七〇 満州帝国海軍の創立
一九四二年九月一四日。
黄海に突き出すような形をした遼東半島の旅順にある、帝国海軍旅順警備府。
その司令部庁舎の長官用執務室の隣にある応接室で、司令長官の山縣正郷海軍中将は首席参謀の宮本義巳海軍大佐が持ってきた報告書を、満足げな表情で読み進めていた。
「いかがでしょうか?」
山縣が読み終えた報告書を応接机の上に置いた途端、向かいのソファーに座っていた宮本は身を乗り出すようにして尋ねた。
「問題は何も無いようだ。よくやってくれたな、礼を言う」
その問いに山縣は表情を変えることなく頭を軽く下げた。
「まったく、満州陸軍も以外と素直だったな」
と、山縣の隣に座っている梶原定道海軍少将が口を開く。
梶原と山縣は海軍兵学校第三九期生として共に勉学に励んだ仲だが、水雷畑から航空畑に転じ、主に陸上攻撃機の開発に手を尽くしてきた山縣と違い、梶原は駆逐艦や軽巡の艦長といった目立たない役職を転々としてきたため、その経歴はあまりにもパッとしない。もっとも本人達はいっこうに気にしていない様子だ。
ちなみにそんな梶原の現時点での肩書きは、やはり同期の出世頭の海軍中将伊藤整一軍令部次長や、前線部隊の司令官として活躍している西村祥治、角田覚治、阿部嘉輔各海軍少将等のそれとは異なり、佐世保鎮守府隷下のある委員会の委員長という聞きようによっては閑職ともとれるものだ。
しかし、見た目と現実にとんでもないギャップがあることがあるように、彼の場合も非常に重大な職責を担っていた。
「えぇ、そこは私も交渉を進めていくなかで意外な所ではありました。我が国のようにクーデター未遂事件を起こしたならともかく、そういったことは一切ない満州陸軍がこうも安々と海上兵力を手放すとは」
「うむ、それは同意見だな。この職に着任して以来絶えず満州帝国側に働きかけてきたが、ちと上手くいき過ぎている感があると言えばあるな」
宮本の発言に山縣が同調すると、宮本の隣に座り彼と共に満州帝国側との交渉にあたってきた、新京の日本大使館付海軍武官の千葉一利海軍大佐が口を開いた。
「私が入手した情報ですが、満州帝国は今、我が国の後方支援基地としての役割を担っています。帝国陸軍の戦車を始めとする軍用車両や大型の大砲等はそのほとんどが満州製であり、帝国海軍も主に陸戦隊の装備品を満州の軍需産業界に発注しています。そのため大量の資金が満州に流れ込み、ある意味これに味をしめた政府首脳部が、満州陸軍に働きかけていたようです」
「なるほど。すると我が国同様、満州の軍部は立場上政府の意思には逆らえず、経済的効果や諸々の技術力の向上のために渋々手放したと見るべきかもしれない、ということだな」
さて、欧州諸国との唯一の同盟であった日英同盟が開戦一ヶ月で潰され、またドイツやイタリアとも同盟を組んでいないため、一見すると一匹狼にも見える大日本帝国だが、いわゆる同盟国はきちんと存在している。
彼等が俗に五国同盟と呼んでいる同盟の構成国はその名の通り、大日本帝国、満州帝国、大韓帝国、中華民国、タイ王国のアジアの五つの国家だ。
ただしこれは軍事同盟ではなくあくまでも通商関係のものであるため、実際にアメリカ合衆国その他の連合国と戦争状態にあるのは中華民国を除く四か国だ。
と言っても、満州帝国と大韓帝国はその地理的な位置から交戦経験はまったくの皆無だ。
残るタイ王国でさえ、陸軍のごく一部の部隊が帝国陸軍第四軍のビルマ侵攻にくっついていたぐらいであり、それも第四軍がラングーンを攻略し進撃を止めた時点で「やることはやった」と引き上げる始末だ。帝国陸軍がラングーンを拠点に、ビルマの北部及びインドに向けて行なっている諜報活動や独立組織に対する支援には、まるで興味が無いらしい。
そんなタイ王国陸軍に比べれば海軍や空軍の活躍は冴えたものがあるように見えるが、比べる対象に問題があるだけで、実際には帝国陸海軍の後方支援的なものに終始している。
