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異説 太平洋戦記  作者: 水谷祐介
第一三章 帝国海軍、ハワイへ
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八〇 敵はオアフに在らず


 「通信より艦橋。六戦隊司令部より緊急信! 『我、二艦隊の指揮を執る』いじょ……続けて二航戦司令部より緊急信! 『我、二艦隊航空隊の指揮を執る』以上です!」

 「……どういうことだ? ……まさか!?」

 一九四二年一二月一四日午前一一時(現地時間)。

 ハワイ諸島から西におよそ四二〇海里の地点を東に向かって進撃していた、帝国海軍第六艦隊旗艦『酒匂』の司令室を兼ねた羅針艦橋で、司令長官の小澤治三郎海軍中将は、通信室から飛び込んだ想定外の報告に対し、恐し過ぎる推理を思わず口にしかけた。

 「通信参謀、二艦隊司令部に繋げられるか?」

 「……駄目です。二艦隊司令部、応答ありません」

 何かの冗談だろう。そんな口調で参謀長の山田定義海軍少将が発した希望に満ちた問いは、『酒匂』の通信室に詰めている、通信参謀の関野英夫海軍少佐によって綺麗に否定された。

 「……六戦隊司令部宛て通信。『貴隊の状況を知らされたし』大至急発信してくれ」

 信じられないという表情を浮かべながらも、情報参謀の中島親孝海軍中佐は努めて冷静な声でそう言った。

 「……長官。万が一、の場合には、いかがされますか?」

 航空参謀の南郷茂章海軍中佐が恐る恐る尋ねる。

 当時の主力戦闘機であった九六艦戦やまだ採用されたばかりの零戦を駆って、満中戦争を戦った凄腕の戦闘機乗りも、考えてもいなかった事態に直面し明らかに動揺していた。

 「まだ分からん。全ては六戦隊からの返事がきてからだ。それにどのような状況であろうと、今は何も出来ん。ハワイも二艦隊も遠過ぎる」

 小澤がそう言うと、艦橋内は完全に静まり返った。

 ただ何もすることが無いだけとは言え、誰一人として何の音も出さないという奇妙な状況は延々二〇分に渡って続いた。

 一二〇度しか回っていない時計の分針が、まるで一二〇度も回った時針であるかのように感じられる静寂は、関野の不思議なまでに冷静な報告によって破られた。

 「六戦隊司令部より入電。読みます。『“矢矧”“厳島”沈没。“雲龍”大破。“大和”“隅田”“凉月”小破。我、沈没艦及び損傷艦乗員の救助に全力を上げると共に、敵編隊を追跡中なり』以上です」

 「……『矢矧』が、沈没。だと?」

 山田が絞り出すように、かつおどおどしながら尋ねる。

 「本当に『矢矧』なのか?」

 「……本当です」

 「『矢矧』が……あの『矢矧』が、沈んだ?」

 海軍大学校を卒業した秀才と言えども、予期せぬ事態が目の前に現れるとこうも訳がわからなくなるものなのかはともかく、『酒匂』の羅針艦橋はどんよりとした重たい空気に覆われていた。

 彼等をここまで打ちのめしたものは、決して『矢矧』という艦が沈んだからではない。

 むしろそういう視点で物事を見るなら、歴戦の空母『厳島』が沈んだことや世界最大の空母『雲龍』が傷付いた。ということの方が果てしなく大事だ。

 それに比べれば排水量が一万トンに満たない軽巡が沈んだことなど、少なくとも予算面ではたいしたことではない。

 だが、『矢矧』はただの軽巡ではなく“第二艦隊旗艦”なのである。

 沈んだものは艦だけではないかもしれないのだ。

 「……塚原長官以下、二艦隊の幕僚達の安否が気がかりだが、だからと言って、やはり我々には何も出来ん」

 小澤が重々しく核心をつくと、艦橋内はさらにどよんだ。

 しかし実際問題第六艦隊は、この緊急事態に対して何も出来ないのである。

 彼等に今出来ることは、ただ一刻も早くハワイ諸島を攻撃圏内に収めることだけだった。



 「艦長。本艦の収容作業、完了しました」

 「うむ、ご苦労。全艦宛て通信。『我、“厳島”乗員の収容完了す』取舵一杯。両舷前進微速」

 戦艦『越前』の羅針艦橋で、艦長の古村啓蔵海軍大佐は甲板上において、敵機の空襲により撃沈された空母『厳島』の乗員の内、比較的軽傷と判断された者の収容作業の陣頭指揮を執っていた副長からの報告を受けると、接舷していた駆逐艦『陽炎』が離れたことを確認した上で前進を命じた。

