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異説 太平洋戦記  作者: 水谷祐介
第一一章 帝国の解答ー帝国陸海軍、西へ
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六三 サマーヴィルの賭



 一九四二年七月一四日。

 ゆっくりと昇っていく太陽を背にして、大海原を突き進む艦艇の群れから五隻の巨艦が艦首を南西に向けて、単縦陣を組んでいる艦隊から離れていく。

 続けて比較的小型の艦艇がその後を追うように取舵を切り、艦隊から離れて速力を上げる。

 五隻の巨艦も煙を盛大に噴き出しながら速力を上げていく。

 「準備は整ったようだね」

 帝国海軍第一機動艦隊旗艦、司令部巡洋艦『矢矧』の羅針艦橋から双眼鏡越しにその模様を見つめていた、司令長官の塚原二四三海軍中将は自らの後ろに居並ぶ幕僚達に対してそう言った。

 「そのようですね。長官、発艦命令を」

 参謀長の上野敬三海軍少将が促すと、塚原はうなづいた。

 「一航戦、二航戦に第一次攻撃隊の発艦命令を出せ。攻撃目標はセイロン島の英軍飛行場だ」

 そして航空参謀の柴田武雄海軍中佐が即座に隊内無線の受話器を握り、それぞれの司令部に命令を伝える。

 直後、五隻の巨艦の艦上に轟々と艦載機のフルスロットルの雄叫びが鳴り響き、次々と艦載機が甲板上を滑り大空に舞い上がり始めた。


 今回、第一機動艦隊がセイロン島に向けて放った第一次攻撃隊は、まず第一航空戦隊の『蒼龍』『雲龍』を母艦とする第六〇一海軍航空隊からの、飛行隊長の淵田美津雄海軍中佐率いる艦戦六四、艦爆二七、艦攻二七の合わせて一一八機。

 そして、第二航空戦隊の『松島』『橋立』『厳島』を母艦とする第六四一海軍航空隊からは、同じく飛行隊長の艦爆の神様、江草隆繁海軍少佐率いる艦戦四八、艦爆二七、艦攻二七の合わせて一〇二機。

 総勢二二〇機の大編隊は淵田が乗る九六艦攻を先頭に、一路セイロン島を目指して進撃を開始し、それをその他の艦艇の乗員達が帽振れで見送る。

 その一方、面舵を切って艦隊に復帰しつつある各母艦では、早くも第二次攻撃隊の出撃準備が開始されていた。

 指揮官は先任である六〇一空飛行副長の雷撃の神様、村田重治海軍少佐と六四一空飛行副長の友永丈市海軍大尉である。

 しかし、塚原司令部は悩んでいた。

 何をか、と言えば兵装の問題についてだ。

 第一次攻撃隊が首尾良くセイロン島の飛行場を破壊すれば、対艦用の爆弾や魚雷を搭載させて東洋艦隊にぶつければ良いのだが、破壊しきれなかった場合には対地用の爆弾を搭載させて、セイロン島に向かわせるのが望ましい。

 だが、第一次攻撃隊は出撃したばかりであり、艦隊からセイロン島までは二二〇海里の距離があるから到達するだけで一時間はかかる。

 その結果を待たずに弾薬を搭載したとしても、鋼鉄の塊である軍艦に対地用の瞬発弾をいくら命中させたところで意味はあまり無いし、地面に魚雷を投下してもまったく意味が無い。

 かといってぼやぼや兵装転換などしていているのもというのも、いつ何時反撃を受けるか分からない状況下ではあまりにも危険過ぎる行為なのだ。


 「東洋艦隊の正確な位置さえはっきりしていれば、こうまで悩むことはなかったでしょうね」

 上野がそうぼやくと塚原は苦笑いを浮かべて応じた。

 「今回に限っては四艦隊はあまりあてに出来んな。我々が放った索敵機の報告を待つほうが早いだろう」

 「長官、ここは焦らずに、どっしりと構えて事に対処すべきです。下手に動いても損害を生むだけです」

 柴田が意見を具申すると塚原はうなづいた。

 「そうだな……六航戦司令部に通信。全稼働戦闘機を飛行甲板に上げさせろ。万一の場合、に備えてな」


 連合艦隊所属の潜水艦のほとんどを、その指揮下におさめている第四艦隊は、今回のい号作戦に大小合わせて四〇隻以上の潜水艦を投入して臨んでいる。

 しかし、運に見放されたのか事前の予想が大はずれしたのかどうかは分からないが、最重要任務である『偵察』の成果がまるであがっていないのである。

 例えば昨日、日没を迎えたためにそれまで東洋艦隊に張りついていた艦載機からそのバトンを受け取った潜水艦は、それから一時間と経たぬ間に東洋艦隊を見失うという愚を犯している。

