八八 南雲新司令部の憂鬱
「まずトラックの南東方艦からの報告ですが……」
一九四三年一月九日、午前一〇時三〇分。
神奈川県は横浜市港北区日吉の帝国海軍連合艦隊総司令部の地下に設けられた作戦室に於いて、年が明けてから、と言うより南雲忠一海軍中将が連合艦隊司令長官に就任してから初となる、在ラバウルの合衆国陸軍航空軍によるトラック空襲を受けての臨時会議が開催されていた。
「昨日の午前中に来襲したB17及びB24約五〇〇機の内、撃墜せしめたもの一八七機。撃破したものは四三機。P38約二〇〇機の内、撃墜せしめたもの六八機。撃破したもの三一機。午後に来襲したB24約二〇〇機の内、撃墜せしめたもの八二機。撃破したもの一三機。我が方の損害は未帰還となった戦闘機六七機。損傷大につき修理不能と判断された戦闘機三九機。基地設備の損害は、冬島及び秋島対空砲台全滅。夏島対空砲台中破。春島及び竹島、楓島飛行場使用不能。春島の艦艇修理施設中破。その他の損害は軽微。在泊艦艇は全て事前に退避したため損害無し。地上要員及び民間人の死傷者数の報告は、また改めて送るとのことです」
前任の司令長官である山本五十六海軍大将の時代から、引き続き情報参謀を務めている早乙女勝弘海軍中佐が、長々とした報告電をさらりと読み終えると、帝国海軍随一の基地航空隊の専門家として、南雲の参謀長に迎えられた松永貞市海軍少将がゆっくりと口を開いた。
「来襲した米軍には大損害を与えて撃退するも、我が方の損害もまた大。まったく、これまでと変わりありませんな」
「確かに……だが収穫もあっただろう。新鋭艦戦の烈風と紫電二一型、そして二式奮進弾が、実用に耐えうる兵器であるということが証明されたわけだからな」
「しかし、長官。帰還後破棄も含めて一〇〇機以上の戦闘機の喪失というのは、やはりただ事ではないと考えますが」
「その点につきましてはこれより先、ある程度の改善の余地があります」
首席参謀に就いた柳澤蔵之助海軍大佐が指摘した問題点に対し、新たに航空参謀に就いた淵田美津雄海軍中佐が、気持ち関西弁の混じった標準語で答えた。
「今回の迎撃戦に参加した戦闘機は五個航空隊六二七機ですが、書類上一航艦には他にまだ三個航空隊三八四機の戦闘機があります。すなわち、それぞれ紫電二一型、烈風、そして対重爆仕様の天風二一型への機種改変及び訓練に従事している二一一空、三〇一空、一八一空です。また今月の中頃には、航空学校の高等科、普通科、予科の各々からこれまでより各段に多くの生徒が卒業し、実戦部隊に配属されていく予定ですので、戦闘機搭乗員の数には当分困らないでしょう。旧陸軍航空隊出身の搭乗員の訓練も、二月中にはある程度完了する予定ですし」
「ふむ……しかし、いたちごっこが続くことに変わりはないわけだな。首席参謀の言うように、米軍の四発重爆が大挙してやって来る度に我が軍の戦闘機隊は消耗していく。何か打開策は無いものだろうか?」
眉間にシワを寄せながら南雲がそう言うと、航空参謀から作戦参謀に異動した樋端久利雄海軍中佐がおもむろに口を開いた。
「考え得る中で最も簡単な方法は、敵の根拠地であるラバウルを叩くことですが、一航艦が時折飛ばしている偵察機や、ニューギニア島及びニューブリテン島に潜入している特別陸戦隊からの情報を見る限り、ラバウルは米軍と豪州軍の手によって一大航空要塞と化しています。先の翔号作戦のような奇襲攻撃はまず無理ですから、これを潰すには相当な犠牲が伴うでしょう。それに、たとえ潰しても米軍の国力を考えれば復旧も早いでしょう」
「かといって占領したとしても、前線が前進するだけだからまるで意味が無いというわけか……するとやはり、トラックに出来る限り多数の戦闘機を配置して、同地の防空力を高めるという従来からの規定方針以外、方策は無いのかね?」
「はぁ。遺憾ながら、ラバウルからの空襲を根絶することは不可能です」
半ば分かっていたこととは言え、樋端の答えに南雲は表情に失望の色を浮かべた。
来る米軍の反攻に備えて、連合艦隊の戦力を出来得る限り増強しておくことが自分の責務だと信じている南雲にすれば、敗けないまでも消耗が続く戦線を抱えることは苦痛でしかないのだ。
