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異説 太平洋戦記  作者: 水谷祐介
第一一章 帝国の解答ー帝国陸海軍、西へ
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六七 懊悩する大英帝国



 その瞬間、英国海軍東洋艦隊司令長官のジェイムズ・サマーヴィル海軍大将は、何が起きたのかを把握することが出来なかった。

 何の前触れも無しに突然、座乗する旗艦の『ウォースパイト』の艦体が敵弾の直撃とは別の大きな衝撃を受け、彼は長官用の椅子から転げ落ちそうになったのだ。

 何とか椅子にしがみついた彼の目に、戦闘艦橋を覆う分厚いガラスを通して巨大な火柱が写った時、彼は魚雷が命中したということを悟った。

 「両舷停止!」

 艦長が文字通り血相を変えて叫ぶ。

 直ちにそれまで全速で回っていたスクリューの回転が止まり、『ウォースパイト』はみるみる速力を落としていく。

 だが、戦艦程の巨艦ともなるとそう簡単には止まらない。

 『ウォースパイト』は魚雷の命中により開いた艦首付近の大穴から海水を呑み込み続け、艦体は次第に前のめりになっていく。

 「他艦の被害報せ!」

 旗艦が相当の被害を受けたことに打ちのめされながらも、サマーヴィルは司令長官としての命令を発した。

 しかしそれに対する報告は、彼の心ををさらに打ちのめすものだった。



 「電測より艦橋。敵艦隊の行き足止まります!」

 「後部見張りより艦橋。敵艦隊沈黙! 敵二、四、五番艦に大火災発生!」

 「やった、な」

 帝国海軍第二艦隊司令長官の南雲忠一海軍中将は、そう安堵のため息をつきながらつぶやいた。

 最初は五分五分だった砲撃戦も、第五戦隊の戦艦二隻が相次いで戦闘不能になってしまった時点で、帝国海軍は圧倒的不利な状況に追い込まれた。

 弾着修正に不可欠な観測機を撃墜され、最後尾を行く『ロイヤル・サブリン』を除けば、東洋艦隊の戦艦群もそれ相応の被害を受けていたのだが、主砲塔や射撃指揮所といった砲撃戦の要になる場所は基本的に無傷であり、その矛先を第五戦隊に続く第六及び第七戦隊の重巡に向けてきたのだ。

 いかに重巡とは言え、戦艦の主砲弾をもろに喰らえば轟沈する可能性が高い。

 素直に考えれば勝目などあるはずはなく、南雲は即座に砲撃中止と回避運動の開始を命じた。

 それに伴い、機関室や舵機室はまだ生きていた『日高』は最大戦速で戦場からの離脱を図り、機関室の大多数を損傷していた『天城』もよたよたと動き出し、六隻の重巡と南雲が座乗する『仁淀』は各々衝突に注意を払いつつ、不規則に急加速、急減速、そして右へ左へ転舵を繰り返し五隻の英国戦艦から撃ち出される巨弾に空を切らせると共に、時間を稼ぐことに終始した。

 と言うのもこの時、『日高』が戦闘不能になる直前に放たれた、合わせて一三六本という大量の酸素魚雷が、英国戦艦目指して海中を疾走していたのである。

 発射された地点により多少の差はあったが、およそ七分から八分の時を経て英国戦艦の右斜め前方から殺到してきた魚雷の大群は、一万メートルを超える遠距離から放たれたにも関わらず、命中魚雷一二本、命中率九パーセントというまずまずの成績を修めた。

 これらの魚雷は、第二艦隊が敵一番艦と認識している『ウォースパイト』と同じく二番艦と認識している『リヴェンジ』、そして三番艦と認識している『レゾリューション』に三本ずつ、四番艦と認識している『ラミリーズ』に一本、五番艦と認識している『ロイヤル・サブリン』には二本がそれぞれ命中し、盛大な水柱と火柱を噴き上げさせると共に、分厚い水線下の装甲板を食い破ったのだ。