 おかげで東洋艦隊の現在地に関する情報は、トリンコマリーから方位三〇度、距離三〇〇海里の地点を中心とする半径約二〇〇海里の円の内側のどこかにいる。という何ともアバウトなものしかないのである。


 「とりあえずは防御に徹した方が良いだろう。時間はたっぷりあるのだからな」

 塚原は話した内容と同じようにのんびりとそう言った。

 幕僚達から反対する意見は無く、艦橋全体がどこかのほほんとした空気に包まれる。

 だが、ここは文字通りの戦場でありそのような状態は長く続かない。

 「見張りより艦橋。『大和』より信号『対空電探に感有り。方位二六〇、距離六〇海里より敵編隊接近中』……『三河』からも同内容の信号を確認しました!」

 熊野型司令部巡洋艦の最大の欠点は、巡洋艦であるがために電探の取り付け位置が低いということだ。

 そのため、敵機の発見はいつも戦艦の役目となっている。

 「『熊野』より入電『艦隊針路三五〇、全艦対空戦闘用意』」

 続けて通信室からの報告があげられると、艦橋の空気は先程までの状態がまるで嘘であるかのように引き締まった。

 「全母艦に命令、直ちに戦闘機を可能な限り発艦させろ!」

 塚原が叫ぶと、通信士官が慌ただしく隊内無線の受話器を取り上げ、『矢矧』の艦長の大野竹二海軍大佐はここぞとはがりに声を張り上げる。

 「面舵一杯! 針路三五〇度。対空戦闘用意、各員配置につけッ!」

 大野の命令とラッパの音が艦内に響き渡った途端、『矢矧』の乗員達、つまり第一機動艦隊の幕僚以外の将兵達の表情が生き生きとしたものに変わった。

 第一機動艦隊という世界最強の空母機動部隊の旗艦と言っても、自らが率先して戦うわけではなくあくまでも空母やその艦載機の裏方だ。

 第一線の部隊が戦いで勝利を得るためには、後方の支援部隊が充実していることが何よりも不可欠である。ということは兵学校や海兵団に入って一番始めに教えられることであるため、皆頭では理解しているがどうしても歯痒いものがある。

 しかし、『矢矧』は初めて戦いのど真ん中に放り込まれようとしている。

 乗員達の士気の高さは言葉では言い表せないだろう。

 「電測より艦橋。対空電探に感有り。方位二六〇、距離四〇海里に敵編隊探知。反射波の程度より数はおよそ七〇と推定」

 「見張りより艦橋。直掩戦闘機隊、方位二六〇度方向に進撃開始します。各空母からも戦闘機発艦中!」

 「砲術より艦橋。主砲対空射撃用意良し……高角砲、機銃も配置良し。対空戦闘用意良しッ!」

 射撃指揮所に詰めている砲術長が報告すると、『矢矧』の前部甲板に設置されている二基の一五,五センチ三連装砲塔が左に旋回し砲身をもたげた。

 艦橋後ろに設置された三基の一二,七センチ連装高角砲や、沢山の三〇ミリ連装対空機銃もまた同様だ。

 「直掩戦闘機隊に通信。本艦の誘導に従い、艦隊より距離二〇海里地点で迎撃開始せよ。艦橋より電測。戦闘機隊を本艦より二〇海里の地点で、迎撃を開始出来るよう誘導せよ」

 と、最後に塚原が電測室に命じたその瞬間、なぜか艦橋の空気が再び変わったという。



 さてその頃、ジェイムズ・サマーヴィル海軍大将率いる英国海軍東洋艦隊は、帝国海軍の潜水艦を上手くまいて以来、幸運なことに誰にも発見されることなく進撃を続けていた。

 「日本海軍の動きに変化は無いかね?」

 旗艦である戦艦『ウォースパイト』羅針艦橋に仁王立ちになって、サマーヴィルは慌ただしく尋ねた。

 もっとも、もしこの段階で発見されるようなことになれば全てが瓦解するのだから、彼の落ち着かない様子はある意味当然なのかもしれない。

 「はい、これまでに入った情報を総合しますと、敵A部隊はセイロンの東約二七〇海里を、敵B部隊はラムリー島の沖合いを進行中と思われます」

 参謀の一人が応えると、サマーヴィルは大きく息を吐いた。

 ちなみに、Aというのが高須・塚原艦隊のことで、Bというのが南雲・小澤艦隊のことだ。

 「A部隊の目標はとりあえずセイロン島であるとして、問題はB部隊の目標だ。連中が何処に来るかでこちらの動きが決まるのだからな」

 「B部隊は陽動部隊であるとは言え、六隻の空母を抱えています。ですから航空兵力には絶対の自信があるはずで、素直にアキャブ、チッタゴン、ダッカ、カルカッタの順番にひとつひとつ潰していくものと思われます」