そんな南雲の思いが原因かどうかはともかく、作戦室の空気が少しばかり重くなったところへ、海軍大佐として戦務参謀に任じられた高松宮宣仁親王の公家訛りの混じった妙にひょうひょうとした声が響いた。
「長官のお考えも理解出来ますが、空襲を根絶させる策が無い以上仕方がありますまい。むしろ考えようによっては、米軍はトラックを空襲することによって自らの負担を重くしている、とも考えられます。いくら米軍と言えども、三〇〇機以上の四発重爆を一時に撃墜破されるのは相当の痛手でしょうからな」
「長官、殿下のおっしゃる通りです。一航艦の戦闘機搭乗員は機動部隊の搭乗員に引けをとらない精鋭達ですし、戦闘機自体も新鋭機を優先配備し燃料も上質なものを特別手配しています。今は彼等のことを信じてひたすら堪えるべきです」
早乙女が宣仁親王の意見に助け船を出すと、南雲はしぶしぶとうなづいた。
(そんなことは分かりきっていることだろう。何を今さら言い出すのだ)
助け船をだしながら、一方で物騒なことを考えていた早乙女であるが、そうとは知る由もない南雲はさらにとんでもないことを口にした。
「米軍の負担と言えば、欧州戦線はどうなっている? 情報参謀、すまないが昨年六月頃に遡って説明してくれんか。二艦隊の長官時代はそれどころではなかったのでな」
(おいおい。呉鎮の長官時代にいったいあんたは何をしていたんだ? 主力艦艇が粗方出払った鎮守府の職務が忙しいとは思えんが)
早乙女はやはり心の中で叫んだが、南雲は連合艦隊司令長官だ。彼の参謀である以上どんなにくだらなくとも質問には答えなければならず、早乙女は感情が表情に出ないように努めながら、今日に限って妙に雄弁な上官に向かって、まず東部戦線についての説明を始めた。
一九四二年の六月初旬に開始された、ソビエト連邦の総力を上げてのモスクワ及びレニングラード奪回作戦は、結果を一言で言えばものの見事に失敗した。
まずモスクワについてであるが、ゲオルギー・ジューコフ陸軍上級大将に率いられた三〇〇万以上のソビエト陸軍は、一九四一年一二月八日の日米開戦直後に陥落した首都モスクワを目指して、文字通り津波のように進撃した。
対するフェードア・フォン・ボック陸軍元帥率いるドイツ陸軍中央軍集団は、反共産党のロシア人部隊やイタリアやルーマニアといった若干の同盟国軍を加えた約一六〇万の兵力で、モスクワ死守の態勢をとった。
上空を敵味方の戦闘機が入り乱れ、時折地上攻撃機が爆弾の雨を降らせるなかを、督戦隊に背後から銃口を突き付けられ前進するしか仕方のないソ連軍の歩兵部隊が、重砲やロケット砲の支援のもとに幾重にも張り巡らされたドイツ軍陣地を一つ一つ突破し、T34中戦車やKV1重戦車が配備された機甲部隊は随所で三号戦車や四号戦車を撃破していく。
と、いうふうに、初めはその膨大な兵力と高性能な戦車の力で優位に戦いを進めていたソ連軍であったが、機数や機体の性能はともかく搭乗員の技量の差によって制空権を失った時点で、早くも暗雲が立ち込め始めた。
中央軍集団のエアカバーを担当するドイツ空軍第一航空艦隊は、ソビエト空軍の戦闘機を駆逐して制空権を確保するやいなや、保有する爆撃機を総動員して主としてソ連軍の機甲部隊や兵站線を狙って猛爆撃を開始したのだ。
当たり前だが、たとえ戦車には勝てたとしても航空機に勝てるような戦車は存在しない。
空の傘を失ったソ連軍機甲部隊は、いわゆるジュリコのラッパを鳴らしながら急降下爆撃をかけてくるJu87“シュツーカ”の攻撃によって壊滅し、貴重な突破戦力を失った歩兵部隊と砲兵部隊は、中央軍集団が作戦行動のとれない春の泥濘期に築き上げていた抜いても抜いても立ち塞がる何重もの防衛線を前にして、進撃スピードが停滞しつつあった。
そして、六月二一日。
ソ連軍の進撃が完全に止まったことを確認したボックは、これまで防衛戦闘に徹しさせていた隷下全部隊に総反撃を下令。
