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異説 太平洋戦記  作者: 水谷祐介
第一二章 終わる戦い、新たな戦い、果ての無い戦い
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七二 行き方知れずの将軍



 「両舷前進微速、取舵一杯」

 「艦橋より砲術。主砲、高角砲そのまま」

 「電測より艦橋。対空電探及び対水上電探共、特に変化ありません」

 「見張りより艦橋。本艦右前方五〇度より内火艇接近。白旗を掲げています」

 「……今のところ予定通りですな。杉山さん」

 「えぇ。しかし、油断は禁物です」

 帝国海軍第三南遣艦隊旗艦の軽巡洋艦『榛名』の羅針艦橋で、司令長官の杉山六蔵海軍中将は堅い表情のまま、話しかけてきた帝国陸軍第一軍司令官の本間雅晴陸軍中将に返事を返した。

 相手を刺激しないために、主砲である四基の一五,五センチ連装砲や五基ある一二,七センチ連装高角砲は、それぞれ定位置に揃えられている。

 しかし一方で、万が一の事態に備えている艦橋トップの射撃指揮所の空気は戦闘前のように張り詰めていたし、三〇ミリ連装機銃を担当する下士官や兵達は弾薬箱を抱えて、いつでも甲板に飛び出せる態勢をとっていた。

 「後部見張りより艦橋。五水戦及び二輸戦停止します」

 「通信より艦橋。警戒隊より入電。『異常なきや』」

 「……警戒隊に返電。『異常無し。軍使らしきもの接近中』」

 一切表情を変化させることなく杉山が言うと、前部甲板上で待機していた参謀長の近藤泰一郎海軍少将からの報告が届いた。

 「軍使は米極東航空軍司令官のルイス・ブレリトン中将です。本艦への乗艦を希望されておりますが……」

 「では長官公室にお通ししてくれ。私や本間中将も行く」

 「了解です」

 近藤との短いやり取りを終えた杉山は、本間に目で合図を送ると自ら会談場所に指定した長官公室に向けて歩を進めた。

 時は一九四二年一一月二五日午前一〇時。

 開戦以来、孤軍奮闘してきたフィリピンのルソン島の米比軍の降伏交渉が始まろうとしていた。



 さてその頃、千葉県木更津にある帝国海軍の木更津飛行場の司令部庁舎の会議室に、い号作戦が終了した後に再編成された帝国海軍第二艦隊の幕僚や隷下の戦隊司令官、航空隊の飛行隊長といった幹部達が集まっていた。


 開戦の少し前から、戦艦主体の打撃部隊である第一艦隊、重巡や水雷戦隊を基幹とする第二艦隊、そして空母機動部隊である第一及び第二機動艦隊の四個艦隊を主力部隊と位置付けていた帝国海軍だが、もはや戦艦や重巡が敵艦隊に突撃していくような時代ではない、として、これらをまとめて新たに第二艦隊と第六艦隊の二個艦隊に組み換えたのだ。

 この新生の第二艦隊は六隻の戦艦と七隻の正規空母を中核とし、さらに五隻ずつの重巡と軽巡、四隻の軽空母、二隻の防巡、三〇隻の駆逐艦と一〇隻の護衛艦で構成され、司令長官及び参謀陣は第一機動艦隊の面々がほぼそのまま横滑りで配置されている。


 「皆もすでに承知の通り、今回の翔号作戦、つまりハワイオアフ島空襲作戦は帝国海軍始まって以来の大規模侵攻作戦だ。敵艦隊の戦力はかなり低いと思われるが、強力な基地航空隊の迎撃を受けることは必至だ。これを突破及び制圧し、作戦の最終段階に持ち込むことが出来るか否かは、航空隊の奮闘、そして艦隊の全面的な援護にかかっている。出撃を前に、改めてこのことを各々の肝に命じて貰いたい」

 前述の通り、第二艦隊司令長官に就任した塚原二四三海軍中将がそう口火を切ると、第二艦隊に所属する四個航空隊約七五〇機の総飛行隊長に指名された、淵田美津雄海軍中佐がすっと立ち上がり、力強い口調で話し始めた。

 「長官はただいま、今作戦の成功は航空隊の奮闘にかかっている、とおっしゃられましたが、二艦隊航空隊の技量は、ウェーク島沖海戦やい号作戦当時の一機艦航空隊のそれを上回っていると自負しております。必ずやご期待に応えられるでしょう」