 「空軍は防げそうか?」

 僅かな希望を込めたサマーヴィルの問いに、参謀はかぶりを振りながら答えた。

 「正直厳しいと考えます。空軍司令部からの報告によれば、カルカッタにはスピットファイアの最新型を含む八〇機の戦闘機が展開していますが、その他の基地の防空能力はお世辞にも高いとは言えない状態です」

 「ラングーンに主力を集めた空軍の策が、逆に裏目に出たということかね?」

 「はぁ、結果的にはそういうことになります」


 在インドの英国空軍司令部の対日作戦案は、ビルマに侵攻してくる日本軍航空部隊を、多数の航空機を集中的にぶつけることによって撃破し、ビルマ上空の制空権を確保したうえで日本軍地上部隊を叩くというものだった。

 しかし、アフリカ戦線に戦力を回してしまったため、実に二〇〇機近い数の戦闘機をラングーンに集めたとは言え、肝心のベテラン搭乗員の数が足りないという事態を招いてしまった。

 その結果、タイ方面から侵入してきた部隊は何とか食い止めたのだが、アンダマン海方面から侵入してきた艦載機部隊に対してはもはや迎え撃つ戦闘機さえなく、駐機していた爆撃機は片端から地上で撃破され、滑走路は見事に耕されてしまったのである。

 また、空中戦を生き残った戦闘機も、その短すぎる航続距離から他の基地に降りることも出来ず、種蒔き前の畑ような滑走路に無理矢理着陸して脚を折る機体が続出してしまい、せっかく集めた戦力がたった一回の戦闘で失われるという結末を迎えたのだ。


 といった参謀の報告を、苦虫を潰したような表情で聞いたサマーヴィルは、しばらくして後ろに控える幕僚達のほうに体を向け、その口を重そうに開いて長い訓示を述べ始めた。

 「諸君達も知っての通り、今回の作戦は普通なら行わないような非常に投機的なものだ。これといった戦果をあげる前に、艦隊が全滅してしまう危険性すらはらんでいる。逆にある程度上手くいったとしても、結果的に我々の故郷に帰れる可能性は限りなく低いし、それによって日本海軍が大人しく引き上げるとも思えない。……だが諸君。我々はやらねばならん。我々が粘れば粘る程、我が大英帝国、そして同胞達のもとに勝利が近づいていくのだからな。戦わねばならんのだ」

 「……失礼します。カルカッタの空軍司令部より報告電です」

 サマーヴィルの訓示が効いたせいか、しんとした艦橋に電文を握った通信士官のおずおずした声が響く。

 「……読んでみたまえ」

 「し、承知しました。『アキャブ基地からの通信途絶。日本海軍の航空攻撃を受けた模様。我、カルカッタ基地に戦力を集中し敵を迎え撃ち、また反撃を行わんとす。貴艦隊よりの作戦開始の一報を待つ』以上です」

 「そうか……分かった」

 サマーヴィルはその通信士官にそれだけ言うと、それ以上は何も言うこともなく押し黙った。

 自らの位置を暴露することになるため、現時点で無線を発するわけにはいかない。

 つまり、ただ空軍からよせられる情報を一方的に受信するだけであり、それだけの情報から作戦を開始するタイミングを探らなくてはいけない。

 しかも水上砲戦力はともかく航空兵力に絶望的な差がある以上、タイミングをはかるにはかなり緻密な計算を必要とされ、そしてサマーヴィルのその計算結果に基づく彼の一言は、まさに東洋艦隊と、さらに言えば英国空軍の命運をも握ったとてつもなく重たいものだ。

 そして彼が一人、そんな得体の知れない感覚に襲われているなか、第一機動艦隊が放った暁雲が東洋艦隊のいる方角に飛び続けていた。

 しかし、東洋艦隊がどのタイミングで見つかるのかは、まだ誰にも分からない。




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