 それまで海上に静止していた『越前』は、機関の轟音を響かせながら艦首を左に振り、第二艦隊第三部隊の定位置に向かって前進を開始した。

 「舵戻せ。針路そのまま、両舷前進中速」

 「通信より艦橋。『秋月』より報告電です」

 そんななか、届けられた一見何でもない報告に古村は思わず身構えた。

 第一部隊に所属する護衛艦『秋月』は、先の空襲で『厳島』同様撃沈された第二艦隊旗艦『矢矧』の乗員の救助作業にあたっていたのだ。

 つまり、このタイミングで『秋月』から報告電が他の僚艦宛てに飛んだということは、その救助作業があらかた終了したということを意味するのである。

 なぜなら、一方の『厳島』のそれはとうに終わっているからだ。相当念を入れて行われたに違いない。

 「『矢矧』乗員の内、救助された者の合計数は現時点で、『秋月』に一三一名、『夏月』に一〇七名の二三八名であり、これ以上生存者が残っている確率は低いとのことです……なお、この中に塚原長官以下の二艦隊司令部幕僚の方々は含まれていない。とのことです」

 「そうか、分かった」

 古村はある程度予想していたこととは言え、とりあえず考えられるものの中でも最悪の結果が現実となったことに、ひどくショックを受けた。


 ……古村を始めとする『越前』の乗員達、そして帝国海軍の誰一人として知る由も無いことではあったが、第二艦隊を襲った米軍機の中には明らかに『矢矧』を目標として攻撃をかけてきた一群がいたのである。

 と言うのも……これも帝国海軍の誰一人として知らないことではあるが……太平洋艦隊司令部は帝国海軍が艦隊の旗艦に専用の軽巡を使用していることを見事に看破していたのだ。

 オアフ島の主要飛行場のほとんどを使用不能に追い込まれ、駐機していた機体や迎撃に上がった機体もまた多数を破壊された陸軍航空軍や海兵隊航空部隊もそのことは知っており、ハワイ島に展開していた部隊をもって反撃を開始する際、攻撃目標を空母とその巡洋艦に指定していた。

 もっとも、実際に攻撃を担当する搭乗員達にすれば、実に難しい任務である。

 空母を見て、「はて、これは空母だろうか?」などと悩むような者はいないが、巡洋艦を見て、「うむ、まさしくこいつが旗艦だ」と瞬時に判別出来るような者は逆にいないだろう。

 すなわち、ある意味投機的作戦だったわけだが、戦場の女神は米軍に微笑んだ。

 ハワイ島のコナ航空基地に展開していた陸軍航空軍のB24七四機を囮に使った作戦は綺麗にきまり、陸軍航空軍の爆撃機や海兵隊航空部隊の艦爆や艦攻は、低空飛行で電波の網を掻い潜り、第二艦隊にほぼ奇襲に近い形で攻撃をかけることに成功したのである。

 この内、第二航空戦隊を中心に据えた第二部隊の輪形陣内に突入したのは、海兵隊航空部隊のドーントレス一二機と魚雷を抱えたアベンジャー七機、陸軍航空軍のB25ミッチェル一〇機、援護のF4F八機のわずか三七機だったのだが、直衛の零戦の妨害を一切受けなかったために隊形は整然としていた。

 無論、第二部隊の各艦は猛烈な対空砲火でこれを迎え撃ち、半数以上を撃墜破したのだが、撃ち漏らした機体が投下した爆弾や魚雷は、あたかも吸い寄せられるようにして『厳島』に殺到した。

 そして『厳島』の必死の回避運動もむなしく、五発の一〇〇〇ポンド爆弾と三本の魚雷が立て続けに命中し、艦は黒煙と炎に包まれた。

 飛行甲板を貫き飛び込んだ爆弾は格納甲板に置かれていた機体をまとめて吹き飛ばし、三本共艦尾に命中した魚雷は推進軸と舵を粉微塵に破壊し、機関室にまで被害を及ぼした。

 推進力を一瞬の内に失った『厳島』は、ゆったりと海上に停止した後も艦尾の大穴から海水を呑み込み続け、副長に率いられた応急処理班の必死の補強作業を嘲笑うかのように隔壁を次々とぶち破っていき、艦体は少しずつ後ろに引きずりこまれていた。