 淵田自身、第二艦隊航空隊艦攻隊の水平爆撃の訓練の責任者であり、その説得力は絶大だ。

 また、彼の脇に座っている艦攻隊の雷撃の訓練の責任者である村田重治海軍少佐や艦爆隊の訓練の責任者である江草隆繁海軍少佐、艦戦隊の訓練の責任者である板谷茂海軍少佐等の表情も自信に満ちたものであり、塚原以下を安心させた。


 「作戦の詳細はすでに皆さんにお配りした資料の通りですが、念のために確認及び補足説明をさせて頂きます」

 と、連合艦隊総司令部から派遣されてきた情報参謀の早乙女勝弘海軍中佐が、手慣れた様子で説明を始めた。

 「まず、ここ木更津に霞ヶ浦、筑波、館山、厚木等の飛行場に集結している二艦隊航空隊は二九日までに、各飛行場の整備員によって機体の最終点検を受けてもらい、その後それぞれの母艦に収容します。艦隊は来月三日に択捉島の単冠湾に集結、五日にはハワイに向けて出撃して頂きます。艦隊は敵味方及び中立国を問わず発見されるわけにはいかないため、ハワイまでの航路はかなりの悪路ですが、二艦隊の各艦の艦長の操艦術を信頼すれば何の問題もないでしょう」

 「燃料補給の件は予定通りと考えてよろしいか?」

 早乙女が作戦の一通りの流れをかいつまんで説明し直すと、第二航空戦隊及び第六四一海軍航空隊司令官の山口多聞海軍中将が確認を求めるような口調で尋ねた。

 「はい。五艦隊司令部からの報告では、単冠湾の燃料廠の重油タンクは満杯状態だそうですし、今回二艦隊に同行する二補戦の他に、翔号作戦用の航空燃料を積んだ給油艦も単冠湾に待機させていますので、少なくとも油に困ることはないと思います」

 山口の問いに、早乙女の隣の席に座っていた連合艦隊兵站参謀の佐脇悠大海軍少佐は、サッと立ち上がり淀みなく答えた。

 約四ヶ月前に連合艦隊兵站参謀として、連合艦隊総司令部に着任したときには自信の欠片も無い様子だったが、帝国海軍が経験したことも無い長期戦となったい号作戦の複雑な兵站事務を見事にこなしたため、前線及び中央を問わずにその評価は高く、また参謀らしく大きく成長したとも言われている。

 「そうか。なら結構だ」

 い号作戦の期間中、佐脇が考えた補給計画による恩恵をもろに受けていた山口は、その張本人のお墨付きを得たことに安心したのか、ゆっくりと腰を下ろした。

 「油のことは分かったが、弾薬の方は大丈夫か?」

 続けて、第三航空戦隊及び第六八一海軍航空隊司令官の吉良俊一海軍少将が口を開く。

 これまで第二機動艦隊司令部の直率部隊だった同部隊が、艦隊の再編により第二艦隊隷下の一独立部隊となったことに伴ってその司令官となった将官であり、帝国海軍史上初めて艦載機によって空母に着艦した人物でもある。

 第一航空戦隊及び第六〇一海軍航空隊を直率する塚原や、海軍兵学校の同期生にも関わらず階級が一つ上の山口とは違い、根っからの航空畑の人間だ。

 「その点につきましては、出来得る限りのことはしました。作戦海域で呑気に補給艦から補給するわけにはいきませんが、大型艦がほとんどいないことから、魚雷や対艦爆弾の搭載数を必要最低限に抑え、その空いた場所に対地爆弾を載せられるだけ載せ、機銃弾については空母艦内のなるべく中心部の隙間という隙間に押し込んであります」

 この佐脇の答えを聞いて、吉良はそれなりに納得したようだったが、鹿児島市民が“村田サーカス”という異名を付けた雷撃隊の指揮官である村田は苦笑いを浮かべた。

 港湾に停泊している艦艇に対して雷撃を成功させ確実に撃沈する。というコンセプトで開発された零式航空魚雷は、帝国海軍の標準航空魚雷であり様々な改良を加えられてきた“九一式”の次世代型の一つであり、航続距離を抑える代わりに、やはり新開発された一式爆薬を基本とする炸薬を多めに搭載し破壊力を増している。

 そして何より特筆すべきことは、空中水中を問わずに安定性が向上したことであり、これは魚雷を投下する際の航空機の速度を高めるということと、投下後の沈降を防ぐという二つの大きな効果を生み出した。

