支援したが……精一杯だった。

 何はともあれ、国家予算の半分近くを軍事費と借金の返済に充てるという、それはそれは不健康な財政体制からの脱却と、国内産業の活性化を狙ったこの政策は概ね成功したと言える。

 こうして一九三〇年代の中頃には、欧州列強が構築した経済ブロックの隙間を縫って、日本製の機械製品が欧州に於いて、定の地位を築けるようになった技術力、国内インフラの充実化、食糧事情の改善等により、国民生活はある程度豊かになったが、帝国陸軍の膨張の動きは、日本がいち早く大恐慌から抜け出し帝国海軍が“米英と同じ分の主力艦の整備”というとんでもない目標に向けて膨張を始めても、ことごとく抑えられていた。

 政府や海軍は「島国である帝国が外敵(米国)の攻撃を受けた場合、矢面に立つのは海軍であり、海軍が敗れても、陸軍がどれだけいようと帝国の勝利は無い。また、大陸に帝国の影響下にある独立国がある以上、大陸に配置する(ソ連に備える)陸軍部隊は少量で良い」と言い張り、景気回復により産まれた国家予算の余裕はほとんど海軍や農林省、商工省に振り向けられ、また一九三二年に起きた二・二六事件後の憲法改正で、統帥権の保持者が内閣総理大臣とされ不完全ながらも文民統制が敷かれたため、陸軍予算は増える気配さえ見せなかったのだ。

 そんなこんなで、航空機や戦車を筆頭とする様々な兵器の開発をするだけで予算の多くを……兵員が少ないからこそむしろ積極的に……消費してしまう状況に陥り、兵員の増員など夢のまた夢であった。

 そんな夢が多少現実になったのが、一九三九年九月に勃発した満中戦争であり、同盟国である満州帝国に援軍を出すとの名目のもと、一九二〇年のシベリア出兵の終了後から願って止まなかった予算の大増額が認められ、臨時の補正予算を得た帝国陸軍は直ちに師団の増設と、小銃から戦車まであらゆる兵器の大増産に入った。

 そして、戦争の終結と共に一部の部隊を除いて平時編成に戻したが、満中戦争とほぼ同時期に起こった欧州に於ける大戦を言い訳に、師団数を減らそうとはしなかった。

 だがそうは言っても、帝国全体がまがりなりにも総力戦体制下にあり、帝国海軍が次々とあらゆる艦艇を竣工させ、明らかに足りない水兵を確保するために召集及び徴集令状を全国に発布しているにも関わらず、この時点における帝国陸軍の規模はあまりにも不釣り合いなのだ。

 具体的に師団だけを見ても、近衛師団が一個。歩兵師団が二二個。機甲師団が四個。合わせて三〇個も無いのである。


 「予算が認められたものも、要は今の陸軍に足りない部分を補完するだけのものなのだが……歩兵科の連中はそうはとってくれんだろうな」

 「……閣下はどうなると思われますか?」

 「まぁ、表立った反発はそう無いだろうがね。外地にいる連中のわし達に対する評価はがた落ちだろうな。外地にいる実戦部隊の長達の顔ぶれを見れば分かる」

 そう言うと畑は、壁に掛けられた帝国陸軍の編成表を見て肩をすくめた。なぜなら……

 南方総軍総司令官の梅津美治郎陸軍大将。

 北方総軍総司令官の永田鉄山陸軍大将。

 南西方面軍司令官の山下奉文陸軍中将。

 南東方面軍司令官の阿南惟幾陸軍中将。

 北東方面軍司令官の岩松義雄陸軍中将。

 以下、軍司令官級の指揮官に至るまで、よってたかって歩兵科将官ばかりなのである。

 「砲兵科は……閣下と自分だけですな。後は久納(陸軍中将、久納誠一韓国駐剳軍司令官)が騎兵科で、酒井(陸軍中将、酒井鎬次満州駐剳軍司令官)が元歩兵科の機甲科ですか」

 「酒井はこちら側だな。久納は何時まで近衛騎兵連隊以外、まともな部隊のない騎兵科に残っているつもりかのう。まぁ影響力は無いな」

 「……しかしどうでしょう? 梅津の人柄的にも永田の立場的にも、彼等は総軍の総司令官がなすべき任務以外のことはしないのでは?」

 「確かにそうじゃなぁ。すると危険なのはむしろ、若手の佐官や尉官……という発想はちと古いかな?」

 「……閣下。どのみち重要なことは、予算案は帝国陸軍の幹部の総意であるとの意思表示を、明確にすることではないでしょうか? そうすれば何とか抑え込めるかもしれません」

 「梅津や永田達に根回しをしておくということかね?」

 「それが一番の近道だと思います」

 何か思い詰めたような表情を浮かべた多田の顔を、反対に表情を消して見つめながら、畑はおもむろに受話器を取り上げた。

 事実上の帝国陸軍最高司令官の地位にあるにも関わらず、己のしようとしている行為に得体の知れぬ罪悪感を感じながら。



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