 一方の格納甲板は、敷き並べられていた機体からは燃料が全て抜き取られ、機銃弾や爆弾、魚雷といった文字通りの危険物も全て機銃弾庫や爆弾庫に収納されてあったのだが、可燃物が無いと言えば嘘になる状態だった。

 格納甲板を荒れ狂う炎は目ざとくそれらに引火し、二基ある昇降機、要するに航空機用エレベーターは屑鉄と化した。

 そして、少なくとも“空母”ではなくなってしまった『厳島』の惨状を、第二航空戦隊旗艦の『松島』の戦闘艦橋から見つめていた、司令官の山口多聞海軍中将の判断は素早く潔いものだった。

 「『厳島』は放棄する」

 そう静かに、しかし力強く言った山口は、収容能力に余裕があり負傷者の治療設備も一番整っている戦艦に、『厳島』乗員の収容を依頼しようと思い立ち、信濃型戦艦二隻よりなる第二戦隊司令官の阿部嘉輔海軍中将に自ら打診し始めた。

 山口の要請に対し、第二部隊の先任指揮官である阿部も、敵地のど真ん中で行動不能となった『厳島』を救う事は不可能と判断し、自身の名義で総員退艦を命じると共に、第八駆逐隊の駆逐艦をもって『厳島』乗員の救助にあたらせた。

 また、この『厳島』の状況に比べると『矢矧』のそれは遥かにひどいものだった。

 「旗艦を狙え」との命令は一見「どれだよ?」と言いたくもなる無謀な命令に見えるが、実際は無謀でも何でもなかったため、四〇機近い米軍機が我先にと殺到したのである。

 やはり、空母や戦艦よりも輪形陣の内側に浮かんでいる巡洋艦は、見た目からして怪し過ぎるのであろう。

 低空から侵入し『雲龍』を狙う二八機のB25とA20ハボックの連合部隊に、第一部隊の各艦が対空砲火を集中した隙をついて、九機のアベンジャーは抱いていた魚雷を次々と『矢矧』に向けて放った。

 まさか狙われるとは思っていなかった『矢矧』は必然的に回避行動が遅れ、艦首から中央部にかけて五本もの魚雷が命中してしまった。

 内二本は不発だったのだが、軽巡程度の艦が三本もの魚雷の炸裂を受けて助かる術はない。

 水柱が崩れたとき、『矢矧』は艦の前半分が消滅しており、第二艦隊司令部の幕僚達が詰めていた艦橋もまた無くなっていた。

 これで幕僚達の中に生存者がいるほうが不思議だ。という程の被害を受けた『矢矧』は、隣で飛行甲板を破壊されて黒煙を噴き上げるだけの『雲龍』を横目に、あっという間にハワイの海に沈んでいった。

 被害を受けなかった後部から脱出する乗員を救うべく、『秋月』と『夏月』が『矢矧』に接近した頃には、やることを済ませた米軍機は風のように退散していた。

 間髪入れずに『飛龍』からカタパルト発進した暁雲が、敵に悟られずに尾行を開始出来たことがせめてもの慰みであった。


 さて、『越前』が本来の定位置に戻ったとき、その暁雲からの報告電が飛び込んだ。

 「通信より艦橋。敵編隊を追跡中の偵察機より報告。『敵編隊の針路はオアフ島方面にあらず。ハワイ島方面なり。我、敵戦闘機の迎撃を受くも、我に追い付くグラマン無し』以上です」

 「敵はやはりハワイか」

 「そのようで……しかし最後の一文は余計ですな」

 「まぁ、良いではないか」

 古村が苦笑いを浮かべながら航海長と話していると、航空戦の指揮を預かる山口の命令が入ってきた。

 「二航戦司令部よりの命令電を受信しました。『各隊とも第三次攻撃隊の準備を開始せよ。目標は追って通達する』以上です」

 「……おそらく、目標はハワイ島の飛行場だろうな。さて、五藤司令官はどうなされるかな」

 古村がひとりごちると、その答えは存外に早く届いた。

 「通信より艦橋。六戦隊司令部より入電。『作戦続行。各挺身隊は大至急作戦行動を開始せよ』……続けて『出雲』より入電。『我、これより第二挺身隊の指揮を執る。二挺隊針路一九〇度』以上です」

 「あくまでも作戦を続けるというわけですか。司令官」

 古村は一人、離れた海面に浮かぶ『赤城』に座乗している、第二艦隊次席指揮官の五藤存知海軍中将に向かって、そうつぶやいた後、部下達に向かって新たな命令を発した。

 「取舵一杯。本艦針路一九〇度。『出雲』に続行しろ」



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