 「一二戦隊と四水戦はどうした? 報告は無いのか?」

 思い出したように南雲が言うと、首席参謀の志岐常雄海軍大佐が答える。

 「今のとこ……」

 「通信より艦橋。一二戦隊司令部より入電。『我、敵軽快艦艇部隊を殲滅す。当隊全艦健在なり』以上です」

 志岐の発言を遮るように通信室からの吉報が飛び込んだが、南雲の表情は冴えない。

 何しろ『仁淀』が回避運動に終始している最中に、駆逐艦『吹雪』から「我、四水戦の指揮をとる」という聞き捨てならぬ報告が入っているのだ。

 「四水戦はどうした?」

 「まだ何も……来ました! 『“四万十”戦闘及び航行不能、“東雲”“磯波”落伍せり。我、現在救助作業中なり』以上です」

 「二水戦司令部より入電。『我、魚雷の再装填を完了せり。突撃の許可を求む』以上です」

 「そうか……」

 「長官、ご命令を」

 刻々と動く戦況に対する反応がいまいち鈍くなった南雲に、参謀長の白石万隆海軍少将が催促すると、ややあって南雲はおもむろに口を開いた。

 「……二水戦司令部に命令。敵戦艦部隊に再突撃を敢行し、これを殲滅せよ。なお、六戦隊はこれを援護し、七戦隊は五戦隊を護衛せよ。以上!」

 こうして待ち望んだ命令を得た第二水雷戦隊は、すぐさま旗艦の『鬼怒』を先頭に爆走を開始し、第六戦隊の三隻の重巡も艦首を右に振って第二水雷戦隊と並ぶように走り始めた。

 魚雷を持たない『仁淀』は二つの戦隊の動きを見届けると、艦首を左に振って第五、第七両戦隊の後を追った。

 左斜め前方から迫ってくる魚雷の大群の中に半ば突っ込んでしまったため、そろって艦首付近に大穴を空けられた東洋艦隊の戦艦群は、さらなる浸水を防ぐために海上に停止している。

 彼女達の主砲に関してははまだ健在であるため油断するわけにはいかないが、第二水雷戦隊はウェーク沖海戦と南太平洋海戦を通じて、帝国海軍一の敵戦艦撃沈スコアを持っており、司令官の田中頼三海軍少将以下の司令部要員や所属駆逐艦にも大きな入れ替えは無い。

 南雲以下の第二艦隊司令部の面々は、彼等がまた多大な戦果を上げることを疑っていなかった。



 ここで話は大きく飛ぶが、ロンドンのダウニング街一〇番地の住人は、後に日本側がベンガル湾海戦、英国側がベンガル湾の悲劇と呼ぶことになる戦いの顛末を自分の書斎で聞くなり、その血色の良かった顔色を一瞬で真っ青に染めた。

 「事実、であろうな?」

 「はぁ、事実であります」

 「何ということだ。国王陛下に、国民にいったい何と言えば良いのだ……」


 東洋艦隊壊滅す。という何とも恐ろしい報告は今回が二度目であるが、総理大臣のウィンストン・チャーチル、そして大英帝国にとってみれば今回の報告の方が、格段に大きな衝撃となったことは間違い無い。

 一度目の時は、シンガポールに展開していた新鋭戦艦の『プリンス・オブ・ウェールズ』を始めとする戦艦三隻、空母二隻を中心とする部隊がやられ、それが結果として英領マレーや蘭領インドシナが早期に陥落する要因の一つとなった。

 だが今回は、遥かに規模の大きい戦艦五隻と空母三隻を中心とする部隊が全滅の憂き目を被ったのだ。インド洋の制海権は失ったと言って良い。

 さらに、英国海軍の一大根拠地であるセイロン島は日本海軍艦載機部隊による執拗な爆撃を受け、いざというときにタイ方面の日本陸軍に対抗するためのインド東部やビルマの航空基地も、艦載機部隊はもちろんのこと基地航空隊による空襲によって使用不能に追い込まれ、またそれ以前に戦闘機やら爆撃機やらを問わずに機体と搭乗員が激減してしまったため、事実上英国空軍はこれらの地域の制空権をも失っていた。

 つまり、日本軍が本気になってインドに攻め寄せてきた場合、これを防ぐ術がまったく無いのである。


 「インドは我が大英帝国の植民地の一つ。と言ってしまえばそれまでだが、あそこはただの植民地ではないのだ。植民地を褒めるというのは気が進まんが、大英帝国の発展に大きく寄与してきた土地だ。それを失うどころか我々の勢力圏外になるということはだ。要するに諸君、我々が考えたくもない事態が現実のものになるということだ」

 チャーチルは頭を抱えながらそう言った。

 「仮に日本軍がインドにまで侵攻してきますと、我が陸軍の部隊に大きな動揺が走ることは間違いありません」

 「すでに走っておるのではないか? オーキンレックからはまだ特には何も無いようだが、北アフリカの様子も芳しくないのだからな」

 「陸上のことばかりではありません。我が海軍は今のところ大西洋と北海、ノルウェー海、バレンツ海、そして地中海を治めるだけで手一杯の状況です。つまりインド洋との海上交通は事実上寸断されているのです」