というような、頼りになるのか良く分からない同盟国に囲まれ、事実上単独で連合国と渡り合わなければならない帝国海軍は、自らの負担を少しでも軽減させるために、同盟国海軍に後方支援のより一層の充実を求める方針を決定した。
それがこの年の五月始めのことであり、その方針に従ってまず韓国海軍に旧式の二等駆逐艦や駆潜艇、掃海艇、そして六隻の一〇一号型駆逐艦が帝国海軍より供与され、今では従来の艦艇と共に東シナ海航路の一部と日本海航路の船団護衛の大半を、韓国海軍が担うようにまでなっている。
という韓国海軍の活躍が迅速かつ上手くいっている背景にあるものは、やはり日本の支配下から脱却した時から保有している自前の海軍、それも帝国海軍の補完及び支援が主任務と規定されたものに、海軍将校のイロハを留学先の江田島で徹底的に叩き込まれた優秀な士官や、船団護衛に通じている帝国海軍の派遣士官の存在が大きい。
韓国海軍の成功に気を良くした帝国海軍の上層部は、次にその矛先を大韓帝国の隣の同盟国である満州帝国へと向けた。
しかしこの国は、その広大な国土の割に海岸線の長さが異常なまでに短いため、半島国家の韓国とは異なり、そもそも海軍というものが存在しないのだ。
そこで帝国海軍は満州帝国の海軍を一から創ることにし、その満州帝国海軍設立準備委員会のトップに、これまで船団護衛に関する研究を地道に続けてきたことが評価された梶原が、満州帝国軍部との交渉窓口の一つでもある旅順警備府の長の山縣の推挙もあって就したのだ。
「しかし事が上手くいくということはまぁ、喜ばしいことだが、何とも不可思議な気分だな」
「……そうですね」
満州海軍についての話が進んでいくなか、その創設に多大な努力と貢献をしてきた梶原がつぶやくと、しんみりとした口調で宮本も同調した。
「俺は赤レンガの中で活躍してきた山縣と違って、目立ちはしないが帝国海軍を根幹から支える現場の人間であると自負してきた。だからこの辞令を受けたときには戸惑ったな。現場から離れるわけではないが、何よりこの軍服を着ることがなくなるのだから」
梶原はそう言うと、袖を通している純白の帝国海軍第二種軍装を軽く撫でた。
満州帝国が保有する海上部隊は規模的にもその技術的にも、所詮は沿岸警備隊に毛がはえた程度のもので、満州陸軍の中でも閑職的な存在だ。
だが独立した海軍ともなれば、そのような状態であるわけにはいかない。
かといって満州陸軍に、全ての部署を埋められる程の数の優秀な人材などいるはずはなく、その分の人材はある意味当然のごとく、帝国海軍からの転籍者で埋められることになっている。
そしてその筆頭にいるのが、満州帝国海軍設立準備委員会委員長の梶原定道であり、彼は満州海軍の設立と同時に帝国海軍から離れ、満州帝国海軍中将の階級と満州帝国海軍黄海艦隊司令長官の職が与えることになっている。
黄海艦隊司令長官というのは要するに、満州海軍が保有することになる軍港や飛行場、陸上基地とあわせ、水上部隊はもちろんのこと陸戦隊や航空隊の全てを統轄する立場だ。
また宮本も同じように帝国海軍の軍籍から離脱し、満州帝国海軍少将の階級と梶原の参謀長の職が与えられることになっている。
一人の海軍軍人としてこれらの事実をとらえれば、文字通りの栄転でありこの上ない名誉なことなのだが、海軍軍人の前に帝国の二文字を付け足すだけで、哀愁の情がわいて出てくるのだから分からない。
「……」
人事担当者に梶原や宮本のことを提案した張本人である山縣は、そんな二人の様子を見て言葉を失っていた。
二人を推薦したことを後悔こそしていないが、それでもある種の罪悪感を感じていることに動揺しているのだ。
「だがしかし、軍人として命ぜられたことは忠実に守らねばならん。それにどこの国の軍人になろうとも、俺自身が日本人であることになんら変わりはないし、また御国のために働くという任務にも大きな変化はない。与えられた場所で精一杯やるだけさ」