第一航空艦隊の航空支援のもと中央軍集団は各所で反撃を開始し、予備兵力として後方に待機していたハインツ・グデーリアン陸軍上級大将の第二装甲軍は、一気に前線に躍り出るやソ連軍の前線司令部のあるリャザニを攻略するべく進撃を開始した。
自分達のことで手一杯のイギリスや、そうなりつつあったアメリカからの支援物資を満足に受け取れない状況下で、ただでさえ不備の多かった兵站線を破壊されていたソ連軍は、その膨大な兵力が仇となって食糧弾薬を問わず物資の欠乏に喘ぎ始めていたところに反撃を受け、なす術も無く次々と敗走していった。
味方の敗走を武力によって押し留めるためにいる督戦隊は自分達の背中には銃口が突きつけられていない事を良い事に真っ先に逃げ出し、リャザニにあって必死に戦線の立て直しを図っていたジューコフも、電撃戦の生みの親であるグデーリアン自身の電撃的反攻の前に、脱出する間もなく捕虜となってしまった。
一方、ドイツ陸軍北方軍集団やフィンランド陸軍によって占領されている旧帝都レニングラードの奪回に向かった部隊は、どちらかと言うとモスクワ奪回の陽動的な性格をもっていたため装備品や練度に問題があり、在レニングラードの枢軸軍を拘束するだけして、主に積もり積もった恨みを今こそ晴らさんと悪鬼のごとく攻撃をかけたフィンランド陸軍によってそのまま壊滅してしまった。
こうして、ドイツ陸軍中央軍集団に三〇万を超える戦死傷者を与え、モスクワ防衛線の半分以上を破壊し、“ソ連戦車侮るべからず”という戦訓をドイツにもたらしたということ以外、目立った成果を上げられなかったソ連軍は、逆に筆舌し難い大損害を受けその勢力を大きく減退させた。
無論この隙をドイツが見逃すはずはなく、中央軍集団による侵攻作戦こそモスクワ防衛線の再建のために延期となったが、英国海軍本国艦隊の主力艦艇が揃って地中海に派遣され米英による対ソ援助物資を載せた船団の派遣が一時的にストップした七月下旬に、一連の戦いと無縁だった南方軍集団と海軍がそれぞれ動いた。
まず海軍が何をしたかと言えば、唯一の戦艦「テルピッツ」を旗艦とする持てるほぼ全ての水上艦艇による怒涛の艦砲射撃をもって、対ソ援助船団の寄港地であるムルマンスクとアルハンゲリスクの港湾設備を完全に破壊したのである。
さらに呼応して北方軍集団が一気にボログダまで進出し、北極海からの対ソ援助ルートを完全に遮断した。
そしてもう一つのルートであるいわゆるペルシア回廊を遮断すると共に、ソ連軍のある意味命の源でもあるカスカーフ地方の油田地帯を制圧し、さらには態度のはっきりしないトルコを引き込むための一大侵攻作戦、その名も“ブラウ作戦”が発動されたのが六月二八日。
緒戦でアゾフ海沿岸の都市であるロストフを占領したヴィルヘルム・リスト陸軍元帥率いるA軍集団は、揃ってモスクワ方面に引き抜かれたのかまともな守備部隊のいないカスカーフの大地を順調に進撃し、マイコープやグロズヌイといった都市を経由して、最終目的地であるバクーを目指した。
一方のマクシミリアン・フォン・ヴァイクス陸軍上級大将率いるB軍集団は、やはりまともな守備部隊のいないドン川沿いに快進撃を続け、第四航空艦隊に頭上を守られながら八月二〇日にソ連軍の一大拠点となっていたスターリングラードを包囲し、同二五日には市街地への総攻撃を開始した。
ところが、ここでドイツ軍に誤算が生じた。
長引いたとしても二週間あれば占領出来るとの想定は脆くも崩れ去り、B軍集団は労働者から一般市民まで片端から動員をかけて抵抗するソ連軍相手の市街戦に大苦戦し、二週間どころか秋を過ぎて冬が来ても、スターリングラードは陥落する気配を見せないのである……
……と、南雲に対して行われていた早乙女による欧州戦線の説明は、突然作戦室に入室してきた南雲の副官によって遮られた。
「失礼します。作戦本部より長官宛てに電文が届きましたが」
「構わん。読んでくれ」
「かしこまりました……連合艦隊司令長官は大至急、情報参謀及び政務参謀と共に作戦本部に出頭せよ。緊急の会議を開催す。以上です」
「いったい何事だ……まぁ良い。すぐに行くから列車の手配をしてくれたまえ。参謀長、留守は頼んだぞ」
(やれやれ。あの列車の中に欧州の地図はあっただろうか)