 村田が率先して行なった超低空からの雷撃訓練は、水深の浅いオアフ島の真珠湾でもこの零式航空魚雷を使用するためのものだったのだが、肝心の目標に大した大物がなく、また仕方ないこととは言え搭載数まで抑えられたのだ。

 そんな村田の様子を察して、隣に座る江草がそっと何かを語りかけたとき、おもむろに塚原が立ち上がり口を開いた。

 「時と場合によっては、クェゼリンで補給を行い再度ハワイに向かうこともあるかもしれない。それほどまでに、この翔号作戦は御国の行方を左右する重大なものだ。山本長官、そして米内総理は翔号作戦が成功した場合、米国に対して講話を打診するおつもりと聞く。何が何でも成功させねばならん」



 「……どういう意味です?」

 場面は再びフィリピンはルソン島のキャビテ軍港に、降伏交渉のために入り込んだ『榛名』の長官公室。

 正式な交渉のための予備交渉の目的も兼ね、ごく僅かの部下と共に乗艦してきたブレリトンに対し、杉山は訝しげに英語で問い掛けた。

 「どうもこうもありません。信じ難いことだとは思いますが事実なのです」

 そう答えたブレリトンは、指揮下の極東航空軍が開戦早々壊滅の危機に瀕し、約一〇万の陸軍部隊と共にルソン島に閉じ込められてから、すでに一年に匹敵する月日が流れているためか、かなり憔悴していた。

 そのため、机を挟んで向かいに座る杉山と本間には、彼の襟の中将を示す階級章の二つの星が、くたびれた軍服上で虚しく輝いているように見えていた。

 「つまり、マッカーサー将軍は三ヶ月も前からルソン島にはいらっしゃらないと。だからそちら側の責任者がウェインライト中将なのですね?」

 なんだそういうことか。という口調で本間が尋ねると、ブレリトンは力無くうなづくと再び口を開いた。

 「杉山提督はよくご存知のことと思いますが、このルソン島には合衆国海軍の潜水艦が補給のために、貴軍の監視の目を盗んでやって来ていました。そして約三ヶ月前、司令官はその中の一隻に乗り込み、ルソン島からの脱出を試みたのです。I shall retern. と言い残して」

 「……私は戻ってくる。か」

 「司令官はこうも言いました。自分は必ず本土に辿り着き、大統領に諸君達の降伏を認めさせる。だから年内は耐えてくれ、と。……しかし、医薬品や弾薬の欠乏等から客観的に考えれば年内など到底無理でした。残された我々は三ヶ月が限界と判断し、それまで司令官の言葉を信じて貴軍の攻撃にひたすら耐え降伏勧告も無視し続けたのですが、今思えば明らかな判断ミスでした。結局、司令官の行方はそれっきり分からないのですから」

 ブレリトンは自嘲的な笑みを浮かべたまま一気に喋った。

 「おそらく、ルソン島を囲んでいた我が軍の艦艇が、そうとは知らずに撃沈したのでしょうな。残念なことです」

 杉山はそう言うと、本間に目配せをした。

 それに対し本間は杉山の気持ちを察して小さくうなづくと、本題に話を移した。

 二人とも、これ以上ブレリトンをある意味においていたぶるのは、人情的にも得策では無いと判断したのだ。

 「我が軍としては、現状における貴軍の最高司令官であるウェインライト中将の降伏文書へのサインと、貴軍の武装解除を確認した段階で貴軍の降伏を認め、その後重傷者については病院船に乗船して貰うと共に臨時の野戦病院を設立する予定です。貴軍兵士の身の安全は保証することをまずお約束しておきます」

 本間の発言を聞いて、束の間ブレリトンの表情が和らいだ。

 その変化を杉山は見逃すことなく、それでは参りますか、と立ち上がった。

 すかさず本間も立ち上がりブレリトンもつられるように立ち上がった。

 三人が長官公室を出る際、杉山は部屋に残る近藤に目で合図を送ると、近藤は小さくうなづき隊内電話の受話器を取り上げ、どこかに電話をかけはじめた。

 そして彼等が『榛名』の上甲板に姿を現すと、日章旗を掲げ兵士を満載した大発が岸壁に向かって進んでいる姿が目に入った。

 岸壁に待機する米比軍の兵士はこれに一切反撃はしない。上空には日の丸を輝かせながら、帝国海軍の戦闘機が飛び交っている。

 極東に残されたアメリカ合衆国の唯一の拠点が消滅し、フィリピンが大日本帝国の支配下に移るのは、もはや時間の問題となっていた。



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