そんな山縣の懸念をよそに、梶原はまるで開き直ったかのように言った。
確かに、帝国海軍が満州海軍に求めている任務は、黄海の哨戒及び日本本土と旅順を結ぶ航路を通る船団の護衛だ。梶原の理論にも一理はある。
そんななか、彼等三人の様子を黙って見つめていた千葉が、ふと思い出したように口を開いた。
「そういえば満州帝国の政府のある高官が言っていたのですが、実は前から巡洋艦や小型の空母を保有しようという計画があったようなのです。もしかすると今回の海軍独立に伴って、これらのことが実現するかもしれませんね」
「ほう、そうかね。ならば実現させる他はない。特に空母は商船改造程度のものであっても、是非欲しいところだな」
この梶原の発言は山縣を安堵させた。彼の提案は間違ってはいなかったのだ。
「ですがその場合、色々と手間がかかりますね」
「なに、どんなに手間がかかろうとも、霞ヶ関の連中は反対せんだろう。満州海軍の戦力が強大化するということは、つまりそれだけ帝国海軍が持つ戦力を前線に回せるのだからな」
「うむ、それには俺も協力しよう。訓練用の大型艦や航空機に搭乗員の教官、その他諸々の手配は任せておけ。……いや、まだこんなことを言うのは早過ぎたな」
山縣がそう言うと、他の三人の表情と場の空気が若干緩んだ。
「それから基地航空隊の増強も急務だ。予定の戦力では黄海の対潜哨戒が限度で、そこから先は無理だ。機体の増強もそうだが、飛行場の前進もまた必要だ」
「もっともな意見だな。まぁ、任せたまえ」
梶原の提案に山縣は高らかに笑いながら答えた。妙な安請け合いをしてしまったという小さな後悔の念を抱きながら。
それから約二ヶ月後の一九四二年一一月二六日。
必要性があまり無かったとは言え、満州帝国が建国されてからそれ相応の時を経て創設された満州帝国海軍は、皇帝の康徳帝や政府や軍部の首脳達、さらに招待された同盟国の代表達の臨席のもと、旅順で挙行された盛大な開隊式をもって、名実共に誕生した。
満州陸軍の海上部隊から移管されたものや帝国海軍から供与されたものを含め、この段階で保有する水上戦力は、排水量が一〇〇〇トン以上の駆逐艦が六隻、一〇〇〇トンに満たない駆逐艦が四隻、駆潜艇や掃海艇等が一〇隻、その他潜水艦や輸送艦、敷設艇、砲艦等がやはり一〇隻というふうに、数はある程度揃っているが小型艦主体のものとなっている。
航空部隊は帝国海軍から供与された九四式水上偵察機が主力で、その他は零戦や九六艦攻の初期型が若干配備されている程度であり、旅順郊外にある飛行場を共同使用する帝国海軍鎮海航空隊旅順派遣隊とほぼ同規模という、水上部隊以上に貧相な状態だ。
しかし、そんなことはどうでも良いと言わんばかりに、その次の日には旅順から日本本土に向かう、一〇隻以上の船団を護衛するために、マストに満州帝国の国旗をそのまま流用した満州海軍の軍艦旗をはためかせながら、彼等は勇躍旅順から出撃していった。
岸壁では出撃しない艦艇の乗組員や帝国海軍の将兵達が、初めての出撃を見送るためにちぎれんばかりに帽子を振り、上空を満州帝国の国籍マークを付けた九四式水上偵察機が、軽やかなエンジンの爆音と共に駆け抜けていく。
その様子を、新調された満州海軍の冬季用軍服に身を包んだ梶原と宮本が、帝国海軍旅順警備府の目と鼻の先の建物に設けられた満州海軍黄海艦隊司令部の長官室から、満足げに見守っていた。
そんな二人の後ろに置かれている梶原の執務机の上には、今目の前の海上を進んでいる部隊や、彼等が護衛する船団についての詳細な情報が記された書類の束が置かれている。
また他にも自国の陸軍や同盟国、そして連合国の動向が記された書類が積まれていた。
その書類の中に、帝国海軍の主力艦艇が相次いで母港を出撃し、台湾沖に向かっているという情報も混じっていたが、船団護衛や対潜哨戒が主任務である満州海軍を預かる梶原には関係の無いことであった。