 英国海軍第一海軍卿のダドリー・パウンド海軍元帥が焦りの表情を浮かべながらそう言うと、チャーチルは皮肉のこもった目でパウンドを見た。

 実際のところ、英国海軍がパウンドの言った五つの海域を治めているとは言い難い。

 英国本土に上陸したドイツ軍が撤退する一因となったドーバー海峡海戦以来、ドイツ海軍の水上部隊はこれといって目立った行動を起こしていないが、反比例するように潜水艦の活動は非常に活発化していた。

 北極海や大西洋を跳梁して輸送船を襲うUボートに対抗しうる有効な対潜戦術は、合衆国海軍も英国海軍もまだ確立しているわけではなく、この方面における戦闘は明らかにUボート有利に推移していた。

 また地中海には、水上部隊の戦力はドイツ海軍のそれを遥かに上回るイタリア海軍がおり、積極的に仕掛けてくることさえ無いものの、総力をあげて北アフリカの枢軸軍に対する補給物資を運ぶ輸送船団の護衛や、それを妨害する英領マルタ島の海上封鎖を行なっている。

 「我々がインド洋の制海権を失ったという知らせは当然、ドイツやイタリアにも入っておるだろう。日本を自分達の陣営に引き込みたくて仕方のない連中はほぼ間違い無く、北アフリカを重視するだろう。スエズを奪い海上交通路を開けば日本もその気になるやもしれんからな」

 「そんなことを許すわけにはいきません。現在海軍はマルタ島への補給作戦、ペデスタル作戦を実行しております。これが成功して同地が再び本来の役割を取り戻せば、アメリカからの支援と合わせ枢軸軍を防ぐことは可能です」

 と、見方によっては楽観的過ぎる発言をパウンドがする。

 何が楽観的なのかと言うと、ペデスタル作戦が成功するという前提にたって話しているからだ。

 この作戦を簡単に言えば、エドワード・サイフレット海軍中将率いる英国海軍H部隊に、ソ連向けの援助物資の海上輸送を中断する代わりに本国艦隊から戦艦を始めとする艦艇を回し、マルタ島に輸送船団を無事に送り届けるというものだ。

 だがチャーチルはパウンド程楽観的にはなれなかった。

 確かに、戦艦『ネルソン』を旗艦とする護衛部隊は強力だが、このところのマルタ行きの輸送船団は全て枢軸海空軍によって阻止され、マルタ島には一発の銃弾も一滴の石油も届いていない。

 特に石油の欠乏は致命的で、これが無ければ海水から真水を作る装置が働かない。つまりマルタ島民と同地に展開する将兵達の飲料水が確保出来なくなるのだ。

 マルタの総督府は、万一ペデスタル作戦が失敗した場合、選択可能な道は降伏のみと言ってきている。

 もしマルタ島が陥落すれば、連合軍は枢軸軍による北アフリカへの物資輸送を妨害することがほぼ出来なくなり、地中海を経由してエジプトに増援を送ることも困難になる。

 それはスエズ運河喪失という悪夢が、現実のものになるということを意味していた。

 そこへビルマはともかくインドに日本軍侵攻などという報告が飛び込みでもすれば、大英帝国の栄光はそのまま過去のものとなってしまう。

 それだけは断固として避けなければならない。

 「今回のペデスタル作戦にはマルタやエジプト、スエズの命運がかかっているだけではない。我がロイヤル・ネイビー、そして栄光ある大英帝国と国王陛下の威信がかかっている。事の重大さはとても計り知れん。失敗など何があったとしても許されることではないのだ」

 チャーチルがパウンドに対してそう厳命すると、その迫力にたじろいたのかパウンドはひきつった表情で敬礼をし、そしてそのままチャーチルの書斎を後にした。

 扉が閉まるとチャーチルは執務机に置かれていた地球儀を手に取り意味も無く回し始めた。

 地球儀はしばらく回り続けていたが、やがて東アジアの部分が正面にきて止まった。

 そこにあるちっぽけな島国を裏切ったことに対して、後悔の念が沸き起こっている事実にこの老練な政治家は動揺を覚えていた。



 第二四話から第二八話まで加筆訂正しました。

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